#574_小説_琥珀色の間《文庫版》──桜色の結晶
文庫版の試作で『pages』アプリで試読、改稿、note版の1話・2話相当の内容です。noteの新機能「コミックビューア」で小説も公開できるのでしょうか。

下: note公開原稿(Web版)
一気に、本格的な小説風になりました。時系列の修正と描写の追加があります。誤字は言い換え待ちです。お楽しみいただけますように🙂ではどうぞ……🥃🌸
プロローグ
彼のことは──友達でも恋人でもない、ふしぎなその間柄を何と呼んでいいのか、わからなかった。
部下、後輩、臨時スタッフ、違う。
友達、仲間、これも違う。
仕事とプライベートの狭間で、ふとした瞬間に出会った、人生をときめきに変える魔法──そんなものが、あるとしたら彼がそうだと爽子は思った。
1
帰宅後に、お風呂で一日の疲れをほどいた後、軽く夕飯を食べに行ったあとだった。帰るにはまだ早い気がして、ふらりといつものBarの扉を押す。厚い木の扉を引くと、中から温かい空気がこぼれてくる。
少しだけにぎやかな雰囲気に人の気配を感じる空間と、琥珀色のライトが、カウンターの木目を静かに照らす店内は、明るすぎず、暗すぎず、暮れの夜の気配をやわらかく包んでいた。爽子はそっと扉を開け、カウンターの女店主に首を傾げてはにかんだ。
「いらっしゃい!」入口の爽子に気づいた、マスターの澪の笑顔がはじける。店にはカウンターの客が澪と談笑し、テーブル席には忘年会帰りの中年の客が数組いた。
広くはないけれど、肩が触れ合うほどの窮屈さもない澪の店を、爽子は気に入っていた。声を張らなくても届く距離感が、ちょうどいい。
仕事のひと区切りをしたくて、自分より少し年下の澪の笑顔に元気をもらおうと、一期一会の客との会話が楽し見たいと、ひとりで気軽に来ることが多かった。
碧色のラフロイグの瓶が琥珀色の光に透けている。澪に促されて席に着くと、右の席に飲みかけのグラスが少し照れたように『ちょこん』とお行儀よく座って、小さな泡が弾けていた。隣に合わせてハイボールを注文した。澪と会うのは去年の夏越の大祓以来だ。
誰かの笑い声が、後ろで丸くほどける。しばらくして「彼」が席に戻った。黒のトレンチコートに濃いグレーのスーツ姿のその人は、軽く会釈をしてゆっくりとバースツールに腰かけた。飲み会の帰りだろうか。さりげなく横顔を見ると、こんなに年若い客は初めて見ると思い、かすかに緊張が走った。挨拶をしていいのか、1人で飲みたい派、それとも軽い話ならしていいのかと、周りの様子を見ていた。澪が左隣の客との会話が弾んでいるのを見て、どちらからともなく話しかけた。
「こんばんは…」
爽子は後ろのグループの笑い声に紛れないよう、少しだけ声を張った。
彼は緊張をほぐすように少しはにかんで、すぐにカウンターの木目に目線が落ちる。照れ隠しのようにも見えたが、爽子は緊張をほぐしたいと「彼」に話しかけることにした。
「こんばんは。お仕事帰りですか?」穏やかに、努めて自然に話しかけられたと、胸を撫で下ろした。「はい、そうなんです。今日が仕事納めで」彼は少しだけ声が裏返って、まっすぐに爽子を見ると、彼は半拍遅れて言葉を返した。
「そうなんですね、お疲れ様です」爽子は自分のグラスを手に取って乾杯のしぐさをすると、その彼も爽子の動きに応じてグラスを合わせた。
「わたし、今日は半年ぶりにこのお店に来たんですけど、前はもっとよく来ていて…最近来られるようになった方ですか?」
「あ、はい。近くの居酒屋の人に紹介されて来たのが初めてで。今日は3回目くらいかな……」彼は見た目の印象よりも、声は落ち着いていた。
まだ若いはずなのに、言葉の端々に急がない呼吸がある。その間の取り方に、爽子は少し背筋が伸びるような、ふっと心を撫でられるような、ふしぎな気もちになった。
急がないけれど、声色の芯はぶれていない。
若さよりも、丁寧さが先に立つ呼吸は、急がない。けれど、間延びもしない、店の光と同じやわらかさで聞こえた。
「へぇ、紹介で」
「いいお店ですよね、ここ」爽子が言うと彼の表情が少しだけ緩んだ。
今日は仕事帰りだと、彼は話した。
気の乗らない飲み会の後で、やっと自分1人になれた時間、家路につく前のひととき。
