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『プラダを着た悪魔2』は、出版業界の「終わりの始まり」を描いていた

フォレスト出版編集部の寺崎です。

先日、遅ればせながら話題の『プラダを着た悪魔2』観ました。
正直、ここまで自分の仕事に突き刺さる映画だとは思っていませんでした。

どうせ懐かしさで客を呼ぶ続編だろう、と油断していた。
しかし、そこで見たのはファッションでも恋愛でもなく、
沈みかけたメディアで働く人間たちの姿だった……。

※なるべくネタバレは避けます。

本作は数字を見れば文句なしのヒット作です。

5月1日に日米同時公開されるや、初日から満席の回が続出。公開からひと月あまりで国内興行収入は40億円を超え、動員は267万人を突破。前作の日本での最終的な興行収入は約17億円でしたから、それをわずか1ヶ月足らずで倍以上に突き抜けたことになります。

「働く女性のバイブル」の20年ぶりの続編は、間違いなく今年の洋画を代表するヒットになっています。


20年で「前提」がまるごと入れ替わっていた!

前作『プラダを着た悪魔』は2006年。

あの頃のファッション誌は、まだ眩しい存在でした。世界の流行はその1冊で決まり、編集長の一言が業界を動かす。

たとえば、1988年11月号の米「VOGUE」

新しく編集長に就いたばかりのある女性が、自身が手掛ける初めての表紙に、19歳のモデルが1万ドルのクリスチャン・ラクロワの宝石付きジャケットをまとい、その下にGUESSのストーンウォッシュデニムを合わせた1枚を起用。VOGUEの表紙にジーンズが載ったのは、これが史上初だったそうです(表紙画像は以下記事のリンク先にあり)。

あまりに型破りだったため、印刷所が「何かの間違いではないか?」と確認の電話をかけてきたなんていう伝説があるらしい。

ところが、この1枚がハイブランドと量販品を混ぜる新しい発想を世に広め、その後数十年のファッションの空気を決めてしまいました。1990年代(2000年代?)以降に花咲いたラグジュアリーとストリートの融合の原点がこの1枚の写真にあったわけですね。

編集長ひとりの判断が、業界の常識を書き換える。

ひと昔前の雑誌には、それだけの力があった。

前作が描いていたのは、その「業界の眩しさ」そのものでした。新人アンディが憧れと幻滅のあいだで揺れる物語が成立したのも、実在する「VOGUE」をモデルにした「ランウェイ」という雑誌が頂点に君臨していたからです。

ところが続編が始まって数分で、前提がまるごと入れ替わっていることに気づきます。

舞台になるのは、存続の危機に瀕したランウェイ編集部です。眩しかった業界は、20年のあいだに沈みかけています。映画はもう「華やかな世界に飛び込む話」ではありません。「沈みかけた世界で、それでも働く人たちの話」になっています。

この設定の変化は、そのままこの20年でメディアに起きたことの縮図でした。映画を観ながら、何度も自分の仕事のことを考えてしまいました。

「鬼編集長」を「経営者」として読み直す

前作のミランダは「完璧主義の鬼」として記憶されています。理不尽で、冷たく、部下を消耗品のように扱う。多くの人が、あのキャラクターをそう受け取りました。私も、そうでした。観ていて何度も「うわ、ひどっ」と多くの人が思ったことでしょう。

でも続編を観て気づいたのは、自分があの「鬼」を、「雑誌は安泰だ」という前提のうえで眺めていた、ということです。

考えてみてください。雑誌が右肩上がりで売れている時代なら、1冊くらい平凡な号があっても、上昇の勢いが飲み込んでくれます。編集長が細部に目をつぶっても、誰も困らない。だからこそ前作のミランダの完璧主義は、必要のないこだわり、つまり、ただの気まぐれな暴君に見えたのです。

ところが、媒体が沈みかけた世界では、話がまるごと変わります。

部数を伸ばして失敗を取り返すことが、もうできない。だとすれば、残された手は「1冊ごとの質を、絶対に落とさない」ことしかありません。妥協を許さない。土壇場で差し戻す。細部で人を詰める。生半可な企画にGOサインを出さない。前作なら横暴にしか見えなかったその振る舞いは、許容できる失敗の幅がゼロになった人間の、ぎりぎりの合理なのではないか、と。

つまり、ミランダの完璧主義は性格ではなく、沈む船の上で、何を捨て、何を残すかを一瞬で決め続ける、経営判断そのものだったのではないか。

雑誌の編集長は単なるコンテンツの番人ではなく、赤字すれすれの媒体を「それでも来月も出す」と覚悟を決める経営者でもあると思う。続編のミランダは、20年前には隠れていたその顔を、はっきりと見せていた気がします。

モデルになった現実の"悪魔"は、すでに椅子を降りてました。

さきほど、1988年のあの表紙でファッションの常識を書き換えた、新人編集長の話をしました。その人物こそが、米『VOGUE』伝説の編集長アナ・ウィンター。ミランダのモデルだと長く言われてきた人です。

