短編25「私は一年中、いつだって彼に発情している」
あらすじ
彼の声、仕草、そして優しさに心を奪われ、理性を超えて惹かれていく。これは、出会いから一年間にわたる、甘く熱烈な発情の物語。
……私はいつも、魅力的な彼に発情している。私は彼と会うたび、話すたび、彼に対しての想いが深まるということを自覚している。理性を超えて心が惹かれていく。
だから、私は彼と会うたびに、終わりのない発情を続けているのだ――。
発情1.優しい言葉をくれた、春
私、守屋 志乃は発情している。
はじまりは、大学生時代の同級生たち。みんなでメッセージツールのグループを作って、たまにお互いの近況を話していた。
卒業してしばらくして、ある時、誰かが言い出した。
『みんなで集まって、花見しません?』
それに乗っかる人が数人手を上げて、参加者が集まる。私はそこに日比の名前を見つけて、すぐに参加ボタンを押した。男性4人、女性2人が集まったので、花見は決行されることになった。
そして当日。指定された場所に行くと、ブルーシートに座って、留守番をしている男性がいた。
「あ、守屋。久しぶりー」
彼は笑顔で振り返りながら、そう言った。
日比 裕樹。なんというか、平たく言うと普通の人だ。黒髪を耳上で清潔に揃えていて、身長は180センチほど。つるっとした美肌に縦長の顔。太い眉毛に鼻筋が通っている顔。
彼はにこっと笑顔を見せると、続けた。優しい笑顔は、凍てついた心を解かす春の陽射しのように見える。
「いま、買い出し班が飲み物や食べ物を買いに行ってる。座って待とうか」
彼はそう言って、右手で自分のとなりをぽんぽんと叩く。私はそれに頷いて、促されるままに隣に座った。
「ありがとう。そういえば今日は誰が来るんだっけ?」
「ええと、男子は俺と三浦と井川、それに谷本。女子は守屋と相良の2人だよ」
指を折りながら話してくれる彼の言葉に、私は頷いた。
「みんな、ちょっと久しぶりだなあ。会うの楽しみ」
「そうだよね。僕も今日が楽しみだったよ」
彼は微笑んで言う。私はその声に、ただ頷いた。
「守屋とも会えて良かった」
「え? え、うん、私も。ありがとう、嬉しい」
気になっているのは、彼の声。少し低くて安定感を感じる声は、それに深い優しさを乗せて響く。それはまるで、私の身体を包み込む温かな絹のよう。遺伝子が彼を求めているのか、とにかく彼の声は私の心に響いてくるのだった。
(そうだ、この感覚……)
日常会話がいちいち優しい。優しい笑い声とその気遣いに、私の脳はびりびりと痺れてしまうのだ。
「おっ、おかえり!」
不意に裕樹は、言いながら手を挙げる。どうやら買い出し組の4人が帰ってきたようだ。彼は立ち上がって荷物を受け取ると、中身を出して並べ始める。食べ物を広げて、飲み物を受け取ると、みんなで乾杯をした。
「そういえば守屋って、本が好きだったよね。最近なに読んでるの?」
ふと、裕樹は紙コップのビールを飲みながら、切り出した。
「……ええ……就職してから、ビジネス書ばかり読むようになった気がする」
志乃が素直に答えると、裕樹は素直な笑顔で笑う。
「分かる。就職しちゃうと、どうしても仕事優先になるから。俺も営業職の本、たくさん買った」
「そうだよね。たまには自分のためにのんびり本が読みたいとは思うんだけど」
紙コップに口をつけてから、志乃は思うままの言葉を言う。軽いため息が交じっていた。
「あっ」
不意に、ぽん、という軽い破裂音と共に、誰かが言った。反射的に振り向くと、ポップコーンが宙を舞っている。一瞬なにが起こったか分からず、誰も動けなかった。
状況を把握しようと観察する。どうやら相楽がパーティ開けをしようとして、勢い余って破裂させたようだった。
「……あははは! 相楽、やっちまったな。!」
日比は笑いながら、散らばったポップコーンを集め始める。それに皆がつられて笑いながら、みんなでシートの上のポップコーンを拾い集めた。
学生時代に戻ったかのような明るい空気が流れ始める。この小さなハプニングで、全員の気持ちがぐっと近づいたような気がした。
「そう言えば守屋、新しくできたショッピングモール、行った?」
全てのポップコーンが袋に戻されてから、日比は紙コップにビールを注ぎながら、問いかけてきた。
「ううん、まだ。県内最大級の本屋と併設されたカフェ、気になってるんだけどなあ」
「分かる。僕もそうなんだけど、なかなか時間を作る余裕がなくて……」
困ったような彼の言葉に志乃は頷く。確かに、就職したばかりで覚えることが多く、週末休んではいるものの、なにかをしようというほどの余裕はない。それはお互い様なのだと2人は分かっていた。
「……また、落ち着いたら、行きたいなあ」
「そうだね。僕の方も、落ち着いたらまた連絡するよ」
志乃の心からの呟きに、日比は微笑む。
ゆるく確実性のない約束に、志乃は嬉しそうに頷いた。
発情2.表情豊かな手に魅入られた、夏
