短編94「コープス・リバイバー#2」 バー・ローズデヴァン#8
あらすじ
不思議なバー「BAR Rose des vents(バー・ローズデヴァン)」に迷い込んだ亮は、盟友の影に縛られていた。そんな彼が、素直な想いを吐露すると……。
右手の中指には、大きくなったペンダコができている。
五十年の人生の記録が、いや、魂が、この指に宿っていた。
「ふぅ……」
彼は海老名 亮。本屋の棚に並ぶ漫画の単行本コーナーで、本の背表紙をぼんやりと眺めながらため息をついた。
時間は夕方、十八時ちょうど。
「ねえお母さん、続きいつ出るの?」
「さあ……休載になってからしばらく経つよね、サガラエビナ先生の『才能喰らいのリュウ』。お母さんも楽しみにしてるんだけどなあ」
通り過ぎる親子の無邪気な発言を、海老名は微動だにせず聞いていた。
サガラエビナは、海老名と幼馴染の相楽で結成された漫画家コンビだ。海老名が作画担当で、相楽が原作を担当する。
彼らは長い間、共に戦い、共に笑い、共に泣いてきた戦友だった。
「……?」
海老名はふと、違和感を感じた。僅かに不思議な風が通り抜けたかと思うと、どこからか淡いピンクの光が飛び込んできた。光の方向を探して左を見る。先程まで青年漫画が並んでいたはずのその棚に、黒く大きな扉が出来上がっていた。
その上には知識に集まった虫が発光するように、ピンク色のネオン管で「BAR Rose des vents(バー・ローズデヴァン)」と描かれている。
――書店内に、バー?
確かに書店内にカフェが併設されている店舗は増えている。
これも、そういったものだろうか――?
海老名は自分でもよく理解できない感情が、自分の右足を一歩踏み出させる感覚に戸惑った。右手はためわらずドアを押す。ぎぃと軋んだ音を立てながら重い扉は開いた。
中は薄暗いが、階段は上へと続いているのが分かる。別の階に繋がっているのだろうかと思いながら、海老名は階段を登り始めた。
一階ぶんほど登ると、入口らしき木製のドアが見えてくる。押すと簡単に開いて、からんからんと風情を感じさせる鈴の音が響いた。古びた木材と僅かなアルコールの香りが、厳粛な静寂を与えている。
店内を見回すと、木の素材を活かした王道のバーのように見える。カウンターが九席と、スタンディングテーブルが2つ。カウンターの奥には一人の客がいるようだが、静かな灯りのせいか黒い影のようにしか見えなかった。
「いらっしゃいませ。お客様も、迷われたのですね」
海老名はカウンターを見て、ぎょっとした。
――吊られている。
バーテンダーらしき男が、天井から、逆さに。
彼は右足を縛られて吊り下げられ、両手をカウンターに乗せて、ゆらゆらと揺られていた。
「初めてのご来店ですね?」
そんな異常な状況なのに、彼は気にしている様子がない。整えられた口調で、海老名に話しかけた。
薄緑色の髪をアップバングにしているが、重力のせいでカウンターに落ちてしまっていた。逆さ吊りになっているにも関わらずその顔は白く、整えられた石膏のような艶と輝きを放ち、作られたような美しさを見せていた。
海老名が答えに困っていると、彼は勝手に話を続ける。
「バーテンダーのスィエルです。当店にはルールが三つございます。ひとつ、未来が見えたら追い出します。ふたつ、座り込まないでください。みっつ、誰かの詮索はしないでください」
「あ、ああ――」
正直、彼の言葉は理解できなかったが、頷くしかできない。
海老名は言われるがままに頷いてから、手近なカウンター席に座った。ちらりと奥の影が視界に入る。彼は手に持ったカクテルグラスをこちらに掲げていたようにも見えるが、それは私へ向けたものだったかは、分からない。
「それでは、一杯目はどうしたしますか?」
「あ、ああ……じゃあ、『コープス・リバイバー#2』を頼む」
海老名の注文に、スィエルは『Oui』と小さく答えて、冷蔵庫からよく冷えたカクテルグラスを取り出した。吊られているのに器用なものだと思う。
グラスの内側にアブサンを垂らして、全体に行き渡らせる。それから氷をシェイカーに入れると、ベル型のジガーカップで計ったジンを注ぐ。続けてコアントロー、リレ・ブランを注ぎ、最後にレモン果汁を注いだ。
それからシェイクを始めるが、吊られている彼の身体もそれに大きく揺れているのをあまり気にしていないらしい。空中での芸術的なシェイクを観劇した。
最後に、シェイクした中身をダブルストレイン――細かい網目のストレーナーも使って二重に濾すこと――してカクテルグラスに注ぐと、外側の皮を向いたオレンジを添えた。
「お待たせいたしました」
海老名の目の前にコースターを置くと、グラスをその上に置いた。
そのグラスを恐る恐る持って、海老名は一口飲む。ジンとレモン果汁のあっさりとした味わいがやってくると、その後から複数のハーブとリキュールが複雑に絡み合う。重層的な声は舌の上で舞い踊り、最後にほのかなアニスが通り抜けていった。
「――美味い」
海老名は思わず口にしていた。それにスィエルはゆらゆらと揺れながら、人工的な微笑みを返す。
「ありがとうございます。これからもご贔屓いただけますと幸いです」
スィエルは両手で名刺を差し出すが、揺れているので受け取りにくい。なんとか受け取って表面を見てみると、『バー・ローズデヴァン』の店名と、『スィエル』の名前だけが書かれていた。
「……このカクテルは、盟友が好きだった一杯なんだ」
