短編23「孤島は彼女の帰る場所」
あらすじ
部活の最終日。陸斗は「仲間との絆は終わらない」と言って、地元での安定を望む。一方、広い世界へ飛び出したい宇海は、彼と意見が合わないと感じつつも不思議と信頼し合っていた。
「今日で最終日かあ……」
宇海は、学校指定の水着を着てプールの縁に座りながら呟いた。
窓から外を眺める。すでに日は暮れ始めていて、グラウンドには照明が灯っている。陸上部や野球部が活動しているのを、なんとなく見つめていた。
そう、今日は部活の最終日。私は高校3年生で、今日が部活の最終日だったのだ。水泳部員として毎日通っていたこのプールも、今日が最後。もう来ないなんて、いまだに実感がない。
トラックを走る陸上部員の中に、見知った顔を見つける。クラスメイトの陸斗だ。短く刈り上げた髪をなびかせて、あずき色の陸上競技用ウェアに身を包んで、真剣な顔で走っている。彼もこの3年弱、長距離走に学校生活を捧げたはずだ。
……それが今日で終わることを、彼は一体どう思っているのだろうか。
プールの水面が揺れている。すでに部活は終わり、部員は更衣室に向かっていて、プールには誰も入っていない。あとは着替えて、電気を消して、鍵をかける。
それで、私の青春がひとつ終わる。物悲しい気持ちもあるが、受け入れるしかない。もれ出たため息には、そんな複雑な心境が表れていた。
宇海は、なんとも言えない気持ちを抱えながらゆっくりと立ち上がると、更衣室へと向かった。
「陸斗」
陸上部の部室は、グラウンドの脇にある。宇海はその壁に寄りかかっていた。白いブラウスに赤いリボン、プリーツスカートの制服に着替えて、彼を待っていた。
「あ、宇海じゃん」
彼は少し驚きながらも答える。肩には大きなスポーツバッグを抱えており、恐らく部室の荷物を引き上げてきたのだろうことは分かる。
「いや、陸斗も部活、今日で最後でしょ? 私もそうなんだ。だから、ちょっと、なんというか……話したいな、って思って」
「あー、分かる。感慨深いよねえ。でも、仲間との絆はこれで終わりじゃないから」
陸斗は笑顔で言う。
いつも彼は、仲間とか絆とか友情とか言いがちな人だった。宇海はそれに微妙な表情をしてから、耳下ほどの長さに切りそろえた黒髪をわしゃわしゃとかき混ぜる。
「むず痒っ……こんな閉鎖的空間で頑張って、どうすんの?」
「そう? 家族や友人と過ごす、大切で安心な場所だよ」
宇海は嫌悪感を露骨に出して言うが、陸斗には届いていないらしく、笑顔を返す。
……あー、もう。そういうとこだよ。
「お? デコボコンビじゃん」
陸上部の部室から出てきた同級生が、宇海と陸斗が話しているのに気づいて言う。2人は即座に、
「違うからっ!」
「そうかもねー」
と、答えた。
「ねえ、無人島になにか持っていくなら、なにがいい?」
教室で昼休みに談笑していると、1人がそんなことを言った。
「海に飛び込んで、とにかく泳ぎ続ける」
「宇海、それ答えになってないから……」
宇海が真顔で言うのに、皆が笑っていた。「宇海らしい」と言われているが、彼女は実感がないらしく不思議そうな顔をしている。
「そうだね、陸の孤島に生まれ育った僕らにとっては、毎日が無人島生活みたいなもんだしねえ」
陸斗はにこにこと微笑みながら言う。
彼の言う通り、この街は大都市圏の外に位置する、人口10万人ほどの地方都市。鉄道網が充実しているとは言い難く、最寄り駅にはバスに40分ほど乗るか、家族に車で送ってもらうのが普通だった。
「そうだよ。こんな閉鎖的で自分の可能性を縛り付けている場所、抜け出して自由になるんだから。大学だって、都心じゃなきゃやだ」
宇海は顔をしかめて、いつもより少し早口で言う。
「あはは、宇海らしいね。じゃあ僕は、宇海が戻って来る時のために、ここで待ってるよ。ちなみに僕は、地元の大学に出願済み」
それに陸斗が言う。
こんな感じで2人はいつも噛み合わない。活動的な宇海と、穏やかな陸斗。でも、不思議と仲は良い。だから、周りからデコボコンビと呼ばれてからかわれ、いつも周囲に笑いの種を提供しているのだった。
