永代橋はなぜ予算化されたのか②――安永〜文化期の橋銭と請負の時代 #82
江戸の橋は、無料ではなかった。
永代橋を渡るたびに、通行料として銭が徴収されていたのである。
本稿では『諸色調類集』第8巻に見える記述をもとに、安永から文化期にかけての三橋運営の実態――橋銭と請負の仕組みを確認する。
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1 橋は「通るたびに払う」施設だった
史料には次のように記されている。
右三橋共武家を除、往来人より壱人ニ付銭弐文ツヽ受取

ここから分かることは明確である。
一人につき二文の通行料
利用者から直接徴収
つまり永代橋は、
利用に応じて課金されるインフラだった。
2 運営主体は「請負人」
同じ箇所からもう一つ重要な点が読み取れる。
請負人共引受、懸替修復仕来

橋の維持・修理は、請負人が引き受けていた。
この構造は次の通りである。
橋の管理:請負人
修理費負担:請負人
収入:橋銭
つまり三橋は、幕府直営ではなく、
民間に委ねられた運営システムだった。
3 収益と補助のあいだ
さらに史料は続けてこう記す。
入用難引足節者、御下金被成下、追々返納取計候

収入だけでは足りない場合、
幕府が資金を貸し付ける
後に返納させる
という処理が行われていた。
ここに見えるのは、
完全な民営でもない
完全な公営でもない
中間的な財政構造である。
4 なぜ請負で成り立ったのか
この仕組みが成立した背景は単純である。
橋は交通の要であり、通行量が多い。
そのため通行料による収益が見込める。
しかし同時に、
洪水
老朽化
大規模修復
といったリスクも抱えている。
史料の中にある「入用難引足節者」という表現は、まさにその不安定さを示している。
5 制度転換の入口
請負と橋銭による運営は、一定期間は機能した。
しかし、
修理費の増大
収益の不安定
補助の常態化
によって、次第に限界を迎える。
そのとき登場するのが、十組問屋による冥加金である。
まとめ
安永から文化期にかけて、永代橋は
橋銭を徴収し
請負人が運営し
不足分を幕府が補う
という構造で維持されていた。
これは、収益型インフラでありながら、公的補助を前提とした仕組みでもあった。
次回は、この構造に商業組織がどのように関与していくのか――十組問屋と冥加金の仕組みを見ていく。
参考資料
画像から読み解きをサポートしてくれるツール
「ふみのは」
例文が豊富です。典型的な言い回しに慣れるには良いと思います
最初の頃は不要ですが、解読に慣れてきたら辞書が必要です。まだ辞書の力をいかせていない気がします・・
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