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短編40「混ざり合う空気みたいに」

あらすじ

「空気みたい」なんて使い古された言葉だけど、ただ居心地が良くて籍を入れた友達結婚。弱音を吐けないパートナーの心に寄り添い、2人は……。

 空気みたいだ。
 なんて、使い古された言い方。

 飽きない。毎日必要。欠かせない。
 空気という表現は、たぶん、そんな言葉でまとまるんじゃないかなと思う。

 そんな、空気みたいな人が居る毎日。恋愛とは少し違う。同棲じゃなくて共棲。
 私たちはいわゆる友達結婚。身体的接触も性的接触もないし、子どもをもうける予定もない。
 ただ、居心地が良くて籍を入れた。

 その環境は、私たちにとって幸せだったのだ。

「困ったな。生活費に影響が出るかも」
 と、パートナーの浅田 守道あさだ もりみちが独りごちた。
「……なにが?」
 と私、德永 裕美とくなが ひろみはすぐに返す。
「実は……先日、退職届を出したんだ」
 守道が言うのに、裕美は目を丸くして、言葉を返せなかった。

 ……ちょっと待って?

「ごめん守道。ちょっと話についていけない。詳しく説明して欲しい」
 言い寄る裕美に、守道は困った顔で両手を目の前で左右に振っていた。
「怒ってる?」
「……いや、怒っても意味がないじゃない。私が欲しいのは、詳しい説明」
 裕美が言うと、守道は困ったように頭をかいて、ため息をついた。
「その……職場内いじめみたいなことに会っていて。それで耐えられなくて」
 守道の言葉に、裕美は大きく頷く。
 それは彼の所為ではないことは理解できるし。いや、そうじゃなくて。なんで早く言ってくれないの、という気持ちだ。

「もっと早く相談してよ……」
 裕美が項垂れた様子でそう言うのに、守道も複雑な顔を見せた。
「ごめん……」
「……とにかく。退職したらすぐハローワークに行って、失業手当の申請をしてね?」
 裕美がそう言うと、守道は素直に頷いた。

 それから守道は自宅で過ごすことが増えた。裕美が朝出社するときはリビングでくつろいでいて、帰宅したときもそのままのことが増えた。
 彼は明らかに元気がなく、ぼんやり過ごしている、そんな印象を裕美は抱いていた。

「大丈夫?」
 裕美がそう言うと、守道はゆっくりと振り返る。それから彼は、
「……うん、たぶん」
 と、曖昧な言葉を返す。
 恐らくだが、私の言う大丈夫と、守道の言う大丈夫がすれ違っているような気はしている。

 たぶん、あまり良くない状況なんだと思う。
 裕美はそう考えていた。

 守道は交流が得意なほうで友達も多い。その彼が自宅にこもっているなんて、違和感を感じる。
 なにより、空気のように共棲していた2人の間に、なにか小さな亀裂が走っている気がしている。
 それは、お互いに良くないことだと思う。

(でも……)

 彼のそんな心境に、気付けなかった私にも問題がある。
 彼の苦しみ、そしてそれを1人で抱え込んでいたことに気付けなかった自分に、言いようのない無力感と後悔を感じた。
 それに、いまの守道は正常な状態だとは思えない。通院を勧めたいが、どう思われるか分からない怖さが、私を躊躇わせていた。

 夜にダイニングで夕食を終えた後、裕美は思い切って、切り出すことにした。
「守道、少し話をさせて」
 缶ビールを開ける守道を前に、裕美は切り出した。
「まず、気づいてあげられなくてごめん。事後対応になってごめん」
 裕美が頭を下げながらそう言うのに、守道は慌ててかぶりを振る。
「いや、そんなことない。裕美が悪いんじゃない。僕の問題だから」
「……そういうとこだよ。守道は自分で抱え込みすぎる。たまには私にも言っていいんだよ」
 裕美の言葉に守道は恥ずかしそうな、困ったような顔で、なんとも言えない表情を見せる。

「そのね、辛かったんだ……」
 守道の瞳から涙が一粒溢れて、頬を伝った。
「でもね、恥ずかしいじゃん。大の大人がさ……」
 そこまで言うと、守道はしゃくりあげる喉を押さえるのが難しくなっていた。
「そんなことない。私は守道を受け入れると決めてる。だから」

 ……だから。

「僕が本当に怖いのは……裕美に嫌われること、だったんだ」
 守道の言葉に裕美はなにも言えなくなってしまう。半開きの口のまま、目を見開いたまま、なにもできなくなってしまった。

「だから、『大丈夫』を演じていた。いつもの自分でいたかったから」
「……」
 裕美はなんと返せば良いか分からなくなってしまう。単なる励ましとか、フォローとか、いまの彼を救えるのはそういうことじゃない。そう感じていた。

「……ばか。そんなことで嫌うわけ、ないじゃん」

 裕美が咄嗟に言えたのはそこまでだった。
 それから椅子から立ち上がって、守道の前に向かって。

 ただ、抱きしめた。

「……」
 守道は裕美を見上げながら、不思議そうな顔をしている。
 それもそうだ、肉体的接触なんて、結婚してから初めてだ。
「……守道、私のお願いを聞いて。3つある」
 裕美の言葉に、守道は不思議そうに見上げている。彼の回答を待たずに、裕美は続けた。
「まず、ハローワーク行って。生活のこと、安心したい。2つ目、明日一緒に心療内科に行こう。どんな状態か、客観的に医師に診てもらいたい」
 裕美はそこまで一気に言う。守道は何度か軽く頷いていた。

「3つ目。私はあなたの相棒。嫌ったりしないし、なにか隠されたら心配する。だから、なんでも話して」

 守道はもう一度大きく頷くと、また涙を流した。裕美は彼を抱く腕を、少し強くして彼の体を抱きしめた。
 それから、裕美も缶ビールを開けると、2人で話し合った。普段はお互いに話さない仕事のこと。将来の話。ありのままの感情をさらけ出して、意見を交換した。

「……結局ね、私も守道も、1人で生きていくのが得意じゃないんだろうね」
 裕美はそう言って笑った。それに守道も笑って、
「そうかもしれない」
 と、そう言う。
「でも、だからこそ僕たちは、一緒に居るんだと思う」
 守道の言葉に、私の時間が止まってしまう。

 ……そうなんだ。そうなんだよ。

 私たちは、1人じゃない。空気のように溶け合った存在。お互いに混ざり合って、個じゃなくて、溶け合っている。そういうことなんだ。

「……守道。明日さ、帰り道に、公園に散歩にでも行こうか」
「あ、いいね。確かに最近そういうこと、できてなかった」
 裕美の提案に、守道が笑う。

 ……そう、そういうこと。
 私たちが私たちであることというのは、そういうことなんだ。

「じゃあさ、ビールを買う。そして、公園で一緒に飲もう」
「昼から?」
「そう。たまには、いいじゃない。公園の空気を吸いながら、ビール飲むのもさ」

 守道の言葉に裕美は笑いながら、頷く。
 確かに、たまにはそういう日も悪くない。

 少しだけ歩み寄れた2人は、もう2人じゃない。
 2人で1つになって、これからも歩み続けるのだと、彼らは知っていた。


最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。

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