見出し画像

〈自律分散する国〉プロローグ|副首都は必要だ。だからこそ、この決め方でよいのか

2票差で決まった、この国の次のかたち

2026年7月24日、参議院。ひとつの法律が、賛成123・反対121という、わずか2票差で成立しました。「国家社会機能継続性確保施策及び副首都の整備に係る施策の推進に関する法律」――通称、副首都法です。

数字の緊張感もさることながら、私が驚いたのは採決の内訳でした。この法案に、公明党が反対に回っていたのです。長く自民党とともに与党を担ってきた、あの公明党が、です。

背景には、2025年秋に発足した高市内閣のもとでの政治地図の組み替えがあります。自民と維新が連立を組み、公明が外れました。副首都法は議員立法として提出され、その賛否は、政局の力学と分かちがたく結びついていました。

つまりこの法律は、国家の重心をどこに置くかという、数十年に一度の重い選択を扱いながら、政党配置の変化によって生まれた、わずか2票の多数で成立した、ということになります。私はここで、賛成か反対かという議論とは別のもっと手前のところで疑問を感じてしまいました。

これほど大きな国家構造の変更への入口を、この決め方で開いてよいのでしょうか。

これは、誰かを責めるための問いではありません。私自身、まだ答えを持っていません。だからこれから何回かの連載で、私の答えを説明するのではなく、一緒に考えていけたらと思っています。

先に断っておきたいこと

誤解のないように、最初に私の立場をはっきりさせておきます。私は、東京への一極集中はリスクが大きい、いや、大きすぎると考えています。

首都直下地震はいつ起きてもおかしくないと言われますが、その時、政治・行政・経済・情報の中枢が同時に麻痺します。人口だけでなく、政治・行政・経済・情報の中枢までがこれほど一つの都市圏に重なっている国は、世界的に見ても例外的です。国家として「もし東京が止まったら」への備え――いわゆる国家のBCP(事業継続計画)――を持っておくことは、とても真っ当な発想に思えます。冗長性を確保し、機能を分けておいて、一箇所が倒れても全体は倒れないようにする。その方向性に、私は賛成です。

ですからこれは、副首都構想そのものに反対するつもりはありません。むしろ逆で、「分散」という発想は正しいと思っています。正しいと思うからこそ、それが正しく設計されているのかを、きちんと確かめたいのです。

そもそも、副首都法とは何なのか

まず、法律の中身を確認してみましょう。ニュースで名前は聞くけれど中身はよく知らない、という方も多いと思うからです。

副首都法が想定しているのは、大きく二つの役割です。ひとつは、大規模な災害で東京圏の中枢機能が損なわれたとき、首都中枢機能の全部または大部分を、一時的に代替すること。もうひとつは、平時には、東京に次ぐ経済の中核として、国土を多極的に支えることです。その担い手は、特定の都市があらかじめ決まっているわけではありません。この法律のどこにも、大阪を含めて特定の地名は書かれていません。副首都は「道府県」の中から内閣総理大臣が指定する枠組みで、指定にはその道府県からの申出と、議会の議決が必要とされています。基本方針は閣議決定で定めるとされています。指定されれば国の“お墨付き”となり、税制の優遇や規制の緩和、インフラ投資や企業の本社移転を後押しする力になる――そう期待されています。ここまでは、私も理にかなった構想だと思います。

では、何が問題とされているのでしょうか。大きく三つあるように見えます。

ひとつは、実効性です。制度をつくり、旗を立てれば、本当に企業や人はそこへ動くのか。1990年代に真剣に議論された首都機能移転は結局は凍結され、中央省庁の本体移転として実現したのは2023年の文化庁の京都移転がほぼ唯一の例です。そのことを思うと、重心を動かすのは、掛け声だけでは難しいと考えざるをえません。

ふたつめは、お金と実施の仕組みです。この法律には、税制措置や規制緩和、拠点・インフラ整備など、施策の方向性は書かれています。けれども、何を、いつまでに、どの規模で移すのか、その費用を誰が負担し、誰がどの権限を持つのかという核心までは定められていません。単なる理念法ではありませんが、具体的な実施計画よりも、今後の政策形成の枠組みを定めるプログラム法に近い性格の法律です。

そして三つめが、今回いちばん議論を呼んだ点です。この法律の附則で、実はもう一つ別の法律――大都市地域における特別区の設置に関する法律――も改正されました。これによって、道府県の名称を変更する手続きなどが新しく設けられ、これが大阪都構想の再挑戦に道を開くものだと報じられました。過去に二度、大阪市民の住民投票で否決されてきた構想です。ここから、「災害への備えという大義のもとに、特定の地域の統治機構をめぐる話が同乗しているのではないか」という批判が出ました。私は、この批判が正しいと決めつけたいわけではありません。ただ、防災の器の中に、性質の違うものが一緒に入りうる――この構造こそ、あとで一緒に考えたい論点の入口なので、ここでは事実として指摘しておきたいと思います。

「東京70+大阪30」で足りるのか

さて、ここからが、いちばん考えてみたいところです。仮に、東京に集中していた機能の一部を、別の都市にうまく移せたとしましょう。東京100を、東京70+どこか30にする。それはたしかに前進ですし、倒れにくくはなります。

