#478[短編]琥珀色の間[3]──境界線の向こう側・I
Barで出会った青年・大翔の余韻を抱えたまま、爽子は高校の先輩・ミシマと食事へ。静かな夜に、ひとつだけ境界線が動き始める。
※ 旧版はこちらです(昨晩〜早朝へお越しいただいた方、しばらくこちらに掲載いたします)
ミシマと待ち合わせた時間まで、まだ少しある。
コートの襟を気休め程度に立て、爽子は昨夜のことを思い出していた。
帰らずに何度もおかわりをした大翔。琥珀色の光と、彼が纏っていた静かな落ち着き。
爽子は “恒例行事” の手土産を選びに、店の近くにあるセレクトショップにいた。
華やかな棚の前で、指先が一度だけ止まる。
ふと、大翔との会話がよぎる。
お土産…やめておこう、いつ会えるかわからない。
それに重たいと思われてもいけない。
爽子は小さく息を吐いて、自分に言い聞かせた。
「これください」
爽子は小さい試験管のような形をした瓶の詰め合わせを、店員に手渡した。小さなワインが並ぶ姿は、子どものおもちゃのような遊び心があって、それがミシマにぴったりだと思った。
買い物を終えてビルを出ると、勢いよく冬の冷気が店に入り込む。爽子は首をすくめながら、大翔のことを考えた自分に一瞬、小さく苦笑いをした。
あんなふうに、ただ静かに座っているだけの誰かに、心が引っ張られてしまう。
自分には、あんなふうに沈黙を受け止める余裕なんて、なかった。爽子は自嘲気味に目線を落とした。
誰かを裏切っているわけでもないのに胸がざわつく。
ただ、丁寧に淹れられたコーヒーにふと見惚れてしまうように。
昨日の大翔という存在も、爽子にとっては、抗いようのない「うつくしいもの」として心に刻まれていた。
それを「ときめき」と呼ぶのは、まだ少し気恥ずかしいけれど。
でも──。
心がふっと動く瞬間は、どうしたって避けられない。理由もなく心が動いてしまう自分を、もう否定するのはやめよう。
そう決めて顔を上げると、待ち合わせのビルの入り口が見えてきた。
──もっと話したそうだった、いや、実際どうかな。
あの “間” はどこで身につけたんだろう。
また会えたら、嬉しいかもしれない──。
あの日。週末に爽子は久しぶりに Barの扉を押した。
その前の週に、澪さんの開店祝いに行けなかったから。
それだけのつもりだった。
胸の奥に残っていた灯りが薄くなりかけては、また灯る。でも、完全には消えていない。
◇
「せんぱーい!」爽子から手を振った。
同時にミシマも軽く手を挙げた。
「やあ、久しぶりだね。何年ぶり?」
ミシマはいつ会っても年齢不詳だ。ふしぎと若々しい。細身の体に合わせたレディースのトレンチコートを、ボタンも留めずにさらりと羽織っている。
中性的というよりは、自分に似合うものをただ自由に選んでいる。その潔さが、ミシマという人の空気を作っていた。
「お蕎麦でよかった? ありがとね、合わせてくれて」
「大丈夫です、私もさっぱりしたものがよかったんです」
ミシマが軽く近くのエスカレーターの方を指す。
「じゃあ、いこっか」「はい」
並んで歩くと、ミシマのコートの裾が軽やかに揺れた。その自由な足取りを見ていると、さっきまで大翔のことで少しだけ重くなっていた心が、ふっと軽くなるのを感じた。
2人はオフィス街のビルの、最上階にあるダイニングへ向かった。
◇
ガラス張りの広い空間に、ほどよい明るさ。ダイニング風の店内に、落ち着いた黒のダイニングセットと、ペンダントライト。
和食の店だと知って、爽子は心が踊る。
興奮をおさえつつも、目だけで辺りを軽く見回した。
「先輩さすがですね。こういうお店知ってるの」
「でしょ? 今日はなんでも食べましょ」
「ちょっといいお値段だけど」
ミシマは少し興奮すると、時折り女言葉のように話す。
「そうそう、先輩。これ、よかったら」
爽子は先ほど購入したワインの袋をミシマに差し出した。
「あら、ありがとう。ボクもこれ」
ミシマもかわいらしいピンク色の包みを差し出した。
「好きなものを飲みましょ」
ミシマの提案で、メニューを端から一品ずつ、お互いの気になるものを注文することになった。
「先輩。これ、開けてもいいですか?」
爽子が先程の贈り物を手にとると、「じゃあ、ボクも」とミシマも続いた。
「おお、かわいいねこれ。わかってるね〜」
ミシマは上機嫌だ。彼からの贈物は、小さな日本酒に桜の花びらが入った丸い瓶がふたつ。傾けると桜の花びらが揺れている。
「先輩も。このケーキ、大人気のじゃないですか。ありがとうございます」カラフルなフルーツの散りばめられたパウンドケーキだった。
「朝ごはんにでも使って」心遣いがうれしかった。
「お待たせいたしました」江戸切子のおちょこに冷酒が注がれ、2人は乾杯をした。
「わぁ、かんぱーい!」
「3年ぶり。お疲れ様でーす」
江戸切子の縁がそっと触れると、光が透ける。
おちょこから小さな気泡がゆっくりと上っていった。
◇
他愛もない話をしていると、時間が過ぎるのはあっという間だ。
「それで、爽子ちゃん。メッセージで聞いた彼のことだけど?」
ふいに名前を出され、爽子はおちょこを口に運ぶ手が止まる。
「……ああ、彼ですね」
一瞬だけ、あのBarと、琥珀色の光が脳裏をかすめる。
さっきのお店で蓋をしたはずの感情が、だし巻き卵の湯気に巻かれて、ふわりと顔を出した。
「ああ、それがですね。もう、面白かったんですよ」
爽子は思い出し笑いで、笑みがこぼれた。
昨晩 Barで会った青年のことを、かいつまんで話した。
そこへ、だし巻き卵が運ばれひとくち口に運んだ。
箸を持つ手が、わずかに止まる。
わぁ……。爽子は声が少しだけ明るくなった。
「おいしい……」「はぁ…幸せです」
「ふぅ……あったまるね」
「はい。こういう優しい味、好きです」
「ふわっとして、だしが利いていて上品だよね」
湯気の向こうで、ミシマがふっと笑った。
その笑顔を見た瞬間、視線が一瞬だけ落ちた。
胸の奥の琥珀色の灯りが、静かに落ち着いていくのを感じた。
湯気がゆっくりと消えていく。
爽子は冷酒をひとくち。そっとおちょこを置いた。
今夜は、ゆっくり話せそうだ。
<了, 約 2,300 字>
あとがき
第3話をお読みいただき、ありがとうございました。
食事のシーンを丁寧に描きたくて、章を分けて公開しました。
料理の温度が、爽子の心の温度と重なる描写を心がけました。
※昨日の公開版を読んでくださった方へ 分割前の下書きはこちらにあります。 (読み流していただいて大丈夫です)
本稿の後は「3話‑II」「3話‑III」を公開予定しております。
続きもゆっくり楽しんでいただけたら嬉しいです。
ご感想や気づいたことなど、軽いひとことでも励みになります。
どうぞ温かい目で見守っていただければ幸いです。

人生に音楽と、ときめきを。ごきげんよう🥃
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