短編101「推し活はメンヘラと呼ばれるために」
【注釈】
一部、性的と解釈できる表現など、不快に感じられる表現を使用しています。閲覧にはご注意ください。
あらすじ
大学生の沙羅は、人気配信者ジュンヤの数多いファンの一人であることに耐えられない。彼女の目的は、ジュンヤに『メンヘラ』認定されて……。
好き。好き。好き。大好き。
私は彼の推し活をしているときだけ、本当の私であることが確認できる。
でも、本当の目的は――。
沙羅は、大学の講義中であることも気にせず、スマートフォンの画面から目が話せなかった。心理学の教授の穏やかな声は、なんの意味も持たないノイズでしかない。
彼女の意識は全て、画面の向こうにいるジュンヤに注ぎ込まれていた。
――ああ、もう、カッコいい。声もイケボ。
キュン死しそう。嬉ションしそう。全身が蕩けそう。
彼の声を聞くだけで頭がくらくらしてくるし、下半身がきゅうんと熱を持つ。目眩がして酸素も足りなくなってくる。
この気持ち、どうしよう――。
ジュンヤは、ゲーム実況と雑談配信で人気を博する動画配信者だった。彼は視聴者を「ジュン組」と呼び家族のように扱うスタイルで知られている。イベントに参加することを「里帰り」と呼ばせる徹底ぶりだ。
その家族は数万人という巨大な集合体。いつも沙羅のコメントは膨大な流れに埋没し、「いつもありがとう」というような無機質な定型文で処理されてしまう。
沙羅は、その凡庸な現実に耐えられなかった。数万分の一に甘んじるなど、彼女のアイデンティティへの渇望が許さない。
――そう、私はジュンヤに『メンヘラ』と呼ばれたいのだ。
沙羅にとって、メンヘラという言葉は社会的なレッテルではない。
『誰にも奪われない、相手にとって唯一無二の、特別で独占的な存在』という証明だ。
好きな相手からそう呼ばれることは、自分が相手の人生において最も深い部分に食い込んでいるという決定的な承認であり、歓迎すべき称号だった。
目標はただ一つ。
ジュンヤに、「沙羅、メンヘラだな……」と、困惑と恐怖に包まれた声で、無視できないほどに感情を揺すぶられた声で、特別な一言を言われたいだけなのだ。
沙羅の推し活は、徹底的な情報収集を行うフェイズに入った。まるでマーケターのように全ての情報を探していく。
ジュンヤのSNSアカウントの過去の投稿、友人関係のつぶやき、アーカイブされていない古い配信の断片、果ては、彼が聴いているインディーズバンドの歌詞の深層まで。
全てを徹底的に解析して、彼が過去に抱えていた個人的なトラウマや誰にも言えないエピソードまで、とにかく研究した。
彼女は最早、ただのファンではない。ジュンヤという人間にとことんまで固執する、冷徹で執拗なストーカーのよう。
もちろん、一般的にそのような行いは褒められることではないのは間違いないが、目的達成しか考えていない沙羅には、そんなことはどうでも良かった。
次回の配信から、沙羅の戦略的なアピールが始まった。他のジュン組には理解できず意味が通じない、秘密の暗号みたいな長文コメントを投稿した。
『ジュンヤさん、あのときの緑色のペン、まだ持っていますか? 思い出の品だから持っていて欲しいです』
これはジュンヤが小学生時代に大切にしていた筆記用具の話だ。このペンで書いた絵が先生に褒められたというエピソードが、極秘入手した小学校の卒業アルバムに書いてあった。
『給食のきな粉揚げパン、無理して食べなくていいんですよ』
これはジュンヤが中学生のときに給食で唯一克服できなかった食べ物の話だ。しかし涙ぐましい努力の象徴でもある。同窓会に潜り込んで同級生から聞き出した貴重な情報だ。
そのコメントに、他のファンたちのコメントがざわつき始める。
『沙羅さん、なんか怖い……』
『ジュンヤの昔のこと、なんでそんなに知ってるの……?』
『ちょっと度が過ぎてない?』
そういった戸惑いと批判は、沙羅には特別性という名の輝かしい勲章でしかない。
「みんな、今日もコメントありがとうね」