花見からしばらく経って、気づけば季節は夏になっていた。
7月に入って、日比からメッセージが届く。落ち着いたので、ショッピングモールに行かないか、という誘い。志乃はもちろん二つ返事で応えた。
志乃の視界に広がるのは、どこまでも広がる海。海岸線を左に眺めながら、車の助手席からそれを見ていた。
「日比は、よく運転するの?」
「ああ、営業の時は毎日、車移動かな。お陰で最近、プライベートでもドライブが趣味になりつつある」
志乃はそれに頷いて、視線をまた海に戻す。
ショッピングモールは交通の便があまり良いとは言えず、どうするか話していると日比が車を出すと言ってくれた。よくある白いセダン。
そんなわけで、意図せずドライブデートになってしまっていて。
つまり、私は戸惑っていた。
湧き上がるうきうきとした気持ちと、気恥ずかしさと、緊張が混ざり合って、なんとも言えない幸福感の中に漂っている。そう感じていた。
(……今日の格好、変じゃないよね……)
薄緑のブラウスは首の後ろにリボンがついたバックシャンアイテム。深い青のマーメイドスカートはシルエットを美しく見せてくれるはず。普段はあまり履かない高いヒールのパンプス。つまるところ、今日の私は完全にデート仕様にできていた。
「今日の格好、夏っぽくて可愛いね」
「え、えっ、ありがとう」
……飛び上がるかと思った。心の中を読まれたかと思った。元々気遣いのできる人だとは思っていたけど、そこまでとは。
片道30分のドライブを経て、やがて車はショッピングモールに到着する。巨大な本屋や小物屋を見て、カフェでお茶をして。
最初は緊張していた志乃だったが、少しずつ落ち着きを取り戻し始める。
(あ、コーヒーカップ持つとき、そんな持ち方なんだ……)
(あ、紙袋を握る手、指の腱が見える……)
(あ、意外と指の節、しっかりしてるんだな……)
そんな風に日比を観察できるほどには、余裕が生まれていた。いや、それはそれで違う意味で余裕がなかったのかもしれない。私の心の中に熱い波が生まれる。発情している。
「暗くなりそうだね。そろそろ帰ろうか?」
夕方になって日が傾いた頃、カフェで談笑していると、日比が切り出した。時計を見るともうすぐ午後7時になりそうだった。
「そうだね、確かに」
「車じゃなければ、お酒飲みに行きたかったなあ」
日比がおどけて言う。それに志乃もつられて笑った。
本当は、もう少し一緒にいたい。でも、彼の言う通りで、車の運転は疲れると思うし、今日はこれぐらいで切り上げた方が良いと思う。わがままを言うつもりはない。
帰り道、片道30分の道を戻る。日が暮れて視界が悪くなっているせいか、日比は慎重な運転を心がけているようだった。
(あ、左手……)
フロントガラスから注ぎ込む街灯の光が、ギアに置かれた彼の左手を照らし出す。
(……爪の形、整ってる。もしかして今日のために、してくれたのかな……)
志乃は、そんな彼の手にも惹かれている自分に気付いた。
発情3.ネクタイを緩めてくれた、秋
やがて、季節は秋を迎える。日比と志乃はあれから、月に一度は会うようになっていた。
「今日こそは、言う。言ってやるんだ」
仕事のお昼休み。食堂で弁当箱を片付けながら、志乃は呟いていた。
今夜、日比とオープンしたばかりの居酒屋に飲みに行く約束をしている。もちろん、オープンしたばかりだから行きたい、なんてのは都合の良い口実だ。
「……今日こそは、告白する」
つまり、そういうことだ。
私はもう、自分の気持ちが抑えられなくなっていることに気づいている。このままだと、ぽろぽろとこぼれ落ちて、地面に大きな水たまりを作って、その中に飲み込まれてしまいそうだ。そう錯覚している。
「絶対に」
志乃は強い意志をこめた一言を呟いてから、食堂を出て行った。
「おー、志乃」
店の前には紺色のスーツ姿で日比が手を挙げている。志乃も手を振りながら、駆け寄った。
「裕樹、ごめんね。待った?」
「いや、いま着いたところ。早速入ろうか」
お洒落な店内は、和モダンという言い方が適切だと思われる。入口や窓のガラスには木枠の上から何本もの木材を縦に取り付けて、そこから見える外の風景はどこか異世界感を感じさせる。席の上には瓦屋根がある場所もあり、高級そうな木目のテーブルと椅子。天井からは球体の照明が黒鉄の装飾に包まれながら、吊るされていた。
2人は個室席に入って、ビールを頼む。すぐに店員が運んできて、2人はジョッキをこつんと当てた。
「今日仕事帰りだよね。オフィスカジュアルの志乃、初めて見た」
不意に日比が言うのに、志乃は少し戸惑った。今日のスタイルは黒いシャツに透けた白いアウターを羽織り、オリーブ色でゆったりとしたシルエットのパンツを合わせている。
「確かに。私も、スーツ姿の裕樹、初めて見たもん」
「ああ、それもそうか。あはは」
日比は笑いながら、首元のネクタイに人差し指をかけて、少し緩める。それに志乃は思わず視線を奪われてしまう。長い指、細いけど節はしっかりとしていて、掌も大きい。
