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橋本治(1948.3.25-2019.1.29)『双調平家物語 7 乱の巻』中央公論新社 2000年12月刊 307ページ  Ella Fitzgerald (1917.4.25-1996.6.15) Count Basie (1904.8.21-1984.4.26) "Honeysuckle Rose" (1963.7.15-16)  日記 2013年8月30日 うたたねの朝けの袖にかはるなりならす扇の秋のはつ風 新古今和歌集 308

日記
2013年8月30日
7時5分起床
室温29度
懸垂6回
スクワット290回
ストレッチ
シャワー

昨日は、
朝の9:30で室温30度、
11:30には32度になり、
午後から一週間ぶりで扇風機を使いました。
15時以降、短時間のにわか雨が三四回。
就寝時は29度。
台風15号の接近までは残暑が続くのかな?

Ella Fitzgerald (1917.4.25-1996.6.15)
Count Basie (1904.8.21-1984.4.26)
"Honeysuckle Rose" (1963.7.15-16)
Ella And Basie! (1963.9)
https://en.wikipedia.org/wiki/Ella_and_Basie!


ハニーサックル・ローズ 歌詞和訳
https://blog.theyannie.com/honeysuckle-rose/

https://www.youtube.com/channel/UC5xjB6Uc7tCKFCUzAwZLhYA/community?lb=UgkxXMiLV-GcbbeBVbvKKDWWn61lLvRjeM3Q

https://www.youtube.com/channel/UC5xjB6Uc7tCKFCUzAwZLhYA/community?lb=UgkxXMiLV-GcbbeBVbvKKDWWn61lLvRjeM3Q

https://ja.wikipedia.org/wiki/ハニーサックル・ローズ_(曲)

https://en.wikipedia.org/wiki/Honeysuckle_Rose_(song)



https://www.iwanami.co.jp/book/b259617.html

うたたねの朝けの袖にかはるなりならす扇(あふぎ)の秋のはつ風
 式子内親王
 百首歌に
新古今和歌集 巻第四 秋歌上 308
「うたた寝したこの夜明け、袖に吹き変っているようだ。
いつも手元で鳴らして使いならしている扇の風が秋の初風に。」
『新日本古典文学大系 11』岩波書店 1992.1 p.103
正治二年(1200)[後鳥羽]院初度百首、二句「朝けの風に」。
朝け 夜明け、明け方。
ならす 「馴らす」と「鳴らす」と掛詞。
扇の 「の」は主格。扇は蝙蝠(かわほり)のこと。骨の片側に紙・絹を張り、絵など描く。夏の用具。
参考
「大方の秋来るからに身に近くならす扇の風ぞ変れる」
(藤原為頼 後拾遺 秋上)。
「扇に結ぶ早秋の風」の歌。

式子内親王
(しょくしないしんのう
「しきし」とも「のりこ」とも読まれる
1149-1201)
後白河天皇皇女。賀茂斎院(1159-1169)。
千載集初出(入集九首、女性歌人で最多)。
新古今四十九首。勅撰入集百五十七首。
隠岐での後鳥羽院による
『時代不同歌合』では斎宮女御と番えられている。
小倉百人一首 89
「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする」
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/syokusi.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/式子内親王

田渕句美子(1957- )
『異端の皇女と女房歌人
式子内親王たちの新古今集(角川選書)』
角川学芸出版 KADOKAWA 2014.2
https://note.com/fe1955/n/n8dfcbf3d6859
https://www.amazon.co.jp/dp/404703536X

「式子[1149-1201]は、
新古今歌人の一人として現在は有名だが、
正治二年(1200)七月~九月の
『正治初度百首』以前は、ただの一度も
宮廷や摂関家の歌合・和歌会に出ていない。
しかし『千載集』成立以前から、
いくつもの私的な百首を詠んでおり、
最晩年にはじめて公的な応制百首
『正治初度百首』に詠進したのである。」
p.63

