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短編118「いのちの、けじめ」保護猫カフェバー Il Gatto Errante 〜二重唱編〜 #9

あらすじ
保護猫たちを預かるコンセプトカフェバー『Il Gatto Errante(イルガットエランテ)』。レオンとサヤカは『猫の命を最優先するガイドライン』を考案して……。

「おはようございまーす!」
 いつも通り元気な声で『Il Gatto Errante(イルガットエランテ)』の裏口から入ってくるのはココだ。黒髪をツインテールにして、白いブラウスと紺色のパンツ、小さなメッセンジャーバッグという格好はいつものスタイルだった。
 店内に入ると、すでに制服に着替え終わったメイがそれに気づいて、
「あ、ココ、ちょうどいいところに。これ見てえ」
 と、言いながらお店のスマートフォンの画面を差し出した。明るい茶色のロングヘアを揺らして、ふわふわと心地よい香りを振りまいている。

 見ると画像共有SNSの投稿が映し出されている。クリーム色のスコティッシュフォールドが、白をベースにして黄金の星型や赤い襟やぶら下げられたチェーンが目立つスタアのような服を着て、カメラに前足を突き出している写真だった。

『プロ意識のない猫カフェとは違う。当店のスター猫・ディアマンは、いつも素晴らしいパフォーマンスでゲストを魅了します!』

 そんな挑戦的とも取れる投稿。投稿主はエンタメ猫カフェ『Le Chat Étoile(ル・シャ・エトワール)』。『スタア猫』を意味する店名は、その方向性をエンターテインメントへと振り切った、人気の猫カフェだった。

「……相変わらず、派手なことやってますね」
 ココが素直な感想を言う。メイはそれに小さな溜息をつきながら頷いた。
「でも、ここで飼われてる猫たちって幸せなのかなあ……?」
 吐き出される素朴な疑問に、ココはなんとも答えられなくなっていた。

「おはよう、二人とも」
 医務室のドアが開いて、キャストリーダーのレオンが姿を見せる。明るい色の髪を顎ぐらいで切りそろえて、凛とした雰囲気を感じさせる。
「今日は江森先生の手伝いでこれから出なきゃいけない。お店は任せたよ」
 ココとメイが頷くと、レオンは慌ただしく裏口から飛び出して行った。
「レオンさん、大丈夫ですかね……カフェだけじゃなく、動物病院の助手なんて忙しすぎませんか」
「う〜ん、確かにそうだけど……本人がやる気だし、彼女は忙しい方が安心するタイプなんだろうねえ」
 不安そうに呟く二人だった。

「江森先生、お疲れ様です」
 レオンが白衣に着替えて診察室に行くと、江森医院の院長である江森 哲也えもり てつやは穏やかな微笑みを浮かべる。しわの刻まれた顔と白いヒゲをたくわえているが、その笑顔は優しく生命力に満ちているとレオンは感じていた。
「……それで、今日は予約が多いというお話でしたが?」
「そうなんじゃ。なぜか今日は終日予約で一杯での。それで蓮に声をかけさせてもらった」
 それにレオンは強く頷いて、強い意志のこもった視線を返す。
「信頼いただきありがとうございます。手伝えることを手伝わせてください」
「助かるよ。……あと十五分ほどで最初の患者が来る。頼むよ」
 彼の言葉に、レオンは静かに頷いた。

 院内は壁も天井もオフホワイトで統一され、清潔感が漂う。独特の薬品の匂いと、時折響く犬猫の鳴き声が、張り詰めた静寂を破っていた。
「遠野様、診察室にお入りください」
 診察室の中央にはステンレス製の診療台が置かれている。その上には青いタオルが敷かれていた。壁にはモニターが掲げられており、近くの棚には聴診器や滅菌ガーゼなどが整然と並べられており、医師がすぐに手に取れるように機能的に配置されていた。
「すみません。よろしくお願いしまっす」
 遠野と呼ばれた男性は、長い黒髪を垂らした印象的な男性だった。プラスチック製のケージを診察台に乗せて、扉を開く。中から、クリーム色のスコティッシュフォールドが江森とレオンを睨みつけていた。

