短編116「書替(しょかい)のゆきあい」本のかみさまはミステリに揺蕩う#8
あらすじ
詩集の内容が書き換わるミステリが発生した。山上 真人はクラスメイトの千帆と事件を追うことになり……。
大切なものって、一つじゃなかったりする。
まるで、本を読んだ自分の描く物語が、人によってそれぞれ違うように。
学校の昼休み。僕――山上 真人は日課の図書室へ通う。なにを読もうかなどと考えていると、カウンターの中に座る図書委員の腕章をつけた眼鏡の女性が、立ち上がった。
「あ、山上くん。ねえ、ちょっと聞いてよ」
歩いてくるのは、図書委員長の加古 央子先輩だ。僕より身長が高く、長い黒髪を揺らしながらつかつかと近づいてくる。それから手をひらひらと揺らすと、こっちこっち、と図書室の奥へと僕を招いた。
そこは詩集の棚だった。人気の漫画や参考書とは違い、図書室の奥にひっそりと、まるで小さな花畑のようなスペース。
加古先輩は自分の頭より少し高いところにある本を手に取ると、僕に差し出した。
「これは……中原中也の『汚れちまつた悲しみに』?」
「そうなの。そのページを見てくれる?」
言って先輩は手を伸ばすと、ページをめくった。
『俺は汚れている。
今日もまたベンチの隅で、先輩に怒鳴られるのを怯えていた。
いくらバットを振っても結果が出ない。
この弱さが、この体が、本当に憎い。
俺は部活どころか、ここにいる資格もない。』
原文はちゃんと覚えてはいないが、明らかに内容が変わっている。そんな内容が、詩集全編を通じて書かれていた。
「ひどいでしょ? きっとページだけすり替えられたのだと思うの。イタズラにしては手がこみすぎてない?」
「ほんとですね」
僕は驚きながら、ページをぺらぺらとめくっていた。びっしりと書き込まれた自分を責める文章は、読んでいて気持ちの良いものではなかった。
「これは本への冒涜だわ、絶対に許せない。山上くん、今回も協力してくれないかな?」
「もちろん、拒む理由はないです。この本を借りて帰っていいですか?」
僕が本を戻しながら言うと、彼女は明らかにほっとした顔で、「ありがとう!」と嬉しそうに言った。
僕は教室に戻って、机にかけているカバンに詩集を入れようとする。
「ま、さ、と〜」
……嫌な予感がした。
振り向くと、クラスメイトの千帆がいる。明るい髪をツインテールにして楽しげに揺らしながら、獲物を見つけた子猫のように無邪気に笑いながら、ずい、と近づいてきた。
「ねえねえ、またなにかあったんでしょ? 私もまぜて!」
彼女はにっこり、と微笑んでから、僕の顔を見て、それから手に持った詩集を見て、それからもう一度僕の顔を見た。
――参った。すべて見透かされている。
彼女はなぜ、僕の周囲の不思議な出来事に気づくのは分からなかったが、どうやらお見通しらしい。
僕はなにも言わず、詩集を彼女に突き出した。
「えへっ、ありがと♪」
千帆は笑いながら本を受け取ったが、その瞬間、僅かに腕が沈むような動きを見せる。僕はその光景を不思議に思いながら、ただ次の言葉を待った。
「おもっ……この本、なんだか重いよ。真人は気づかないの?」
眉をひそめながら訴える千帆に、僕は不思議そうな視線を返す。彼女は一体なにを言っているのか、理解に至らなかった。
「言葉にできない。ドロドロしたものが、張り付いてるかんじ……」
それだけ言ってから、千帆は本を僕に押し付けた。
「まったく、お前ら仲が良いんだか悪いんだか……」
後ろの席からそう言うのは、クラスメイトの靖隆。確か野球部で頑張っているが、レギュラーを取るのに相当に苦労しているようで、その顔色はいつも悪く、暗い。
「靖隆……疲れてないか?」
「ああ、朝練こなして昼休憩に自主練して、放課後も部活だからな」
「……あまり無理するなよ」
僕は彼に無理をして欲しくないだけの気持ちでそう言ったのだが、彼はそう捉えてくれなかったらしい。一瞬鋭い視線で僕を見たと思うと、すぐに我に返って頭を振った。
「――そうかもしれねえな。最後に休んだのいつだったっけ……」
思い出せない答えを探りながら、彼はそう呟いた。
僕は学校から帰ると、すぐに『ねこのおまもり』に向かう。いつも通り丸まっているボンベイの黒猫・リンと、開いた絵本を楽しんでいる少女の幽霊・未華が、いつもの日常を過ごしていた。
「リン、父さん。見て欲しい本があるんだけど」
「へえ、中原中也の『汚れちまつた悲しみに』ね。……とはいえ、中身は全然別物ね」
リンは前足で器用にページをめくりながら、興味深そうに見つめている。
「なんだろう、スポーツに打ち込んでも結果が出ない生徒……かしら?」
「父さん、なにか分かる?」
「うーん……」
父さんは本を持って、色々な角度から眺めたりカバーを外してみたりと検分する。
「装丁をいじった痕跡はない。まるで印刷内容だけを入れ替えたように見えるが……」