「何軒目ですか?」「よく来るんですか?」他愛もない会話だったが、テンポが心地よかった。
「へぇ、IT業界なんですね。私もなんです」
静かに飲みたい気もちもあって、爽子は少し照れ隠しを装った。
爽子の仕事は、厳密な守秘義務から話せないことが多かった。代わりに休日の話をして、自分の話もした。普段ならあまり話さないこと、家族や趣味、好きなものの話もした。年の瀬の和やかな夜の空気が、そっと背中を押してくれたと爽子は思った。
「僕、今度、試験があるんです。今日は息抜きも兼ねて。今月はもう二度目なんですけどね……」少し興奮気味に頬を紅潮させ、少し節のある両手で、そっとグラスを包みこむ。
──いくつだろう。数字だけ聞けば、自分の子どもでもおかしくないかもしれない。
女性との会話に慣れていない様子で、小さく首を横に振り、背中を丸めてカウンターの木目に目線を落とした。
でも、目の前のこの青年は、年齢の軽さよりも、
未来に向かって背筋を伸ばす「大人」の顔をしていた。
「頑張ってるんですね」爽子がそう言うと彼ははにかんで、一瞬、目を合わせた。
グラスの氷がもっと早く解けてくれたら……。彼のペースが少し速く、爽子は酔いを抑えるのに必死だった。彼はお酒を飲むタイミングを爽子に合わせてひと口ずつグラスを口に運ぼうとする。その丁寧なしぐさが、まっすぐな人柄を思わせた。自分が新社会人の頃を咄嗟に思い出せない爽子は、言葉選びを焦り、爽子は内心は不安でいっぱいだった。
会話の合間に訪れる沈黙がまったく怖くない、むしろ心地いい時間だった。
琥珀色の光が氷に溶けるのを待つ贅沢な空白が、すっと呼吸に馴染んでいく。
ただの “頑張り屋” じゃなくて、
自分の未来に責任を持ってる人の姿勢。
年齢じゃなくて、背筋の伸びた生き方。
彼の「間」は、若さゆえの軽さではなく、大人の余白を持っていた。
「ところであの……なんてお呼びしたらいいですか?」
話の途中で、タイミングよく切り出したのは彼のほうからだった。
勇気のある子だな、そう思った瞬間──
「あ、ぼ、僕は大翔と言います」
「すみません、先に名乗るべきですよね。ごめんなさい……」
マジメな顔で取り繕うのが、少し面白くて、爽子はつい笑いそうになるのを堪えた。
「爽子です。よろしくね」
「さわこ、さん」大翔はホッとしたように繰り返した。
「ありがとうございます!」
「シワシワネームなんですけどね」爽子も冗談まじりに言う。
爽子は照れ隠しに、自分より少し下の世代の決まり文句に合わせて、少し目線を伏せた。
──それから3時間は経った頃だった。
「それじゃ、お先です。おやすみなさい」
先に席を立ったのは、爽子だった。
「は、はい。おやすみなさい」
「よいお年を」爽子が言うと、大翔もそれに合わせて返した。
──あんなに笑ったのは、久しぶりかもしれない。
閉店まであと少しだった。彼と澪さんが残る店で、どんな話をしているんだろう。本当は自分もそこにいたかったが、会話の間が持たず爽子も緊張してうまく話せなかった。
今度訪ねた時に澪さんから今日の話を聞きたいと、爽子はほのかに期待していた。帰りに立ち寄ったコンビニの棚は、クリスマスからお正月へと、飾りつけが変わっていた。
2
翌朝、目を覚ますと、胸の奥にまだ昨夜の温度が残っていた──。
爽子はみぞおちの辺りに、お酒の灯りがまだ消えずに、じんわりと灯っているのを感じていた。眠りにつく頃には空が白んでいた。8時をまわっても、まだ少しまどろんでいたいと自分に駄々をこねたあとで、キッチンでお湯を沸かしながら、ふとにやけてしまう。
──わたし、ギリギリあなたのこと産めるもの。
予防線だった。自信がなくて、そんなことを言った。
わたしだって、傷つきたくない。爽子のからだに、ゆったりと白湯がまわっていく。
──それにしても、ふしぎな時間だった。爽子は気分が落ち着かなかった。
どうして彼はあんなに落ち着いていたんだろう。
言葉を返す前に、ひとつ息を整える所作が初々しく見えて、まぶしく思えた。
どうしてその仕事を選んだんだろう。どうやって好きなものに出会えたのか、今どき古風な印象だった……。そんなことを考えていると、胸の奥がまた少し温かくなる。
