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【ライブレポ】2025/7/27 ネス単独公演「うそつき」考察・感想 ※ネタバレあり

2025/7/27(日)開催のネス単独公演「うそつき」のレポ・考察・感想です。

※すべて個人の解釈です。本作は解釈が分かれるところが醍醐味なので鵜呑みにしないようお願いします。
※大いにネタバレを含みます。というかネタバレしかありません。
※作品未見の方には閲覧を推奨しません。というか見ないでくれ。

毎年恒例のネスワンマン。遂にこの時がやってきました。
過去の演劇形式の公演は見たことがなかったため、初めての舞台に期待を最大に膨らませていきましたが、結果、その期待を遥かに遥かに上回る公演内容でした。

ざっくりした感想+ストーリーに沿った考察もどきで書いていきます。
文体的に断定口調で書いていますが、あくまで個人的な妄想の域ですのでご容赦ください。


前提までに、過去のネスワンマンの履歴を掲載しておきます。

▼2021年『SIN』

▼2022年『ザ・ワン』

▼2023年『NESS SPECIAL LIVE LIGHTNESS/DARKNESS』

2024年『NESS SPECIAL LIVE “NESS LAND”SHOWTIME/SHOW'S OVER 』

2024年ネスワンマンの拙レポ

▼『SIN』『ザ・ワン』配信を見ての雑感

【全体としての感想】

※以下はXに投稿した観劇直後の感想の(ほぼ)再録

■全てのネスワンマンを包括した「うそつき」

まず、びっくりした〜!!!!
過去2回の単独公演、過去2回のダンスワンマンの全てを包括する大作品が出てくるとは。

これまでのネスワンマン、テーマはわりと共通というか、通奏低音が同じというか、「虚構と現実」「本物と偽物」みたいな点が共通している。

『SIN』では罪と罰、虚構と現実。
『ザ・ワン』では虚構と現実、本物と偽物。
『LIGHTNESS/DARKNESS』では明暗、裏表、ON/OFF。
『NESS LAND』では本物と偽物、ON/OFF。

ネスくんの根源的な関心事をずっっっと角度を変えながら掘り続けている感じ。ずっと細部の彫刻を見せられていたけど、今回やっと全体像が見えた。

『SIN』と『ザ・ワン』の配信再録大盤振る舞いも、『うそつき』を見たら納得というか、あまりにも文脈として前提になっているので「え!?三部作だったってコト!?!?」まで思った。違うけど、でも切り離せない3作。いやもう構造と文脈大好きオタクからしたらこのハイコンテクストさは最高すぎて脳汁ドバドバ。
『SIN』の脚本売ってくれ!!って現地からもポストしたけど、美雨サイドの情報が抜けてるので受け取りきれていない気がするのだけがめっちゃ悔しい。 ザ・ワンも脚本欲しい。今回のうそつきの特典最高。特にネスくんの書き込み入りの方(まだしっかり読んでないけど)たまらなく良い。

伏線自体は分かりやすく張られていたのでストーリーも理解しやすかったし、何よりネスくんの演技力の目覚しい向上で登場人物めちゃくちゃ理解しやすかった!全然劇団員レベルに見えた。
聞き取りやすい声量、声の演じ分け、マイムやダンスの上手さは元より。あと美雨の演技が『SIN』の時より格段に上手くなっていて大好きでした。銀髪ショートボブの美雨が見えたもんね。
全てにおいて今回は「リフレイン」が効いていた。続編と言うより、転調しながら同じフレーズを展開し続けるような。

■パラレルワールド/マルチバースもの

転調して展開しリフレインする、と書いたけどそれはパラレルワールドのようでもある。(ネスらしき)ダンサーを含む我々の知る登場人物が、我々の知る特徴とはちょっと違う姿で、ちょっと違う世界に、ちょっと違うあり方で生きている。
我々は我々の知る彼らのバイアスを最初からかけて見ることになる。そこに少しのズレがある。「あれ?」と思う。似ているところを探してしまう。似ているところを見つけて嬉しくなってしまう。
芝居といいダンスといい、そういうこちらの心理を巧みに操ってくる脚本だったなあと思う。ハイコンテクスト! 過去作と絶対見比べてみたくなるように作られている。フォニイなんかもう二窓で比較して見たいもんね。

一個ツッコミたかったんだけどペンライト。
一部ではペンラに視線なんか落としてる場合じゃなく何色に光ってるかも見てなかったので二部で初めて気がついた。自分で点灯する余裕なかったから自動制御は助かったけれども。ペンラ、もっと意味出てくるかと深読みしかけてたけど別にただの束縛グッズだった。
「ペンラ振って楽しんでねといいながら身動きできないほど圧倒するダンスをブチカマしてくるの勘弁してください」と思いながら見てた。

■『SIN』と『ザ・ワン』の虚構と現実

『SIN』も『ザ・ワン』も共通していたのは「AIによる虚構の世界の物語を見せられた後、作中の現実世界を突きつけられる、観劇している現実の我々」という入れ子の構造です。 どこに、誰に感情移入するのか?を立体的に展開されて、演劇体験自体がVRっぽい。

人が感動するには共感性が必要で、それには没入感が必要となる。 限られた時間内で「うそ」をつき、人の心を動かす、世の中のエンタメフィクション作品はそのように「うまれつき」作られている。
「限られた時間内で」と書いたけど、今回は『SIN』と『ザ・ワン』を引用したことで、最長3-4年、少なくともここ数ヶ月間の配信期間の時間もコンテクストとして繋ぎ込むことに成功していて、そこにリフレインするような表現やダンスが来るのがにくい。それにしても130分間、一部の隙も無駄もない脚本だった。

我々は『SIN』と『ザ・ワン』の設定を知っている。なので「あ、これも虚構では?」という、以前につかれた嘘も引き摺っている。最後凄惨な事件が起きることで、「じゃあこれってまた美雨とザ・ワンの記憶を覗くPJ法エンタメショー?」「まだ『ザ・ワン』の世界で博士が仕組んだA/Bテストに参加してる?」とかミスリードされそうになる。

メタにメタが重なり、今自分がどのレイヤー、どのバースにいるのかが曖昧になる。これが「没入感」につながる。 過去の公演を通じてネスくんとかっぺさんが構築してきた虚構の迷路に、観客は取り込まれる。これはテーマを一貫してきたからできたことだと思う。

■オムニバスが集約して終幕で大団円に

美雨とザ・ワン、投資詐欺の男、幕間の映像で出てくる「あの世界線でのネスくんらしきダンサー(最後死ぬ)」は別々に話が展開する。しかし、因果律は収束し最後の幕で全員が合流し、大団円(血まみれ)を迎えることになる。別々の物語の登場人物が全員集合するこのアベンジャーズ的展開、オタクが大好きなやつ。

