カメラの持ち方に迷う日、気になる人に会った|山と温泉の物語 #08
首から下げたカメラが、歩くたびに胸の前で揺れる。
それが、ずっと気になっていた。

景色を見つけたら、すぐ撮りたい。
でも、歩くたびにカメラがぶらんぶらんする。
首は痛いし、段差では前に飛び出すし、しゃがむと地面に向かって突撃しようとする。
——カメラ、自由すぎる。
そこで今回は、少し対策をしてきた。
ザックの首の後ろ側に取り付ける、小さなフック。
そこにカメラのストラップを通して、首ではなくザック側で重さを受ける。

歩き出してすぐ、思った。
これはいい。
首が楽。すごく楽。
今まで首にずしっと来ていた重さが、すっと消えた。
「やったぜ」と、心の中で小さくガッツポーズをした。
山でのカメラ問題、ついに解決。
……したと思った。
ところが、山道はそんなに甘くなかった。
首は楽になった。
でも、カメラは相変わらず前で揺れている。
歩くたびに、お腹のあたりに、ときおりペタ、ペタ、と当たる。
最初は気になったけれど、しばらく歩いていると少し慣れてきた。
まあ、これくらいなら大丈夫かな。
そう思いながら、森の中の道を歩いていく。
木の根が出て、小さな段差が増えてきた。
日差しは木の葉で砕けて、地面にまだら模様を落としている。
少し先に、光のきれいな場所が見えた。
「あ、いい感じ」
カメラに手を添えた。すぐ構えられる。この持ち方のいいところだ。ザックから出していたら、この光の差し込みが変わっていたかも。いい光は、こちらの都合を待ってくれない。
もう少しいい角度から撮りたくて、少し足を早めた。
その時だった。

足元の段差に、つま先が引っかかった。
「あっ」
体が前に流れる。
カメラも一緒に、胸の前からふわっと浮いた。
反射的に、私はカメラをかばおうとした。
レンズを岩に当てたくない。
傷をつけたくない。
それだけが一瞬、頭に浮かんだ。
次の瞬間、片方の手でカメラをかばいながら、もう片方の手のひらを地面についた。
ざりっ。
痛い、というより先に、砂の感触があった。
細かい土と小石が、手のひらに残る。
カメラは、無事だった。
「……よかった」
思わず、先にカメラを見てしまった。
その時、後ろから声がした。
「カメラは、大丈夫ですか?」
振り向くと、そこに見覚えのある人が立っていた。
前に山道で会った、あの人だった。
足元を見てくれていた人。
なんか控えめで、でも見ているところが妙に的確な人。
「あ……この前の」
「こんにちは」
彼女は軽く会釈をしたあと、私の手元を見た。
「手も、見せてもらっていいですか?」
言われて手袋を外すと、手のひらが少しすりむけているのに気がついた。
「すみません。カメラを先に心配してました」
「そうだろうと思いました」
彼女は少し微笑んだ。
ポーチの中身が、素早く出てきた。消毒液、ガーゼ、大きめの絆創膏、包帯に、小さなゴミ袋。使う順番が、もう決まっている感じがした。
砂を落として、傷口に消毒液をあてて、ガーゼで軽く拭う。余分な力は入っていない。でも、ちゃんと浸みている。包帯を巻いて、端をそっと押さえて固定する。
「これで大丈夫だと思います」
自分の手を見た。ずっと丁寧に処置されている。
「ありがとうございます。手際がいいですね」

「なんか……慣れてますよね、こういうの」
「まあ……そういう仕事を、少しだけ」
それ以上は言わなかった。
なんとなく、ああそういうことか、と思った。
何の仕事かは聞かなかった。なんか、聞かなくてもいい気がした。あの落ち着いた手つきも、迷いのない準備も、全部それで腑に落ちた。
手のひらの押さえた部分が、じんわりとあたたかい。
「私、サエっていいます」
「アカリです」
少し間があった。アカリさんは目の上に手をかざして、空を眩しそうに見上げた。風が、彼女の短い髪の毛先を、ふわりと揺らす。
「今日は、とってもいい景色ですね」
つられて、私も顔を上げた。
木々の隙間から空が抜けて、青の中に白い雲がゆっくり流れている。
「ほんとに。晴れてるけど、雲もちょうどいい感じで」
首から下げたカメラを、抱えるように持ち上げた。手のひらに、ひんやりしたボディーの感触が伝わる。
「こういう日の光って、柔らかくて。写真撮るのに、すごくいいんですよ」
「そうなんですか」
アカリさんは少し目を細めて、遠くの稜線を見た。その横顔が、何かを思い出すみたいに、やわらかかった。
「私も、写真好きで」
「え、そうなんですか」
思わず声が出た。
なんか、嬉しかった。同じものを「きれいだな」と思える人が、すぐ隣にいる。それだけで、足取りが少し軽くなる気がした。
それから、どちらからともなく、一緒に歩くことになった。