「式子が私的に詠んだこれらのいくつもの百首歌は、
俊成、定家、良経、家隆ら、当時新風和歌を推進していた
歌人たちに伝わり、写され、読まれていた。
式子の百首歌や詠草が写されて流布しなければ、
定家らの和歌との表現的な交錯・影響関係は、
生じるはずもない。そして逆に、式子もまた彼らの
歌合・和歌会での詠草を入手し、常に最新の動向に目を凝らし、
その歌を味読していたにちがいない。」
p.64

「内親王というもっとも高貴な女性が、歌壇の長老とはいえ
臣下である人[俊成]から直接に教えを受けて、
自身の歌学の知識を蓄え詠歌を磨くこと、
歌壇で行われた歌合・和歌会の詠草はすぐに取り寄せ、
最新の情報を収集して熟読し、日々題詠の詠歌に精進すること、
長年にわたって自ら積極的にいくつもの百首歌を詠むこと、
その百首を世に公表し、男性廷臣である専門的歌人たちと
積極的に和歌の上で対話し影響を与え合うこと、
さらには上皇[後鳥羽院]の召しに応じて
宮廷の応制百首に詠進すること、
これらはみな式子内親王に始まったことであり、
その後も鎌倉期においてこうした内親王は極めて稀である。
こうした詠歌姿勢が、当時において、
内親王としてはどれほど異質な革新的なできごとであったか、
想像に難くない。」
p.68

「正治二年(1200)七月~九月、
後鳥羽院は初度の応制百首である
『正治初度百首』(『院初度百首』)を計画し、そこに
惟明親王[これあきしんのう 1179-1221 高倉天皇の第三皇子、後鳥羽院の異母兄]、
守覚法親王[しゅかくほっしんのう 1150-1202 後白河天皇二男、式子内親王の同母弟]、
式子内親王の三人を入れて詠進を求めた。
従来は天皇が臣下に命じて詠進させるものであった応制百首に、
皇族三人を、加えて
左大臣良経、
内大臣[源]通親、
前大僧正慈円を入れたのである。
この時点で既に後鳥羽院が、
天皇家や現在の大臣、前天台座主を含むすべての人を
歌壇に吸収・包含しようとした意図が認められる。
後鳥羽院が『正治初度百首』で
自らの初めての百首を詠んだとき、
式子の歌、それも『千載集』にない
式子の百首歌からも学んだことは明らかである。
後鳥羽院が式子を招きよせた時、既に
式子の百首歌を味読していたのであろう。
内親王を応制百首に招くことは、
後鳥羽院の決定であったに違いない。
後鳥羽院がいなければ、式子の秀歌の頂点と言うべき
『正治初度百首』は生まれなかった。

この時、
後鳥羽院は二十一歳、
式子内親王は五十二歳。
若き帝王の眼と意志には、実に驚くほかはない。」
p.97
第二章
「式子内親王 後鳥羽院が敬愛した皇女
 三 『新古今和歌集』の光輝
 稀代の皇女歌人として」

「『正治初度百首』は、
式子内親王のいくつもの百首の中で最後の、
そして最も完成度の高い百首である。
式子の百首は、勅撰集などにおける入集数を見ると、
現存する第一と第二の二つの百首が特に重視された様子はなく、
散佚した百首と特に変わらないような扱いである。
しかしこの『正治初度百首』は最も重んじられ、
高く評価された。
『正治初度百首』の式子歌から
『新古今集』に二十五首が採られており、
本百首から『新古今集』への入集数は、
すべての歌人の中で式子内親王が最多である。ついで
良経が十七首、
家隆と讃岐が六首。
『正治初度百首』によって後鳥羽院に認められた
定家でさえ三首である。
式子にはこのあとの作品がないということもあるが、
それにしても突出して多い。そして
『正治初度百首』をはじめとする式子の歌は、
同時代の新古今歌人たちから深い敬愛と傾倒を受け、
多くの影響作を生んだのである。」
p.100

