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「リチャード三世」あらすじ解説【シェイクスピア】

口の悪い人はイギリス人を「ブリカス」と呼びます。しかし彼らがブリカスになったのは理由が有ります。シェイクスピアのせいなのです。イギリス人も被害者なのです。

鑑賞の手引き


以下の章で「リチャード三世」の内容を説明してゆくのですが、戯曲の長さに比べて登場人物が少々多過ぎて、つまりイベントが多過ぎて、要約してもそんなにわかりやくすなりません。
そこで本稿すら読まなくても、あたかも内容把握したかのように見える抜け道を最初にご案内しておきます。
二つのセリフを覚えてください。

冒頭のリチャードのセリフ
「今や我らが不満の冬も、このヨークの太陽輝く栄光の夏となった」
(Now is the Winter of our Discontent,
Made glorious Summer by this Son of Yorke)

末尾近辺の戦場でのリチャードのセリフ
「馬を、馬を、王国をやるから馬を」
(A Horse, a Horse, my Kingdome for a Horse)

これで大丈夫です。両方有名なセリフです。特に後のほうのは使えそうですね。でも内容も見てみたい方は以下お読みください。

あらすじVer.1

王様の弟のリチャード、

悪事を働いて王座につきます。

天罰下って反乱勃発

殺されます。プランタジネット朝(ヨーク朝)の滅亡、テューダー朝の成立です。

(あらすじVer.1 終)

イギリス王朝興亡史

イギリスの王朝、だいたいこんな感じです。

外国勢力ばっかりです。国内勢力は、

のテューダー朝とスチュアート朝のみですね。我々「アングロサクソンである英米は」と気軽に言いますが、アングロサクソン自体征服王朝です。ゲルマン民族大移動の余波です。それ以前のアーサー王は伝説の域を出ません。
本作の作者シェイクスピアはテューダー朝~スチュアート朝の人ですから、いわば国風文化充実期です。日本の国風文化、古今和歌集が905年です。イギリスでは征服王朝のウェセックス朝です。自国文化を長期間持っている我が国は実は恵まれています。
本作の舞台はプランタジネット朝の分家であるヨーク朝になります。征服王朝最終期です。

ヨーク家とランカスター家が争ったのが薔薇戦争で、30年くらいドンパチやっていました。応仁の乱の3倍です。長いです。戦争の完全収束がテューダー朝の成立時です。つまり本作では薔薇戦争の最後の戦いを描いています。だから「馬を、馬を、王国をやるから馬を」のセリフが効果的です。ヨーク朝の本家のプランタジネット朝から計算すると330年程度の長い時代の終焉の時です。

征服王朝の宮廷語はどこでも当然外国語になります。イギリスもそうでした。ノルマン朝およびアンジュー朝初期の宮廷語はフランス語です。英語が公用語になりはじめたのがようやくエドワード三世からです。本作の時代では英語を使っていても不思議ではありません。劇として矛盾はない。

日本の歴史で考えれば、平安時代、鎌倉時代はだいたいフランス語で行政していて、ボツボツ英語を使いだしたのが室町時代以降、江戸時代近辺になってようやくシェイクスピアが登場します。シェイクスピアはいわば、国風文化の旗手なのです。イギリス人が大事にするのも納得です。

あらすじVer.2

全体はアバウトに見れば、対称構造を持っています。

王様の弟のリチャード、

容姿に自信がありません。だからヒネます。悪者として精一杯生きてやる、と決意します。
まずは次兄をこっそり殺します。

兄の王様が病気で死にます。

王位継承権は王様の子が持っています。それを支えるのは、王子を生んだ妃の一族です。

将を射んとする者はまず馬を射よ、ですからまずは王妃一族を粛清。
王子は監禁。

自分の即位に反対する貴族も無実の罪を着せて処刑。王位につきます。
残る憂いは監禁した王子が生存している事だけです。処分しようとすると、今まで一緒に陰謀練ってきた貴族も流石に引きます。でも暗殺屋を雇って王子と弟も暗殺します。これにより自分の王位を確固たるものにした、はずでした。