海老名は目を細めて遠いところに視線を向ける。懐かしむような、思い出すような。
「私は、彼の才能を心から愛していた。そして、嫉妬で気が狂いそうだった。彼が死んでからも、私はそれを蘇生させようとしているが、なかなかうまくいかなくてね……」
それにスィエルはなにも答えない。ただゆらゆらと揺れていた。
「これは、贖罪ではない、依存だ。彼の才能という業は、私と共にある。彼が成し遂げられなかったことを、私が引き継いで成し遂げたいんだ」
スィエルはそれに少し不思議そうな顔をしてから、指をパチンと鳴らす。
壁のスクリーンに、海老名と相楽の姿が映し出された。
「相楽! 初連載が決まったぞ!」
「まじかよ海老名。これでやっとプロデビューだな!」
二人は嬉しそうに抱き合って、その日は贅沢としてラーメンを食べたことを思い出す。
「評論家たちはみんな、俺達の作品をストーリーが良いとしか言わない」
「捻くれるな、海老名。俺の最高のストーリーを、最高の作画で表現しているのがお前だ。周りの声なんて気にしなくていい。俺の最高の盟友はお前しかいない」
二人はいつも、そんな距離感で机に向かって漫画を書き続けていた。
「『死んでも共に』……その業こそが、貴方の才能だとすれば?」
不意に、スィエルが口を挟んだ。その言葉は海老名の心の核を深く抉る。
「お、お前になにが分かる!? 長年の盟友が死んで、彼の書く最高のストーリーはもう二度と作られることはないんだ。もう、二度と! 誰にも!」
海老名は恐怖に引きつった顔で、カウンターに両手をついて吠える。それにスィエルは特に反応しない。カウンター奥の影も特に動いていない。
「――俺には、相楽のようなストーリーは書けない。そして、書ける奴もいない」
「……貴方は、死んでも共にあるという業をその身に背負っている。覚悟は、おありですか?」
「覚悟? そんなものとっくにできてる。相楽と共に作り続けた世界を、これからも作ることができるなら、なんでもやる。どうせ俺はもう、あいつの影から逃れることなんて、できないんだから」
彼は最初から、決意していたのだ。盟友の進んだ歩みを業にして、永遠に蘇生することを。背負って生きることを。
海老名は言ってから、コープス・リバイバーを一気に飲み干した。
どくん、と店内が揺れたと海老名は感じる。
「……言葉が、聞こえる……」
海老名の耳には、盟友の筆致、言葉選び、次に続くフレーズ……それらが全て、脳内で直接タイピングされているように感じていた。三十年以上見続けていた、彼の言葉。その言葉の美しさ、完璧さ、一切の抵抗を許されない必然性。
背筋が震えた。戦慄した。
自分の意志とは関係なく溢れる、とめどない才能の洪水。気を抜くと全てを持って行かれてしまうような恐怖感、しかし、同時に感じる包みこまれているという安心感。このまま流れに身を任せて、どこまでもいけると感じる安心感。
――盟友の新作のシナリオ。
それが、読めるなんて――。
奥の黒い影が、海老名に向けてカクテルグラスを掲げた。
……いや、掲げていた、と思う。なぜなら、彼の口は確実に、『たのむぞ』と口を動かしていたからだ。
「未来が見えたようですね。それでは、良い旅路をお祈りしております。bon voyage」
スィエルがカウンター下からハンドベルを取り出して、ちりりんと鳴らすと奥の扉が開く。屈強な男性が二人飛び出してくると、海老名の身体を両脇から抱え込んだ。
「おい……!」
「お会計、千五百円になります」
海老名は拘束されたまま会計を済ませると、軽々と担ぎ上げられて黒い扉の外に放り出されてしまっていた。
先程となにも変わらない、店内。通り過ぎる親子が、無邪気な発言をしながら歩いている。
一体なにが起こったのかと周囲を見回すが、時計の針は十八時ちょうどを示している。ポケットにはスィエルの名刺がある。口の中にはカクテルの余韻が、まだ残っている。
海老名は身体を震わせながら、嗚咽しながら、書店内でしゃがみこんでしまった。周囲の客が驚き、店員が駆け寄ってくる。その中で彼は激しく嘔吐した。脳内に大量のテキストが流れ込んでくる。それが身体の中に入り込み、他の全てを押し出していく。
「ま、待ってくれ」
海老名は呟いた。盟友の全てが、永遠の呪いという形で自分の中で蘇生したことを、理解した。
もはや自分の意志など、押しつぶされてしまっている。亡き盟友の持つ才能の代行者として、永遠にその業を再現し続けるという、残酷な未来と約束された存在になっていたから。
「相楽……」
盟友の名を読んで、海老名はその場に崩れ落ちた。
遠くから、サイレンの音が聞こえた。
嵐の最中 白昼夢みたいだ
静けさ 波打つコープス・リバイバー
カラカラカラと足音は消えた
神の居ぬ間に忍び寄るDENCER
標準的なレシピ
ジン - 30ml
コアントロー - 30ml
リレ・ブラン - 30ml
レモン果汁 - 30ml
アブサン - 1dash
作り方
1.氷と共に全ての材料をシェイクする。
2.ストレーナーで濾しながらカクテルグラスに注ぎ、オレンジゼストを飾る。
元々のレシピはキナ・リレを使用するが、入手困難なためリレ・ブランで代用されている。
カクテル言葉
「死んでもあなたと」
注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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