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短編6「銀髪の天使」

あらすじ

駅のホームに現れた、銀髪の少女。 その姿に目を奪われた僕は、次の瞬間、彼女が線路へと飛び込むのを目撃して……。

 ——あなたは、"一目惚れ"という、至極純粋で、盲目的で、甘い蜜で脳内が満たされるような感覚に陥ったことはあるだろうか?
 まるで幼い日の夏、夢中でカブトムシを追っていた頃の、あの熱く衝動的な感情を今も覚えているだろうか?

 それは諸刃の剣で、捉えた者の心を盛大にかき乱し、理性や常識をどこかに置いてこさせてしまう。だから、人は時と共にそのような感情を忘れて大人になってゆく。それはもちろん、僕だってそうだ。

 ……その時までは、そう思っていた。そう、その時までは……。

「……」
 僕が、つい彼女に目を奪われてしまったのはなんのことはない、その容姿が目立つものだったからだ。

 まずは、その髪。胸元まで伸びる髪は銀色で、太陽の光を反射しきらきらと輝く。隙間から肌色を少し透かせた、陽光に透けた薄いヴェールのような髪に、僕は思わず見入ってしまった。ウィッグをかぶっているわけでも染めているわけでもない。どうやら正真正銘の地毛のようだった。
 駅のホームを駆け抜ける風が、彼女を包み込んでから撫でて、駆け抜ける。銀の髪がふわっ、と巻き上げられ、くるくると宙で踊る。

「……」
 僕は、思わず息を飲んで、その光景に目を奪われていた。出勤中でそれほど時間に余裕があったわけでもないというのに。
 銀の髪は昼の強い日差しを絡め取り、反射させて、周囲に振る舞っていた。まるでプリズムのように透き通り、その暖かい光を皆に投げかけてくれている。
 少なくとも僕には、そう見えた。

「!」
 ふと、少女が振り向いて、僕の方を見つめた。それに身動きが取れなくなり、僕はその瞳を見つめ返す。
 完全にこちらを振り向くと、その整った顔立ちが明らかになる。顔は細めで、瞳の中には大きな漆黒が覗く。鼻は低いがすらりと長く、唇は薄く小さい。二重まぶたと頬の赤いチークがそれに華やかさを乗せる。
 女性、と形容するにはまだ若く見える。かといって、少女と形容するほど素直でもなさそうだ。だが彼女は、白いブラウスとチェック柄のスカートというよく見かける制服に身を包んでいたので、明らかに高校生だ。女の子という形容が相応しいのだろうと、僕は納得する。

「……」
 僕は我を忘れて、その瞳を見つめ返していた。ありきたりの表現だが、息を飲むというのはこういうことだと、妙に納得した。
 こちらを見つめたままの彼女の唇が、わずかに動いた。

(ま、た、ね)

 僕の目には、そう言っているように見えた。誰に対しての想いなのか、どんな想いなのか。もちろん僕には分からない。そもそも、その想いを何故、僕に伝えようとしたのか。分からないことづくしだ。
『間もなく、電車が参ります。白線の後ろ側までお下がりください』
 駅員のアナウンスが響いた。すぐに、彼女の立つホームへ、速度を落としながら電車が入ってくる。
 次の瞬間。僕は思いがけない行動を目にすることになった。

 ——彼女が、飛んだ。

 銀髪が無重力空間のようにふわりと浮いて、青い空に流れ星のような弧を描く。白いうなじが髪の隙間から、まるでたからもののように覗く。小さな肩幅は、少し骨ばっていてか弱さを匂わせていて。

 ブラウスの汗に濡れた、わずかに透ける白い背中。風に弄ばれ翻り、船の帆のように波打って揺れるスカートのひだ。力がこめられた、躍動感を感じさせる白く細い太腿。地面を蹴るローファーの爪先。

 ——ごとんごとん、ききいいぃぃぃっ。

 ……何が起こったのか、さっぱり分からない。
 とにかく彼女の姿は、電車のブレーキ音と騒然とする人々の声に包まれて、ホームの下へ消えた。僕はやっと現実に引き戻されて、わっと入ってくるざわめきに耳が痛む。そこでやっと、自分がとんでもない現場を目撃した、という感覚が湧き上がり始めた。
 そうだ、僕は人が線路に飛び込む瞬間を目撃してしまった。どこに連絡すればいいんだろう、警察か救急車か。その前に鉄道警察か……。
 とにかく僕はパニック状態に陥って、へなへなと力なく腰を落とした。

 そんな事件を目撃した日から、一週間が過ぎてしまった。時間が経つと、記憶が曖昧になり、あの時のことは全て夢だったのではないかと思えてくる。壮大な白昼夢を見てしまったのではないかと。
 新聞やニュースの報道は流れず、結局彼女は何者だったのか分からないまま。もちろん彼女の名前も何も知らないから、調べようもない。覚えているのは銀髪と、高校の制服だけだ。

