短編39「雪を蹴る。解けろと思いながら」
あらすじ
幼馴染の翔二に呼ばれ、雪の降る本家に帰省したのぞみ。両親を亡くした彼の遺品整理を頼まれるが、冷え切った翔二の態度にのぞみは……。
夜の雪道なんて、全然ファンタジーなんかじゃない。
もしいま倒れて雪に埋もれてしまったら、私が発見されるのは雪が溶けた春だ。絶対死んでるっつの。
だから、私はまだ倒れるわけにはいかない。
なんで私はこんなところを歩いているのだろうか、と心の中で呟きながら。
深い雪の中を、私はスノーブーツで雪をざくざくと蹴り上げながら歩いていた。ゆったりとしたブラウンのパンツに、厚手のダウンコートを羽織って、頭には赤色のニットキャップ。完全な雪国仕様だったが、1つだけ致命的なミスを犯していた。
それは、荷物をキャリーケースに入れてきてしまったこと。
雪に覆われた道ではうまく転がせず、重い荷物を両手で持ち上げて歩くしかなくなり、その労力が私の体力を奪っていく。
たまにある街灯のお陰で、なんとか気力は尽きずに済んだ。
「はあはあ、着いた……」
最寄り駅から徒歩8分の道が、こんなに辛いものだとは。私は目の前の建物を見上げた。
雪が滑り落ちやすい落雪式の急勾配の屋根。1階はがっちりとコンクリートで固められた車庫があり、屋根雪が家の周りに落ちても、大雪が降っても生活に支障がない、雪国らしい造りだった。
「ここ来るの、久しぶりだな……」
敷地に入って階段を登り、2階の玄関へと登っていく。
インターホンを何度か鳴らすが、反応がない。ドンドン、とドアを叩く。
「翔二ー、来たわよ。寒いから早く開けて!」
ガチャ、と鍵が開く音がして、玄関のドアが開く。
中から現れたのは、久しぶりの幼馴染みであり従兄弟の姿だった。
ぼさぼさと伸びた髪に、もこもことした素材のスウェットとシャツ。私も久しぶり過ぎて、最初は誰か分からなかった。いや、髪型があまりに変わってしまっていたということもある。
「のぞみか」
それだけ言うと、彼は踵を返してリビングへと戻っていく。
(……?)
のぞみは、彼の行動に違和感を感じた。
――雪道を歩いてきた私への第一声、それ?
幼馴染みを東京から呼び寄せておいて、もっと他に言うことがあるんじゃないの?
それに、このびしょ濡れの身体と荷物を拭くタオルとか、欲しいんだけど?
「翔二! タオルくれないと、玄関も廊下もびしょ濡れになるけど!? いいの!?」
のぞみは精一杯声を張り上げた。
それから身体と荷物を拭いたのぞみが、リビングに入って中を見た第一印象は、
(――冷え切ってる……)
だった。
祖父や祖母が生きていた頃は、もっと活気があった。8LDKという田舎にはよくある広い間取りは、同居していた伯父さんや伯母さんがいたり、冠婚葬祭の際は親戚で埋め尽くされていた。
伯父さんや伯母さんがこの家を出たり、そんな習慣がいつしか廃れたりしたのは、本家の長男である翔二が望まなかったという話も聞いてはいる。
「それで……私が今日ここに呼ばれた理由。来る前に聞いてはいるけど、もう少し詳しく教えて」
「……ああ」
のぞみが言うのに、翔二は頷きもせず答えた。人間味を感じないその姿に、のぞみは冷たい空気を感じる。
「……先月、両親が死んだ。その遺品整理を手伝って欲しい。伯父さんや伯母さんにもお願いしたけど、断られた」
「……」
それにのぞみはなにも言わなかった。翔二の言葉はつまり、彼女の両親もそれを拒絶したという意味だからだ。
「……分かった。もうここまで来たし、後戻りはできない。けど、今日は遅いから、なにか食べて休みたい。明日から始めよう。それでいい?」
「……ああ」
翔二が生気なく言うのに、のぞみはゆっくりと息を吐く。
……なにを考えているのか分からない。
私の記憶にある翔二とは違いすぎて、その乖離を埋めることに苦労する。
「晩ごはん、どうするか決めてる? もしかして、ご馳走を用意してくれたりするのかな?」
のぞみはこの重い空気をなんとか打破しようと、努めて明るく言ってみる。
