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短編5「Secret Garden ー花言葉は『偽り』ー」

あらすじ

全寮制の女子校。裕福な家庭の子女たちが集うその学園の片隅には、人知れず咲き誇る「秘密の花園」があって……。

 こんなものは、所詮偽りにしか過ぎないわ。
 一時の戯れ・気の迷い・若さ故の過ち……そんな言葉で片付けられる。はずだった。このよくある衝動を表現することばを、私はたくさん知っている。

 だけど——この胸をちりちりと熱く焦がす淡い想いは、どこから現れ、そして私をどこへ導くというのだろう。
 私は、彼女の細い身体を優しく抱きしめながら。鼻をくすぐる甘い香りに漂いながら。
 ただ、そんなことを考えていた——。

 柔らかな風がそっと頬を撫でて、胸ほどまである長い髪を弄んでゆく。初夏の穏やかな暖かさをふんだんに含んだそれは、嫌でも新しい季節の到来を感じさせてくれた。
「おはようございます」
 朝の校門前で飛び交う、いつもの見慣れた挨拶。学園の生徒たちは、見知ったクラスメイトの姿を見つけてはにこやかな挨拶を投げかける。屈託の無い笑顔は、溢れ出る若さと元気さと、ほんのちょっとの大人への憧れ。そんなものを含んだやりとりが、交わされていた。

「瑞紀おねえさま!」
 私は後ろから飛んで来る聞き慣れた声に、ゆっくりと振り返る。そこには、私より十五センチほど低い身長の、一人の女生徒が立っていた。
 慌てて走ってきたせいで、そのぷっくらとした頬は熟したさくらんぼのように紅潮し、白い綿雪のような白い肌には、雪解け水のような汗の粒がぽつぽつと浮かんでいた。
「おはようございます、おねえさま」
 胡桃のような大きな瞳をぱっちりと見開いて、柔らかそうな光沢を放つ桃色の唇を開くと、彼女は跳ねる呼吸を抑えつつ、笑顔を見せながら言った。身体を包む白いブラウスとプリーツスカートの制服は小柄な彼女によく似合っており、男性ならば思わず抱きしめたくなる衝動と戦う必要があるだろう。

「おはよう、尚」
 私はいつものように、至って普通の素っ気ない挨拶を返す。好意的だとか笑顔だとか、そういったものは正直得意じゃない。
「今日も暖かくなりましたね、おねえさま」
「そうね。もうすぐ春が終わって夏が来るわ」
 私達はそんなことを話しながら、正門をくぐって教室へと向かっていった。

 私の通う学園は全寮制の女子校で、富裕層というほどではないが、それなりに豊かな家庭の子供が多く通う。私自身も祖父が地元に大きな土地の所有権を所持しており、いわゆる地主の子、というやつだった。
 昔から、町内で困ったことがあるとすぐに誰かが相談に来る。祖父はそれに酒を振る舞い、偉そうな講釈をたれて、ヒートアップすると自分が戦争に行った時のことを自慢気に話して、最後は軍歌の大合唱。
 そんな環境でちやほやされて育ったのだが、ある時それは町内でしか通用しないことに気づいた。それはとても不思議な感覚だった。
 私は、自分のことを知らない人がいるという当たり前のことを知った。その日から、私は自分がとても矮小な人間になった気がしたが、それを受け入れるのにはさほど時間はかからなかった。
 それから年月が過ぎても、あくまで『地主の子』という目でしか見てもらえないのが嫌で、私は多少無理をしてこの学園に入学した——というわけだ。

「ねえ、おねえさま。課題はやってこられましたか?」
 隣の席の尚が、朝のホームルームが終わるなり声をかけてきて、私は不意に現実に引き戻される。
 ああ、そういえば昨日は数学の課題が出ていたのだったと、いまになって思い出す。忘れていたのはやっていないからではなく、放課後に済ませてしまっていたからだ。
「もちろん。尚は?」
 その声に尚は、いたずらっぽく、ちろりと舌を出して、自分の拳で頭を小突く真似をしてみせた。
(可愛いなあ……)