道はしばらく細く、木の根があちこちに張り出していた。
カメラのストラップを少し短めに詰めて、みぞおちのあたりに収めるようにした。歩くたびに揺れていたカメラが、体に寄り添うみたいに、ぴたりと落ち着く。
平坦な道では、たしかに楽だ。首にずしっと来ていた重さがない。撮りたいものを見つけたら、すっと持ち上げるだけで構えられる。
——これは、かなりいい。
そう思ったのも、束の間だった。
段差のところでは、体の前後の重心が変わる。上の段へ足を上げると、カメラがぐっと前に出る。木の根をまたごうとしゃがむと、さらに前へ垂れ下がって、地面に近くなる。とっさに片手で押さえると、今度はその手がふさがって、バランスが取りづらくなる。
「撮りたい時に、すぐ撮れるといいんだけど」
半分ひとりごとのように言うと、アカリさんは前を見たまま、ぽつりと答えた。
「歩いている時は、歩きやすい方がいいですよね」
身も蓋もないことを言われてしまった。
当たり前すぎて、ちょっと笑いそうになる。でもそれが、私の中でいつのまにか、追いやられていたようになっていた。
撮りたい時。歩く時。足元に集中する時。
ぜんぶ、同じ持ち方でやろうとしていた。
カメラを持って歩くなら、カメラを守りながら、無理なく歩けるか。それも一緒に考えないといけないんだ。
足元の木の根を、今度はちゃんと見て、大きめにまたいだ。

画角に収めようとしたら、思ったより近くなった。
温泉でほどける
お湯に肩まで沈むと、ふう、と息がもれた。
こわばっていた肩が、じんわりとお湯にほどけていく。それと一緒に、今日のことが、思い出されてきた。
首から下げたカメラが、ときおりペタ、ペタとお腹に当たりながら歩いた森の道。日差しが木の葉に砕けて、地面にまだら模様を落としていた。そして、段差に引っかかって「あっ」てなった、あの瞬間。
——カメラ、無事でよかった。
先にそっちを心配したことを思い出して、一人でうすくニヤついた。
右手は湯から上げるようにして、湯船の縁に置いていた。
巻かれた包帯の端が、少しゆるんでいる。
上がったら、絆創膏に貼り直そう。
それにしても、このくらいで済んでよかった。
もう少し段差が大きかったら。あのまま手をつけなかったら。カメラといっしょに、ごろんと転がっていたかもしれない。
そう思うと、背中のあたりがひやりとした。
ぬるめのお湯が、その冷たさを、静かにやわらいでくれる。
首の後ろに付けるフックは、よかった。首は楽になった。でも、揺れる問題はそのまま残っている。急な斜面では、いっそしまった方がいいのだろう。ほかにザックのショルダーに固定する「カメラホルダー」というのもあるらしい。それも調べてみよう。
そんなことを考えながら、ふと顔を上げる。
露天風呂の向こうに、夕方の山が見えた。
稜線が、淡いオレンジに染まりはじめている。今日歩いてきたのは、あのあたりかな。湯気がゆらりと立ちのぼって、山の輪郭を、やわらかくにじませる。
あの雲の隙間から光が差し込んだ写真、どんなふうに写ってるかな。帰って大きなモニターで見返すのが、楽しみだ。
——そういえば、アカリさんと何枚か撮ったな。
前に向けたチルト式液晶モニターをのぞきながら、二人で並んだ、あの一枚。
また会えたらいいな。
そう思いながら、右手をあげたままお湯に顔を少し沈めた。

そう思うと少し笑えてきた。
サエのひとこと
カメラがぶらぶらすると、気になる。
でも、撮りたいときにすぐ撮れるのも、やっぱり嬉しい。
下げるか、しまうか。それともザックに固定する?
山のカメラ持ち歩き問題は、なかなか奥が深いです。
安全メモ
首から直接一眼カメラを下げると、首や肩に負担がかかりやすいです。
ザックショルダーの首の後ろに付けるフックや、ストラップの長さの工夫で楽になることがあります。
ただ、段差・急斜面・岩場では、カメラが前に出て危ない場面もあります。
カメラを守ろうとして、両手が使えなくなる場面にも注意しましょう。
平坦な道、撮影する場所、危ない場所では、持ち方を切り替えるのも大事です。
例えば、カメラホルダーでザックにカメラを固定する方法もあります。
一眼カメラの持ち歩き方は、"増補版"でさらに詳しく取り上げます。
※公開後、リンクを貼ります。
次回予告
長い下り道で、サエの膝が、静かに抗議を始めます。
膝が笑うって、こういうこと!?
アカリさんとは、またどっかで会えるかな。
次回第9話を公開しました。↓
前の第7話はこちら。↓
