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短編95「忘却の輪郭」

あらすじ
親友サキの顔と声が、デジタルと人々の記憶から消え始める。焦るユウキは、サキを救う唯一の方法を探して……。

 消えていく。なにもかも。
 でも、俺だけは彼女を忘れたくない。
 たからものが、いままさしく砂のように崩れ落ちていくのを、ただ見ているだけにはしたくない。

 親友のサキに連絡を取ろうとして、俺はメッセージアプリを開いた。
「……?」
 先日までサキは、桜並木の写真をアイコンにしていたはずだ。でもなぜか、システムのデフォルトの影絵に変わっている。

『サキ? メッセージのアイコン変えたの?』
 俺はそれだけ書いて送った。すぐに既読になって、返事が返ってくる。
『ユウキ? あのね、最近スマホが重くて、全部消してるだけ』
 曖昧で気の抜けた返事が来た。デジタルデトックスなんだろうとは思うが、言いようのない強い不安が腹の底で渦巻いていた。

 ――それがすべての始まりだった。

 二人で共有しているデジタルアルバム。楽しかった高校時代の遠足、二人でふざけて撮ったカフェでの写真。
 サキが写っているどの写真も、顔の部分だけが白く、なめらかな『のっぺらぼう』のようになっている。他の友人の顔は鮮明に残っているのに、サキだけ顔がない。
 俺が好きなサキの笑顔は、デジタル世界から消滅している。

 そして最も恐ろしい事件が起こる。
 数年前、サキが俺に残してくれた誕生日を祝う留守番電話のメッセージ。何度聞き返したか分からない、俺だけのたからもの。
 再生ボタンを押すが、聞こえてくるのはノイズが走る音。メッセージの秒数は一ミリも進まない。

 一体なにが起こっているんだ?
 サキの顔と声が、消え始めている。

「サキ? 誰? 目立たない子?」
 共通の友人にその話をしたら、曖昧な声でそう答えた。三人で遊んだこともあるので、知らないはずはないのだ。
 サキへの記憶が、皆の中で薄れ始めている。
「おいおい、冗談はやめろよ」
 俺は言いながら、三人のグループチャットのメンバー一覧を開いて、スマートフォンの画面を見せつけてやる。
「んー? 読めないんだけど……」
「え?」
 慌てて画面を自分に向ける。三人だけのメンバー一覧を見る。サキの名前だけが、まるでモザイクがかかったようにぼやけていて、読めない。

 ――アカウントの痕跡は存在しているのに、記録だけが消え始めている。
 それだけじゃない。人々の記憶からも、消されようとしている。
 この現象の理由なんて、分からない。原因も分からない。

 それでも、サキを失うわけにはいかなかった。
 スマートフォンでメッセージアプリを開く。一覧を捜すと、サキの名前はぼやけていて読めない。押しても画面は反応しない。

「くそっ!」
 俺は激情にまかせてそれだけ吐き捨てると、走り出した。どこに行けばいいか分からないけれど、焦燥は両足を強引に走らせる。

「サキがいるとすれば――」
 ……きっと、最も安心できる場所にいるはずだと直感が叫ぶ。
 幼い頃、一緒に二人で行った丘の上にある使われなくなった図書館。根拠なんてない。ただ走るしかなかった。

 やがて夕暮れ時になる。俺は錆びたドアを力任せに開いた。古い本とカビの臭いが広がってくる。
 薄暗い空間。灯りのない書架の片隅に、スマートフォンのライトを向ける。奥の席に座っている、本を抱えた人影を見つけた。

「サキ!」
 俺が駆け寄ると、彼女はゆっくりと顔を上げた。よく知っている長い黒髪。
 でも彼女の表情は、知っているサキじゃなかった。

 振り向いたサキには、顔が無かった。
 白いのっぺらぼうが、こちらを見ている。
 いや、彼女にはこちらが見えているのか?

「あなた……誰?」
 サキの言葉が俺の耳に激しく突き刺さる。
「私の居場所、ここじゃない気がするの。どこにも、私がいた証がないの」
 サキは呟く。僅かな不安に揺れる声は、不安な感情を表に押し出していた。
 直感が俺の身体を動かす。
 もし、ここでサキの手を離したら、彼女は『存在しない証』を持って永遠に消えてしまうと、俺は確信していた。

「俺を思い出してくれ、サキ! 俺はユウキ、君を忘れられない。世界中のすべてが君を忘れても、俺は絶対に君を忘れない!」
 言うと同時にサキの右手を掴むと、ぐい、と引き寄せた。サキはそれに抗うことはせず、そのまま俺の身体に体重を預ける形になる。のっぺらぼうの顔を俺の胸にうずめて、ただそのままにしていた。
「君が笑うときに鼻を触る仕草、留守電に残された僅かな呼吸の音。俺は知っている。忘れられるはずなんてないんだよ!」
「えっ……」

 サキに感情の震えが、少しだけ戻る。まるで忘れた表情筋の動かし方を思い出しているかのように。
 彼女の手を握る俺の手が、力をこめる。サキの手が確かに、それを握り返す。

「――俺はずっと、サキのことが好きなんだ!」
「ゆ……ユウキ……?」
 サキは我に返ったような、呆けたような声で呟く。
 いつしか握る手は力が入り、サキの手は俺の手をしっかりと握り返す。

「ユウキ、私は一体……?」
 しばらくして、サキはゆっくりと顔を上げた。その顔はのっぺらぼうではなく、知っているサキの顔に戻っていた。
「サキ! 元に戻ったんだな、サキ!」
 俺はサキの手を離さず、ただ感動のままにサキの身体を抱きしめた。
「ユウキ……」
 彼女は涙を流しながら、静かに俺の名前を呼んだ。

 理由は分からない。けれどサキは存在の欠落に巻き込まれて、俺はそれを引き戻した。それが結果的に、彼女が『存在する証』になったのだと思う。
 俺はサキの手を離さなかった。彼女の顔にはもう、白くぼやけた空白なんてない。
 それがいま、目の前にあるのだ。

「サキ……」
「ユウキ、ありがとう……その、えっと……」
 サキの確かな顔が、いま、俺の目の前にあった。

「私も……好き」
 それだけ絞り出す彼女を、俺は強く抱きしめた。


注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。


最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。

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