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短編117「ロスト・ワン:閉ざされた五次元の楽園」

あらすじ
「四個入り」に改変されたミニあんパンを前に、彼は世界の秩序の終焉を感じる。しかし、彼はこの非合理的な現象に対し、かつて楽園のドアを開けようとした時と同じく、壮大かつ無駄な思考実験を試みて……。

 テツオは、夜のスーパーのパン棚の前に立っていた。カレーパンやサンドイッチなど、魅力的なパンが並ぶその棚。
 だが、テツオの目的はただ一つだけ。

『至高のミニあんパン(五個入り)』

 それしか探していなかった。だが、今日の売り場はなにかがおかしい。
 思わず振り返って周囲を見回してしまう。誰かの悪意にさらされているような、そんな気持ちが、テツオの心を支配していた。

 そんな焦りをよそに、至高のミニあんパン(五個入り)は見つからない。まったく同じ包装のあんパンはあるのだが、微妙に違う。なぜならそれは『四個入り』と書かれているからだ。

「ああ、原価調整のために、五個入りはなくなって、四個入りになったんです」
 店員は特に抑揚のない声でそう言った。市場原理の説明など不要だとでも言わんばかりに。
「待ってくれ」
 テツオは思わずそう言ったが、店員は不思議そうな顔をするだけだった。

 彼はパン棚に戻り、あんパンを静かに見つめていた。
「計算が狂う――」
 そう静かにぼやく。
 朝食に二個、夜食に二個、足りなくなったときの予備で一個。一袋で丁度一日分だったという、その計算が完全に崩壊していた。

 買うか買わないかといえば買うに決まっている。なぜなら、彼にとってこのパンは混沌の現実から隔離された『楽園(五個入り)』だと捉えていたからだ。
 四個入りになっても楽園に違いはない、という解釈もあるだろうとは思う。納得はいかないが。

 そっと袋に手を伸ばしてみる。指先がパッケージに触れた瞬間、世界の物理法則が書き換わるような、激しい衝撃に襲われる。そこに印字されているべき『五個入り』の文字は、静かに、そして残酷に『四個入り』へと変わっている。

 脳内で、彼が個人的に確立した『安息の五次元時空』の崩壊が叫び声を上げている。

「くそっ――この消失した一個は、一体どこへ行った! 質量はどこに消えた!?」
 テツオは、この一個の虚無こそが、なんらかの陰謀だと確信した。彼らは消費者に満たされない欠損状態を受け入れさせようとしているのだ。
 これは、かつて物理的努力を尽くした末に、タッチセンサーというあまりにも単純な真実によって打ち砕かれた、あの屈辱に似ている。

「待て、落ち着くんだ、俺。感情は雑音だ。必要なのは、論理だ」
 テツオは脳内で電卓を叩き、虚空に向かって計算を始める。

 問題は、『五個という絶対的な安息』と『四個という不完全な現実』との間に生じた『不協和音である』。
 彼は目を閉じて、思考を巡らせる。人生を豊かにしていた五、そして目の前の四。この二つをいかにして調和させるか、だ。
「五……四……五……四……そうか!」
 テツオははっとなって顔をもたげて、気付いた。

 LCM(5, 4) = 20

 五と四の最大公倍数。つまり、五個入りの時は四袋買えば四日間食べられた。四個入りなら、五袋買えば同じ四日分になるのだ。
「これで私の人生の四日間が完璧に保証される! 失われた一個の虚無など、二十の調和の前に消え去るのだ!」
 テツオは歓喜に打ち震えた。もはや、メーカーの仕掛けた四個入りの呪いは彼にとって意味をなさない。
 テツオはカゴの中にパンを積み上げて行く。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ。

 彼はカゴの中の五セットのパンを見下ろして、満足げに頷いた。
「これでいい。俺は高尚な数学的論理によって、楽園の扉を自力でこじ開けたのだ……!」

 二十個のあんパンがもたらすであろう、壮大過ぎる楽園の安息。
 重くなったカゴを抱えて、彼は誇らしげにレジへと向かうのだった。


注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。


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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。

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