「これはミステリね。本の内容がなにかの『強い想い』を吸い寄せてしまって、上書きされてしまったのかもしれないわ。もっと情報が欲しいわね」
リンが少し呆れたような落ち着いた口調で言って、また丸くなった。
「真人さん、この本、怖いです。こもった想いが、すごく重い……」
未華も、この本に本能的な拒絶を感じているようだった。
翌日の昼休み、僕はいつもの通り図書室へ向かう。それを目ざとくみつけた千帆が勝手についてきた。
室内に入ってカウンターに座る加古先輩を見つける。
「加古先輩、犯人を探すために、防犯カメラを見たいんですけど」
僕はポケットから度のない伊達メガネ――店に居るリンの猫用インカムと通信が繋がっている――をかけながら、先輩に声をかけた。
「あ、山上くん、ありがとう。ちょうどさっき動画データが届いたの。前にも触ったからパソコンの使い方、分かるよね?」
言って彼女はカウンター内に置かれたパソコンを促す。僕は頷いてカウンターの奥へと入っていった。それに千帆もしれっと入ってくる。
「……あれ? 山上くん、その子は?」
「あ、私は真人の助手の千帆です。先輩、よろしくお願いします!」
言って千帆は加古先輩の両手を掴むと、ぶんぶんと上下に振った。先輩は明らかに驚いた顔だ。
「助手……? まあいいわ、お願いするわね」
加古先輩が気を取り直してそう言うと、またカウンターでの作業に戻った。
パソコンの前に座って電源を入れる。千帆は僕の隣に椅子を持ってくると、ぶつからんぐらいに近づけて、どかりと座った。
「リン、聞こえてる?」
僕は口を手で覆って、小声で言う。それに千帆は目を丸くして、口を開いた。
「えっ、なに! それ、あの喋る猫と繋っ――もがっ」
僕は慌てて千帆の頭を掴んで、手で口を塞ぐ。千帆がばたばたと暴れて、抱え込むような形になってしまった。
「図書室ではお静かに、ね?」
加古先輩はいつものように冷静ではあるが、語気が少し強かった。僕が謝ると、彼女はまた作業に戻る。
「……千帆。お願いだから余計なこと言わないでね?」
「ふあい」
「ねえ、聞こえてるし見えてるから。じゃれ合ってないで早く映像を見せてくれないかしら」
呆れたようなリンの声が、耳元の骨伝導スピーカーから聞こえた。
それから僕たちは、動画データを確認し始めた。しかし、本棚周辺を注意深く見ても、不審な行動を取っている者はいない。怪しげな映像は見つけられなかった。
やがて昼休みは終わり、放課後にまた図書室に戻ってくる。千帆もさらっとついてきた。僕はまたメガネをかけて、画面に向き合った。
「あ、山上くん。大変なこと任せちゃってごめんね。今日はちょっと早めに帰らなくちゃいけなくて。二人のことは他の委員に伝えているから、よろしくね」
言う加古先輩は慌ただしく、カウンターの上のカバンに荷物を詰めている。
「いえ、大丈夫ですよ。なにか急用ですか?」
「うん、うち母子家庭で。お母さんが残業だから、帰って家のことしなきゃいけないんだ。ごめんね!」
言って先輩はばたばたと図書室を飛び出して行った。
やがて日は傾き、図書館の閉館時間が近づいてくる。
「ん〜〜〜〜……」
千帆が身体を伸ばして、大きな伸びをした。
「犯人、映ってないね」
「……そうだね。今日はこれぐらいにして帰ろうか」
僕たちはカバンを取りに教室に戻ることにした。
暗くなった教室。僕はスイッチを探して電気を点ける。
そこに、席に座ったままの人影を見つけた。靖隆だ。
声をかけようと一歩踏み出した僕のシャツを、千帆の手がぐいと掴む。
「待って、真人! 彼の空気、なにかおかしい!」
「えっ?」
ガタン。椅子を後ろに倒しながら、靖隆が立ち上がった。僕の存在に反応したように、ゆっくりと立ち上がる。その姿はまるで傀儡のように、ゆっくりと、そして角ばった、異様な動きに見えた。
彼はぶつぶつとなにかを呟きながら、こちらに近づいてくる。かくかくとした動きで、強い苦しみを湛えた瞳で。
――まずい。
理屈じゃなく、危険な状態だって、僕にも分かっている。
けれど、なにが起こっているのか分からない。どうしたらいいのかも分からない。
……ニャ~ン……。
どこからか、猫の鳴き声が聞こえた。
教室に猫? そんなはずは……。
声の主を探すと、教壇の上に一匹の猫がいた。レッドブラウンでティックドタビーの毛色みを持つ、ソマリ。小さく先端の尖った顎に、大きな耳と琥珀のような金色の瞳。長くふさふさとした尻尾をゆらゆらと揺らしながら、僕たちを見つめていた。
「――その者に憑いておるのは、苦しく辛い想いじゃ」
……猫が、喋った。
「イブキ、どうしてここに!?」
叫んだのは千帆だ。目を丸くして、彼女の存在に驚いている。
そしてなにより、この猫の名前を知っているというのは、どういうことなんだろう?
