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大森海苔之道 (Omori Seaweed Road) Part5 工場の進出と港湾開発による環境の変化 - 海苔業界の陰り (大森東・糀谷) #20


不穏な気配が近寄る - 工業業界の進出

【京浜運河計画と伝統との対決】

1927年
東京湾岸の
大規模開発の一環として、
総事業費8,000万円
総延長22.6km、
拡幅600~700m、
水深9mの汽船航路を開削し、
開削した土砂により
630万坪埋立地を造成し、
一大臨海工業地帯の開発
計画されました。

しかし、
国の事業としての予算
通らなかったため、
浅野氏率いる
京浜運河会社」によって
民間事業として
進められることとなりました。

当時の計画書
出典 三井住友トラスト不動産 大森・蒲田

【業者たちの抵抗 - 戦争が救った海苔養殖】

伝統ある漁師町羽田町や、
海苔養殖で栄えた大森町は、
こうした計画に対して
激しく反発し、
漁業補償の交渉は
難航しました。

さらに、
東京側での着工が遅れる中、
軍事体制への移行とともに
事業は公共事業へと転換され、
1937年 (昭和12年) より
埋立て運河建設
着手されましたが、
最終的には【太平洋戦争】下
労働力不足
資材統制の影響もあり、
1943年 (昭和18年) 
工事は打ち切られる結果となりました。


【空襲による海苔養殖の一筋の光】

1945年 (昭和20年) 4月15日
蒲田・大森地区を襲った大空襲により、
主にJR京浜東北線の
東側にあった工場群
壊滅的なダメージを受け、
通常の操業ができず、
日用品の生産
限定される状況となりました。

その結果、
工場排水大幅に減少し、
海苔養殖は
一時的息を吹き返す兆しが
見られました。


【海苔養殖を確立したドゥルー女史】

イギリスのマンチェスター大学教授で、
海苔の生態を解明した著名な藻類学者。
「ドゥルー女史」と呼ばれた
彼女の研究成果は、
親交のあった
九州大学瀬川宗吉教授を通じ
熊本県水産試験場に伝えられ、
同試験場の研究により、
1953年 (昭和28年) 
海苔の人工採苗初めて成功し、
現在の海苔養殖技術が確立されました。

彼女は、
日本の海苔養殖技術の発展を知ることなく
1957年 (昭和32年) 
56歳の若さで亡くなりました

1963年 (昭和38年)
有明海を一望できる
住吉公園 (熊本県宇土市) に、
彼女の功績を永遠に称えるために、
記念碑が建立されました。


【戦後の工業化と伝統の衰退】

しかし、朝鮮戦争
 (1950年 (昭和25年) 6月25日~
  1953年 (昭和28年) 7月27日) 
の勃発に伴い、
朝鮮特需が発生すると、
国内の工場は迅速に操業を再開し、
大量の排水を放出するようになりました。

これにより、
一時的に回復した海苔養殖も、
再び水質悪化の影響を受け、
持続可能な生産環境が
著しく損なわれる
結果となったのです。

その後、
1950年代以降
近代化の波が急速に押し寄せ、
港湾開発や高度成長期に入り、
大小の工場次々と進出する中で、
これに伴う工場排水
水質を悪化させ、
長年にわたり
堅実な基盤となっていた伝統産業
深刻な打撃を与えました。


【終焉の一因となった重油流出事故】

特に、
1954年 (昭和29年) 3月5日に発生した
東京瓦斯電気工業大森工場
(現在の大森ふるさとの森公園あたり)
重油流出事件は、
地域に取り返しのつかない
深い傷跡を刻み、
この産業の崩壊を
象徴する大事件となりました。

【重油流出事件の被害】
約26,000棚が全滅
1世帯当たり10万円
合計1,000万円の補償金が
支払われました。


【とりあえずの法制定からの
 300年に渡る歴史の幕引き】

その後、1958年 (昭和33年) 
(旧) 水質二法が制定され、
問題解決に動き出したものの、
各問題水域への規制は
十分に徹底されなかったため、
1959年 (昭和34年) 10月
『東京都内湾漁業対策審議会 条例』
公布されました。

都知事はこの条例を基に、
内湾での漁業対策および
その他事業との調整について
審議会に諮問し、
「漁業に取って代わる事業のために
 漁場を放棄させる」
という答申を受ける流れとなりました。

そして、
1962年 (昭和37年) 12月25日
漁協は
この方針に基づく補償調印を実施し、
翌年1963年 (昭和38年) 春
最後の収穫が行われることで、
約300年続いた
海苔養殖業の栄光の幕は、
静かに、
しかし確実に下ろされたのです。


出典
 1.三井住友トラスト不動産 大森・蒲田
 2.Wikipedia キャスリーン・メアリー・ドリュー=ベーカー
 3.海苔のあゆみ
 4.聞き書き 最後の海苔漁師たち
 5.大森漁業史
 6.働いてきた女性たち おおた女性史をつくる会
ヘッダー写真
 戦後 海苔網の漁場 (大森 海苔のふるさと館 提供)
 戦後 海苔網の海苔とり (東京都島しょ農林水産総合センター所蔵) 
 戦後 海苔洗い 大森 海苔のふるさと館 提供
 昭和38年1月1日 海苔乾し (大森 海苔のふるさと館 提供)

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