我ながら勘の良さと運の良さに震えるんですけど、一ヶ月前に見に行ったコントライブが奇しくもネスワンマンと全く同じ構成(オムニバスでコントが展開→合間に映像でもストーリーが展開→ラストで各話の登場人物が合流し大団円)(こちらも未遂だが無敵の人がナイフ振り回す)でした。
その甲斐あって現地でも理解しやすかった。

▼該当のコントライブレポはこちら

このコントライブも最高だったんですが、とにかくうそつきは「全ての登場人物をネスくんがひとりで演じきった」ことが凄まじい。
少しも混乱することなく、わかりやすく、キャラクターとストーリーについていけたの演技力の賜物。素晴らしすぎた。

ついでにもうひとつ想起した作品、最後の教会乱闘シーン好き。教会での最高の暴力シーンとしてキングスマンを思い出しながら見てた。 血まみれの花束でKVの伏線回収するの気持ちよかった。


【ストーリーに沿った考察】

登場人物

名前の無い登場人物が多いので、便宜上の呼称と簡単な解釈を先に書きます。

「うそ」
主人公かつ、狂言回し、道化、トリックスター。「嘘」の擬人化。オープニングで観客に問いを投げ掛ける。終幕では結婚式場のスタッフ(「男」の先輩)として登場し、そのままエンドロールにも登場する。「……な〜んちゃって」が口癖。

「美雨」
『SIN』で登場したキャラクター。銀髪ショートボブの美女。今作ではデートクラブで働く傍ら、狙った男からのプロポーズそして結婚に漕ぎ着ける。それとは別に「本業」もしている。

(ゆうくん)
美雨にタゲられた稼ぎの良い男。真面目で頑固で融通が聞かない。ハリーウィンストンの婚約指輪を美雨に贈る。
(田沼)
デートクラブでの美雨の客で常連の太客。海外転勤の前日にロングコースを希望しそのまんま羽田に行こうとする猛者。美雨の架空の妹のお見舞いに50万円を渡す。
(ボンボン)
名前だけ登場。美雨の「本業」の方の常連らしい。断るとしつこいがチップが多い。『SIN』の「ボンボン」を彷彿。

「ダンサー」
終幕で新郎に代わり、ザ・ワンに刺されるダンサー。思い悩んでいるような独白を映像に残している。「ネス」らしき特徴が垣間見えるが、違う人物として描かれている。
ダンスパートを踊っているのは彼?

「男」
投資詐欺を働こうとしていた天涯孤独の男。自分の中にいる天使と悪魔とおっさんの間で揺れ動く。終幕では結婚式場で働いている。

(天使)
「男」の中にいる天使。正義感が強く、投資詐欺を阻止しようとする。
(悪魔)
「男」の中にいる悪魔。利己的で、投資詐欺を成功させようとする。
(おっさん)
「男」の中にいる、正論ばかり言う何者か。天使と悪魔はこのおっさんに黙らされていなくなってしまう。「男」に「フロントマンになるのはどちらか?」と問う。

「ザ・ワン」
うだつの上がらないサラリーマン。色々上手くいかず、逃げ回ったり、へこへこ謝ったりばかりしている。偶然、美雨に優しくされたことで美雨に執着するようになり、終幕で事件を起こす。

(博士)
「ザ・ワン」がマントを装着すると聞こえる声。優しく彼を肯定し鼓舞する。しかし、実はザ・ワン自身の声。


<オープニング>

まずは狂言回しの男が登場し喋り出す。この時点で彼の正体は判然としません。
最初はネスかと思いきや、「アハ!な~んちゃって!」でどうもおかしいと気が付く。彼は物語の枠外にからするりと、幕を開けるために出て来たのでしょう。
ラストに正体が明かされる彼は、「うそ」そのもの。
所謂「メタ」キャラクターであり、シェイクスピアで言うところの道化。トリックスターとも言える役割を果たしています。
しかし脚本上では、実は彼は「主人公」ということも終幕で明らかになります。
繰り返しますが彼は「うそ」そのもの。姿がなかったとしても、今回のすべての幕に彼は登場していると言えます。

■冒頭で提示される二つの思考実験

①ペットボトルを万引きしたと勘違いして指摘される「無知」による「誤った正義」
これはザ・ワンの結末にかかる嘘(真と偽、正義と悪)に対応しています。
「道徳的無知と責任」というワードで調べると関連した研究の論文もたくさん出てきます。「顕在的態度」「潜在的態度」というワードも併せて興味深いのでぜひ。

・知らなかったこと(=無知)に基づいて他人を非難した場合、それは“嘘”なるか?責任は生じるか?
・「道徳的無知」は免責されるのか?(=知らなかったなら許される?)
・善意であっても、他人の名誉・権利・自由を脅かした責任はどうなるのか?

自分の正義に従い(真)、しかしそれが間違っていた時(偽)、それは「うそ」である、という話。
その時に彼を責められるのは、裁けるのは果たして誰なのか?
このコンビニ万引き疑惑の場合では、嘘を嘘と見抜けるのは、真偽を定義するのは「言われた本人」と「見ていた人(証人)」だけ。
「うそつき」公演においては、この場にいるネスと、我々だけです。

②フラれた女の子への「慰めの嘘」
こちらは美雨と男にかかる嘘(欺瞞、騙し)に対応するかと思います。
モラルとしての「ホワイトライ(白い嘘。相手を傷つけないための優しい嘘を指す英語表現)」と「功利主義(最大多数の最大幸福を追求する。トロッコ問題などの思考実験も有名)」のジレンマが描かれます。

功利主義的視点:
最大多数の最大幸福を考えるなら、嘘で他人を喜ばせるのもあり得る。
・嘘が「優しさ」になることはあるか?
・幸せと真実、どちらの価値が高い?
・自分に対しても他人に対しても、幸福のために「騙す」ことは「悪」なのか?

何が正しくて何が間違いなのかを決めるのは「誰」か?
自分で自分を騙している時、その裁きを行うのは非常に難しくなる。
このあたりが美雨や男の内面の葛藤、プライド、生き方の表現を思わせます。

■冒頭で提示される二つの問いかけ

①嘘の本質・定義とは何か?
②今回の公演に存在する「たったひとつの本当のこと(真実)」とは何か?