2013年の立春、
2月4日から毎日一首づつ投稿し始めた
新古今和歌集の通読(つぶやき)が
四年かかって終わりました。
https://bookmeter.com/mutters/153791951
https://bookmeter.com/mutters/153744722
全二十巻
春夏秋冬賀哀傷離別羈旅恋雑神祇釈教
1995首
明日から再読
2017.3.26


https://www.amazon.co.jp/dp/4124901275

橋本治(1948.3.25-2019.1.29)
『双調平家物語 7
 乱の巻』
中央公論新社 2000年12月刊
307ページ
2010年10月7日読了
https://www.amazon.co.jp/dp/4124901275

中公文庫
https://www.amazon.co.jp/dp/4122052203

「白河院崩御の後、御世を掌握した鳥羽院。
崇徳帝は御位を逐われ、
近衛帝の即位によって「国母」となった
鳥羽院の寵姫藤原得子は、
皇后の位を贈られる。
得子の勢威がさらに強まると確信した
摂政忠通は、崇徳院との通いを絶ち、
得子に仕えることを選ぶ。
一方、鳥羽院のご威光は
崇徳院に伝えられると思う
内大臣頼長は、
崇徳院との好誼を深める。
「朕が亡き後は、さぞかし世は乱れるであろう」──
そして世は保元の乱へと進む。」

https://www.amazon.co.jp/dp/B00DQH3UXI

Kindle版
https://www.amazon.co.jp/dp/B00DQH3UXI

試し読み
https://x.gd/3ay5F
https://bookwalker.jp/de0edf3cab-2c99-4dd0-a566-f0148cd54b3f/

https://x.gd/3ay5F
https://x.gd/3ay5F

単行本第7巻の登場人物は
白河院・鳥羽院・崇徳院・
待賢門院・美福門院・
藤原忠実・忠通・頼長
など多数。
平忠盛・清盛や西行も出てきました。

中公文庫版では、
『双調平家物語
 7 保元の巻』
に改題されました。

藤原頼長をめぐる男色の描写が印象に残ります。
二人の女院の描写も。

本郷恵子
『京・鎌倉 ふたつの王権
 全集 日本の歴史  6』
小学館 2008年5月刊
https://www.amazon.co.jp/dp/4096221066
2008年7月9日読了
「頼長の日記『台記』は、
数多く残されている貴族の日記のなかでも、
生彩に富んでいるというか、
富みすぎているために異彩を放っている。
学問・政治・文化などについて
率直で鋭い意見が述べられるとともに、
露悪的な傾向があり、
男色関係や政治的陰謀についても詳細に記す。
院政期において、院や摂関をめぐる男色関係が、
政治上の人材起用に大きな影響を与えていたことは、
五味文彦によって指摘されている。」

高校生の頃に読んだ日本史の
教科書や受験参考書には、
こんなこと一言も書いてなかったよね~。
あ~驚いた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/本郷恵子

『いつもそばに本が』
ワイズ出版 2012年1月刊
https://www.amazon.co.jp/dp/4898302521
2012年8月7日読了
「五味文彦に、院政期の政治は男色関係でかなり解ける
という説があって、これには瞠目した。
「悪左府」藤原頼長は男色によって勢力を張ったとか、
後白河院政下の事件は、平治の乱も、鹿ケ谷も、平家都落も、
みな上皇の男色関係が影を落としているとか、
いちいち話がすごいし、しかも説得力に富む。
考えてみれば、日本文化はもともと男色を容認する傾向が
あったのに、無理をしてその要素を見ないようにしていた
在来の方法が偽善的だったのだ。詳しくは
『院政期社会の研究』山川出版社 1984.12
をお読みください。」
p.100
「丸谷才一 2000.8.2」

https://www.facebook.com/tetsujiro.yamamoto/posts/526736890734288

去年読んだ本『いつもそばに本が』 http://bit.ly/168SpFx #bookmeter ワイズ出版...

