◆第2回:五人組は何だったのか ─江戸の町は、なぜ“ひとりで裁判に行けない”のか 「慶安元年・1648年から享保4年・1719年まで」 〜シリーズ 歴史の授業で出てくる、徳川吉宗の相対済令ってなんだ〜 #86
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1.裁判に“ひとりで行けない社会”
江戸時代の裁判は、少し変わっている。
現代のように、当事者が単独で訴えるのではなく、周囲の人々が必ず関わる仕組みになっていた。
その中心にいたのが「五人組」である。
慶安元年(1648年)〜三代 家光の頃
まず、裁判に出ていい人が限られている。
前回と同様の文書ですが、
一 公事訴訟人有之候共証拠人五人組之外
見舞ニ壱人も罷出申間敷候、若相背候者
於有之者急度可申付候事
現代語訳
公事(裁判)や訴訟を行う者がいたとしても、
証人は五人組の者以外、見舞いとしてであっても一人も出向いてはならない。
もしこの規定に背く者がいた場合には、厳しく処罰する。

ざっくり言うとこうだ。
見物はダメ
関われるのは決まった人だけ
つまり裁判は、
「開かれた場」ではなく「限定された関係者の場」
だった。
2.五人組は“調停役”ではない
よく「五人組=助け合い組織」と説明されるが、少し違う。
実際の史料を見ると、もっと強い役割を持っている。
万治四年・1661年 〜4代 家綱の頃
前回の資料を再掲します
一 町中公事訴訟之者ニ差紙、名主
五人組方江遣之所江五人組斗罷出、
名主不罷出候間、向後差紙遣候ハヽ双方
名主五人組可罷出候
現代語訳:
町中で公事・訴訟を行う者に対して差紙(呼び出し状)を出し、
名主および五人組のもとへ送ったところ、五人組だけが出頭し、名主は出頭しなかった。今後は差紙を出す場合には、双方の名主および五人組がそろって出頭するようにせよ。

ここで起きているのはこういうことだ。
呼ばれたら必ず五人組も出る
名主とセット
当事者だけでは成立しない
つまり五人組は、
“外から助ける人”ではなく最初から裁判の中にいる人
になっている。
3.実は“裁判の前”にもいる
五人組の役割は裁判だけではない。
むしろ重要なのはこっち。
慶安元年(1648年) 〜三代 家光の頃
諸親類名主五人組月行持
立合早速町年寄三人之帳付可申事
現代語訳
親類一同、名主、五人組、そして月行事(その月の町内幹事)が全員立ち合い(同席し)、すぐに町年寄の3人のところへ行って、登録・報告の手続き(帳付)を執り行うこと

ここで扱っているのは裁判ではなく、相続や遺言だ。
つまり五人組は、
トラブルが起きた後ではなく
そもそも起きそうな場面にいる
ざっくり言うとこうなる:
「揉める前から見ている人たち」
4.本人だけではダメな世界
さらに面白いのはここ。
万治4年(1661年)〜4代 家綱の頃
借屋店かり候者之
出入ニ候ハヽ家主五人組可罷出候
現代語訳
借屋や店借(借家人)のトラブルである場合は、家主(大家)と五人組が出頭すること。

つまりこうなる:
本人だけではダメ
家主も出る
五人組も出る
つまり裁判はもう、
“個人の問題”ではない
5.五人組の正体(やさしく言うと)
ここまでをまとめると、五人組はこういう存在になる。
監視役でもあり
保証人でもあり
証人でもあり
町の責任者でもある
でも一番大事なのはこれ:
「ひとりで問題を起こせないようにする仕組み」
6.現代に置き換えると
無理に言うと、現代で近いのはこういう感じだ。
信用スコア
会社の人事評価
SNSの評判
取引履歴
つまり、
「人間関係の代わりに“見えない記録”が管理する社会」
7.まとめ
五人組は、助け合いの組織というより、
“社会がトラブルを事前に吸収する仕組み”
だった。
江戸の社会は、問題が起きてから裁くのではなく、
そもそも「問題が個人の形で成立しないようにしていた」。
これまでの記事のまとめはこちら
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