「どうされましたか?」
「ここ数日、疲れたような動きをすることが増えたっす。ちょっと食欲もないみたいっす」
「ふむ」
 江森は猫を診察台に出させると、口元に穏やかな笑みを浮かべた。彼の動作は穏やかではあるが、一切の迷いがない。
 まず、自らの手を軽く擦り合わせて手の冷たさが猫を刺激しないように温める。それから、猫の身体をそっと撫でて、「大丈夫、怖くないよ」と優しく言った。

 彼の年季の入った指先が、猫の柔らかな毛並みを縫うように滑っていく。その指先から伝わるのは単なる圧力ではなく、皮膚の下のわずかな起伏、筋肉の張り、リンパ節の晴れを読み取ろうとする、長年の経験に裏打ちされた確かな暖かさだった。
 聴診器を当ててから、江森は腹部に触れる。触診の際、猫が嫌がって緊張すると正確な診断が難しくなるのだが、江森の手が触れると猫は緊張を解いて、力を抜いて身体を預ける。まるで、熟練の職人の手に身を委ねるかのように。その一挙手一投足が、猫に安心を与える治療の一部であるかのように。
 江森は猫の様子を観察しながらそっと手を離し、「うん、大方、分かったよ」と、穏やかに微笑んだ。

「心配ないよ。この子、大きな病を抱えているわけではないようだ。ただね、体表の様子と、皮膚をつまんだ弾力を見る限り、軽度の脱水が認められる。おそらく、充分に水を飲めていないか、あるいはどこかで体力を消耗したのだろうね」
 遠野は明らかに安堵したあと、ぎょっとした顔で江森を見つめる。それから慌てて、
「ど、どうしたらいいっすか……?」
 と、動揺した口調で江森に聞いた。
「少し熱っぽいし筋肉の僅かな硬直を感じた。でもこれの原因は、強い緊張か疲労だと思うよ。まだ若いけど無理をさせていい年齢ではない。しばらく、静かな場所でゆっくり休ませてあげると、いいんじゃないかな」
「そ、それだけで大丈夫なんっすか?」
「ああ。投薬が必要な段階ではない。温かい環境と消化の良い食事。そしてなによりも、心の休養がいまこの子に一番効く薬だよ。安心して」
 江森はにこやかにそう言った。

 安心した遠野がぺこぺこと頭を下げながら診察室から出ていく。その姿を優しく見守って、江森とレオンは静かに息を吐く。
「――猫のエンタメとは、大変そうだねえ」
 江森が呟くように言った。レオンは思わず振り向いてしまう。
「江森先生、まさか、気付いていて……」
「わしだってSNSぐらいチェックしとるわ。あの子……ル・シャ・エトワールとやらの、人気猫じゃな。最高のエンタメとやらは構わんが、どこまで体力が持つのかのう」
「……はい、それが心配です」
 江森は小さく、溜息に近い息を吐いた。それにレオンは、過去のトラウマを呼び起こす苦さを感じたが、静かに唇を結び、言葉を飲み込んだ。過去の無力感ではなく、猫の命を守り抜くという現在の強い意志が、彼女の手のひらに宿っていた。
「獣医師という立場から言いたいことは沢山あるが、かわいいの基準は色々ある。そこまでは口を出すべきではないんじゃろうな」
 江森はどこか達観した、それでいて口惜しいような、なんとも言えない言葉を綴った。それにレオンはなにも言えなくなってしまった。

 それから数日後。
 レオンの診療室のドアをノックする音が聞こえた。サヤカはいつもの三つ編みを揺らしながら、一冊のノートをまるで大切なものを抱きかかえるように持っている。
「入ってくれ」
 レオンの声にサヤカはドアを開けると、ノートをレオンに差し出した。
「私なりにガイドラインを考えてみました。『猫の個性と本能を尊重したルールが、猫の健康も守る』ということが、私なりの結論です。それをシンプルな三条にまとめました」
 レオンは頷きながら、そのノートを受け取って開き始めた。

