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「ナイン・ストーリーズ」構成読みの解説として【サリンジャー】

nagiさんがサリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」を読解されていました。

ご本人に問い合わせると、フォークナー読解に忙しいので、「バナハフィッシュ」が収録されている作品集「ナイン・ストーリーズ」の読解は当面する気がないとのこと。構成読み実録としての説明によさそうなので、自分でやってみようと思いました。ちなみに私が完読したサリンジャーは「キャッチャーインザライ」のみです。本作も「バナナ」以外未読でした。


構成判別

「ナイン・ストーリーズ」は作者が過去に書いた短編を9つ集めたものです。

発表年月日通りに並んでいます。なにも考えずに並べたかのようです。作者は以前にかなりの数の短編を書いていたそうで、その中で自分でも気に入っているものを9本並べた、ただそれだけのような気もします。
しかし、

こう見ると、作品の並びに意味がある気もします。「バナナ」では海水浴場で浮輪で遊びます。「小舟」では母と息子が小舟に乗ります。最後の「テディ」はデッキが何階もある豪華客船での話です。
次に登場人物のうちメインとなる人を調べてみますと、

こうなります。明らかに、

この部分が意図的に並べられています。先ほどの表と合わせると、

こうなります。対称(鏡像)構造です。(鏡像)と書いているのは、どうもAI世界では鏡像構成という言い方のほうがメジャーだからです。AIさん(Gemini2.5pro)は漱石の「こころ」を鏡像構成だと言い出しています。間違いです。「こころ」は反復構成です。

Grok4は「草枕」「三四郎」を鏡像構成と判断していますが、参照ページが私のページです。つまり、他に言っている人があんまり居ないようです。残念です。
私がこの対称(鏡像)構成に気付いたのは、漱石「夢十夜」が最初です。

当時はなんで漱石がこんな構成考えついたのか理解できませんでしたが、どうも昔からある構成のようで、なんか不思議な感じがするのは私が才能がないからで、才能ある作家の構成意識ですと、習わずとも自然とこういう構成作ってしまうようです。調べた限りです、漱石はじめ、シェイクスピア、プーシキン、ドストエフスキー、ウルフ、芥川、三島、映画なら黒澤、スコセッシなどの対称構造の作品を確認できます。サリンジャーも彼ら同様才能豊かなのでしょう。
それで、ここから先がより一層不思議な世界なのですが、

このような構造になっている時、経験則ですが、A1の意味を考える時A2を参照しながら考えるべきで、逆もまたしかり、B1B2も、C1C2もそうなります。全体が対称に並んでいるならば、対称の位置の内容を参照しながら読解してゆくべきだというのが、構成読み解き上の仮説です。
対称(鏡像)構造でない場合もあります。前述の反復構造です。

この場合もA1の意味を考える時A2を参照しながら考えるべきで、B1B2も、C1C2もそうなります。
太宰の「斜陽」が反復構成の典型的だと思うのですが、

ドストエフスキー「地下室の手記」、漱石「こころ」も反復構成です。
最近nagiさんが読解された、カフカ「変身」も反復構成のようです。

中心部分

そこでまずは中心部分を見てゆきます。

5「小舟にて」は、ペアを持ちません。

この作品のみさほど重層性を持たず、ストレートな内容です。主題はユダヤ人差別です。サリンジャーはユダヤ人で、アメリカ軍兵士として出征し、ダッハウ近辺のホロコーストの現場にも行っています。そんなユダヤ差別はアメリカにも、隠されているが確実に有る。

では4「笑っている男」と、6「エズメのために」のペアはどうでしょう。

6「エズメのために」は名作です。これほど優れた作家だったとは。
主人公が兵士としてイギリス滞在中、ふらりと立ち寄った教会で聖歌合唱を聞きます。最前列の女の子の歌が上手でした。

その後喫茶店で兵士がくつろいでいると、彼女(エズメ)と弟、家庭教師の三人が来ます。兵士はエズメと弟と会話します。その会話シーンが、極めてハイレベルな仕上がりになっています。
兵士とエズメは、互いの言語能力というか、程度の高い会話が出来る人かどうかを確かめるように言葉を交わしてゆきます。数回の会話後、互いにその能力を認め合い、思考世界を共有できます。