淹れたてのコーヒーを窓際のデスクに置き、カーテンを少しめくると白い朝日が横から差し込んできた。爽子は眩しくて思わず目を細める。
冬の朝の光は冷たいはずなのに、心の中は妙に穏やかだった。
コーヒーをひと口含むと、昨夜の Barの空気がふわっと蘇る。
グラスに当たるダウンライトの光、隣や後ろの席のほどよい会話。
ゆっくりととける氷、そして、彼の間の取り方……。
あの “間” は勢いでは作れないと、爽子は思った。
誰かの話をちゃんと受け取ってから返す、たしかな呼吸。
沈黙を怖がらず、余白を大切にする空気感。
昨夜の大翔の声が、耳の奥に残っては、何度も会話をくり返す。
爽子は、その余白に安心していた。
自分よりもひと回りは歳が違う。爽子は周囲の同世代も、若い人の軽い言葉には敏感だと思っていたが、昨晩のあの彼──大翔の言葉だけは違った。
──試験にいちど落ちて、それでも挑む。
その”姿勢”に、心を動かされただけ……。
爽子は、昨夜の大翔の横顔を思い出していた。グラスを持ったり、回したり。はにかみながら、未来の話をする姿。顔は──暗くて、よく見えなかった。いや、目を合わせられなかった……。素直になろう。爽子は心の中で、自分の一人芝居に呆れていた。
若さとか、未来とか、選択肢とか──そういうものに触れると、
自分の中にしまい込んでいた場所が、疼いただけ。
別に、特別なことじゃない。
だれにだって、起こること。
爽子はいつの間にか、マグカップを持つ指先に力がこもる。
何度もそう言い聞かせては、早くいつもの自分に戻ろうとする度に、胸の真ん中に何かがズンと響くのを感じていた。
あの世代は、揺れる社会の中で大人になった、。
その静かな強さが、彼の目の奥に残っていたのかもしれない。
ただ、その目は若さの輝きと、大人の静けさを同時に持っていたと思う。
自分以外に信じられるものがなかった、迷いと不安の中で、覚悟を持った人の表情。
大人が迷い、皆が立ち止まっていた頃。 彼は別の場所で自分の歩幅で、この未来へ進み続けてきたと思うと胸がチクリと痛くなって、爽子は目頭が熱くなった。
今のこと、将来のこと、これからどうしようか、自分に何ができるのか。
だれも見ていないと思える場所で、周りを確かめながら、何もわからなくても歩き続けてきた人。
だれも経験したことのない不安に押し潰されそうになりながら、心が空っぽになるようなことがあっても、慎重に、でも確実に生き抜いてきた人。
その “歩き方” が昨夜の沈黙の中、爽子の中で何度も呼び起こされた。
──幸せになってほしい。
昨夜からずっと湧き出している言葉が、浮かんでは消えていく。
「また来てくれるといいですね」誰か、そんなことを言ってくれないかな──。
次に澪の店を訪ねたとき。もしも、澪に彼のことを聞かれたら、なんと答えよう。
爽子は自分でも驚くほど自然に、そう思っていた。
「……そうですね。会えたら、うれしいかもしれません」照れたように、言ってみたい。
期待じゃない。
恋でもない。
ただ、あの静かな呼吸に、もう一度触れたい。
それだけだった。
「二度目なんですけど、今度こそ受かりたいなって」
落ち着いた横顔と柔らかい言葉の選び方、半拍遅れて返ってくる躊躇いがちな言葉。
どこか、ほかの若い子とは違う呼吸を感じていた。
胸の奥の琥珀色の灯りが、また、静かに揺れる。
数日経った日の午後、爽子は仕事用に新しい資料を探しに出かけた。
少しだけ取引先の様子も見て、爽子は年末年始休暇に入った。
私は、ちゃんと自分の生活に戻っている。
私は、誰かに揺らされるタイプじゃない。
──でも……心がふっと動く瞬間は、確かに存在する。
その瞬間を否定する必要はない。
彼に揺れたのか、 それとも彼の未来の可能性に揺れたのか。
それとも、 かつての自分に揺れたのか──。
どちらでも──彼の未来を思うとき、もう少しだけ、自分の未来も信じてみてもいいのかもしれないと、爽子は思い始めていた。
むしろ、そういう瞬間があるからこそ、毎日の生活を、より大切に思えるのだろうか。
爽子は、何度もそう言い聞かせた。
本屋で資料を手に入れた帰り道に、”ミシマ先輩”からメッセージが届いた。
[爽子ちゃん、元気?]
[正月だし、明日食事でもどう?]