「あの者は、五行相剋が乱れておる。桑原桑原」
イブキと呼ばれた猫がそう呟くと、靖隆の身体の動きが止まった。
「目を覚ますがよい。お主の想いは、自らの身体を砕くためのものならず。夢を奏でるものならむ?」
その言葉に靖隆は動かないまま、唸り声をあげはじめた。
「う……うう……」
「いで、我に返れ。お主はやむごとなきものを思い出せる。まだ戻れるだろう?」
靖隆は頭を抱えて、ぐらりと大きく揺れたかと思うと、両膝を床について、両手で頭を抱え始める。
「うぅ……お……れは……!」
――僕は薄々感づいていた。
詩集に書かれていた文章は、野球に打ち込んでいる者の言葉なのではないかと。
「靖隆、負けるな! 君が頑張っていること、僕らは知っているから」
僕は言いながら振り向いて、千帆を見つめる。強い視線は「言いたいことは分かるな」という念を込めた。
「――! そうだよ、靖隆! 頑張っていれば必ず結果は出る。私たちはずっと応援してる。だから、無理しないで、でも頑張って!」
「! う、うう……!」
靖隆の身体はぐらりと揺れた。
「――真人、俺は……? お前たち、放課後の教室で、なにをしてたんだ……?」
しばらくの時間が過ぎて、彼は我に返ってそう言った。なにが起こったのか覚えていない様子で、「え、教室に猫がいる?」と、驚きを隠さず言った。
僕はカバンの中から詩集を取り出す。ぶわりと黒い筋が飛び出したと思うと、そのまま消えた。本を開くと、内容は元に戻っていた。
『汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……』
「靖隆、君は疲れてる。早く帰って休んだほうがいい。分かるよね?」
「ああ、もちろんだ……俺は先に帰るよ。じゃあな」
靖隆はカバンを掴むと、教室を出て行った。
「これにて憑き物ぞ落ちたぞえ」
イブキはそう言うと、前足をぺろぺろとグルーミングし始めた。
それに僕は、素直な疑問を口にする。
「千帆、その猫は……?」
「えーっと……彼女はイブキ。うちで飼ってて、『本のみこと』なの」
「――その猫を連れて、『ねこのおまもり』まで来れる?」
骨伝導スピーカーに、リンの声が聞こえる。僕は図書室を出てからずっと、メガネを外すのを忘れていた。
つまり、いままでのやりとりはリンに筒抜けだったのだ。
「よく分からないけど、私と同じような存在。話をしてみたいの」
冷静に言うリンだったが、言葉はどこか震えていた。
店に入ると、いつも通りの光景……ではなく、リンはカウンターの上でくるくると歩いているし、未華は本棚の影に隠れてこちらをじっと見ている。
イブキがカウンターの上に飛び乗ると、リンはそれを見つめる。そのまま二人はお互いを見つめ合い、張り詰めた緊張感が走っていた。
「ほんのかみさまが、二人……?」
お父さんは明らかに混乱した様子で、そう呟く。
「……あなたは近しい存在だけど『本のかみさま』じゃない。一体誰の物語を読んでいるの?」
「それを伝える義務はあらざらむ。なぜお主ごとき若輩者が、わらわと対等に話せると思っているのじゃ?」
ばちばちと火花が飛び散る。リンが珍しく、明らかに苛ついた表情をしていた。
「まあまあ! イブキ、仲良くしてよ。お願いだからさ〜!」
沈黙を破ったのは千帆だ。相変わらず明るい声で、真面目な空気をぶち壊してくれる。
「仲良くしてくれるなら、おやつあげる。ペーストのやつ。それを一週間」
「……おお? あの、ちゅるちゅ〜るするやつを一週間か……それなら、考えてやらんでもない」
「はい決まり! じゃあ仲良くしてね!」
千帆はリンの苛立ちやイブキの威厳を意に介さず、強引に和解の道を提示して、イブキは食欲に負けた。
リンはカウンターの上で、深くため息をついた。その表情は、苛立ちと同時に、この厄介な事態は長期化すると悟ったような諦念を帯びていた。
「まったく……」
千帆とイブキが帰ってから、リンは溜息と共に口を開いた。
「まったくあの、ねこのみこととやらは一体何者なの? ねえ真人、彼女たちの物語の真意はどういうものか、想像できる?」
「え? リンが分からないことを僕が想像できるはずはないと思う」
リンはカウンターの上でいつものように丸まり、金色の瞳だけを真人に向けた。
「それもそうよね。――さて、この騒がしく新しい物語は、いったいどこへ連れていってくれるのかしらね――?」
注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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