生活が苦しい人へ。どうすれば生活が楽になるのか その3:「100円の節約」のために「1時間の命」を捨てていないか
高市政権の発足後、一時的な円高局面はあったものの、為替は再び1ドル156円付近へと押し戻されている。物価上昇の勢いは止まる気配がない。
スーパーへ足を運ぶたび、その価格の跳ね上がりに驚きを隠せない。数年前と比較して、価格が倍近くになった食料品も少なくないはずだ。一方で、給与が倍になったという話は、一般庶民の間ではほとんど耳にしない。
この歪(いびつ)さは食料品に留まらない。自動車価格の高騰も顕著だ。かつて300万円台で手に入った車種が、今や600万円を超えることも珍しくない。軽自動車に需要が流れるのは必然と言えるだろう。その一方で、街中にはアルファードなどの高級車が溢れている。残価設定ローンの普及もあるだろうが、持てる者と持たざる者の格差が拡大している実感を禁じ得ない。このままでは、日本人の大部分が「新車を買えない」時代が来るだろう。日本の衰退は、もはや抽象的な概念ではなく、私たちの生活圏にまで侵食している。
「節約」という名の思考停止
格差が広がる中で、持たざる者が選ぶ手段は「節約」である。欲しいものを買うために、他の贅沢を我慢する。一見、殊勝な心がけに見えるが、ここで立ち止まって考えてほしい。
例えば、徒歩5分のスーパーで300円の卵が、車で15分の店なら200円で売っているとする。あなたならどちらへ行くか。
多くの人が100円の得を求めて車を出す。しかし、往復30分の時間とガソリン代を考慮すれば、その100円の差額は霧散する。目の前のチラシの数字に踊らされ、移動コストや「時間」というリソースを計算に入れない人は意外なほど多い。
「ラーメン半額」の列に1時間並ぶのも同様だ。節約できるのはせいぜい500円程度だろう。自分の時給を考えてみてほしい。単発のアルバイトをすれば1時間で1000円は稼げるはずだ。店先で1時間立ち尽くす労力と、1時間働く労力に、どれほどの差があるというのか。
ポイ活も同じだ。1ポイント1円のために必死にスマホを叩く一方で、道に落ちている1円玉には目もくれない人がいる。その作業に費やす時間と得られる報酬のバランスがあまりに悪すぎることに、なぜ気づかないのだろうか。
時間は取り戻せない唯一の資産
残酷な真実だが、節約をどれほど頑張っても、それだけで「金持ち」になることはできない。月の収入が30万円であれば、支出を削るだけではその枠を超えることは不可能だ。それどころか、節約を最優先にする思考は、あなたの「時間」と「移動費」を奪い、将来の可能性を狭めていく。
お金は失っても取り戻せる。しかし、過ぎ去った時間は、どんな大富豪であっても二度と買い戻すことはできない。人間にとって最も貴重な資源は、お金ではなく「時間」なのだ。
暇つぶしとしてのポイ活や、気分転換の買い物であれば否定はしない。しかし、「節約こそが美徳」という思考に囚われてしまうと、ビジネスでの成功や収入増への道は閉ざされる。
「守り」から「攻め」へ
今、私たちが注力すべきは「いかに削るか」ではなく「いかに稼ぐか」である。
その節約に費やしている時間を、収入を増やすための計画、あるいは勉強に充てるべきだ。日本は資本主義国家である。自ら稼ぐ力を高められない者は、相対的に貧しくなるしかない。国が私たちを最後まで守ってくれる保証など、どこにもないのだ。
収入を増やすことに意識を集中し、そのための努力を積み重ねる。それこそが、この衰退する日本で生活を楽にし、真の自由を手にする唯一の正攻法である。だから節約ではなく稼ぐ、攻めの努力を始めてほしい!