放課後になって、宇海と陸斗は学校を出る。同じクラスの上に家もそこそこ近いため、部活のなくなったいまは一緒になってしまうのだ。
「……あのさ、さっきの話」
並んで歩いていると、不意に宇海が口を開いた。
「陸斗は、本当に待っててくれるの?」
街灯が照らす宇海の顔は、少しだけ紅潮していた。口を尖らせているようにも見える。
「うん。当たり前じゃん」
陸斗がいつも調子で言う。彼の言葉はいつも独自の速度感で、真剣味がない。
「……じゃあさ」
宇海が立ち止まる。それに気づいた陸斗も、少し遅れて立ち止まった。それから2人が向き合うと、宇海が右手を差し出した。
「約束の、握手」
「……うん」
宇海の手を、陸斗は握り返す。
「……別にさ、破っても怒らないから」
宇海は握り返された手を軽く上下させながら、少し意地悪に微笑んだ。さすがに陸斗は戸惑って、
「そんなことないよ!」
と、精一杯の反論をしてみせた。
「……私ね、経済学部に行くんだ。世界っていう、広い海を泳げる自分になりたいから」
宇海がはにかみながら、言う。陸斗はそれに微笑んでから、口を開いた。
「僕たちって本当に噛み合わないね……僕は教育学部に行く。この地域の活性化に、教育という観点から貢献したい」
それに宇海は頷いてから、
「陸斗らしい。がんばれ」
と呟いて、微笑んだ。
しばらくして、宇海は都心の大学に進学するために上京した。陸斗も大学生活が始まって、忙しい。それから半月ほど、連絡を取り合う余裕すらなかった。
陸斗が帰宅して鞄を置いたところで、ブルブル、とスマートフォンが揺れる。メッセージの通知だ。
『陸斗、元気? 私は新しい場所で、泳ぎ続けるために頑張ってる』
陸斗はそれに素直な嬉しさを覚える。どう返そうか迷って、考えてから、返信した。
『それは良かった。頑張りすぎて体調崩さないようにね』
『ありがと。でもね、きっと陸斗のおかげ。あの街が、私にとっていつか帰るべき場所なんだ、って最近思い始めたんだ』
『それは嬉しいな。僕も、もし宇海が戻ってきたら、その時は一緒に広い海を泳ぎたいと思ってる』
……そうだ。僕は夢見ている。もしまたいつか、一緒に肩を並べて歩ける日々が来るのなら。共に進める日々を。
その夢は単純だ。2人で肩を並べて歩く。いつもの談笑をしながら。そして、宇海は急に走り出す。それを追いかけて、一緒に走る。ただそんな、シンプルで日常的な夢だ。
『嬉しいな。陸斗は、私の心を縛り付けていた陸の孤島を、私の帰る場所にしてくれた。だから、私は安心してどこまでも泳いでいけるんだ』
そのメッセージを見つめながら、僕はなんと返せばいいか、分からなかった。ただ、涙がこぼれた。
本当は、宇海と一緒にいたかった。近くにいたかった。でも、できなかった。
違う、選べなかった。
だって、どれも大切なんだ。宇海も、友達も、家族も、全て。宇海の近くにいたいからって、他を捨てるなんて決断、僕にはできなかったんだ。
僕は宇海との約束を守ったんじゃない。
ただ、勇気がなかっただけなんだ――。
『ありがとう。そう言ってくれて嬉しい。次はいつ帰省するの? 予定空けるから、早めに教えてね』
『うん。ゴールデンウィークは帰る。お茶でもしようね』
宇海のメッセージに喜びのスタンプを送って、息を吐く。
再会した時のことなんて、簡単に想像がつく。
宇海は明るい日差しを背に、いつも通りに元気な笑顔で、「おっ、久しぶり」とか言うのだ。そして僕は手を上げて、「久しぶり。そしておかえり」と笑いかける。それに彼女もまた笑顔を返す。
そこで僕は言ってやるんだ。「デコボコンビ、復活だね」と。
それに彼女はきっと、一瞬だけ嫌そうな顔をした後、すぐに眩しい笑顔で「しょうがないな」と笑い返すんだと思う。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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