壮大な問いが冒頭に与えられて幕開け。
個人的にはこれ、明確な答えのない問いであり、「考え続けろ」というメッセージになっていると思います。
なぜなら、誰しも生きる上では「うそ」が必要であり、彼とはうまく付き合わねばなりません。
『SIN』の頃から「公演が終わったあとに考えて欲しい、観終わった後に何か持ち帰って欲しい」という願いを持っていたネスくんの気持ちが直に反映された問いが「たった一つの真実を探せ」という観客への指示になっています。
この公演のことを、自分のことを考え続けろ、という重い爪痕を残してくるのがネスくんらしい……(主観です)

<第一幕 夜韻>

■フィルム・ノワールの世界から飛び出したファム・ファタール

『SIN』で登場したキャラクター、美雨が再登場。
厳密には同一人物ではなく、先に書いたようにパラレルワールドやマルチバース的な世界線での存在と言えますが、外見的にも内面的にも我々の知る美雨らしさを備えています。
銀髪ショートの美女。嘘が上手く、強かで、色仕掛けが得意。ハニートラップと言えば女スパイですが、今回はまさにスパイ映画の演出が入ってきてBGMに笑いました(配信に乗らなくてもあの選曲をしたかっぺさんがあまりにも天晴)。
『SIN』の世界観ではダークでシリアスな設定を負っていた彼女は、今作ではコント仕立てにより、かなり身近なキャラクターになっています。

実は私、『SIN』の美雨はそんなに好きじゃなかったんですよね。
刺さらないというか、キャラクター性的にちょっと感情移入しづらかった。
でも今回うそつき見て美雨が大好きになってしまった。まさに、ファム・ファタールに心を奪われてしまった。
コント風で親しみやすいキャラクターになったからというのは大きいけど、ノワール的な世界から少しズレて、我々に身近な世界線に来た美雨は変わらず可愛くて、強かで、泥を啜り、幸福を求めて生にしがみつき、もがいていた。二兎追うものは……だけどちゃんと二兎捕らえて見せる手腕。

女の自分が見ているから余計にそうなのかもしれないけど、美雨の口調(というかネスくんの女装時の口調)のカマっぽいクセ(過剰な女言葉)が絶妙に現代の女の子っぽくない。
それがまた「バーチャル」の女の子っぽい。29歳男性の中に銀髪ショートボブの美少女の姿を見た経験、すごかった。

ネスくんの女装が好きだの女児だの姫だの普段から散々言ってるけど、厳密に言うとネスくんの中の女性性が好きなんです。
もちろん彼はれっきとした男性だけど、ジェンダーは割り切れるものでもないので誰でも「男性性」「女性性」と言われるような特徴を身体の性と別に様々な割合で持ってると思う。
ネスくんの中にある「自分の好きなかわいいものへの解像度」とか「好きな女の子/憧れる女性」みたいな部分には所謂女性的な感性が多分に含まれていて、それがすごく素敵だなと思います。これに限らずだけど、そういうネスくんならではの感受性をずっと自分自身で守って来たという事実が堪らない。
そういうネスくんだからこそ、今回のアニマルとフォニイは唯一無二の天下一品でした。
一部のアニマル踊り始めのとき、伏し目で下唇を噛んだのを見て、完全に舌を巻きました。ため息が出た。かなわない。
振り付けではない、仕草の部分でこんなことまでされては到底かなわない。

とまあ、オタクなので猛烈に田沼に共感していました。
私の中での一つの解はこちら。

■『SIN』のメッセージ「人を裁く時あなたは罪を犯していないと言えますか?」

美雨の持つ『SIN』の文脈としては、上記の問いがあります。
美雨はたくさんの嘘をつき、仮面をかぶり(ウィッグもかぶり)、男たちを騙しては金をせしめています。
でも、その嘘で誰かが不幸になっているか?というと必ずしもそうではない。
騙されている側の男たちは満足しています。そう、プロの商売女として、ビジネスとして「騙しきる」ことができれば、顧客満足度は下がらない。大なり小なり、ビジネスとは、サービス業とはそういうものですよね。

ちなみに美雨の「本業」ですが、「チップがある」「シャワー浴びたい」などの情報から何となく性的なものを連想させるものの、ハッキリさせないところも好きです。何を描くかも大事だけど、「何を描かないか」も同じくらい重要なので。
この美雨の生き方に対して、道徳的に口出しをすることができるかと言われれば、少なくとも私はできない。それこそ欺瞞だと感じてしまうからです。大概の人は、社会人として仕事をしていれば愛想笑いを浮かべ、お金をもらうために下手に出ることがあるでしょう。
それがエンタメの世界で、舞台の上であればなおさら。

■美雨の「本当の願い」とは?幸せとは何か?

美雨は一幕の最後、「使えるものは何でも使って幸せになってやる」「誰も本当の私のことなんか知らなくていい」「私は他人が望む私のままでいい、それで幸せだ」と言い聞かせるように独白します。
「幸せになってやる」と言いながら「幸せだ」と言う。状態として矛盾している。
明らかに、美雨の「本当の願い」はそこにはないのではないかと思わされます。
ラストにかかる「フォニイ」、『SIN』でも素晴らしかったですが美雨のキャラクターにやはりバチバチにハマっている。

この世で造花より綺麗な花はないわ
何故ならば全ては嘘で出来ている
(中略)
簡単なことも解らないわ
あたしってなんだっけ

♪ツミキ「フォニイ」

嘘をつき続け、自分をもだまし続けた結果、心の底にある「本当の願い」を見失ってしまった。または、気付いているのに押し込めている。そういう魂の叫びが「フォニイ」のパフォーマンスから伝わります。
ただ、今作の美雨の好きなところは、そこに悲壮感がないところです。どうあっても幸せになってやるというガッツの方が強すぎて、なんか大丈夫そう。生き延びそう。

■「いまたすけますね」と言われて

これは第三幕でのザ・ワンが美雨たちを襲った時のセリフですが、厳密には恐らく直接美雨に語り掛けたというより、独り言ちてから犯行に及んだのだと思います。

このザ・ワンの行動は明らかにストーカー的な思い込みで道を誤っているのですが、美雨が「嘘ではなく、何の利益も顧みずに優しくした=真の姿で接した」ことにより生まれたダークヒーローであると捉えることもできると思いました。
美雨に肩入れしすぎなんですけど、美雨の本当の幸せに彼女自身が気付いていない、そのことは不幸とも呼べるかもしれない。
ザ・ワンは思い込みで犯行に及びましたが、結果論的にその不幸から美雨を救い出すことになったかもしれない。
やや皮肉で複雑な因果関係が描かれていると感じました。

<イントロダクション①>

■彼は誰?