しかしやりすぎました。今まで一緒に陰謀練ってきた貴族が、反乱起こします。それは鎮圧の上処刑するのですが、最終的にリッチモンド伯爵、後のヘンリ-七世に敗れて死にます。

(あらすじVer.2 終り)

登場人物

前述のごとく登場人物が多過ぎます。これだけ居ます。

ご覧のようにだいたい3勢力に分割されます。面倒なので大幅に省略すると、

こうなります。
リチャードのやったことは

1,次兄殺し
2,王妃一族弾圧
3,王子殺し
4,離反貴族処刑

ですが、1~3は王族がらみですから、

1,王族との争い
2,貴族管理

の2種類にまとめられます。
貴族のほう、灰色のヘイスティングス卿とバッキンガム公は、当初リチャードに協力的だったのですが、その後距離が生じて処刑されます。

ヘイスティングス卿は王妃一族は大嫌いでしたからリチャードによる弾圧は大賛成でした。王子をロンドン塔に入れることも、王子を守るためと誤解して賛成でした。しかしリチャードが王位につくことには反対でした。だから粛清されます。
バッキンガムはリチャードの即位を手助けして自分が出世するつもりでした。でも王子の暗殺には流石に難色をしめします。そんなことやるくらいなら約束されていた報酬を先にくれ、という態度になります。リチャードは急にケチになって冷たくしだします。これはもうダメだ、となってリチャードから離反、反乱軍を集めますが、失敗して処刑されます。

結局これはリチャードのワルにどこまで付き合うかの生存競争レースでして、ボスのワルさについてゆけず両方とも脱落してしまった。しかしリチャードとしても最後までこの二人を上手く取り込んでおけば大きな戦力になりました。最終決戦は楽勝だったでしょう。馬鹿をしたもんです。
逆に言えばリチャードはそれほどまでに王族が恐かった。だから貴族たちにつらく当たってしまった。ドロドロの薔薇戦争のせいですね。長らく近親者ほど信頼できない環境だったのです。
そして出現するライバル、リッチモンド、のちのヘンリー7世はあんまり血のつながりがなかった人です。母方は一応ランカスター朝の末裔なのですが、父方はウェールズ系です。薔薇戦争にほぼほぼ関係無い。
つまり大きく見れば本作は、プランタジネット朝が相互不信で勝手に自滅してゆくさまを描いています。

呪いのスペシャリスト

となるとひたすら暗い劇に思えますが、実際鑑賞すると暗いのですが、面白いキャラを登場させて気分転換役にしています。王妃マーガレット、正式名称マーガレット・オブ・アンジューです(若いころの肖像で本作時点でははずっと加齢しています)。

彼女は前の王朝ランカスター朝最後の君主ヘンリー6世の妻です。トロい夫の尻を叩いて孤軍奮闘、なんとかランカスター朝を保持しようとしますが、リチャードとその兄エドワード4世に敗北、夫も息子も殺されました。
そんな女性が現在の宮廷まわりをウロウロしているのはおかしいのですが、史劇もエンタメである以上、必要な措置でした。

彼女は見事なまでの呪いのスペシャリストです。夫と息子を殺されたのだから呪って当然なのですが、いくらなんでも度を越している。暗い呪いが度を越して、くるっとひっくり返って面白いキャラになってしまいます。仁義なき戦いの卑劣キャラ、山守の親分に似ています。

山守義雄も卑劣すぎて、登場する度に視聴者は楽しくなる、つまり好きになってしまうのですが、マーガレットもそんな感じです。

彼女は全てを呪います。死んだエドワード4世の妻、王妃エリザベスにも呪いを吹きかけます。その時エリザベスは夫と息子の死によってダメージを受けています。でもマーガレットは同情しません。ここぞとばかりに今までの恨みを発散します。ひどい女です。しかし呪いがあまりにも凄く、呪われたエリザベス本人も世を呪い人を呪いたい心境だったので、うっかり弟子入りしてしまいます。