・第一条:居場所の尊厳

猫がいつでもストレスなく休息できる安全地帯を保障すること。
猫が休息や静寂を望む意思表示をした場合、客・キャストは交流の強制を厳に慎む。

・第二条:遊びの自由

遊びや交流は、猫が自ら興味を示したときにのみ開始する。
長時間のポーズ維持や無理な芸は、獣医学的見地から厳禁とする。猫の安全と満足を最優先すること。

・第三条:譲渡の倫理

猫の生命を尊重する、保護猫カフェとしての根幹を明確にする。
譲渡希望者に対して、生涯の家族として尊重し責任をもって守る覚悟があるか、時間をかけて対話することを義務づける。

・統括:

本ガイドラインは広く開示し、命の尊厳と、当カフェが提供する哲学の理解を促す努力を怠らない。

「見事なガイドラインだな。異論がない」
 レオンは素直な言葉を言う。少し驚いたような、感動したような、複雑な感情がこもった一言だった。
「さすがはサヤカ。簡潔にこのカフェの存在意義を示してくれた。この内容をキャストに伝達するのはもちろん、店内の掲示やSNSでの公開などを進めて欲しい」
「良かったです。ありがとうございます」
 サヤカはほっとした顔でそう言いながら、頭を下げる。相変わらず礼儀正しいお辞儀だったが、それは彼女の緊張感を表していたのだろう。

 それから、ガイドラインをイルガットエランテのキャストたちが確認するのはもちろん、店内へ掲示が行われ、SNSでも内容が公開された。反響は様々だったが、それは同時に店の方向性を示す道標となったのは確かだった。

「いやー、このガイドライン、めっちゃええわ」
 数日後、ル・シャ・エトワールのキャストである真理夫が訪れて、ソファでくつろぎながら言った。相変わらず白いTシャツに綺麗なジーンズというスタイルである。
 それにメイが答えた。
「ありがとうございますう。私たちも方向性がはっきりと示されて、やりやすいですねえ」
「せやろ。シンプルやけどめっちゃ魂感じるわ」
 店内に掲示されたガイドラインを見ながら、真理夫は何度も頷いている。きっと関西の人間だったらツッコミを入れる箇所だったのかもしれない。
「ビジネス的には厄介やけど、プロとして筋が通っとるなあ。これ書いたやつの顔を見たいぐらいや」
 冗談めかして言う真理夫に、メイは愛想笑いで応える。この人と正面から向き合うと、巻き込まれることをメイは理解していた。
 それから真理夫は保護猫全員分のおやつを購入して配ってから、またソファに座る。

「そういえば、ディアマンちゃん。可愛いですよね」
 メイが話題を逸らす。ル・シャ・エトワールのスタア猫の話題を振ってみることにした。
「そらそうや。あの子は才能がある。みんなに愛される価値がある」
 言う真理夫は、ビジネスマンらしい鋭い視線になって、メイの視線を正面から押し返していた。
「体調とか大丈夫なんですかあ?」
「せやな……めちゃくちゃ良いとは言われへんわ。せやけど、わいの同僚はな、猫をスタアにすることが、最高の愛やと本気で信じとる。つまり、わいらはわいらのやり方で猫を愛しとって、あんたらとはやり方が違うだけや。それがなにか間違っとるか?」
 それにメイは答えられず、ただ首を左右に振った。

「とにかく」
 真理夫はソファから立ち上がり、店内をゆっくりと見渡す。それから、振り向きながらメイに言った。
「こんだけ猫が安心している空気作れるのはすごいわ。やっぱ、あんたらはホンマもんやな」
 そう言って真理夫は微笑む。その顔はキャストとしての彼ではなく、一人の人間としての微笑みだった。
「猫たちがなんのストレスもなく、ただ幸せに生きている姿を見せること。なぜなら、その自然体な命の輝きこそが、お客さまの心を本当に癒やすからです。その安全と自由、まもるべき境界線を創ることが、私の仕事ですから」
 それにメイは、微笑みながら答えた。


注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する実在の地名や場所は物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。


 最後までお読みいただきありがとうございました。 もし気に入っていただけましたら、スキやチップの応援を頂けると励みになります。 また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。

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登場人物紹介(最新話を元に構成・更新しています。そのため本編のネタバレとなる場合がございますので、閲覧にはご注意ください)



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