突然暗転して幕間にドキュメント的な映像が流れる演出。前述のとおり同様の演出をつい最近見ていたのでなるほど続きそうだなと思って観ました。
白シャツ、白壁の前で、カメラを前に独白する彼は名乗りません。
しかし、明かされる情報から少しずつ「ネスに似た、ネスではないダンサー」であることがわかってきます。
「兄がいる」「サッカー部」「写真が趣味」など、わざとボタンを掛け違えるように、「設定」だけが我々の知る現実のネスとは少しずつ違っている。
しかし、それ以外の「心境」についてはネスと別人とは言い切れないほど、実際のネスにも近そうなことが語られます。

イントロダクション①では「そんな自分を少しずつでも理解してもらえたら嬉しい」と、控えめに、ちょっと照れくさそうに、でもポジティブに告げる彼。ファンを少しほっこりさせるに留まりますが、続きは②で。

<第二幕 他人>

■天使と悪魔

お年寄りに投資詐欺を仕掛けようとする男。
脳内では良心ともいうべき天使と、利己を司る悪魔が現れて盛んに揉めます。ここの芝居の落語的な面白さ、演じ分けが素晴らしかった。

犯罪行為に手を染めようとする瀬戸際、「人生の岐路」に立つと本当に天使と悪魔が現れるんだ……と愕然とする男の脳内に第三者のおっさんが突如現れ、天使と悪魔が囁く「善悪」を超えた「正論」をいきなり説いてきます。
このおっさんは「良いこと」「悪いこと」の軸では話しません。

■「おっさん」の正体とは?

色々な解釈があると思いますが、私はこのおっさんは彼の中に眠っている「合理性」の権化かな、と思いました。
善と悪は、道徳や倫理観のもとに判断されるものです。これは合理的かどうかの判断からは外れます。善行や悪行が客観的に見て合理的とは限りません。
一方で、「合理性」とは「目的の達成のために最適な手段を選ぶ」という観念です。そこに善悪の判断は含まれません。目的、つまり「自分の幸福」のために効率が良ければ、悪い行動も平然と選びとる可能性があるということです。また、目的まで最短ルートを取るので、道義的な葛藤や感情は邪魔になります。

「合理的」というのは一見理知的で正しいことのように見える、ただしそれが本当に道義的に正しいのか?
実は単なる悪意よりも、よほど利己的に行動する動機となりうるのではないか?
この答え合わせが終幕に出てきます。

<イントロダクション②>

■剥がれ落ちる仮面

先ほどと同じ構図で動画が続きます。今度は重々しい独白で、希望に満ちていたと思われた彼の現実と、その落差による絶望が語られます。

「誰かが見てくれていると信じたい。でもその期待に応えられない自分が怖い」

期待が重荷になる。何のために苦しんでいるのか、わからない。
感情を表に出すのが下手だから、その悩みを人に打ち明けることもできない。
このあたりから、(多分気のせいじゃないと思いますが)客席に若干重苦しい空気が漂いましたw
「RAB」とは名前を出さず、「グループに誘われた」とぼかした言い方をしていますが、活動内容としては、このダンサーはネスとかなり似通っています。
どこからどこまでがネスなのか、役なのか、この脚本はどこからどこまでが真なのか、嘘なのか。我々は疑心暗鬼になりながらも劇は続いていきます。

<第三幕 偽物>

■彼は「ザ・ワン」なのか?

昼間はうだつの上がらないメガネのサラリーマン。一生懸命働きながらも、どうも上手くいかず、周囲にへこへこ謝ってすごし、おどおどして、上手く話せない。善人ではあろうに、哀れを誘う情けない姿。敢えてネットミームで呼ぶなら「弱者男性」といった風情のキャラ造形です。
見ていてどうも「かわいそう」と思ってしまう。

『SIN』の和臣のことも思い出します。彼は「かわいそう」と言われたくない、という一心で「自分は死人だから」と自分を騙し騙し生き、美雨に欺かれてしまう。『SIN』は「かわいそうな人達の物語」でありながら、「かわいそうなんかじゃない、皆それぞれ懸命に自分の人生を生きている」というアンチテーゼがありました。

僕自身がこの世界に込めたテーマは、出てくる人たちがみんな可愛そうな人たちにしたかったというのはあります。
愛されているのに気づけない人、愛し方がわからない人、巻き込まれて生きる道が絶たれた人。でもその裏返しとして、僕も、貴方も、みんな可愛そうなんかじゃない。ちゃんと、生きているというのは伝えたかった部分です。

加東岳史「ネス単独公演「SIN」作品解説など(ネタバレあり)」

一見哀れな彼はしかし、5時の鐘と共に人目を忍んでヒーローマントを身に着けると、さながらスパイダーマンのように街へと繰り出し悪を成敗します。(この辺りの暴力に身を投じるところも和臣の要素を感じる)

彼の特徴は我々の知っている『ザ・ワン』のザ・ワンには似ても似つきません。外見も声も喋り方も性格も違う。
でも、美雨の例があったことと、博士の声がすることで、ミスリードされます。これはあのザ・ワンと関係があるのか?また仮想世界なのか?とか、現地で見ている最中は色々と考えを巡らせられました。

それも、この幕では『ザ・ワン』の設定を活かしたかのような演出がなされ、「同じような一日を繰り返す」から。
3回、同じような日を繰り返す中で、彼は少しずつ変わります。
相手に謝るとき、1回目ではヘラヘラしながら手を首の方にやっていたクセ(大体それによって余計に怒られる)が、2回目では自覚的にやめようとし始め、3回目では完全にやめています。それどころか、電車でもオフィスでも道端でも、対抗策を用意して、降りかかる災難から逃れようとします(が、結局スマートには逃れられない)。
彼は彼なりに、試行錯誤を重ねて、よりよい日にしようと努力しているのです。学習していないわけではない。

彼は我々の知る『ザ・ワン』のザ・ワンではない、というのが私の考えですが、じゃあ今回のザ・ワンはどこから来たのでしょうか?
そんなに手がかりはありませんが、ヒントとしては「ヒーローのおもちゃ」と書かれたダンボールからマントを取り出す、という点かなと思います。
「ヒーロー」という漠然とした概念からネスくんとかっぺさんが「世界でただ一人の男、ザ・ワン」というフレーズにたどり着いたように、彼も妄想の中で選択を繰り返して辿り着いた可能性は無いとは言えない。
「ザ・ワン」が最後に「粉吹き芋」を選びとったかのように。

