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短編86「カーディナル」 バー・ローズデヴァン#7

あらすじ
迷った者の前に現れるという、「BAR Rose des vents(バー・ローズデヴァン)」。人生という海路は時に優しく、時に残酷で、訪れる客によってその表情を変える……。

 私は、完全に疲れ果てていた。
 巨大な罪の上に成り立つ私の人生など――なんの価値があるのだろうか。

 柿木 友彦かきぎ ともひこは、夜道を歩いていた。
 会社を出てすぐの繁華街で、女性が接客してくれる高級店を2店ほど巡ったが、それでも飲み足りない。時計を見ると夜中2時。
 足元はふらつきながら、それでも酒を求めている。朝を迎えるまで、脳の髄まで酔わせて欲しい。
 ずっとそう思っているのに、そうならない自分に対しての苛立ちをいつも抱えていた。

「……?」
 区の名物ともいえるイチョウの巨木。胴回りが十メートル以上ある巨木は、幅三メートルほど。
 その幹に、黒い扉があった。その上には「BAR Rose des vents(バー・ローズデヴァン)」とピンク色のネオン管で書かれており、暗い中で虫を惹きつけるような光を放って、彼の心も引き付けていた。

「木の幹に、バー……?」
 冷静に考えればおかしな光景だ。でも、そのときの彼にはそんな判断力などすでになかった。自然とドアノブを掴んで、ドアを引く。一歩踏み出すと、地下へと進む階段が続いていた。
 階段を降りていくと、どんどん古びた木材の香りがしてくる。アルコールで痺れた柿木の脳は、木の幹が入口の店だから当然だろうと思っていた。
 しばらく降りると、木製のドアがあった。開くと、からんからん、と優しいドアベルが鳴る。

 ドアを開く。こじんまりとしたバーがそこにはあった。L字カウンターで6席ほどの、小さなスタンディングバー。奥のカウンターには誰か座っているようだったが、ちょうど影になっていてよく見えない。恐らく三十〜四十代の男性だろう、と柿木は思う。

「いらっしゃいませ。お客様も、迷われたのですね」
 声をかけてくる存在に、柿木は絶句した。その男性は、カウンターから『生えている・・・・・』。
 六席分のカウンターは全長四メートルほどの長さしかないが、その天面から彼は生えていた。

「……?」
 柿木は混乱する。そのまま店を出ようとも思ったが、棚に並ぶ大量の瓶に惹かれて、手近な席に座ってしまった。
 バーテンダーの彼は、薄緑色の髪をアップバングにまとめて、筋肉質な上半身だ。腹部はカウンターの下に埋まっており、どうなっているのか分からない。爽やかな笑顔だったが、どこか現実感のない虚無感をたたえていた。

「初めてのご来店ですか? 私はバーテンダーのスィエルと申します」
 彼は胸ポケットから名刺を取り出して差し出す。「BAR Rose des vents(バー・ローズデヴァン)」という店名と、「バーテンダー:スィエル」とだけ書かれたシンプルな名刺だ。連絡先や住所を入れないところに経営者のデザインに対してのこだわりがあるのだろうな、と柿木は推測していた。

「ああ、初めてだ」
「それでは、当店のルールを説明いたします。ひとつ、未来が見えたら追い出します。ふたつ、座り込まないでください。みっつ、誰かの詮索はしないでください」

 未来……? そんなものはとっくにない。
 座り込み……? いままで酒で潰れたことは一度もない。
 詮索……? バーのルールとしては珍しいが、客の間でのトラブルを回避しようとしているのなら、それもいいだろう。

「……分かった、構わないよ。……そうだな、一杯目はカーディナルをもらおうか」
 スィエルはそれに『Ouiヴィ』と小さく頷くと、移動し始めた。その光景に柿木はぎょっとした視線を向ける。
 どういう原理か分からないが、彼はカウンター上を移動している・・・・・・・・・・・・・。移動のたびにぎしぎしと、木材が軋むような音が聞こえた。
 彼は冷蔵庫からよく冷えたワイングラスを取り出すと、カシス・リキュールを注ぐ。それから赤ワインを注ぐと、タンブラーで優しくステアする。繊細で緻密な動きだった。その強靭な上半身に、グラスが小さく見える。
「お待たせいたしました」
 右手でコースターを置いてから、左手でグラスを置く。

「はあ……」
 柿木はグラスを持って一口飲んで、ゆっくりと息を吐いた。真紅の液体を喉に流し込むと、そのアルコールの刺激に安らぎを覚えた。リキュールとワインがしっかりと混ざり合っており、それぞれの主張を受け止める。
「……なあ、スィエルさん。『選択』って、どうしてこう、誰かを傷つけてしまうのかな?」
 不意に、柿木はスィエルにそう尋ねた。それに彼は首を少し傾げて、考える素振りを見せる。
「……どうでしょう。選択というものは、常にそういうものではないでしょうか」
「ははっ、違いない」
 スィエルの回答は柿木にとって望んでいたものだったようだ。彼は笑って、カーディナルをもう一口飲んだ。

「お客様も、迷われた――いえ、『迷われている』のですね」
「――ああ。俺はずっと迷っている。早く解放されたいと思いながらも、そんな手段なんてあるはずがないのに」
 柿木は自嘲して、胸ポケットから電子煙草を取り出した。機器にスティックを差し込んで、スイッチを押す。
「……」
 その光景を、奥の黒い影が無言で見ていた。黒い影のようにしか見えないため、その視線は柿木からは見えないのだが、明らかにこちらを見ている気配を感じていた。
「おっと、失礼。煙草、いいかな?」
 柿木は電子煙草を軽く持ち上げて、黒い影に向かって言った。影はそれに答えない。ただぼそりと、
「会社が倒産しなければ……」
 とだけ、呟いた。
 その言葉に柿木は怪訝な顔をしてから、一服吸って、水蒸気を吐き出した。