私は彼の姿が素直に嬉しかった。仕事の鎧を脱いで、私と2人だけの時間になった安堵。私の前だからこそ見せる無防備な一面。そういったものが私の発情を促すのだ。
「今日は仕事、忙しかった?」
彼の声に志乃は現実に引き戻される。「えっと……」と歯切れ悪い言葉を言ってから、
「ふ、ふつう……?」
と、曖昧に応えた。それに日比は笑顔を見せる。
「よかった。まあ、疲れてる方がお酒が美味しかったりするんだけど」
「ぷっ! わかる、そういうときあるよね」
それから2人は、他愛もない話題を続ける。日々の仕事のこと、休みの日に読んだ本の話、家族のこと。いつも通りの日常の話題が席と心を温めていくのが分かる。
「そういえば、花見のこと、覚えてる?」
ふと思い出したように、日比が言った。それに志乃は大きく頷いて、
「うん、もちろん。久しぶりに裕樹と再会して」
と、少し視線を上げて思い出しながら言葉を紡ぐ。
「あの再会から、よく会うようになったよね」
「そうだね。学生の時は毎日のように会ってたけどね」
裕樹が言いながら笑う。
「……私、これからも裕樹と会いたいと思ってるんだ。いいかな?」
「もちろん、僕もそう思ってるよ。だから、付き合わないか?」
日比は笑顔で答えながら、さらりと重要なことを言った。
……え? いまなんて言った……?
「え? ええ?」
「いや、だから付き合おう、って」
困惑した志乃を見ながら、裕樹は乾く喉を落ち着かせるために、ビールを一口飲む。
「学生の時から、ちょっと気になってた。でもあまり自信がなくて。働くようになって、少しずつ結果も出せるようになって自信がついてきたから。素直な気持ちだよ」
「う、う、嬉しい」
志乃はぎくしゃくした動きで顔を上下に振りながら、ただ素直な気持ちを呟く。その様に日比は少し笑って、
「これからも、一緒にいようね」
と、微笑んだ。
ええっと、私、落ち着こう。状況を整理しよう。私は今日、裕樹に告白するつもりだった。
そしたら告白された。
一体どういうこと?
「そんなにびっくりした? 見抜かれてると思ってたんだけどなあ」
「い、いや、あの、あのね。実は私も、今日は裕樹に告白しようと思っていて……」
今度は日比が驚く番だった。彼は静かに瞠目して、口を開いてからゆっくりと閉じて、それからなんとか言葉を発した。
「え? マジ? そんな偶然、ある?」
「……はは、あはは。私たちって、きっと繋がってる。最高のパートナーじゃない?」
志乃がそう言うのに日比も笑う。2人の楽しい時間はこれからも続く。そう確信していた。
「裕樹、これからもよろしくね」
志乃はテーブルの上に置かれた裕樹の手に、自分の手を重ねる。それに彼は優しく微笑んだ。
そう、私の発情はやっと、実を結んだのだ。
発情4.優しい抱擁を感じた、冬
やがて冬が訪れる。私たちは、休暇を合わせて温泉旅行に行くことになった。
暖炉を模した暖房器具のある部屋から志乃は外を見つめていた。北海道の温泉街は雪に包まれて、部屋から見る町並みはどこか幻想的。日常から離れた場所にいると、心が刺激を受けて新しい自分が芽生える。そんな気がした。
「志乃、どうしたの?」
「え、うん。景色、綺麗だなって」
裕樹が言いながら志乃に近づいてくる。彼も視線を外に向けてから、「おお」と感嘆して一言言った。
「露天風呂も良かったよ。外が見えて、雪景色を堪能できた」
ぽん、と裕樹が何気なく志乃の頭に手を乗せる。湯上がりの火照った掌は、彼女の心まで撫でているようだった。
「……私ね、きっと裕樹に発情してたんだと思う」
「発情?」
「うん。あなたの言葉、笑顔、手の表情……すべてに」
日比は今ひとつ理解に届いてなさそうで、不思議そうな顔で志乃を見つめていた。
「つまり……」
志乃はそれだけ呟いて、日比の身体に抱きついた。意外と厚い胸板の感触と、せっけんの心地よい香り。それに彼女の脳は痺れを感じさせる。
「ん……」
日比は志乃の唇に自分のそれを重ねて、優しく擦り寄せる。前歯を軽く当てると、彼女の身体が少し震えた。
「ずっと、好きだったんだよ……」
志乃は呟いて、潤んだ目で彼の瞳を見つめた。日比は優しく目を細めて、「僕も」と言ってから、彼女の手を引く。
私はそれに引かれながら、歩いていく。これから始まる出来事に胸をときめかせて。彼の温かさが、私の身体と心を満たしていく。
彼との時間の中で、私の発情は最高潮に達し、そしてそれは、永遠の愛へと変わっていくのだ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
もし気に入っていただけましたら、スキを頂けると励みになります。
また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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