■エコーチェンバーが生む悲劇

「僕はばかではないです」

博士に対し、絞り出すように伝えるこの言葉。
拙い言葉遣いには幼さが滲み、より哀れを誘います。うう~んネスくん可愛い(混線してしまいました、失礼しました)
逸れますが、脚本で彼のセリフがひらがなに開かれていて、舌っ足らずで幼い感じが表現されているのが好きです。

「ばかではない、ちゃんとしらべた」という彼。
しかし、結局博士に問いかけます。
「正義とは何か」「悪とは何か」、自分で考えるのではなく、自分に耳心地の良い博士の言葉を鵜吞みにします。
これ、何かに似ているなあと思いましたが、エコーチェンバー現象ですね。
陰謀論や選挙で話題になるあれです。SNSをやっている人は誰も無縁ではない。

エコーチェンバー現象あるいはエコーチェンバーとは、自分と似た意見や思想を持った人々の集まる空間(電子掲示板やSNSなど)内でコミュニケーションが繰り返され、自分の意見や思想が肯定されることによって、それらが世の中一般においても正しく、間違いないものであると信じ込んでしまう現象

Wikipedia「エコーチェンバー現象」

徐々に博士との対話は様子はおかしくなっていきます。
声だけで演技しているかっぺさんの演技力が凄い。壊れたAIのようにゆっくり喋ったり、大きく喋ったり、冷たく優しい言葉を吐いたり。最初は我々も「あ!博士だ!」と親しみを覚えていたのに、どんどん怖くなる(『ザ・ワン』ラストの演出を思い起こす)。
どうも博士は彼に都合の良いことばかりを言うと思ったら、途中から声が切り替わり、全て彼の独り言、脳内の妄想会話であったことが示されます。
タネ明かしで急激に不穏になる。鳥肌ポイントでした。

最近は選挙でも話題になりましたが、SNSやYoutube、検索エンジンに至るまでネット上のあらゆる場所ではアルゴリズムが働き、その人の行動起因で制御されたコンテンツが表示されます。自然、親しみやすい情報に囲まれてしまい、考え方が凝り固まってしまう。
AIも台頭しています。chatGPTに悩み相談したり、友達や恋人になりきってもらい、そこに依存する人までいるそうなので、「完全な独り言」でないにしてもこういう現象はどんどんと身近な問題になっていくのかもしれません。
10年後には感想が変わっていそうで、時事っぽいテーマはこういう所も面白い。

■明らかに暴力を奮っても誰も彼を見ない理由

博士との会話は妄想だったわけですが、ではどこからどこまでが現実だったんでしょうか。
街中で人をボコボコにしたりしているのに「誰も自分を見ない」なんてことはあり得ません。「周囲の人やインターネットでおかしな人(変質者)と言われている」ことは事実だとすると、暴行しているかどうかはともかく、現実でも相当な奇行に及んでいることは間違いありません。
彼は自分でも調べて、そのように人から見られていることは自覚しており、「なぜ喜んでくれないのか」と思っている。認知の歪みがヤバイというやつです。

おそらく彼は、「彼自身の望むように見られたい」のです。
冴えない日々、評価されない自分。満たされないプライドから、だんだんと自意識が自身の本来の姿と乖離し、みんなに評価され慕われる「ザ・ワン」という人格を生み出してしまった。「世界でたった一人の男」「世界を救うヒーロー」。
誰かの唯一無二となりたい、多くの人に慕われたい。多かれ少なかれ誰もが持ちうる普遍的な願望。でも自分の実像と離れた厨二病的な理想像に浸っていられるのはせいぜい学生の間くらいまでとされるのが社会通念というものです。
もちろん、彼の勝手に作り出した設定に世界は従いません。白い目で見られるだけ。でも、たった一人、たまたま手を差し伸べてくれた人がいた。
美雨は本当にたまたま声をかけただけでしょう。なんとも思っていなくてすぐ忘れてしまったかもしれません。自己中心的な彼女の本質に優しさがある、とさりげなく示されるのもグッとくる(まだ美雨贔屓)。
とにかく、ザ・ワンは徹底的に孤独な人として描かれていますしかしそういう状況に置かれた人は実際に社会にいます。
孤独さで言えば、天涯孤独で闇バイト堕ちしている投資詐欺の男に比べたらザ・ワンはまだマシそうな環境にも見えるワケですが、「世界をどう捉えるか」はその人次第。

孤独な状況下で、人がどれほど蜘蛛の糸のような希望に縋ってしまうのか。
その悲しさ恐ろしさを思わせながら、ドラマチックに第三幕は幕を閉じます。

<イントロダクション③>

■崩れ落ちる虚飾

あの、仕事を休んで心療内科に今すぐ行こう。と言いたくなるほど、追い詰められた独白が続きます。なんてこった。

「時には、全部を壊してしまいたい衝動に駆られることもあります」
(中略)
「この後のステージも、ちゃんとやります。次のイベントも、やります。」

「全部壊したい」と言った後の「ちゃんとやります」。これが一番心にキました。その我慢は身体によくないやつ。
何より、「この後のステージも~」のセリフはネスと役との境界線があいまいになってドキリとします。

■何のために撮ったのか

そもそもこのビデオ、何のために撮影されたのでしょうか。
「誰にも見せることのないこの瞬間だけは」と言っているので、誰かに見せる目的ではないようです。
しかし、自分の独白用に撮影して終わりかと思えば、「偽りのない絶望を、静かに共有させてください」とある。共有するつもりはあるわけです。

じゃあ、どこで公開するつもりだったのでしょうか?
シンプルに考えると遺書っぽい。
能動的に誰かに見せるつもりはないが、誰かに見つかって欲しい、誰かに見つけて欲しい、知って欲しい。死んだ後でもいいから。そういう受動的な欲求も感じられる気がします。
本当に死にたいと思っていたかはわかりません。ギリギリの淵で捻り出したこのメッセージこそ、「生きたい」という最後のSOSにも聞こえるように思いました。

<終幕 祝典>

■怒涛の伏線回収と答え合わせ

ラスト、舞台は結婚式場に移ります。一般的には幸福の象徴と思われるような場所ですが、式場スタッフの男(脚本では急に主人公と役が振られている)は、新郎新婦も、参列者も、ここにいる全員が本当に「幸せ」などとは思っていない、建前だけがある場所だと居心地よさげに皮肉って見せます。

新郎はゆうくん、新婦は美雨、主人公の後輩である式場スタッフは投資詐欺の男。登場人物が集結します。ザ・ワンはここで登場しませんが、会話の中で第三幕の後に美雨の元カレを本当に刺したことが明かされます。
これにより時系列としては第三幕→第一幕・第二幕であったらしいことがわかります。