けれど、ここでも引っかかるのです。バックアップを一つ増やすことと、システム全体が強くなることは、同じなのでしょうか。

たとえば、発電所を一基から二基に増やしても、二基が同じ制御系、同じ電源、同じ判断基準に依存していれば、一つの原因で同時に止まることがあります。本当に強い仕組みとは、それぞれの部分がある程度の自律性を持ち、異なる情報に触れ、異なる条件で動き、一つの失敗が全体に波及しない構造です。

つまり、本当に強い冗長性とは、同じコピーを複数置くことではありません。同じ目的を担いながらも、異なる情報に触れ、異なる条件で動き、異なる判断ができる複数の主体を持つことです。

この見方を、私はある領域から借りています。生態系です。

レンズとしての生態系――ただし、証明ではない

私は若い頃に生態学の研究者だったこともあり、生態系のアナロジーで考える癖があります。生態系は数十億年にわたり、さまざまな変化や危機を乗り越えながら、その仕組みを変化させてきました。そのため、変化への対応やシステムの持続性を考えるうえで、参考になる仕組みが数多く含まれていると感じています。

なので、私はこの先、たびたび生態系を引き合いに出します。森や、細胞や、群れの振る舞いから、国家の姿を考えてみます。しかしだからと言って、私は、生態系の仕組みを社会にそのまま当てはめたいわけではありません。自然がそうなっているから社会もそうすべきだという論法は、危うさを持っています。社会ダーウィニズムが、格差や支配を「自然の摂理」として正当化した歴史をけっして忘れるべきではありません。

ここでの生態系は、証明ではなく、あくまでレンズです。答えではなく、問いの立て方を貸してくれるものです。最終的な政策判断は、公平さ、自由、民主的正統性、未来世代への責任といった、人間社会の価値に照らして行わなければなりません。

そして、そのレンズを通してみると、「東京70+大阪30」と「国家全体が自律分散する」ことの違いが、少しずつ見えてくる気がします。前者は、重心をいくらかずらす話です。後者は、一箇所で決めてそのまま全体に広げる、という国のかたちそのものを問い直す話です。同じ「分散」という言葉でも、指しているものはずいぶん違うのです。

大義の下に、何が載っていくのか

もう一つ、気にかかっていることがあります。

「副首都」は、強くて、聞こえのよい大義です。そして大義は、しばしば器として現れます。すなわち、防災のためのバックアップという話に、都市の再開発が載り、インフラ整備が載り、産業政策が載り、地方制度の改革が載っていく。一つひとつは、それぞれに理由のある政策でしょう。でも気づけば、国家のBCPと、地域の振興と、統治の仕組みそのものの改編とが、同じ「副首都」という言葉の下で溶け合って、境界が曖昧になっていきそうです。

そうなったとき、私たちは何に賛成し、何に反対しているのか、だんだん分からなくなってしまいます。防災には賛成だけれど、この開発には少し慎重でいたい――そうした区別が、大義の中に飲み込まれてしまう。具体的な実施内容の多くが今後の政策判断に委ねられているからこそ、後から中身が盛られていく余地は、かなり大きいのではないでしょうか。

そして、もう一度、あの2票差に戻ります。これほど多くのものを載せうる器を、私たちはいったい、いつ、十分に話し合えたのでしょうか。国会の審議で、地域での対話で、あるいは選挙の争点として、「国のかたちを分散型に変えていく」という問いを、正面から吟味した記憶が、正直なところ、私にはあまりありません。もし私が見落としているだけなら、それはそれでいいのです。けれど安全のためには、ここで一度、一緒に立ち止まってみたいと思います。

分散すべきなのは、首都だけなのか

副首都法のいちばんの功績は、もしかすると、副首都そのものではないのかもしれません。それは、「首都をどう分散するか」よりも、ずっと大きな問いを、私たちの目の前に置いてくれたことだと、私は思っています。

東京への集中が危ないから、機能を分散する。その理屈が正しいのだとしたら――では、権力の集中は危なくないのでしょうか。財源の集中は。情報の集中は。意思決定の集中は。本当に分散すべきなのは、首都だけなのでしょうか。

 

この連載では、これから数回にわたって、この問いを少しずつ掘り下げていきます。法律は、本当に国会で決まっているのか。行政は、どこまで決めてよいのか。必要な政策を全部やる国は、未来から何を借りているのか。民主主義は、なぜこんなに遠くなったのか。そして、情報技術が制約を変えた今、私たちは国のかたちを設計し直せるのか。

急がず、順番に考えていきたいと思います。まずは、あの2票差から。
よろしければ、しばらくお付き合いください。

次回予告
第1回「法律は、本当に国会で決まっているのか」
私たちは、国会で議論して法律を決めている、と思っています。でも、実際に物事が「決まる」のは、どの段階なのでしょう。副首都法が成立するまでの道のりを手がかりに、「決める場」と「承認する場」の境界を見つめ直してみたいと思います。

この連載は、読者の皆さまとの対話を通じて発展させていくことを意図しています。ご意見・ご感想を歓迎します。

初出:2026年8月2日
公益的な目的であれば、引用・転載・活用は歓迎します。その際は、出典として「最初のひとしずく」をご記載いただけますと幸いです。

いいなと思ったら応援しよう!