田園調布地区の地番整理に伴う住居整理事業開始【6月1日 今日は何の日】(田園調布特別出張所) #345
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本文内で
田園調布地区の
「第一期」地番整理事業
としたのは、
住居表示法制定後に
再度住居整理事業が
行われたためである。
なお、
「第一期」の頃には、
住居表示法が
制定されていなかったため、
住居整理事業という名称は
存在していなかった。
1960年 (昭和35年) 6月1日
住居表示法に先駆けて
大田区では、
田園調布地区の
第一期地番整理事業を開始。
羽田地区でも
同時に行われた。
田園調布地区「第一期」地番整理事業
1932年 (昭和7年) 10月1日
大森區誕生時の
田園調布一丁目~四丁目から
一丁目~七丁目に整理された。

撮影:Otapedia
住居表示法(第119号)
1962年 (昭和37年) 5月10日に
住居表示法が
制定された。
町名地番整理が表彰される
1962年 (昭和37年) 6月9日
大田区内で、
住居表示法に先駆けて行われた
田園調布地区・羽田地区は、
自治大臣から表彰される。
「住居表示に関する条例」の制定
大田区は、
1963年 (昭和38年) 12月5日
「大田区住居表示に関する条例」
(条例第36号)を制定。
大田区内の町名・地番の整理
1964年 (昭和39年) 9月1日には
旧来の複雑な町名や
飛び地番などを整理し、
町名の統合・再編・丁目制の導入、
街区方式による
住居番号の付与が
本格的に進められた。
これは、
消防や救急など
緊急時の対応を円滑にする
目的もあった。
この整理により、
旧町名や
〇〇〇〇(4桁数字)番地など、
旧来の住所表示は、
現在の「〇〇丁目〇番地」といった
形式へと整理され、
大田区全域で
住居表示事業が
実施されていった。

旧徳富蘇峰邸の表札
1924年~1943年までこの地で暮らし
多くの書籍を執筆した
撮影:Otapedia
1970年 第二期田園調布住居整理事業実施
田園調布一丁目~七丁目が
一丁目~五丁目へ、
その他
田園調布本町や田園調布南が誕生し、
現在に至る。
住居整理事業の完了
中には、
当用漢字問題で
整理に時間のかかった
糀谷地区などもあったが、
1970年 (昭和45年) 10月1日
大田区内の
住居表示事業は完了した。
住居整理事業によって
旧来から呼ばれてきた
旧町名は消滅した。
2026年現在でも
住居整理以前の表札を掲げるお宅も
数は少ないが存在する。
「大森區」
「廿五」
「右書き」など、
かつての住所制度や
旧町名を今に伝える
それらの表札は、
単なる住所表示ではなく、
大田区の歴史遺産ともいえる存在である。
その様子は、
地域のアイデンティティを
感じさせる。

「廿」が効いている
撮影:Otapedia
最後に
Otapediaは、
消滅した旧町名と
当時の表札を
「大田区無名の風景」と
「大田区未顕彰の地域遺産」
として記録します。
大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは、
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。
彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡を
未来へと伝えていきます。
これらの呼称は
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。

出典
1. Wikipedia『住居表示に関する法律』
2. Wikipedia『田園調布』
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