文学を好きな人は皆、一般の人々の言語とは少し違った言語を使う事が多いです。優れているかどうかは別として、言語の多義性を用いるソフトな言葉を使います。その言葉を使う人は、文学が好きになるかわり、一般の人々との会話が通じにくくなる瞬間がどうしてもあります。
ただ、一般の人たちより読書量が多く語彙が豊富ですから、社会生活自体は(語彙力でごまかして)成立できるのですが、本心のコミニュケーションはむしろしづらい。だから変な孤独感、「安全な孤独感」とでも言うべき感触を持ち続ける。人の言う事はそれなりに理解できるので、他人からは良く思われやすい。しかし自分の言う事は十分には表現しづらい。フルパワーで表現するとたいてい誤解される。だからいつも適当に丸めて会話している。
私も少しですがその傾向がありますが、サリンジャーのような優れた言語能力を持つ人はより激しくそうなるはずです。
主人公とエズメの言語の交わりは、その「安全な孤独」から解放される尊い時間でした。エズメは爵位を持つ貴族でした。主人公に自分の物語を書いてくれと依頼します。主人公は了承します。

その後時間は飛びます。主人公=作者は、対独戦線に参加します(ちなみに作者サリンジャーが参加したのは、ノルマンディー上陸作戦、バルジ作戦、ヒュルトゲンの森です。

あまりの悲惨さに精神を破壊されるのですが、この戦歴で精神破壊で済めば御の字です。生きて終戦を迎えられただけでも奇跡です)。
戦争は終りましたが、彼は消耗して文章を把握することもできなくなり、タイプライターに紙を差すことも手が震えてできません。顔も片側が痙攣しています。つまり言語表現能力を喪失している。
しかし、手紙が溜まっていることに気付きます。そのうち一つはエズメからのものでした。封を開けると、手紙と時計が入っています。時計はガラスが割れていました。エズメの亡父のかたみの時計です。時計を手にしていると、ありがたいことに(精神が安らいで)眠れる気がしてきます。ラスト転記します。

「エズメ、君はまったく眠たい男を選んだものですね。そしてその男はいつも、性の力をも含めて、すべての才能を具えた人間にもどるあらゆるチャンスに立ち向かっているのですよ」

主人公はエズメの愛情によって再生できそうです、というところで作品は終わりですが、この作品の冒頭は主人公は成人したエズメの結婚式に出席することを断念した、という記述です。出席を断念して本作の主要部分、エズメと出会うシーンを書き始めます。
つまりこの作品全体は、彼女の物語を書いてあげるというエズメとの約束を果たすために、出会いの十数年後に書かれたものです。階級差のある二人は結局結ばれることもなく、おそらく戦後手紙のやりとりは有っても再会することはなかったはずです。

4「笑っている男」も同じ話です。子供時代の主人公はコマンチ団という少年団に入って、放課後野球などして遊んでいたのですが、少年団の団長がジョン・ゲザツキーという名の、小柄ですが有能なスポーツマンでした。彼が子ども達を楽しませるために創作したお話がタイトルの「笑っている男」です。
作品内で団長ゲザツキーは、えらく美人の上流階級の女性と知り合います。彼女と一緒に野球もします。

なかなかの強打者だったのですが、最後は階級の違いから別れる羽目になります。そして彼の語るヒーロー「笑っている男」も、死んでしまいます。

つまり、4「笑っている男」も、6「エズメのために」も、同じ話、階級と差別の話なのです。5「小舟にて」もユダヤ人差別の話ですから、中心の3話は階級・差別のセクションと理解して大丈夫です。

(細かく見れば4「笑っている男」と、6「エズメのために」は「ニーベルングの指環作品群」に分類されうるのですが、説明省略します。階級・差別のセクションとだけ認識すれば全体把握には十分です)

他部分の読解

次に、3「エスキモーと戦う前に」と、7「美しき口もと、ひとみはみどり」のペアを見てみましょう。

7「美しき口もと、ひとみはみどり」は少々エグい話です。弁護士Aが女と寝ています。電話がかかってきたので出ます。同じ事務所の弁護士Bです。かみさんが帰ってこない、浮気していると言います。悶絶しています。
かみさんのひとみはみどり色なのですが、今弁護士と寝ている女のひとみもみどりです。つまり弁護士Bの疑念は正解です。いいカンしています。
弁護士Aはとりあえず口八丁で弁護士Bを落ち着かせて、待ってりゃ帰って来ると信じ込ませて電話を切ります。みどりの女は弁護士Aを持ち上げます。「あなたったらすごいのね。まったくよ」

しかし一件落着とはいきません。再び電話がかかってきます。弁護士Bからです。かみさんが帰って来たというのです。無論みどりの女は隣にいます。弁護士Aはひどい頭痛がしてきて、明日電話すると言って電話を切ります。