マーガレット「今やその高慢な首に、わが重い軛が半分かかった。こっちは疲れた首をそこからはずして、その重みをすべておまえに委ねよう。
さらば、ヨーク(家)の奥方、そして悲しい運命の妃よ。イングランドの不幸を、ほくそえんでやるよ、フランスで」
王妃エリザベス「ああ、呪いの名人よ、待っておくれ。敵をどう呪ったよいか教えてくれおくれ」
マーガレット「夜は眠らず、昼は断食し、もはや返らぬ幸せを、今の不幸とひき比べ、死んだ子供が実際よりかわいかったと思い、それを殺したものは実際より忌まわしいと思え。失ったものをよりよく思えば、奪ったやつがより憎い。以上を肝に銘じれば、呪い方が覚えられよう」
王妃エリザベス「私の言葉はなまぬるい。おまえの言葉で鍛えておくれ」
マーガレット「不幸が研ぎ澄ましてくれるよ、私のように鋭く(退場)」

憎んでいるはずのエリザベスに質問されると、的確にして親切にアドヴァイスを送ってしまう。呪い道の師匠になっちゃっています。偉いのか偉くないのかよくわかりません。
劇としては笑いを取る場所なのですが、彼女の呪い、というより呪いの態度が最終的に王朝を滅ぼしてしまいます。
のちのヘンリー7世との最終決戦の前夜、今までリチャードが殺して来た人間たち、

マーガレットの息子のエドワード王子
マーガレットの夫のヘンリー6世
リチャードの兄のクラレンス公
王妃親族のリヴァースとグレイと騎士ヴォーン
ヘイスティングス卿
ロンドン塔で殺した幼いエドワードとヨーク
不要になったから暗殺した妻アン
バッキンガム公

が幽霊となって次々とリチャードの寝るテントに出現して呪います。呪われたリチャードは悪夢にうなされ、飛び起きて「別の馬をくれ」と言います。つまりリチャードは夢の中で馬を失っていたのです。翌朝の最終決戦の「A Horse, a Horse, my Kingdome for a Horse」への良い伏線になっていますね。上手な劇手法です。

そしてくだんの幽霊たちは、マーガレット師匠の呪い道に対する誠実さを引き継いだのでしょう、リチャードを呪ったあとにそれぞれ、ヘンリー7世のテントに行って頑張れと励まします。幽霊になってさえ皆真面目で勤勉です。いわんや生身の人間においておや。
翌朝の最終決戦はみんな必死に頑張ります。リチャードも人間離れした武勇を見せます。ほとんど項羽の最期です。楠木、真田、あるいは壇ノ浦の平家を連想する人も居るでしょう。一生懸命な人々を見ていると、どうしても愛情が湧いてきます。みんな悪いことをいっぱいしているのに。
これも呪いのスペシャリスト、マーガレットの功績です。彼女の呪いが凄すぎて、人々の悪の部分が気にならなくなります。

章立て

より細かく章立て見てみましょう。
全体は5幕25場に分かれています。

シェイクスピアの章立てはいつもつねに大問題です。全然まったくあてにならない。構成読み解き屋の敵です。
シェイクスピアの死後活版印刷で全集が出版されます。1623年、死後7年のことです。ファースト・フォリオと言います。ネットで全文見れます。

https://internetshakespeare.uvic.ca/doc/R3_F1/complete/index.html

こちらではなんと、5幕18場です。差し引き7場分はどこにいったのか。

いくつかの場が、ファースト・フォリオでは場として認識されていません。現在上演する際には場の転換を加えています。なんせ400年の上演伝統がありますから、こうすれば良いという経験の蓄積は出来ています。
念のためファースト・フォリオのト書きを見て人間の出入りを確認しました。5幕25場という解釈でだいたい間違いなさそうです。

ただし、25場解釈というのは正しいにしても、ファースト・フォリオに書いてある5幕構成というのは根拠がありません。当時の劇場には幕がなかった。幕が無いのに幕を設定している。「演劇は5幕が普通だろう」という思い込みというか、習慣だけで出版しちゃった。まとめると、作品としては25場ある物語、という情報だけはそれなりに信頼できる状況です。