「――それで、スィエルさん。なぜあなたは、私が『迷われている』と思ったのかい?」
「それは……」
 スィエルは右手を上げると、ぱちん、と指を鳴らした。壁のスクリーンに、映像が映し出される。

『株価を釣り上げろ。もちろん、同時に売り抜け先も探せ』
 いまより少しだけ若い柿木は、部下に対してそう言っていた。

『当然、そのうちの一部は俺の口座に入れる約束を忘れるな。分かるな?』
 その言葉に部下たちが頷く。それから社長室を出ていった。

 それから柿木は、顧客リストや技術資料をオンラインストレージにアップロードする。それから、何回か電話をかけては『約束していたファイル、用意しました』と説明をしていた。

「――これを、どこで手に入れた?」
 大きく開いた瞳で敵意を剥き出しにして隠そうともせず、柿木は言った。だがそれにスィエルは答えない。
「言え! どこで手に入れた!?」
 柿木は思わず立ち上がり、スィエルに詰め寄る。だがスィエルは答えず、動じているようにも見えなかった。柿木は苛つきを隠さず、電子煙草にスティックを差し入れると、スイッチを押した。
「会社が倒産しなければ……」
 奥の影が、また呟いた。

「――優しい嘘とは、壮大な責任転嫁。概念は論理などを求めていません。ただ、結果だけを記録するのみです」
 スィエルが口を開いて、また指を鳴らす。映し出されるのは、頭を下げる取締役たちの映像。それから、会社ビルの前で看板を掲げる元社員たちの悲痛な顔が映し出された。
「……やめろ」
 柿木が言った。感情を隠さず、苛つきのこもった声で。

「私は、事実を映し出しているだけです」
 抑揚のない声でスィエルが言う。それを柿木は露骨に睨みつけて、煙草のスティックを灰皿に叩きつけた。
「私は、あの時正しい選択をした。大勢の投資家を救うために計画倒産させ、優しい嘘をついた。それがお前になにか迷惑をかけたか?」
 吐き捨てるような柿木の言葉にも、スィエルは反応しない。ただ、見つめていた。
「……結果的に良かったじゃないか。私も自分にそう言い聞かせている」
 柿木は冷静さを取り戻そうとしているのか、トーンを少し落として続ける。
「私だって、この偽りの人生から解放されたいんだ」
 その言葉は嘘ではないのだろう、柿木は眉根をぎゅっと引き寄せて、悲痛ささえ感じる声で絞り出す。
 柿木は、自身の行った優しい嘘が、いかに冷酷で優しくない欺瞞だったかということを、第三者の視点でまざまざと見せつけられた。
 彼の傲慢な理論が通用する場所なんて、無い。

「……違うんだ。嘘だ。あれは優しさなんかじゃなかった。ただの裏切りだ」
 柿木は、頭をごつん、とカウンターに乗せた。

 ――おかしい。
 酒に酔ったことなんて、ないのに――。

 柿木は朦朧とし始めた意識の中で微睡む。身体は横にずれ始めて、やがてカウンターから滑り落ちた。
「お客様、いけません。座り込まないでくださいと説明したはずです」
 ごとん、と音を立てて、柿木は床に落ちた。両膝をついて椅子に両手をつき、起き上がれないでいる。
「――俺は、解放されたいんだ」
 呟くように、柿木が言った。スィエルは表情ひとつ変えずに、それを見ている。それから、
「広い海は、常に沈没のリスクを伴います」
 とだけ、言った。

 柿木が座り込んだ真下の床に、漆黒の割れ目がぬるりと現れる。オイルのような粘度のそれは、糸を引きながらじわじわと口を広げていく。ずるり、と柿木の身体が、少しずつ飲み込まれ始めた。

「ああ……これで、解放され……」

 どぷん。
 水に落ちたような不気味な水音を残して、柿木の身体は飲み込まれてしまった。

 何事もなかったように、店内に静寂が訪れる。
 カウンターに残された電子煙草とスティックの箱、それに飲みかけのグラス。それを見つめて、スィエルはゆっくりと息を吐いた。

「――貴方の人生は、座り込むことで終焉を迎えたのです」
 呟くような彼の声は、誰にも届かない。ただ漂って、それから消えた。
 奥に座っていた影が立ち上がる。彼はカウンターに千五百円を置いて、そのまま店を出て行った。

 スィエルは飲みかけのグラスを掴むと、洗ってから拭き始めた。ただ静かに。

「――真の解放とは、時にこのような結末を迎えます。――ねえ?」
 誰に問うまでもなく、彼は静かに独りごちた。


ずっと考え続けてたんだよ
これから何回嘘を吐いていくんだろう
いつだって世界は嘘つきで
着飾れない僕は醜くて
カーディナル(feat.初音ミク)/Catwall

標準的なレシピ
赤ワイン:カシス・リキュール = 4:1 〜 9:1

Wikipedia

作り方
冷やした材料をグラスに注ぎ入れて、マドラーやバースプーンなどで静かに混ぜ合わせる。

カクテル言葉
「優しい嘘」


注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。


最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。

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