(……待てよ)

 そうだ。なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだ。制服が分かれば、学校ぐらいは分かるじゃないか。

(……けど)

 行ってどうするというんだ。僕は彼女とはなんの関係もないし、名前も知らないし調べようがないじゃないか……。

 だけど。
 ……彼女のことを、知りたい。

 僕は何かに背中を押されるようにして、スマートフォンで近隣の学校を調べ始めた。

 学校を探し当て、校門近くまで行った僕は、目の前から歩いてくる見覚えのある人物を見つけた。

「……」
 鳩が豆鉄砲を食らったような顔という言葉は知っていたが、それがどんなものかなど、知らなかった。けれど今の僕は、きっとそんな顔をしている。そんな気がした。

 ゆらゆらと、歩調にあわせて揺れる銀髪。白いブラウスにチェック柄のスカート。見知らぬ場所を興味本位で見つめる子供のような、好奇心あふれる瞳。

 銀髪の天使は、生きていた。

「あ」
 その瞳の中に僕の姿をとらえたらしい。彼女は一瞬無邪気に笑って足を止め、一言だけ呟いた。
「ええと……」
 僕は頭を掻きながら、湧き上がる戸惑いをそのまま声にしていた。

「はじめまして?」
 その僕の気持ちを理解したのかしていないのか、目の前の彼女はにこやかに笑って、いたずらに言う。それは明らかにわざとそう言って僕のリアクションを試している、そんな感情が見え隠れしていた。

「二回目だよ」
 気の利いたことも言えそうになかったので、僕は素直に言う。
「あー、そうだっけ? ゴメン」
「というか、なんで生きてるんだ? あの時確かにホームに飛び降りたはず……」

「あはは」
 何が楽しいのか、彼女は不意に笑い出す。それから鞄を右手に持ち直すと、左手を差し出した。その手には肘から手首まで包帯が巻かれている。
「飛び降りてすぐ、ホームの下に転がったの。線路の砂利でこすっちゃった」
 あっけらかんと言う彼女は、事の重大さをまったく理解していないようだった。危うく死にかけたことや、電車を止めるということの重大さ。そういった彼女を取り巻く客観的な環境を、彼女はどこまで分かっているのだろうか。

「危ないよ。危うく死ぬ所だったんだよ」
「うん。でも、生きてるし。ホラ、足もある」
 彼女は言ってスカートの裾を摘まむと、おしげもなくその足をさらけ出す。細く白い太腿と黒いソックスのコントラスト。外を駆け回って傷ついた男の膝とはまったく違う、柔らかそうで優しい膝。僕は思わず息を呑む。

 はっとなって顔を上げると、彼女は少し細めた瞳で僕の反応を楽しんでいた。彼女は自分に価値があることを本能的に知っている。そして僕がそれに興味を持っていることも見抜いている。
 だから、ちらつかせてからかう。まるで子供が新しいおもちゃを見つけた時のように、彼女は無邪気にその力を試している。それが彼女の行動原理なのだ。

「……でも、なんであんなことを」
 思い切って、話の核心をつついてみる。話しにくいことなのだろうとは思ったけど、あっけらかんと答えてくれる気がしたのだ。
「うん、なんとなく」
「……なんとなく、で線路に飛び込むなよ……。危うく死にかけたって自覚、無いでしょ」
「うん、あまり」
 彼女は笑顔でさらりと答える。まるで今日の天気の話でもしている日常会話のような爽やかさ。本当にまったく気にしてないのだ。

「……あたしね、ハーフなんだ。ホラ、この髪」
 言って自分の髪をくるくると指で巻いてみせる。
「お母さんがロシア人で、お父さんが日本人。そんなわけで、無意味に目立つんだよね、私」
「……」
 詳しくは分からないが、原因はそこにあるんだろうということぐらいは理解できた。そして、深く語りたがらない様子から、そこには踏み込まないで欲しいということも。
「……うん、まあいいけど」
 だから、僕は素直に折れることにした。どうせ霞を掴むような答えしか返してくれないのだろう、と。正直、何を喋ればいいのか分からなくなってきた。

「ねえ、お腹減らない? ご飯おごって」
 会話の流れも何もあったもんじゃない。彼女は不意に言って、両手で自分のお腹を包み込む仕草を見せた。
 ——いや、俺の戸惑いを感じてあえて話題を変えたのか? 意識しているのかいないのか、どちらにせよそれは僕の心をきゅっと掴む。全て見透かされて、場を掌握されている気分になる。
「近くにね、安くて美味しいパスタ屋さんがあるんだ。友達とみんなでよく行くんだよ」
 ご丁寧に、こちらが迷う暇も与えてくれない。

「さあ」
 彼女は包帯を巻いた左手を差し出すと、僕の右手を掴む。ためらう素振りなど微塵もない行動に、僕は流され始める。僕の手を引きながら、振り向く笑顔を太陽が照らし出す。

「一緒に、行こう」


最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。

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