住居表示事業 (大田区) #274
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この法律が必要だった理由
住居表示法(第119号)
戦後の高度経済成長期に
都市部で人口が急増し、
新しい建物が次々と建ったことで、
古い地番(地番表示)では
「○○番地の○」といった表記が
非常に複雑になった。
昭和30年代大田区の状況
4桁の地番が多く、
町名・飛び地・欠番のある
地域が多くあった。
それは119町名53町という
複雑な構成に加え、
飛び地や欠番が多発した。
このため郵便物・電報の不着や誤配、
訪ねる場所が見つからないなど、
社会生活に大きな支障が出ていた。
特に警察・消防・救急といった
人命に直結する場面では、
到着の遅れが
重大な結果を招きかねない
状況であった。
大田区の住居表示事業
そこで大田区は、
「市街地の区境及び
当該地域における
住居表示の方法について」
の議案を提出し、
「大田区全域を市街地に指定し、
住居表示の方法は街区方式による」
ことが決議され、
1962年 (昭和37年) 5月10日
公布・施行された。
区はこの決定により、
本格的な住居表示事業に着手した。
「大田区住居表示に関する条例」
1963年 (昭和38年) 12月5日
(条例第36号)が制定されました。
これにより、
区長が町区域の画定や
住居番号の変更を告示し、
具体的な住居表示の
実施を行う体制が整いました。
1964年 (昭和39年) 9月1日
この頃には、
旧来の複雑な町名や
地番体系を整理し、
町名の統合・再編・丁目制の導入、
街区方式による
住居番号の付与が
本格的に進められた。
これにより、
旧町名から
現在の「〇〇丁目」といった形式へと
住所体系が整えられ、
大田区全域で
住居表示事業が段階的に
実施されていった。
「当用漢字不登録問題」
"糀"谷町 (現・西糀谷・北糀谷) では、
この問題によって
解決までに時間を要した。
大田区の事業完了
この住居表示事業が
完了したのは、
1970年 (昭和45年) 12月
のことであった。
事業完了の証として
街区表示板が
設置されるようになったと
筆者は考えます。

「街区表示板」
英語表記が加わったのは
最近のことである
最後に
当時の大田区は
漁業権放棄の問題や
東京オリンピックもあり、
議員の方々は
寝る暇もないほど
多忙な時間を
過ごされたと思います。
Otapediaは
ご尽力された
大田区区議会議員の方々他を
「大田区無名の組織・集団」
住居表示事業を
「大田区未顕彰の地域遺産」
として登録します。
大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す
営みです。
彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡を
未来へと伝えていきます。
これらの呼称は
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。

出典
1.『住居表示法』(昭和37年法律第119号)
2.『六郷今昔小誌』
ヘッダー
3. IEDEPA(松屋地所グループ)
「住居表示板イメージを参考に独自作成」
町名・地番は「例」として作成
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