短編38「ほんの三駅」
あらすじ
結婚相談所で出会った男性・冨田は、主人公の自宅から三駅先に住んでいる。ある日偶然、彼の姿を見かけた照枝は……。
30代を迎えた私、小泉 照枝は結婚相談所に登録して、パートナーを探していた。この年齢になると、周囲の友達からはやたらと結婚報告や出産報告が飛び込んでくる。それ自体はとても嬉しいことなんだけど、毎月のように吹っ飛ぶご祝儀やらプレゼントの出費と、内心に抱えたもやもやとした気持ちは、いつも吹っ切れることがなかった。
そんな中、私とマッチングした男性がいた。
名前は冨田 勝敏。写真を見ると清潔感のある男性。フェザーマッシュを大人感が出るようにまとめていて、白いワイシャツと甘いマスクが印象的だった。
そんな流れで、結婚相談所が指定するカフェで初対面の約束をするが……近い。最寄り駅からたった1駅の場所を指定される。
ということは、彼の自宅は私の自宅からとても近いのだろう、ということは想像がついた。
翌週、指定されたカフェで彼と待ち合わせる。
「はじめまして、照枝さんですか?」
カフェの入口で白いワイシャツと折り目のしっかりしたスラックスの彼は、優しい笑顔で私に声をかけてきた。
「はじめまして。勝敏さんですね。よろしくお願いします」
それから私たちはそれぞれの飲み物を購入して、テーブル席で対面に座った。
「これ、多分聞いちゃいけないと思うんですけど……」
冨田が、戸惑いながら口を開いた。
「実は、自宅めちゃくちゃ近くないですか?」
「あー……そうですね。多分言っちゃいけないんですけど、私、田外駅なんです」
「じゃあ3駅ですね。うち、鶴無駅なんです」
彼の言葉に2人して笑った。
「その、たまになんですけど。ほんの3駅だけ、電車に乗って降りることがあるんです。田外駅とは反対方向になるんですけどね」
彼の言葉の意味を私は理解できず、次の言葉を待つ。
「3駅って、時間的にもコスト的にも、ま、いいか、って思えたりしません? ついつい行ってしまうというか……」
私は、彼の言葉の真意を理解できない。それは、どういう意味なんだろうか。
ネガティブな捉え方をすれば、3駅先に住む私は「ま、いいか」の対象という意味にも聞こえる。でも、彼はそういう意図で言っているとは思えない。
どちらかと言えば、私以外のなにかを対象に言っている気がする。その真意は分からない。
それより彼の結婚願望や理想を聞きたいと思ったりするのだが、そんなことを考えながらも地元トークを続けてしまい、気づけば対面時間は終わってしまっていた。
帰宅してから結婚相談所のサイトを確認すると、交際の依頼が届いていた。
少しややこしいのだが、結婚相談所の交際は、いわゆる恋人関係とは少し違う。結婚相談所が仲介する範囲で定期的に会って仲を深めたい、という意思表示だ。
彼がそう言ってくれた理由はよく分からないが、私は彼に気に入られたようだった。
私も少し前向きに考えようと思い、答えは保留にしておいた。
週末の日曜日。照枝は最寄り駅から6駅先の南密内駅へ向かうことにした。単純に自宅から一番近い駅ビルがあるという理由で、色々と買い物をしたいという理由だったからだ。
午前10時過ぎ、日曜日だからかそれとも都心とは逆方向だからか、少し空いた車両に乗って身を委ねる。
やがて電車は鶴無駅に到着すると……冨田が乗り込んできた。照枝は思わずこわばってしまうが、冨田は照枝のことに気づいていない。先日とは違って柄入りの襟付きシャツにジーンズとラフな格好だった。
……声をかけて、いいんだろうか?
私は戸惑って、どうしたらいいか分からなくなる。
でも確か、結婚相談所の規約には、相談所の仲介なく連絡をとったり会ったりすることは禁じられていたはずだ。
そんなことを考えていると、3駅なんてあっという間だ。やがて電車は南密内駅に停まり、冨田も同じホームに降りた。
照枝は彼の視界に入らないよう、後ろからこっそりと降りる。
(なんだか悪いことをしているみたい……)
これは結婚相談所の規約違反かもしれない。でも、彼の言葉の真意を知りたいという好奇心と、追いかけてしまう自分への罪悪感が混ざり合いながら、私は彼の後を追ってしまっていた。
駅から7分ほど歩いていくと、緑に囲まれた建物が見えてくる。集合住宅のように見えるが、近づいていくと緑色の大きな看板が掲げられていることに気付く。そこには「茜色の丘 南密内」と書かれていた。
(この建物……もしかして)
どこかで名前を聞いたことがあると思って、私は塀がわりの樹木の隙間から運動場を見る。そこでは数人の高齢者が職員と体操をしていた。
そうか、ここは高齢者向けの介護施設なんだと、私は思い出した。
「おばあちゃん」
建物入口から、冨田の声が聞こえる。私は慌てて門の影に隠れながら、聞き耳を立てた。
「職員さん、祖母の様子はどうでしたか?」
「はい、今週は落ち着いていました。ただ認知症の改善は見られずで……記憶と言語の障害が高い頻度で発生しています」
職員からの言葉に冨田は複雑そうな顔で、頷いた。困ったような笑顔が、彼の複雑な心境を表しているようだった。
「新しい職員さん?」
冨田の祖母は、彼に対して冷静に言った。彼女にとっては礼儀正しく言ったつもりなのだろう。だがその言葉は、とても冷たく聞こえたに違いない。
「そうだよ、おばあちゃん。これから、よろしくね」
それに動じず冨田は笑顔で答える。
確か、認知症の患者には否定するようなことを言ってはいけないと聞いたことがある。彼はそれに忠実に従っているだけだった。
それから私は、彼が職員に挨拶をしている間に、駅へ向かって早足で歩き出す。
『3駅って、時間的にもコスト的にも、ま、いいか、って思えたりしません?』あの時の言葉の意味が、今なら痛いほどわかる。彼は『ま、いいか』と、軽やかに聞こえる言葉で、自分の深い感情を隠していたのだ。
私は、結婚相談所のサイトから、彼に交際継続の意思表示をした。
彼の言葉の裏に隠された真実を知ってしまったが、会って何を話せばいいのかはまだ分からない。
ただ、彼がずっと一人で抱えてきた想いを、いつか聞いてみたい。
ただ、そう願っていた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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