 それは嘘偽りない私の本音。尚の無邪気な生き方は私とはあまりに対象的に感じていた。尚ほど可愛く生まれていれば、私はもっと素直で無邪気で可愛い女の子になれたのかもしれない。こんなコンプレックスなど抱かなくて済んだのかもしれない。
「はい」
 私は当たり前に数学のノートを渡す。尚はそれを自然に受け取る。こなれたいつものやりとりだ。それを確認してから、私は視線を教室内に向けた。
 女子校の教室には遠慮などない。ぎゃあぎゃあと怪獣のように騒ぎ立てている者ばかりだし、スカートをまくりあげて団扇で仰いでいるとか、帰りの合コンの話題が飛び交っているのは当たり前。
 むしろ、そこに属していない私と尚が特殊なのだ。
「瑞紀おねえさま、ありがとうございます」
 目の前に数学のノートが差し出される。尚の微笑みが添えられたそれは、私の鞄の中に入っていた時にはなかった、輝きを放っているようにさえ見えた。

 傾きかけた夕日と、生暖かさを残した微風が私を撫でてゆく。髪がさあっと弄ばれ、くるくるふわりと楽しげに踊る。
 私は、校舎の外れにある植物園に居た。卒業生が土地ごと提供したらしく、お金持ちの考えることは本当に解らない。ねむの木と額紫陽花、擬宝珠にサンセベリア。それに黄色の百合。初夏によく見かける花のオンパレードだ。

 用務員が毎日ちゃんと手入れしているとはいえ、庶民的な草花が並んでいるだけのはず。なのに、気づけば『秘密の花園』と呼ばれるようになっていた。別に秘密の場所ではないし、皆がバーネットを読んでいるとも思えないのだが。

 とにかく私はその芝生に寝転がり、なにも考えずに空を見上げていた。これはもう日課で、たまには課題をすることもあるが、ほとんどはなにかをするまでもなく、ただここに居るだけだった。
 そして飽きるまで空を眺める。植物の匂いで肺を満たす。溢れる緑に包まれる感触を味わえるのは、いつもそういう時だ。
 ……のはずなのだが。

「ちょっと、ダメだよ聞こえちゃうってば」
「大丈夫だよ、絶対誰も来ないから」

 奥の方から聞こえる男女の声。
 そう、この花園は学園の敷地の端にあり、教師の監視の目が甘い。そんなわけで、近隣の高校に通う彼氏を呼び寄せて……なんて、あまりにもベタすぎる流れ。
「ん、んむっ……」
 その声は、筒抜けにもほどがある。肌と肌が触れあう音。息づかい。全てが聞こえているのだ。これで周囲に気づかれないと本気で思っているのだろうか……。私は小さくため息をつくと、ゆっくりと瞳を閉じた。その声に意識を持っていかれるのは困るし、かといってそれに流されるのも困る。

「おねえさま?」
 この場に聞こえるはずのない尚の声に、私は思わず飛び起きる。反射的に目を見開くと、そこには尚が居た。
「尚……? なんでここに」
「おねえさまが放課後、いつもどこにいるのか……ちょっと気になってしまって」
「……そうなんだ」
 私は静かに答える。私は尚につけられていたようだった。
 それは別にいいのだけど、なぜ追いかけて来たのか。もちろん追いかけて来てくれたことが少し嬉しいサプライズだったりして、気のきいた答えひとつ出ない。
「しかし間の悪い時に……」
 だから、思ったことを素直に口にした。草の壁の向こうでは、先程の男女が愛し合っている真っ最中なのだ。

「……」
 尚もそれに気づいたらしく、不思議そうな視線を向ける。それから、ぎょっとした顔で固まったまま、ゆっくりとこちらへ向き直った。大きな瞳はさらに大きく見開かれ、困惑と助けを求める視線でこちらを見ている。
「お、お、おねえさま……!」
「大丈夫だから」
 無意識、だった。私は両の腕を伸ばすと、少しだけ掌を広げて。
 まるで熟れた桃でも掴むかのように、優しく。それでいて、しっかりと。
 尚の身体を、抱き寄せた。
「瑞紀おねえさま……?」
 雰囲気の違いを感じ取ったらしい、尚が私の腕の中で、不思議そうな声をあげた。現状を理解していないような、夢の中で漂っているような。そんな声だった。

「いいから」
 私はちょっと苛ついたような声で、尚の身体を抱く手に、少しだけ力を入れた。実のところ私は、いまの自分の行動にとても困惑していた。
 なぜ私は、尚を抱きしめてしまったんだろう。隣のカップルにほだされてしまったのか。