新婦の美雨とは昔馴染みらしい主人公。「アンタといると楽」「また前みたいに好きに生きられるようになったらまたアンタと遊びたい」と言われる主人公こそ、冒頭に登場した「うそ」そのもの。
美雨にとっては、本音を受け入れるより嘘と付き合う方が心理的負担が少ないということがここで明かされます。
美雨は「アンタには薄暗い場所が似合う」と言いますが、嘘、虚飾、建前、欺瞞、そういうものに溢れた結婚式場は、うそには居心地が良いらしい。
美雨自身は結婚式場、結婚を明るい場所と信じているようですが、実際吐き捨てる言葉はそれと相反している。それどころか、戸籍を買っているということは呼んでいる親族等も本物ではない可能性が高い。嘘に塗れています。

ちなみに、単純に台本の読み解きで言えば、個人的にはたった一つの「本当のこと」は後輩のセリフかなあと思ってます。私はこれが一番思い当たるので……。

「世の中ってそういうものなんじゃないんですかね、みんな何かしら嘘つきながら生きてるんですよ。」
「でもその中には本当に幸せを願う気持ちも少しは混じっていて、もう自分自身も本音なのか、嘘なのかわからないまま毎日を過ごしている」

いよいよ式が始まる時になり、場面は急変。
美雨の救済を諦めていなかったザ・ワン(捕まってなかったんか!?)が乱入し、余興として呼ばれていた若手人気ダンサー(イントロダクションのダンサー)を刺し、手あたり次第大暴れし、純白だったはずの結婚式場は真っ赤な血に染まる。
「うそ」は再び冒頭のように物語の枠外に一歩出て、殺されたダンサーについて「なんで彼はこうなってしまったんですかね?」と我々に問いかけます。

宿命論あるいは運命論とは、世の中の出来事はすべて、あらかじめそうなるように定められていて、人間の努力ではそれを変更できない、とする考え方。

Wikipedia「宿命論」

「うそ」である主人公は、「人間は決められたレールの上を歩いているだけ」と運命論的なことを宣い、殺されたダンサーは「運が悪かっただけ」と言いますが、「……なんちゃって」と付け加え、暗にそれを否定します。
翻って「人生は選択によって変えられる」という意味だとしたら、我々観客にこの公演を見た後の行動を問いかけるものになっていると思います。

■各登場人物に「オチ」はない

さて、登場人物が大集結する終幕ですが、それぞれ明確なオチが描かれるというよりは、「その後どうなったのか」を想像にゆだねる終わり方になっています。

・美雨:
ザ・ワンの乱入後、ブーケを放り出して誰よりも先に逃げ出し、行方は不明。欺瞞に溢れた結婚から逃れられたのであれば、より幸せな道が見つかるかもしれない。
・ザ・ワン:
惨劇を引き起こし、恐らく悲劇的な最後になりそう。だが、「美雨を助ける」という目的が達成されたと思えたのであれば幸せかもしれない。
・男:
「うそ」に御祝儀金の盗みを唆され、盗む判断をする(善悪より合理性がフロントに立ったよう)が、逃げ切れれば幸せかもしれない。
・ダンサー:
思いがけず殺されてしまったが、尽きることのない絶望から解放されて幸せかもしれない。

……おや?
こうやって考えてみると意外と本当にハッピーエンドハートフルラブコメディだったのかもしれない。
「何が幸せか」「何が本音か」を定めるのは、誰、なのでしょうか。
結局のところ、自分の人生を定めるのは「世界をどう受け取るか」であり、「自分自身の選択」によるものだ、というメッセージに捉えられもします。

■「うまれつき」の「うそ」

阿鼻叫喚の中、「この瞬間だけは、誰も嘘をついていない」ということに大笑いし、踊り狂う「うそ」。
嘘に溢れた結婚式場は心地よく、それがぶち壊されて「本当」だけになった空間も彼にとっては面白おかしいらしい。上位存在っぽいナニカだ。
後輩スタッフである男に正体を明かした主人公は、名乗りの際も「な~んちゃって!」と笑います。

何回聞いても覚えられない主人公の名前:うまれつきのうそ。うそつき。

「この瞬間だけは誰も嘘をついていない」ということを把握できるということは、彼自身は人々の本音と嘘を見抜けるのかもしれません。「うそ」そのもの故に。
嘘は望むと望まざるとにかかわらず、すべての人の中に棲み、ともに生き、死ぬ瞬間まで笑いながら我々を見ている。
我々は「うまれつき」彼にずっと、見られている。

<エンドロール>

■一番の嘘つきと一番の正直者

幕が下り、開幕と同様、二階のステージに現れる「うそ」。

「嘘とは、本音とは何か?」
「一番のうそつきは、一番の正直者は誰か?」
「この物語にたった一つだけあった、本当のこととは何か?」

彼は問いかけるだけ問いかけて、答えは教えてくれません。
嘘と本音、うそつきと正直者、これらはこの物語を踏まえれば、表裏一体で分かつことが難しいこと、そして当人以外に(あるいは当人にとっても)判断することが難しいこと、さらに善悪や真偽の境界線は本来ひどく曖昧で、裁くことが難しいのだということ。

この物語にあった「たった一つの本当のこと」は、観る人によって変わる。
それこそが、正体を捉えられない「うそ」の存在が、ただ一つの真実。
そう言えるのかもしれないなと思いました。

<ネス>

この先、脚本には載っていない展開が舞台にはありました。
脚本(フィクション:嘘)に載っていない、つまり本当、だと思わされる演出です。公演を終えたネスが舞台上でスタッフと会話する。素のような仕草とセリフ。
しかし、一人になった彼が鏡(客席側)に向かい、メイクを落とすと、めりめりと音がして化けの皮が剥がれ落ちる。

「……な~んちゃって。」

白雪姫よろしく、「鏡」は真の姿を映す道具です。
『SIN』ラストの鏡の演出を反転させ、客席側を鏡に見立てる。我々は鏡の中からネスを見ている。
「我々観客こそがネスを映し出す鏡」という投げ方をされます。つまり、虚像の「ネス」を作り上げていくのはこれからの我々の反応次第であるということと受け取りました。
公演全てにかかる、ラストのセリフが嘘を表す「な~んちゃって」と「化けの花」のダンスで締めくくられます。

