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第35話|余裕のない日々|誤差にした違和感

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第1話|抱っこと決意|シングルファザーとなった最初の日https://note.com/fast_deer7937/n/n74aef03be245

年に二回ほど、
仕事が一気に忙しくなる時期がある。

残業が増え、
帰宅は遅くなり、
家のことは最低限になる。

夕飯は急いで作るか、
最悪、帰りに買って帰る。
食卓では「早よ食べなさい」「先に風呂入って」と、
どうでもいい小言が増える。
自分でも余裕がないことに気付くが、
反省は布団の中になることが多かった。

朝はバタバタ、夜はクタクタ。
正直、家の空気も少し荒れる。

そんな頃じゃった。

会社帰りにスーパーへ寄り、
レジで財布を開いたとき、
「あれ?」と思った。
思ったより札が少ない。

自分は金の管理が上手い方じゃない。
むしろ苦手じゃ。
レシートは財布に溜まり、
何に使ったか思い出せんことも多い。
残業が続くと余計に曖昧になる。

ガソリンか。
昼飯か。
イライラしてコンビニで甘いものでも買ったか。

忙しい時期は、
財布の中身まで曖昧になるもんじゃろう。
そう思って財布を閉じた。

それから数日後、
また同じ違和感があった。

確か、もう少し入っとったはず。
誤差と言えば誤差。

帰宅してから、
テーブルの上で財布をひっくり返した。
1万くらい足りん気がする。

レシートを並べてみたが、
そもそも全部ちゃんと取っとるかも怪しい。
明らかに何日か、
レシートが無い日がある。

元々記憶頼りの管理しかしてなかったしな。
しかし、
いつからこんなに金の流れが
見えんくなったんじゃろう。

年齢もあるが、
何かに追われると、
忘れることも増える。

「まあええか」

声に出して、財布を閉じた。

その時、パピコが連絡帳を持ってきた。

「見てお父さん、連絡帳に“死ね”って書いてあるわ」

笑いながら見せてきたが、
俺は笑えんかった。

連絡帳の端、
ページの隅に、
薄く鉛筆で書いてある。
消そうと思えば消せる程度の濃さ。
いたずらのようにも見える。

「別にええんじゃけど」とパピコは言う。
本当に気にしていないのか、
そう言っとるだけかは分からん。

一度、椅子に座らせて話をした。
誰が書いたか心当たりはあるか。
最近何かあったか。
強くならんように、
問い詰めんように気をつけながら。

本人の許可を取って、
先生に手紙を書いた。
感情は乗せず、
事実だけを伝え、
クラスを見てほしいとお願いした。

翌日、丁寧な返事が来た。
聞き取りを行うこと、
事実関係を確認すること、
パピコにも質問をさせてほしいこと。

学校のことは任せようと思える文章じゃった。

それから一週間ほど、特に進展はなかったが、
パピコは普段通りに過ごし、
自分も余裕がなかったせいか、
何か違和感を感じることもなかった。

しかし、
ある日、掃除で子ども部屋に入った。

床に転がった体操服を拾い、
本棚のほこりを払う。
そのとき、
机の横に見慣れん箱が置いてあるのに気づいた。

Nintendo Switch。

新品の箱。

一瞬、何の箱か分からんかった。
近づいて手に取る。
ビニールの封は切られていない。
箱の角もきれいなまま。

借り物かと思った。
でも、借り物なら開けるじゃろう。

俺は買っていない。
パピコからは何も聞いていない。
もちろんピノからも。

静かな部屋で、箱を持ったまま立ち尽くした。

外から車の走る音がする。
ピノの鼻歌が廊下の向こうから聞こえる。

その箱だけが、場違いに見えた。
しばらく、封のテープの端を見つめながら考える。
周囲の音が遠くなる。

財布の合わない残高。
連絡帳の文字。

頭の中で、線が繋がりかける。
でも、まだ、何も決まっとらん。

箱を元の場所に戻した。
きちんと話をするには、
材料が足らなすぎる。

結局、その日は、
何も言わんかった。

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