 いや、違う。
 左脳で考えても意味がない。右脳が欲しがっているという事実だけを信じればいい。

(——そうだ)
 全てを花園の所為にしてしまおう——。

「尚」
 あまり建設的とは言えない答えを手探りで掴み取ると、とても気が楽になった。私はただ、この胸の奥に灯る衝動にだけ、身をまかせればいい。
「瑞紀おねえさま……」
 状況が分からず、潤んだ瞳で私を見上げる尚を、納得させられる答えなんて持ち合わせていない。尚の右肩を掴んだ右手と、腰にまわした左手。触れ合う柔らかな胸の感触から伝わる、とくん、とくん、と息づく鼓動。
 それだけが私を突き動かす。倒錯させる。
「おね……んっ」
 余計な詮索をする唇に、私は自分の唇を押し当てた。みずみずしく潤った、柔らかい感触が伝わってくる。食べてしまいたい、なんてよくある感想を抱いて、その唇を甘噛みしながら口に含んで吸い上げた。
 まるで収穫したばかりの果実のようで、身がしっかりとしているが表面はとても柔らかい。強く押せば指の跡が残ってしまいそう。
「あ……」
 尚が湿り気を存分に含んだ吐息を漏らして、ただ声をこぼした。艶かしいそれに、脳幹の真ん中がじんじんと痺れるような気がした。ずっと味わっていたかった。
「大丈夫」
 私は唇を少し離すとまた、耳元で繰り返した。なにが大丈夫なのか私も分からなかったが、吐息が耳を撫でると、尚の身体がぴくん、と震えた。
「だ……大丈夫、なんですか……あっ」
 些末な疑問を消すために、私はまた尚の唇を奪った。唾液でしっとりと潤ったそれは、私の舌を柔らかく受け止め、滑らせる。左手は腰を抱きながら、尚を抱く手を少し緩めると、右手を伸ばして尚の胸の左のふくらみに、そっと乗せた。

「……ん……っ」
「おっきい」
 尚の豊満な胸に優しく指を這わせながら、私は素直な感想を口にする。私の手には完全に収まらず、こぼれ落ちると錯覚するほど、たわわに実っている。半分に切ったグレープフルーツを絞る時のように、私は指先に少し力を入れると、尚の胸がそれにあわせて形を変える。柔らかい弾力は、まるで私を拒むかのように押し返してくる。それが心地よくて、私はまた、尚の胸を撫で続ける。優しい悪循環。
「……あ……ぁっ」
 尚は頬を赤らめて、この光景を見てはいけない呪いでもかけられているかのように、瞳をきゅっと閉じて押し寄せる感覚だけに身を委ねていた。
「大丈夫、受け入れて」
 三回目の大丈夫、に尚は小さく頷くと、ほんの少しだけ瞼を引き上げて、覗き見するようにこちらを見る。
 目は潤ってきらきらと輝き、目尻の粒がいまにもこぼれ落ちそうだ。泣き出しそうなその顔の奥に、一体どんな感情があるのか。私は素直にそれを覗きたくなる。

 だから私は尚の口をふさいで、わざと伸ばした舌で彼女の唾液を絡めとると、糸を引かせながらゆっくりと引き抜いた。尚もそれに倣って虚空に舌を伸ばして。まるで、こぼれ落ちるなにかを受け止めようとするように。その舌は、ぷるぷると僅かに震えていた。もちろん私も。
 その隙に、私は右手を彼女のブラウスの中に滑り込ませた。よくある綿の手触りを確かめつつ、私は指先を差し入れていく。地肌の感触は心地よく、そこにずっと触れていたかった。埋もれてもいいと思った。指は彼女の肌に優しく食い込み、それを弾力が押し返す。それでいて、みずみずしく絡みつく。水を弾くような肌、とはこういうことを言うのだろう、と痺れる頭でぼんやりと考えていた。

「……瑞紀……おねえ……さま……っ」
 きゅっ、と私にしがみついて、尚は上目遣いになにかを訴えようとする。だが、なにを訴えていいのか分からず、眉根を精一杯に寄せて、言葉にできない感情をなんとか伝えようとして。心の堰が崩壊して、尚は本能のままに私を求めている。