それで25場の表を作って眺めていると、こういう配置に見えてきます。

実は反復構成なのではないか。これまでやってきた作品解析では、シェイクスピアは「ヴェニスの商人」「ハムレット」「ジュリアス・シーザー」が明解に対称構造、「ロミオとジュリエット」が非常にゆるい対称構造、「マクベス」「夏の夜の夢」「リヤ王」は明解な構成がありません。ただし「マクベス」は女物語として見ると反復構成に近いです。前後の数が合いませんから、反復構成だと確定は出来ませんが。

そして乏しいサンプル数なのですが、今まで物語の構成調べてきた感触では、歴史物語は反復構成と相性が良いようです。
漱石「こころ」

太宰「斜陽」

いずれも歴史物語で、反復構成です。
本作も歴史ものですから、反復構成であってもおかしくない。しかし少々問題ありまして、第四幕の第二場、第三場を合体しなければ、前後の数が合いません。25場ではなく、24場にしないと辻褄が合わない。

前述のように、場割り自体が上演しながら経験則的に導きだしたもので、フォリオには欠落がある。
それで問題の第四幕の第二場、第三場を見てみると、

フォリオには場の転換がありません。ではナシで良いかというと、実際問題第三幕、第五幕はフォリオに無い場割りを補ってようやく反復構成を確認できます。場割りを加えるべきか、そうでないのか。判断難しいです。
ややこしいので以上まとめますと

1、出版された全集、フォリオには場割りが少なすぎる
2、現在は場割りを加えて上演されている
3、現在上演の場割りに従えば、反復構成をほぼ確定できる
4、ただし、第四幕第二場、第三場を合体させなければ反復構成は完成しない
5、出版された全集では第四幕第二場と第三場は元来合体されている
6、だから合体して考えても良いともいえるが、他の幕では場を補ってここだけフォリオに従うのは、いささかご都合主義的解析ではある

という状況です。マクベスと同じく本作も、反復構成に近いのですが、明解に反復構成とは言い難い。同時に反復構成ではないとも言い難い。
そして作中に作られた対は、

非常に出来が良いものです。構成読みは煎じ詰めれば対のピックアップです。対のピックアップをさんざんやってきた人間から見ても、唸るほどの力量です。以下いくつか書き出すと

1-1と3-5の対:前者では貴族ヘイスティングスが牢獄から解放されて登場 / 後者では貴族ヘイスティングが処刑され、生首となって登場

1-4と4-1の対:両方共ロンドン塔管理者ブラッケンベリーとの会話

2-3と4-5の対:前者は政府の不安定さを会話する市民。なぜか皆裁判に呼ばれて出頭する途中 / 後者はヘンリー7世の軍勢が招集され攻め上がる予定、つまりリチャードに裁きが行われるとの情報

3-2と5-3の対:前者はダービー伯スタンリーは不吉な夢を見るが、その夢を伝えられたヘイスティングは夢の警告を無視 / リチャードは馬を失う不吉な夢を見るが、戦いは頑張ろうとする

こう見ますと、シェイクスピアが意図的に反復構成で組み立てようとしたとしか思えない。対句が非常に適切に仕上がっている。

構成とはそもそも何か

別に私は物語の構成に興味があったわけではなく、物語を読解しようとすると、構成か、キャラ配列か、あるいはその両方を調べるのが最短距離だと感じて色々調査しているだけです(実はいわゆる学者評論家の方々は、知識量自体は私の100倍以上ある方が多いのですが、こういう作品内部情報をきっちり調べることは、驚くほどやっていません。どうしても作品外部情報ばかり収集しています)。つまり興味があるのはあくまで作品内容で、構成自体は興味の本筋ではない。しかし本作のような例を見つけると、構成そのものについて考えさせられます。
私が調べている「構成」は、物語の盛り上がりやクライマックス戦略というのとはあまり関係なく、対句がいかに分布しているかという点のみです。見るところ、対称構成と反復構成くらいしか構成は今のところない。