だが、当の翔二は「あ……」と意外そうな顔をしているから、彼女もすぐに諦めて立ち上がり、キッチンに向かう。
シンクにはいくつかの放置された食器類。冬だからか腐敗はしていないようだが、それなりの期間を放置されているのが分かる。のぞみは腕まくりをすると、ちゃちゃっと洗ってしまう。
それから大家族用の600Lサイズの冷蔵庫の前に立つ。
――頼む。なんか食べ物、あってくれ。
のぞみは切実な思いを抱きながら、がちゃり、と両開きの扉を開いた。
だが痛切な願いは叶うことなんてなく、中は空っぽ。
のぞみはすぐに宅配サービスアプリを立ち上げると、特上寿司を配達させた。雪の日ということで配達料は高くついたが、すべて翔二の奢りなので問題ない。
本当に便利な世の中になったものだ、と満腹のお腹でのぞみは考えていた。
翌朝、のぞみは客室の布団で目覚める。厚手の羽毛布団にふかふかの毛布。
離れるのは口惜しいが、出ないと話は進まない。
のぞみはスウェット姿のまま、部屋を出る。とりあえずリビングに向かうが、翔二の姿はない。電気も暖房も点いていないし、気温が低いままなのでここには立ち寄っていないと判断する。
なら、彼はどこに……?
リビングから出て廊下の奥に進む。1つ目の襖の向こうに、座敷が広がっていたのを思い出した。部屋に入ると畳の張られた和室で、巨大な仏壇が置いてある。そこには、祖父と祖母、それから翔二の両親の写真が飾られていた。
のぞみは吸い込まれるようにその前に向かって、仏壇の扉を開いた。仏壇の前の経机にあるおりんを鳴らしてから、線香に火をつけてから振って消し、香炉に立てる。
(おじいちゃん、おばあちゃん……おじさん、おばさん……)
懐かしい思い出が思い出される。幼少時にここを訪れたときのこと、従兄弟たちが集まったときのこと、たくさんの思い出。
……少しの間、離れすぎちゃったかな。
のぞみは自嘲するように笑って、腰を上げた。
座敷を出て廊下を奥に進む。確か突き当りは翔二の両親の部屋だったはずだと、おぼろげな記憶を引っ張り出した。
開いたままのドアの脇には、たくさんの縛られた書籍や、ゴミ袋が置かれている。
「……翔二」
その中に、翔二の姿が見えた。
彼は部屋の中央に座って、過去のアルバムを眺めていた。フィルムを現像していた時代から積み重ねられている歴史の記録。
それを翔二はぼんやりと眺めていた。
「……この頃は、楽しかった」
翔二は言う。開かれたページには、七五三の時のものだった。
のぞみが5歳、翔二が3歳。いまも面影の残る姿が、我ながら恥ずかしいとのぞみは思った。後ろには祖父や祖母、それぞれの両親が並んでいて、嬉しそうな笑顔が残されている。
「……うん、そうだね」
正直、のぞみの記憶は曖昧だった。なにせこのときから20年以上は経っているのだ。
でも、翔二の淡い思い出を壊すつもりもない。
だからのぞみは、漠然と同意した。
「確か、この時期って……私の後ろを、翔二がついてきていた気がする」
「……子どものときの2歳差って、大きいだろ。仕方ない」
のぞみの独り言に翔二は目線も向けずに反論すると、黙り込んでしまった。
「でも翔二。たしか中学生デビューしてなかったっけ?」
「――!」
翔二が振り向いた。まるでホラー映画で恐ろしい物音を聞いた役者のように、こわばって青白い顔でのぞみの方へと振り向く。
「なんかえらい調子乗って、私にも『のぞみなら結婚してやってもいいぞ』みたいなこと、言ってたような……」
「わ、わ、うわーっ!」
私の言葉を遮ろうとしているのかもしれないが、反応が一歩遅い。立ったままの私を見上げながら、翔二は赤面してから、顔を逸らしてしまった。
……あ、なんか分かった。
翔二、意外と変わってない。
昔のまま、無垢なまま。翔二のままだ。
のぞみはそんなことを考えながら、翔二を見下ろしていた。
「それで……私はなにを手伝えばいいの?」
彼女の声に翔二はのぞみを見上げてから、困った顔をした。
(いや、むしろ困ってるのは私なんだけど……?)
