マイク・タイソンが
1 TVショーに出演した際、MCとの間で次のようなやり取り(エピソード)があったらしい。
MC:「日本の合気道という武術では、相手に手を掴まれても、こうやって・・・「合気上げ」のモーションをする・・・相手を浮かして投げる事が出来るらしい。どう、凄いでしょう?」
タイソン:「相手を殴るのに、なぜわざわざその手を掴む必要があるんだ?」
MC:「全くだ!HAHAHA!!」
YOUTUBEで探して見たら、この逸話の元ネタになったと思われる次のような動画が出て来た。
エピソード内で語られているタイソンのセリフと、動画内のそれとの間にはかなりニュアンスの違いがあるのだが、エピソード内のセリフは、現代のスポーツ的な身体感覚と昔(明治期以前)の日本における武術的なそれが全くの別物であったという事実を・・・エピソード作成者はその点に無自覚だったろうが・・・明確に浮き彫りにしていると思う。
2 古流・合気道系の武術には、「合気上げ」という技法がある。
相手(受け)に手の甲や手首を持たせ、捕りはそのコネクションを利用して、相手の身体(神経系)を操作し、相手の身体を浮き崩すというモノだ(やり方は間違っているが、上の動画を見ればイメージは伝わるだろう)。
古流・合気道を稽古した経験の無い人から、これを「フェイクだ」と非難する声は絶えないが、「合気上げ」そのものは実在する。
ただし、MMA(総合格闘技)やボクシングの例を見るまでもなく、目の前の相手を殴るのに、わざわざその手を掴む人は誰もいないだろう。
したがって、相手に手を捕られる事が発動条件になる「合気上げ」は、現代格闘技において実戦性の全くない「旦那芸」と化してしまった感は否めない。
エピソード内のタイソンの(モノとされる)発言は、その意味で的を得ている。
だからと言って合気道全体が「フェイク」であり、それを稽古する価値がないと決めつけるのは早計である。
なぜなら、現代格闘技の根底にある身体感覚と、古流・合気道系のそれは全く別物だからだ。
受けが捕りの手を掴むのは・・・捕りが帯刀している事を前提に・・・、捕りに刀を抜かせない(=要するに、斬られない)ためである。
「合気上げ」という技法が「フェイク」かどうか?を問う前に、まずなぜ「合気上げ」という技法が開発されたのかを理解するためには、現代の身体感を離れて、江戸時代以前の武士が帯刀するのが当たり前だった時代に想像力を働かせなくてはならない。
3 相対する両当事者の一方が帯刀している状況を想定すれば、一方が他方を倒そうとする場合、彼の攻撃手段としては、「殴る」よりも「斬る」方が合理的であり、行動の優先順位もそうなるだろう。
だから、他方が一方の攻撃から身を護ろうと考えるならば、まずは一方に抜刀させない事が大事になる。
もしタイソンが江戸時代にタイムスリップして、刀を持った相手と対峙する事があれば、彼もきっと相手を「殴る」前に、まずその腰に下がっている刀にどう対処すべきか?を考えるハズだ。
そして、他方が一方の手を押える事に成功して、そこから初めて〔刀を抜けなくなった〕一方は「合気上げ」を始めとする徒手の柔術技を使う必要が出てくるのだ。
このように、古流・合気道の技は、自分が剣を使えなくなった状態における相手の攻撃に対処する必要性から生み出されたものである。
ところが、現代ではそもそも街中で刀を下げて歩く人を見ることがない(そんな人がいれば、銃刀法違反で即逮捕されてしまう)。
また、私の習った流派は一刀流の剣術をベースにしている(らしい)ので、「一刀流の稽古もせよ」と言われていたが、近くにそれを教授している道場が無く、剣の稽古はやりたくても出来ないのが現実だった(代わりに、居合をやっている人はいたが・・・)。
4 以上を要するに、本来剣術と古流・合気道系の柔術は不即不離の関係にあった。
ところが、明治維新以降の廃刀令によって街中から刀が消え、それ以前に日本人が持っていたと思われる身体感覚は(学校体育課目に代表される)西洋のスポーツ的なそれによって上書きされてしまった結果、剣術は廃れ、古流・合気道系の柔術だけが残ってしまったのである。
古流・合気道系の武術は、そうした日本人の失われた身体感覚を保存しているのだが、先にも述べたように、現代では実戦性を失ってしまっている(下の記事で、詳細に論じている)。
では、古流・合気道系の武術を稽古する今日的な意味が全くないのか?と問われれば、「そんな事はない」と私は考えている。
「現代では失われてしまった身体感覚を呼び覚ます」という作業は、それ自体知的好奇心を大いに刺激するので楽しい・・・こればかりは実際に体感して見ないと分からない・・・のだが、その習得に際して男女差や年齢がほとんど影響しないから、「いくつになっても、誰でも出来る」という点において、現代のスポーツ格闘技と比べて圧倒的に優れている。
さらに、殺意を持った相手が銃を持っている状況においては、古流・合気道もスポーツ格闘技も身を護る上ではどちらも大して役に立たないだろう。
そう考えると、最高の「セルフディフェンス」術とは、最初から「危ない場所には近づかない」事であり、次点で「危なくなったら逃げる」という心構えだろう。
自分がいざ「セルフディフェンス」状況に巻き込まれた場合、スポーツ格闘技をやって、なまじ腕に覚えがある人より、自分の稽古している武術が実戦性を欠いている事を自覚している人の方が、「逃げる」という最適解を選択できる可能性は高いと思う。
古流・合気道に保存された「日本人の失われた身体感覚」がこの先復権する事は考えにくいが、今の西洋スポーツ的なそれも、AIが社会を規定する近未来には異なったモノになっているかもしれない。
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