劇中のミランダは、75歳になっても編集長の椅子に座り続けています。そして、モデルとなった現実のウィンターも、いま70代半ば。奇しくも近い年齢を重ねた二人が、まるで対になるような選択を見せています。

ここで、時系列が効いてきます。

この映画が公開される1年足らず前、2025年6月、当時75歳のウィンターは、37年続けてきた米『VOGUE』の編集長(エディター・イン・チーフ)の座を、自ら退きました。ただし、引退ではありません。彼女が手放したのは「編集長」という肩書きだけです。コンデナスト全体のチーフ・コンテンツ・オフィサーと、全世界のVOGUEを束ねるグローバル・エディトリアル・ディレクターという、はるかに大きな権限は、そのまま握り続けています。

現実とフィクションは、ここで正反対の選択を見せます。

映画のミランダは、75歳になっても「編集長の椅子」そのものにしがみつきます。一方で現実のウィンターは、「編集長」の看板を自ら下ろし、権力の在りかを組織の上へとずらして、映画が描くのとまったく同じデジタル化の荒波を生き延びにいきました。

アナ・ウィンターの去就は映画を観たあとに知りましたが、このあたりの対比も考えさせられるものがありました。

アンディの関わり方もイマドキだった

もうひとつ唸ったのが、アン・ハサウェイ演じる主人公アンディの立ち位置です。

一度はファッション雑誌の世界を離れ、ジャーナリスト(報道記者)として外の世界で生きてきた彼女が、ふたたびファッション雑誌の特集エディターとして編集部に戻ってきます。

ところがこれ、正社員として骨を埋めるのではなく、必要なときに必要な機能として呼び戻されているんです。これは、いま編集の現場で静かに起きている変化と、不気味なほど重なります。

雇用されて中にいる編集者から、案件ごとに組まれるプロジェクト型の編集機能へ。編集という仕事そのものが、組織の中の役職から、流動する技能へと変わりつつあります。

外に出た人間が、いちばん必要なときに戻ってくる。その構図に、これからの編集者の姿が透けて見えました。

ミランダか、エミリーか――価値は「雑誌」から「小売り」へ

雑誌「ランウェイ」を出ていった元アシスタントは、アンディだけではありません。もう一人のかつての部下、エミリー(『オール・ユー・ニード・イズ・キル』のエミリー・ブラント!)は、いまや高級ブランド(ディオール)の幹部になっています。

そして、この映画がうまいのは、メディアをめぐる根本的な問いを、ミランダとエミリーの二人に振り分けて演じさせているところです。

エミリーは、こんな趣旨のことを言い放ちます。

「結局、儲かるのは小売りであって、雑誌ではない」

一方のミランダは、その小売りという商売を、どこか格下に見ている。

「価値を生むのは雑誌だ」

こう、信じて疑いません。

雑誌か、小売りか。価値をつくっているのは「中身をつくる側」なのか、それとも「モノを売る側」なのか。──これは、いまの出版が突きつけられている問いと、寸分違わず同じです。

長いあいだ、本は取次という流通の動脈を通って書店に届き、私たちはミランダ側の信念で回ってきました。良いものさえつくれば、あとはちゃんと届いて売れる。編集こそが価値の源泉だ、と。

けれど、その動脈が細りはじめたいま、今まで通りに作って、今まで通りに流す、では届かなくなっています。だから、エミリーの冷たい一言が刺さる。価値の取り分は、つくる側から、届ける側・売る側へと、静かに移りつつあるのではないか、と。

ミランダのプライドは、美しい。
でも、エミリーの現実は、たぶん正しい。

映画は、その居心地の悪い二択を、観客の前にそっと置いてみせます。

映画を観終わって問われたことへの解答

映画は、その問いの先まで描いていました(ここから先は、ぜひ劇場で)。

答えは、たぶん「ミランダか、エミリーか」の二択ではありません。編集者が、エミリーの土俵にも降りていくこと。そこにしか、本当の出口はないような気がします。

このあたりの話は、以前にnoteで書いてちょっとだけバズった記事に「4つのシナリオと、何が起きても後悔しない3つの打ち手」としてまとめました。映画を観て、あの記事に書いたことの手触りが、急にリアルになった感じです。

余談:"オールドコーチ"が、いま中古市場で高騰

最後に余談を。

劇中でアンディが持っている黒いレザーのショルダーバッグ。あれは新作ではなく、1980〜90年代のアメリカ製、いわゆる"オールドコーチ"のヴィンテージ。VOGUE JAPANのウェブ記事が「相棒バッグ」と呼んでスポットを当てたこともあって、いま中古市場で静かに高騰しているらしいです。

映画を観たあと「オールドコーチの渋いバッグ持つのええやん!」と思ってメルカリを漁りましたが、よくよく考えてみたら「アン・ハサウェイが持つから可愛いのであって、おっさんがこのバッグ持ってたら、ただのくたびれた黒の革鞄じゃん……」と気づいて、やめました。

ちなみに、本作の映画評に関しては、WWDJAPANというファッション業界誌のポッドキャストが面白かった。業界に精通している記者さんならではの鋭い視点が満載で、映画好き、洋服好き問わず、おすすめです。

【音声解説はこちら】

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