3「エスキモーと戦う前に」は、女学生二人の話で始まります。女学生Aは女学生Bに不満があります。女学生Bはテニスボールは持ってきてくれるのですが、車代はいつも女学生Aが負担しているのです。
女学生Bに文句を言うと彼女の家に連れてゆかれます。金を調達するからしばらく待っていてくれと。
女学生Aが待っていると男性が出てきます。Bの兄です。なんか間抜けは風体です。Aの姉の悪口言います。それなりに適切な悪口なので内心評価します。サンドイッチくれます。食べたくないのですがとりあえずもらっておきます。
Bの兄が出てゆくと、Bの兄の友人が来ます。こちらはきっちりした格好なのですが、あまりにも無個性で愛着湧きません。喋る内容も面白くありません。語り口が悪すぎるのです。女学生Aは段々嫌になってきます。Bの兄もBの兄の友人も、数年間飛行機工場で働いていたそうです。

というところで女学生Bがお金を持ってきます。しかし女学生Aはお金はもう要らないと言います。テニスボールを負担してくれているんだから。
家を出た女学生Aは、捨てようと思っていたもらったサンドイッチを捨てずにポケットの中に戻します。

女学生Aは最終的にBおよびB兄を嫌いにならずにすみましたが、彼女がBの兄に好意を持った最大の理由は、普段から反感を持っている姉を批判したこと、次の理由はBの兄の友人が嫌なタイプだったことです。つまり、BおよびB兄以上に嫌な奴が居るから、BおよびB兄を信用しだすのです。本章の主題は「不信」です。

7「美しき口もと、ひとみはみどり」も、主題は不信です。弁護士Bは奥さんを信用していません。だから居なくなって錯乱する。弁護士Aは、弁護士Bのことを徹底的に馬鹿にしています。その意味では信用しています。しかし弁護士Bの奥さんは自分の隣で寝そべっているにもかかわらず、弁護士Bは「奥さんが帰って来た」と言い出します。
弁護士Bは完全に狂ってしまったのでしょうか?もしかして弁護士Aが狂っていて、奥さんを別の人と認識間違えている可能性もあります。全てが信用できなくなった弁護士Aは、最後に落ちた火の付いたタバコをそのままにします。当然火事になるのですが、それは描かれていません。

二つの章はそれぞれ、不信について描いています。

ところで、弁護士Bは最初奥さんが「エレンボーガン夫妻」と一緒だったと言っています。ドイツ系の名前です。弁護士Bの名前はアーサーです。無論イギリス系です。
そして女学生Bはセレナ・グラフという名前、これもドイツ系の名前です。対独戦争がらみというニュアンスがあります。

次は2「コネティカットのウィグリおじさん」と、8「ド・ドミエ・スミスの青の時代」のペアです。

2「コネティカットのウィグリおじさん」は、女性二人が学生時代を回顧する話です。

女性Aが好きだった男性は死にました。やむなく別の男性と結婚して、子どもを作ったのですが、俗物の亭主に満足できません。馬鹿にしています。好きだった男性は兵役中に、日本製のコンロが爆発して死にました。
彼女の子供は、可愛い女の子ですが、ジミー・ジメリーノという架空の男の子の友人を創作して、いつもいっしょに居るつもりで生活しています。ジミーは黒い髪、みどりのひとみで、刀を持っていて、長靴を履いています。母が好きだった男性が死んだ話を友人にすると、子どもがやってきてジミーが車に轢かれたと言います。母は好きだった男性を思って泣きますが、子どももベッドで泣いていました。
女性は若いころは美しい未来を夢見ていましたが、今は過去を思い出して泣くだけなのです。

8「ド・ドミエ・スミスの青の時代」の主人公は、長らくフランスに住んでいたのですが、アメリカに舞い戻って美術学校(通信教育)の教師の職を得ます。校長はヨシュト(吉田?)という人物で、奥さんとは日本語で会話します。東京の帝国美術院元会員だそうです。ようするに日本人に雇われます。
しかし生徒はレベルが低く閉口します。そんなところへ才能ある修道女の絵が送られてきて、主人公は興奮して長々と返信を書いてしまいます。あまりにも興奮しすぎなので、修道院からは退学の通知が来ます。これはいかん、説得しようと修道院に出かけるのですが、行く途中で準備不足を感じて一度住居(兼学校)に戻って出直そうとします。
その帰り道で、整形器具店のショーウィンドウを見ます。ガラスの中で女性が、マネキンの脱調帯を取り換えていました。

