短編20「笑顔で恫喝するのやめてください」 黒猫の日常#1
あらすじ
オンラインチャットのオフ会に参加した俺は、出会った彼女に振り回される。予測不能な言動と、笑顔の裏に隠された鋭い洞察力に、戸惑いを隠せず、俺はだんだんと彼女に流されていくのだった。
「『ねこにゃん』でーす!」
彼女が明るい笑顔で自己紹介をすると、個室居酒屋の座敷席に陣取る面々は大いに盛り上がった。1人の男は「ねこにゃーん!」なんて熱いコールをしている。
なんだこりゃ?
ことの始まりは、酒好きの人が集まる匿名のオンラインチャットだ。そこではいつも他愛のない話をしていた。ある日リアル飲み会を開催しようということになり、有志が10人ほど集まったというわけだ。
チャットで話したことはあっても初対面の人々に、俺は挨拶をしてまわる。チャットでは冷静な人が実はそうでもなかったりして、意外な一面を見れるのは素直に楽しかった。そんなわけで、色々な人と話をして座席を転々としていた。
「おーい、わんこー!」
不意に、ねこにゃんが言った。『わんこ』というのは俺のニックネーム。彼女はにこにこと笑って、こちらに手招きする。
「ねこにゃん、かまってくれないと泣くぞ?」
……なんという穏やかな恫喝。なんだこいつ。
「ああ」
適当に答えて、彼女の隣に座る。
彼女は、長い黒髪を左右でシニヨンを作り、獣耳をイメージしていると思われる髪型だった。猫耳のついたフード付きの、黒色の長袖ワンピースを着ており、袖とスカートの裾には白いレースがあしらわれている。スカート丈は膝上15センチぐらいだろうか、膝までの黒いオーバーニーソックスを履いて、いわゆる絶対領域を作っている。全体的に黒猫を連想させるファッションだった。
いや、見た目が可愛い女性なのは確かなんだが……でもなんというか、正直なところ。俺は少し引いていた。
本能的に、こいつは面倒くさいという気がしていたのだ。
「わんこ、初めまして。かんぱーい」
彼女はレモンサワーの注がれたジョッキを掲げて、突き出す。俺はビールジョッキを掲げて、それに応えた。
チャットで彼女と話したことはあれど、正直「よくわからん人」という感想になる。キャラ作りに一所懸命なのか、世界観重視なのか、とにかく話が噛み合うという認識がない。
「……ねこは、なんで俺に絡んできたんだ?」
「え、だってチャットで話してて、優しそうな人だなーって思ってたにゃん」
……俺と彼女の見ている世界は、どうやらまるで違うようだ。どちらにせよ、気が合うとは思えない。なので俺は遠回しに、提案を投げてみる。
「それは有り難いけどさ、せっかくだし他の人とも話してまわったら?」
俺の言葉に彼女はにっこりと微笑む。その笑顔のままで、
「うん、無理。だって、ねこだから。にゃん」
と、明るくばっさり拒絶した。
なんだこいつ。あと、無理やり語尾つけてないか。
俺はちょっと冷め始めていた。チャットでは楽しく話している仲間だが、リアルだと少し話が違う。酒が進んできたせいもあり、泥酔した者が出たりと、場が乱れ始めていた。
……ほどほどのところで帰ろう。うん。
「わんこ、楽しめてなくない?」
「え?」
「いや、そう見える。どこか、遠いところから俯瞰して見てるようにゃん」
ねこにゃんの言葉に、俺は言葉に困る。
なんで、見抜かれているんだろう。
「そんなことはないよ。酔って眠くなってきたからだ」
俺はそう言って、彼女の反応を見る。彼女は「ふ〜ん……」とにやにやと笑いながら言う。完全になにかを見抜いているような素振りだった。
「……ねこは、楽しんでる?」
「うん。人間観察楽しい。はかどるはかどるぅ」
彼女は座敷の端を指差す。俺はそれに促されて、2人を見た。
「例えばさ、あそこの男女。えらい意気投合してるけど、女性が主導権を握ってて、たぶん、この後女性が誘ってホテルに消えるんじゃない?」
言って彼女はにやにやと笑って見せる。完全に悪いことを考えている時の顔だ。どうやら彼女は、悪巧みをしている時にはこんな顔になるらしいことに気づいた。
「観察してどうするの?」
「行動経済学の勉強してんの。だから、人見るの楽しい」
「へえ……学生なんだ?」
「それは秘密にゃん。プライベートだから」
彼女は満面の笑顔で、きっぱりと断る。会話を誘導したのに梯子を外すという、なかなか面白いことをする人だ。俺は、彼女とは一定の距離を保とうと決めた。
「はーい、じゃあ、時間なので会計しまーす」
幹事が言った。言われた金額を払って、一同はぞろぞろと外に出始めていた。
店の前で先程の10人ほどがたむろしている。皆は二次会の話をしているが、気は乗らない。頃合いを見て退散しようと俺は考えていた。
ぐい。不意に腕に絡みつかれる。ねこにゃんだ。
「わんこ、まだ余裕あるよね? 飲めるよね?」
彼女はまた、にこにこと笑っている。その笑顔はまるで、獲物を見つけた肉食動物を連想させる。地獄の入口が開いた気がした。
「ねこにゃんは飲み足りないにゃ。だから付き合え」
笑顔の恫喝。
なんで俺は、こいつに懐かれているんだろう。予想外に強い彼女の力に、俺はぐいぐいと引っ張られていく。
「待て、待て待て待て!」
「わんこさぁ、たぶん私のこと誤解してるにゃん?」
ぎくり。またもや見抜かれている。こんなに勘が鋭い人と話したのは、初めてかもしれない。
「いや、なんで俺なんだよ?」
「え? わんこは大丈夫な人でしょ?」
その声に、俺は我に返ったように、腕にくっついたままの彼女を見つめる。
彼女の瞳は、繁華街のネオンを反射して輝いている。純粋な瞳。そして鋭い目。中から好奇心が漏れている。
「そ、それより、だ! 初対面の異性の腕に絡みつくとか、誤解されるからやめた方がいいぞ」
照れ隠しに言う俺に、彼女は一瞬不思議そうな顔をしてから、また笑顔になる。
「でも、わんこは大丈夫でしょ?」
それになんと答えればいいかは分からない。大丈夫、と言われてもなにが大丈夫か分からない。
「お前、警戒心とかないのかよ。あと、腕に胸が当たってる。絶対わざとだよな?」
それに彼女はちょっと目を見開いてから、また笑顔になって、楽しそうに続ける。
「てへぺろー。わんこなら、大丈夫かなって」
笑顔で言う彼女に目を奪われてしまう。素直な本音を言っているかは分からない。ただ、彼女の策略に絡め取られているような気はしている。
でも、だんだんと諦めが勝ってきた。俺は建設的かつ前向きに撤退を諦めて、この奔放な生き物に流されてみるのも悪くないと、思い始めていた。
「さ、飲み直し、いこ!」
俺は彼女に引っ張られるまま、繁華街の人波に飲まれていく。その手を振り払う気には、もうなれなかった。
――長い夜になりそうだ。
だけど、それはきっと、退屈な夜ではないだろうと感じていた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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