「見ないで 理解できないでしょう?」
「どんなに醜く映る化粧」
「いなくなれ いなくなれ いなくなれ そばにいて」

♪なきそ「化けの花」

理解などされたくないと思いながら、誰よりも理解されたい。醜い姿を見られたくない。いなくなれと念じながら、ひとりは嫌だ。

ひねくれているが素直で、完璧主義だが繊細で、独りよがりに見えて寂しがり。
私という鏡には「ネス」はそう映っています。

ちなみにここは一部と二部で少し違いがありました。
二部ではメイクを落とし、化けの皮を剝いだ後、えずく演技があります。
そして化けの花を踊った後、「二枚舌」の舌を落とす、というもの。おそらく前方席からしかよく見えなかった演出ですが、悲鳴に近いざわめきが上がりました。うーん、良い仕掛け……。
最速配信ではあまり映っていないですが、本アーカイブで追加されるといいな。暗かったけども。


【個別要素】

■KVの話

KVでは白黒赤の3衣装が公開されていましたが、実際はほぼ、赤の衣装でした。
それぞれの色のイメージ、連想するワードを羅列してみます。

白:潔白、白日の元に晒す、自白、白状、告白、独白、白紙に戻す、白痴、ホワイトライ(優しい嘘)
黒:腹黒、黒幕、黒い噂、黒歴史、黒子、ブラックライ(悪意の嘘)
赤:真っ赤な嘘、赤裸々、赤の他人、赤っ恥、赤信号、赤を入れる、朱に交われば赤くなる

こうして見ると、やはり赤には「嘘(や恥)」のイメージが強いですね。
じゃあ、白と黒は誰やったんや……となりますが、私は他のキャラクターとかではなく全部同じ「うそ」の違う顔だと解釈しています。↑のイメージのように、「色々な嘘」があるから。この公演において、優しく白い嘘も、悪どい黒い嘘も、すべて「うそ」の一面であり、その受け取り方を決めるのは「うそ」本人ではなく、我々なのだということ。

■事前告知スペースの話

ちょっと追記。今回、単独公演にあたりネスくんは何度かXでスペースを開催してくれました。

①『うそつき』公式ハッシュタグ決め
②同時視聴会案内
③設置パネルとツーショ特典の撮影方法決め

という感じで、かなりインタラクティブというか、ファンとの交流に重きを置いてるなという感じでした。
特に①と③は「皆さんと一緒に決めたい」というトピックスを持ってきて、Xのアンケート機能でその場で決めるというもの。参加感がありファンは楽しいし、実際意見を聞くことに意味はあるんだろうなと思ってたものの、『うそつき』のラストを終えてみると深読みしてしまいます。
「うそ」のセリフより翻って「人生は選択の連続である」、とするならば、あの日アンケートで様々に選択を迫られた我々の答えが、既に今回の『うそつき』公演には反映されていることになる。お、重い。
でもこの作り方自体が、ラストの「『ネス』の像を結ぶのは観客の反応次第」と提示されたのを伏線として先んじて実行していたことになっていて痺れました。

■舞台・演出の話

今回、キネマ倶楽部での公演でしたが、雰囲気めちゃくちゃぴったりだなと思いました。
いい意味で古く、ゴテゴテと飾られていて、虚飾感が凄い。
生々しさと薄暗さがあり、新ピカの舞台では出せなかった味をあの空間では感じられたと思います。二階のステージの使い方も(開幕と閉幕)立体的で、オーバーに演劇じみていて、その「うそくささ」がマッチしていた。
一部は一階着座最前列、二部は二階立ち見最後列で見たのですが、どこで見ても観やすく良い劇場でした。

舞台のセッティングについても。

(当記事のヘッダーに設定した)舞台上のセット

意味深でしたね。引っ越しか?という段ボールの山。積まれた箱には中身を表すようなことが殴り書きされています。
「オニイチャン」「ボクノヘヤ」「大事なもの」「ファンレター」「ヒーローのオモチャ」「部活で使うもの」「タクちゃん」などなど……。
イントロダクションで登場するダンサーのもの?と思われるようなキーワードがありますが、第三幕では「ヒーローのオモチャ」の箱からマントを取り出していたり、ちょっとメタい。本名の「タクちゃん」があるのもメタい。

これは心象風景というか、ダンサーの心の中を具現化しているのかなと思いましたが、言葉遣いの幼さ的にいつかの記憶なのか、それとも深層の精神年齢なのか……とかいろいろ考えさせられます。

■選曲・ダンスの話

もうこれは言語化しても仕方ないというか、失礼の域かと思っているのですが、本当に選曲が凄い。そしてネスくんの選曲からかっぺさんが作り上げた脚本が凄い。

知っている曲(主にA-POP)が、舞台の文脈を持って生まれ変わる快感。
そしてズバ抜けたタットダンス。

これを体験できるのは世界広しと言えどもネス単独公演だけだと思います。至高の二次創作。

「俺意外不可能」を実行し作り上げていく稀有なダンサーであり、クリエイターであるネスくんの才能に毎年ひれ伏している。
というかダンスの質をとっても、個人的に見た中では過去一だったと思っています。特に一部は最前かぶりつきで観れたので目に焼き付いていますが、すさまじいクオリティだった。
演技もダンスも、脂が乗り過ぎている。毎年過去最高を叩き出して圧倒してくれる推し、感謝です。

一応、曲ごとに各幕に上手いこと引っかかっているなあと刺さった歌詞だけピックアップしておきます。

【M1】仮想協奏曲:「本物から嘘までまとめて大集合」
【M2】アニマル:「剥がれ落ちたメイク すっぴんのアニマル 醜くてもやっちゃうのよ」
【M3】フォニイ:「この世で造花より綺麗な花はないわ 何故ならば全ては嘘で出来ている」
【M4】doppelgänger:「俺お前の痛みの権化 俺お前の怒りの権化 汚らわしい魂の権化」
【M5】次回予告:「痺れるまでループした日々をはみ出して性懲りもなく足掻く 予想を 期待を 裏切ってしまえ 次回予告の僕を」
【M6】燭:「そうか喜べ皆 災厄となり試そう」
【M7】化けの花:「いなくなれ いなくなれ いなくなれ そばにいて」

こうして見直すと、曲の冒頭の歌詞が圧倒的にハマっているケースが多い。演技からシームレスにダンスに移るとき、第一声(冒頭の歌詞)が物凄く重要だと思ったんですが、これが本当に見事で、脚本の一部として歌詞が成立していた。
「曲になる」をモットーにしていることを公言しているネスの真骨頂というか、曲への解像度をこんな作品群にまで昇華できる愛情とリスペクトの深さにただただ打ちのめされます。