では作家は構成をどこまで意識しているのでしょうか?読者様の多くは、そこが最大の興味のポイントだろうと思います。
本作の対句の出来を見る限り、作者が構成を意識しなかったとは考えにくい。しかし同時に、この作者は世界文学史上最高レベルの劇作家であり、詩人であるのも事実です。詩人とはたいてい対句の名手です。だから対句づくりが無意識レベルにまで浸透しており、知らず知らずのうちに反復構成に至った可能性も、又有ります。無意識レベルだから意識的ではないと、言えなくもないのかもしれません。

ここでちょっと視点を変えて考えます。これが作曲家ならどうでしょうか。実は「曲」というのは、形式的にはワンパターンなものです。どんな曲でもなんらかのリピートがあります。リピートの分布として形式があります。作曲する人はだいたいどんな形式があるかはあらかじめ把握しています。と考えると、作曲の場合には明解に意識的に形式、構成を意識して作曲している。

となると作家が反復構成なり対称構成なり、あるいはキャラ配置戦略に凝る時、なにかの作品を読解して構成なり配置戦略を既に学んでおり、時に応じてそれら組み立て技術をさらに発展させて創作している、と考えるのが妥当と思われます。私は残念ながらボンクラでしたので普通に作品読んでも作家がどういう組み立て技術を使っているか理解できなかった。キャラ配置戦略に気付いたのは「カラマーゾフの兄弟」を繰り返し読んでから、対称構成に気付いたのもの漱石「夢十夜」の各章のタイトルを便宜的につけて、プリントして持ち歩いてじろじろ見てから、後のことです。
しかし私程度の資質でも時間をかければ気づくのですから、人類史上有数の資質ある作家が、創作活動しながら過去の作品を勉強していって、作品構成やキャラ配置に目覚めるということは、十分考えられます。
シェイクスピアが過去の反復構成の作品のどれを勉強したのか、私にはわかりません。彼の蔵書がどうだったのか知らないからです。でも恐らくいくつか知っていた。作品構成を読めた。ここまで見事な対を並べられる以上、構成を読む力も(構成とは対の分布であるのだから)極めて高かったはずです。まさに天才なのですが、これでも最高に完成された反復構造とは言えません。

最高ならば黄色の部分に一貫した流れが発生するはずですが、本作はそこまではゆきません。ドストエフスキー「地下室の手記」などは、ここの部分が更に反復構成という凝った作りになっています。

これなどは完全に意図的に、最初から反復構成でゆこうとしていますね。
しかしシェイクスピアが劣っているというわけでもありません。対句そのものの素性の良さは本作のほうがはるかに上です。詩人的素質はシェイクスピアのほうが上のようです。もしかして、こういう分類が成り立つのかもしれません。

ドストエフスキーは構成も凝りますが、最も得意にしているのはキャラ配置です。詩作をしたのかもしれませんが、寡聞にして知りません。たぶん作ってもさほどの作品にはならなかったと思います。
シェイクスピアは詩人ですから、対句原理自体はドストエフスキーよりも強いです。しかしこれはもっとサンプル数調べて考えなきゃいけませんね。現状ではアバウトな仮説です。

ブリカス発生縁起

本作を対称構成と見ればリチャードの個性が際立ちますが、反復構成と見ればそれぞれキャラの立った群像劇に見えます。そして子供を除けばほぼ全員ワルなのですが、読んでゆくとだんだんワルどもに愛情が湧いてくる不思議な作品です。極悪のリチャードでさえ、最後の獅子奮迅の働きには応援を送りたくなります。

どうしてブリカスなる種族が発生したのか、ご納得いただけたかと思います。能力を尽くして精一杯活動するのが、イギリスでは良い事なのです。例え活動内容が陰謀でも、暗殺でも、呪いでも、反乱でも、何でもいいのです。周りの人間にとってはたまったものではありませんが、とにかく連中はそう考えている。そういう連中と向かい合うのは、なかなか大変ですね。捨て身で頑張ってきますから。


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