ジュンヤはそのコメント群には触れず、定型文の言葉で配信を締めくくった。
翌日の雑談配信。ジュンヤはいつも通りリラックスした表情でカメラに向かっている。
「今日もコメントありがとう。どれどれ……」
言って彼は視線を上下に揺らす。
しかし、一件のコメントが彼の目線を縛り付けた。完全に硬直して、しばらく重い時間が過ぎていく。
『あの日の配信で言ってた、星野珈琲の角での出来事、ずっと気にしてますよね? あのとき選べなかった道も、私だけは辛さが分かりますよ。無理しないで』
沙羅が触れたのは、彼が最も隠したい過去だった。
ジュンヤが大昔、親友と二人でアイドルデビューを誓ったという出来事にまつわるものだ。しかしデビュー直前になりジュンヤは自信のなさから一方的に事務所を離れ、親友とも別れて夢を放棄した。
親友も最初はジュンヤに戻ってくるように言っていたが、最終的には三行半を下す。
『どれだけ心配してたと思うんだよ。そんなに自信がないなら最初からプロなんて目指すな。じゃあな、二度と姿を見せるな』
親友からの心に痛い言葉を読んで、ジュンヤは星野珈琲の角でただ泣いた。彼の配信活動は、あのとき裏切った親友へと伝えたいメッセージでもあるのだった。
この話は配信者となってすぐ、三人しか見ていなかったときに酔った勢いで漏らしただけで、いまは削除されており普通のファンなら知ることのない、現実だった。
ジュンヤがごくりと唾を飲む音を、マイクが拾っていた。誰にも見られたくない部分を公衆の面前で触られて、明らかに動揺していた。
彼はゆっくり息を吐くと、カメラにぐいと近寄る。数万人のファンを無視して、一対一で向き合うように、マイクに口を寄せた。
「……お前さ、マジでメンヘラだよな……ちょっと怖いわ」
困惑と戸惑い、そして無視できないという彼の切実な感情が混じった声は、確かに沙羅のためだけのものだった。
「ひゃあああぁぁぁぅぅうあぁんっ!」
沙羅の身体に熱い電流が走って全身を震わせ、悲鳴のような歓喜の声のような、なんとも言えない音を発すると、ベッドの上に勢い良く倒れた。全身にバケツの水をぶっかけられたような快感が身体を貫いていく。彼女は全身をびくんびくん、と大きく震わせて、白目をむいて魂が抜けたように痙攣していた。
メンヘラって言ってくれた。
メンヘラって言ってくれた!
メンヘラって言ってくれた!!
唯一無二の存在を、完全な承認を、私は得られた。
これで私は、数万人の中から選び出された、唯一の存在になった――!
長年の、推し活という戦争が終結した。絶対的な快感を感じた直後、沙羅の意識は、ぷつん、と途切れてしまう。
彼女のスマートフォンは配信の音声を流しながら、ベッドの上でジュンヤの困惑した顔を映し続けていた。
翌日、朝日が窓から差し込む光で正気に戻った沙羅は、寝ぼけた顔でスマートフォンを手に取った。
配信のコメント欄は荒れていて、他のジュン組が色々なことを話している。
『沙羅さん、ヤバい……』
『ジュンヤにあんな顔させるとか、あり得ない』
『ストーカー? 怖いよ……』
まるで一晩中続いたリアリティショーのようなざわめきが残っていたが、沙羅にはもう、どうでもよかった。
指はあっさりと、チャンネルのフォローを解除した。
ジュンヤに『メンヘラと呼ばれる』というミッションは達成してしまったから。
……私は、メンヘラ認定してもらえた。
これで私は、私になれた。
沙羅は配信者を検索して、人気急上昇中の男性配信者のチャンネルを検索し始める。新しい推し活の対象を見つけなければいけないから。
次はもっと深く、もっと早く、新しい相手の心を独占しなければならない。
自分という存在はあなただけが特別で、新たなアイデンティティを獲得するために、私は推し活を続けるのだ。
注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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