メッセージを見た瞬間、胸の奥の揺れが、すっと静かになった。
ミシマ先輩とは数年前に食事をしたきりだった。爽子が高校1年のとき。文化祭に来た彼を知って以来、気がつけば何年かに一度は食事に行く仲だった。先輩は爽子の「節目」に必ずといっていいほど登場する人で、お互いに恋愛関係はないと思っていた。
爽子の “普通” も “現実” も知っている人。タイミングよく連絡が来たようで、爽子はこの偶然は変化の前ぶれの予感がして、すぐに返事をした。
[いいですね なんにします?]
[んー、お蕎麦でもいい?]ミシマは予定調和のように言った。
年越し蕎麦を食べ損ねたらしく、自分もそうだと爽子は言った。
まあ、年明けの蕎麦屋なら空いていて落ち着くでしょ──ミシマは呑気だった。
きっと何かある。彼と会う約束をしただけで、いつもの自分に戻れる気がした。
1日経っても心がざわめいている──爽子は何度も家の中をうろうろしては、あの夜の光景を思い返していた。少しでも落ち着こうと、京都みやげのほうじ茶を淹れてソファの前に腰かけた。軽さの奥に、ほんのりと木と土の香りを含んだ湯気が立ち上る。
関西のほうじ茶の上品で静かな香りが、昨夜の記憶をそっと呼び起こす。
古い柱と、乾いた畳。
夕方の神社の落ち葉の匂い──爽子は少し前に見た風景を思い浮かべていた。
湯気を見ていると、昼間よりも少しだけ、あの彼の未来を考える時間が増えていることに気がついた。
しまいかけた記憶は昨夜より少し薄くなっていたが、まだ消えてはいない。
──また会いたい。
その気持ちは、恋なんかじゃない。
人としての美しさに触れたときの、静かな祈りのようなもの。
そう、恋なんかじゃない。
──若い。でも、ちゃんと大人だった。
『二度目なんですけど、今度こそ受かりたいなって』
80年代のクルマが好き。
自分の会社の製品が好き。
その言葉が、胸の奥で静かに響く。
若さの中に、場数を踏んだ人の静けさがあった。
それとも──。
深い意味なんてない。
その場の空気で、なんとなくそう言っただけ。
ああいう場に慣れていないせいで、なんの意味もない。
きっと、「やば……。何にも考えてなかった」「どーしよ」
ただそれだけで、もう忘れていいことなのかもしれない。
それとも。
酔っていて、自分でも言うつもりのないことを話したとか。
どう反応したらいいかわからなかった。
わたしに失礼にならないように、ただそこにいただけ。
帰ると悪いから、なんて……。
爽子はカップを置き、そっと目を閉じた。
もしまた会えたら、どんな顔をしたらいいんだろう。
はぁ……。
何をこんなに、振り回されているんだろう。
お店を変える。いや、曜日を変える?
それとも、いなそうな時間にこっそり飲みに行けばいい……。
──自分が行きたければ、行ってもいい。
だって、澪さんの店だから。澪さんがお店を開けている時は、わたしも行ってもいい。心のもやを、一気に振り払うように、爽子は続けた。
こんなの、自分の未来をやり直したいだけ。
それをするのに彼がどうとか関係ないはず。
──自分の未来に憧れているだけ。
それが恋なのか、ただの憧れなのか、 爽子はうまく言葉にできない。
彼のもつ未来が眩しくて、
少し切なくて、
だから涙が出る。
彼の背中に見えた “未来” に揺れただけ……。
──自分の未来を、信じてみようと思っただけ。
恋愛なんかじゃない。
自分の中の ”閉じた扉” が少しだけ軋きしむのは──人生の別の可能性に触れたときの心の揺れだ。爽子は日に何度も自分に言い聞かせた。
あれは自分の “未来像” として、揺れる心を映しだしただけの鏡のようなもの……。
琥珀色の灯りは、まだ胸の奥で静かに揺れていた。
(約 6,600字)
あとがき
ラストに向けて、頭にあるイメージを文字にできずに3ヶ月目に入りました。映像はできていますが、中身を整える時間…本当は今夜完結するつもりでいました(年度末)。最新話の調整をしながら原稿の整理をしています。この調子ですと、文庫本1冊くらいには収められそうです。改稿でうまく7万字程になるでしょうか。
作品ができたら Kindleか、創作大賞か、文学フリマか……。出来栄えによってどうするかが決まってくるのかな、と思っています。
本を作るのはこれが初めてで、ワクワクする反面、恥ずかしくてどうにもなりません(笑)「よく、これを公開しているな」と、自分でも呆れてしまいます。でもこれが、始まりなんですよね。その気持ちを忘れないようにしたいと思います。
さて……Barに行ってみますか?
あなたにとっての彼ら2人に、出会えるかもしれませんね。
もう1人の自分。まだ見えていない、素敵なあなたに……💗



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