Posted by 山本 鉄二郎 on Friday, October 18, 2013


『双調平家物語 7 乱の巻』
物語の進行は、
やっと保元の乱の手前までたどりついたようです。

https://x.gd/3ay5F

「勢いを得つつあった摂関家の台頭を不快と思う
待賢門院[鳥羽院の后]は、
面に平静を装いつつ、疑心に揺れた。そして同じ頃、
待賢門院の栄華を衝き崩す強大なる敵が、
所もあろう二条万里小路(にじょうまでのこうじ)邸の一角で
芽を覗かせていた。」
p.79
「懊悩待賢門院」

「二条万里小路邸の主人(あるじ)である
藤原長実(ながざね)は、病んでいた。

自身の邸を両院[鳥羽院と待賢門院]の御所として差し出した。

長実には、その年十七になる得子(なり)という娘がいた。
病を得た長実に、心懸かりとなるのはこの娘である。

藤原顕頼(あきより)は、
父を亡くした娘の後見を勤めるため、進んで当主長実を欠く
六条流の邸へ近づいた。顕頼の後見によって
鳥羽院のおそばへ上がる、藤原長実の娘得子――
後の保元の乱に一方の旗頭を勤める美福門院である。
長実の死した翌年、
顕頼のお手引きを得た鳥羽院は、
得子の住む邸へとひそかにお渡りになられた。」
p.94
「伏兵美福門院」

読書メーター
橋本治の本棚
登録冊数44冊
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091217

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https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091217
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091217

https://www.facebook.com/tetsujiro.yamamoto/posts/502587546482556

三年前に読んだ小説。橋本治「双調平家物語 8 乱の巻(承前) 平治の巻」 http://bit.ly/170RWPo #bookmeter 中央公論新社 2001年9月刊。2010年11月22日読了。 この第8巻 乱の巻(承前)...

Posted by 山本 鉄二郎 on Friday, August 30, 2013

https://note.com/fe1955/n/nd1b5b223714c

https://note.com/fe1955/n/n95765d2fba5b

https://note.com/fe1955/n/n2c4e2bd80178

https://note.com/fe1955/n/n763a302cde06

https://note.com/fe1955/n/n3f5d438ddbf5

https://note.com/fe1955/n/nf5ec41ea0df4

橋本治(1948.3.25-2019.1.29)
『桃尻語訳百人一首』
海竜社 2009.10
https://note.com/fe1955/n/n545a8520ba24

橋本治(1948.3.25-2019.1.29)
『古典を読んでみましょう
 ちくまプリマー新書』
筑摩書房 2014.7
https://note.com/fe1955/n/ne79797a05ea1

https://note.com/fe1955/n/n9cc4d3928d2c

大島弓子(1947.8.31- )
「橋本さんが我が家に!?」
山岸凉子(1947.9.24- )
「感性の鋭さと優しさと」
『芸術新潮』2019年5月号
 追悼 橋本治はなにを見たか。 
https://note.com/fe1955/n/ne0e6e04a9227

https://note.com/fe1955/n/nd68febc9004e

https://note.com/fe1955/n/nab7abf2916b5

https://note.com/fe1955/n/n5ea2bc27f718

https://www.youtube.com/watch?v=u_MEMt7zumw
『頭脳警察1』1972.3
1972年1月9日ライブ録音

  1. ~イントロダクション~世界革命戦争宣言 (0:00)

  2. 赤軍兵士の詩 (3:58)

  3. 銃をとれ(Part 1)(7:53)

  4. さようなら世界夫人よ (10:50)

  5. 暗闇の人生 (13:51)

  6. 彼女は革命家 (18:41)

  7. 戦争しか知らない子供たち (20:46)

  8. お前が望むなら (23:00)

  9. 言い訳なんか要らねえよ (25:46)

  10. 銃をとれ(Part 2)(28:00)

https://note.com/fe1955/n/nb844fde00ae3


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