【まとめ・好きなところ】

■社会構造の要素

今回、特に好きだと思ったのはこれまでになく背景に現実社会の構造を思わせる描写があったことです。これは単純に私の好みでもあるのですが、社会派と言わないまでも風刺のような要素があり、登場人物が生きる世界が自分たちと地続きに感じられたことがまず刺さりました。
第一部の冒頭で「大本営」という言葉を耳にした時点で、ああ今回は全く毛色が違うなと理解しました。

SINもザ・ワンも、現代日本っぽい舞台ではありましたが、具体的に我々と共通する歴史認識などは登場せず、結局フィクション(SINみたいに銃撃戦が当たり前なわけないし、ザ・ワンのように世界は滅んでない)で、しかもAIによる仮想世界だったというオチが共通していました。つまり、あくまでファンタジーの域を出ませんでした。

今回のうそつきは、過去公演の物語を包括して舞台にすることで、我々の世界に直接下ろしてくる効果があったと思います。だからこそ、より深く感情移入できた。
特にラストのギミックはその意図を強く感じました。

登場人物たちが「なぜこうなったのか」を考えるにあたり、それぞれ社会的なテーマが思い浮かびます。人には皆それぞれ歴史があり、事情がある。それはその人ひとりで完結するものではなく、必ず周りの環境や状況に影響されています。
意思があったとしても、どこまでが本人に起因する行動なのか?を明らかにするのは、難しいことです。

  • 美雨。女性性を売りにして経済的に強かに生きているがどこか満たされない。

  • 男。天涯孤独の身の上だが福祉に上手く繋がれず闇バイトに絡め取られてしまう。

  • ザ・ワン。必死に働いているが誰にも見てもらえず、他人と上手く繋がれない。

  • ダンサー。夢を追いかけ、期待されつつ華々しく活動するも、光が強く当たるにつれ影を深くしていく。

いずれも、「他人との繋がり方」に問題を抱えている。
インターネット普及以降、今やSNSで誰でも気軽に簡単に繋がれる時代になったのに、孤独は募るばかり。そんな捻れによって大なり小なり悩みを抱えている人は、かなり多いのではないでしょうか。というか、そういった歪みによって実際に事件が起きたりしているのでこれは社会問題と言っていいテーマだと思います。

人間は他人との繋がりなしに生きていけません。
それこそが「うまれつき」の性質です。ヒトの赤ん坊は世話無しに生き延びられない形で生まれてきます。我々の誰も、他者との関わりが存在の前提にあります。

そうやって人と関わりながら生きていく。人間は「人の間」と書きます。人間が人間であるために、その「間」を生じさせるには少なくとももう一人、必ず誰かが必要です。

他人は写し鏡であるとも言います。
人は他の誰かと互いに写し合いながら、影響を与え合いながらその輪郭を作っていく。そこには必ず、良くも悪くも「うそ」がある。事象そのものに対し良いか悪いかを裁き決めるのは、それぞれの人間です。

いつも鏡で見ている自認の姿と、他人が撮影した写真で自分を見た時、その差に驚いたことはありませんか?
「人は見たいように見る」、自分の姿もそうです。外見も、内面も。そうなってくると、自分の本当の姿など誰にも分からない。というか、自我はあれども「本当の姿」など存在しないのではないか?と思う時があります。
自分の有り様を定義するのは、自分か、他人か。

SINからうそつきまで連綿と連なるメッセージとして「世界をどう受け取るか、決めるのは自分次第である」というものも感じます。
これは場合によっては残酷かもしれない、けれど私個人としてはSIN、ザ・ワン、うそつき、どれも非常に人間賛歌的でポジティブな脚本であると受け止めています。
とはいえこれも、(ネスくんに)そうであって欲しいという私の願望が反映された見方であるとも思います。

『SIN』と繋がる部分として、『うそつき』は社会的弱者にスポット当てているところが好きです。
パパ活、闇バイト、ストーカー、全部現実にある問題だけど、これらは個人個人の問題というより現行の社会構造の問題。
ネスくんが介護福祉士の国家資格を持っているところも好きですが、わざわざ煌びやかな舞台の上でこれらのテーマを出してくるところが本当に好き。ここはかっぺさんの采配だと思われるけれども。
貧困、怪我、病気、障害、孤独など、本人が望まずに陥ってしまう苦難を周囲はどう見るか?今の日本はどう見ているか?というのも考えさせられます。

■おまけ①:一切は空である

仏教思想が割と好きなんですが、特に般若心経の「一切は空である(色即是空 空即是色/五蘊皆空)」というフレーズが単独公演三部作においては思い起こされました。 説明するとクソ長くなるので気になる方は調べてくださいという感じですが、簡単に書いておきます(個人的な読解です)。

この世の事象は全て実体はなく、移ろいゆくものであり、そこに意味を見出すことこそ人間の執着である。
事象から肉体で受け取ること、精神で考えること、それそのものに意味などはなく、いずれは全て移ろいゆくのだから、執着を手放すことで苦から解放される。

……みたいな感じです。

「執着を手放しちゃえば悟りに至って極楽へGO!輪廻から離脱!」ってな訳ですが、悟った先には苦しみがない代わりに、身を震わすような喜びもありません。喜びもまた執着から生まれる色だから。
エンタメは、誰かを楽しませる・楽しいことを作るお仕事ですが、楽しいを作るには作る側は楽しいだけでは絶対にできません。苦しみの上に、楽しみが成り立ちます。いい歳したオタクなので、それは骨身に染みて理解しています。

受け取る側としては、それを理解した上で、それを忘れるほどに無我夢中にさせて欲しい。
そしてそれをずっと叶えてくれているのが、ネスくんです。
深く深くエンタメを実践し続けているネスくんが演じるからこそ響く、「うそつき」だったと思っています。かっぺさんの脚本の素晴らしさ。

ファンを楽しませることに全力なネスくんがやはり最高に好きです。
その努力に敬意と感謝を込めて。

■おまけ②:想起した作品メモ

個人的な参考資料メモ。随時追加するやも。

▼今敏「パーフェクトブルー」
第三幕。

▼沖田遊戯・阪元裕吾「大都怪」
全体構成。

▼YOASOBI「アイドル」
第一幕。全体のテーマ。(敢えてネス監督構成のRAB動画貼っときます)

▼グリム童話「白雪姫」
閉幕後。ラストのギミック。

▼イキウメ「関数ドミノ」
全体のテーマ、第三幕。

▼チェーホフ「ワーニャ(アンドリュー・スコット演)」
一人芝居の演じ分け。

▼宇佐美なつ
公演全体。セルフプロデュースステージのダンサーとして今年も周年公演を見ておいてよかった。推しのストリップダンサーさんです。

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