のぞみはなにができるのかなと考えてから、「入口の荷物、外に出してこようか?」と提案した。
それに翔二は頷く。
「可燃ごみの日は明日だから、とりあえず1階の車庫に入れておいて」
翔二がそう言うのにのぞみは頷いて、手近な荷物を掴んだ。
ものの1時間ほどで部屋の前に置かれていた荷物は車庫に移動できた。
のぞみは翔二の元に向かう。
「翔二、荷物運び終わったけど?」
部屋の中を覗くと、翔二は相変わらずアルバムを見つめていた。
(……ぅん?)
この1時間、私に荷物を運ばせていながら……彼はなにもしていないのかな? ぅん?
のぞみは目の笑っていない笑顔で、問いかける。
「次は、なにすればいいの?」
「うん……」
翔二は曖昧に答えながら、相変わらずアルバムに引き込まれている。
「ねえ翔二、思い出を振り返りたい気持ちは分かるけど……片付けを早く進めない? 大切なものは残しておいて、後で一緒に見ようよ?」
「……のぞみには分からないんだろ。俺はもう1人で天涯孤独なんだ。思い出に浸ってなにが悪い」
……。
「甘ったれんなあ!!」
のぞみがいきなり叫ぶのに、翔二は目を見開きながら彼女を見つめていた。
「私が知ってる翔二はそうじゃなかった。少なくとも、私に対してそんな態度は取らなかった。なのに、いまのあなたはなに? なんなの?」
畳み掛けるようなのぞみの言葉に、翔二はぽかんとした顔でただ見つめている。
それから、両の瞳からぽろぽろと涙を流し始めて、ただ泣いていた。
ずっと一人で大丈夫だと思っていた。寂しさなんて感じていないと思っていた。でも、のぞみの言葉は、僕が必死に蓋をしてきた感情を、一気に抉り出した。
「……やめてよ。なんか、私が泣かしたみたいじゃない」
「……ごめん。本当は……」
そう言われて、のぞみはやっと我に返った。
翔二は祖父と祖母を失い、両親も急逝して。それが彼の心を閉ざさせてしまったことぐらい、想像がついただろうに。
「みんな、もういない。もう、俺には、頼れるのはのぞみしかいないんだ……」
絞り出すような声を吐き出して泣き続ける翔二に、のぞみはなんと言えばいいか分からなかった。もちろん、自分の対応もよくなかったと思い始めている。
「……分かった、分かったよ。私も悪かった。だから、これからなにをできるか話さない?」
のぞみの提案に、翔二はしゃくりあげる喉をそのままに、頷いた。
それから2人は話し合いをした。
部屋の片付けは、のぞみが有休が取れた期間でちゃんと片付けること。
その後の親族とのやりとりを、のぞみが手伝うこと。
(……私、労力が増えただけでなんも得してないけど……)
のぞみは心の中で独りごちるが、乗りかかった船だから仕方がない。自分の中では落とし所がついたようだった。
……考えるのはやめよう。
翔二がいま困っているのは確かで、私にはそれを見捨てることはできないから。
ただ、できることをするしかない。
でも、もし、願いが叶うのなら……。
あの広いリビングが、みんなで溢れかえっている光景をもう一度見たい。
祖父の膝の上で笑ったこと、親戚みんなで食卓を囲んだこと。そんな光景をもう一度見たい。
そんな気持ちになっていた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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