 ——それは、私が欲しかったもの。見たかったもの。だから、彼女に触れたかった。

「よしよし」
 私は右手を下ろすと、尚の太腿にそっと乗せた。その足は小さく震えていた。尚の表情はとろけていて、本能が私を求めているのが伝わる。それは、私が求めていたもの。見たかったもの。だから、彼女に触れたかった。
「怖くないから」
 とにかくそう言った。正直私も怖いけど、それを見せたら尚が怖がる。それは本意じゃない。
「——はい」
 尚はそれに素直に答え、ゆっくりと大きく息を吸ってから、深呼吸のようにゆっくりと吐いた。

 ——尚、愛しい尚。
 私は、ずっと前から尚になにかを求めていた。
 自分にはない魅力を持った尚、可愛くて皆から好かれる尚、女の子らしくていつも笑顔を絶やさない尚。

「大丈夫」
 今日四回目の大丈夫を言ってから、私は右手を尚のスカートの中に差し入れた。生暖かい熱気が溢れ、汗ばむ太腿に触れて——。

「こらあぁぁぁッ!」
 不意に響き渡る、用務員の声。
 花園の入り口を慌てて振り向くと、そこには用務員だけでなく何人かの教師が物々しい形相でこちらを見ていた。周囲でいくつか、慌てて立ち上がる音、走り出す足音が鳴り始めた。どうやら予想以上のカップルたちが近くに居たらしい。
「瑞紀おねえさま」
「……大丈夫」
 私は尚の小さな身体を抱きしめながら、かばいながら。大丈夫ということばを安売りしながら。教師たちがこちらに向かってくるのを、ただ睨むように見上げていた——。

 夏の日差しが痛い。暑いを通り越して、痛い。
 私はそんなことを漠然と考えながら、教室の机に突っ伏していた。夏休みの登校日は昼でとっくに終わっており、放課後の教室は誰もおらず、日差しはまだ充分すぎるほどに元気だ。倒した首を窓の外に向けて、校庭を走っている部活動に勤しむ人たちをなんとなく眺めていた。

 校庭の向こうには、相変わらず花園が鎮座している。あんなことがあったにも関わらず、我が物顔で。

 ——あれから、尚とは会っていない。

 なんでも、尚の家は寂れてはいるものの元華族だったらしく、花園でのゴシップは相応しくなかったそうだ。急遽転校手続きが取られ、あの日から尚が登校してくることは無かった。
「……」
 なんとなく、スマートフォンを取り出して眼前に持っていく。尚に送ったメールは宛先不明で戻ってきて、電話番号も変わっていた。教師に聞いて家にも行ってみたが、ものの見事に無人になっていた。私と彼女を繋ぐ手がかりは、全て無くなってしまっていた。

「……会いたいな……」
 私はぼそり、と呟いてみる。口に出してみたら、また会える気がしたから。会ってどうするのかなんて、もちろん私にも分からない。
 ……私は結局のところ、尚になにを求めていたんだろう。恋愛がしたかったのか、それとも一時の劣情か。彼女を見るたびにコンプレックスを掘り起こされている気がしていたから、彼女の近くにいれば変われると思っていたのか。

 それとも、壊したかったのか。

(……まあ、もういいか)
 考えても、いまの状況は変わらない。だから、考えるのをやめよう。
 ブルブルブルッ。机の上に置いたスマートフォンが、震えた。見ると、見慣れない番号での着信がある。その瞬間、私の中になにか、確信めいたものが生まれた。
 私は上体を起こして、校門を見つめた。一台の車が猛スピードで走ってきて、正面できいぃぃっ、と派手なブレーキ音を鳴らして止まる。

「……ほらね、大丈夫」
 私は立ち上がって窓際に立って、呟きながらガラスに両手をつけた。視線は校門を見つめたまま。やたらと高級そうな外車の開くドアから、誰が降りてくるのか。確信めいたなにかが背中を押すから。
 私は衝動に駆られて走り出すことはしなかった。外車のドアから、涼しげなミュールの足が覗いた。だから私も窓を開けた。
「おかえり」
 私は、まるで向日葵のようなオレンジ色のワンピースに身を包んだ尚がこちらに手を降る姿を、目を細めて見守っていた。
 これから私たちをなにが待ち受けているのか。考えても仕方ないから、考えるのはやめにして。

 ——そう、全てを花園の所為にしてしまおう。


最後までお読みいただきありがとうございました。
もし気に入っていただけましたら、スキを頂けると励みになります。
また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。

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