珍しいので眺めていると、それに気づいた女性が取り乱して尻もちをついてしまいます。彼女はすぐ立ち上がって仕事を続けましたが、主人公の視界には突如太陽が現れ、自分の鼻先に秒速9300マイルで向かってきたのです。数秒後視力は戻り、女性はウィンドウから居なくなっていました。
結局主人公は修道院に行かずじまい、美術学校も無資格営業のかどで閉鎖されます。
素晴らしい才能を発見しても、育てられずに終わってしまった話です。このペアはいずれも「潰れた未来」について表現しています。

同時に、青の時代は「日本人経営者」で「太陽が向かってくる」わけですから、明らかに原爆投下の暗喩でして、2「コネティカットのウィグリおじさん」も「日本製のコンロが爆発」で好きな人が死にますから、背景は対日戦争になります。
サリンジャー的意識では、「ドイツは既に大国だった。日本は伸びてゆく国だったのに潰された」という感覚だったのだろうと思われます。

最初と最後

1「バナナフィッシュに最良の日」9「テディ」見ましょう。

9「テディ」は天才少年の話です。舞台は豪華客船の中、テディは窓際から船がオレンジの屑を海に捨てているのを見ます。天才少年だけあって哲学的に考えだします。

「屑の一部はもう沈みだしている。数分たつと、屑がまだ浮いている場所といえば、ぼくの心のなかだけになるでしょう。これはとても面白いことだ。というのは、これをある面から見れば、まず始めに屑が浮き始めたのがぼくの心のなかということになるからです。もしぼくがここに全然立っていなかったり、あるいは誰かがやってきて、ここでぼくの頭を切り落としでもしたら、、」

その後テディは甲板にゆき、幼い妹をみつけます。妹はおはじきを山と積み上げています。山を独占して一緒に遊んでいる男の子を馬鹿にしています。なんか嫌な感じの傲慢な妹です。
「いまあたしの欲しいのはふたりの巨人だけよ、大男ならくたくたになるまで双六ができるし、それからあの煙突に登って、これを誰かまわず投げつけて殺しちまうこともできるのよ」
妹はアメリカ帝国なのです。

その後テディは大学研究者らしき人と会話します。テディが天才だから学会も注目しているのです。テディは芭蕉の俳句など参照しながら自分の考えを説明しますが、気になる事を言い出します。

「あと五分でぼくの水泳の練習が始まる。ぼくは階段をおりてプールへ行くとする。ところが、そのなかに水が全然ないということもあるでしょう。きょうは水を取り替えるかなにかする日であるかも知れません。でも、たぶんぼくはプールの端まで歩いていって、ほんの一瞬、ちょっと底をのぞいてみたとします。すると妹がやってきてぼくを突き落とすようなかっこうになる。ぼくが頭蓋骨折で即死するということもありうるのです」
「妹はたった6歳です。それにあの子はぼくをあまり好いてはいない。そうなっても不思議はないんです。だからって、そのどこが悲劇的でしょうか。つまり、何が恐ろしいというんです。ぼくは定められたことをおこなうだけ、それだけのことですよ」

テディはプールに向かいます。質問者は煙草を吸ったのち、プールに向かいます。階段を下りてゆきます。階段なかばで幼い女の子の悲鳴を聞きます。(終り)

水の入っていないプールに突き落とされたテディは、松尾芭蕉を口にするくらいですから「日本人」です。
海に浮かぶ豪華客船の空のプールに突き落とされて死ぬ。皮肉の効いた表現なのですが、巣鴨プリズンの絞首刑の言い換えと思われます。

それの対になる1「バナナフィッシュに最良の日」については、nagiさんの解読お読みください。

私が加えるべき説明は、以下のみです。
広告業者が97人もたむろするホテルで、シーモアは507号室に宿泊。9と7の間は8、5と7の間は6です。つまり8・6です。
バナナによく似たバナナフィッシュ、バナナを食べるバナナフィッシュ、つまり共食いです。人間を殺す人間です。

全体

全体の表が完成しました。全体の解釈が可能になります。

アメリカは原爆投下という、無辜の民を殺傷する罪を犯しました。その原因は、アメリカ社会の中にもある差別です。差別心から残虐な行為をした。そんなアメリカが日本を裁いたのなら、その裁きの罪はこちらに帰って来ます。アメリカの戦争指導者たちを裁かなければ、アメリカ全体が罪に覆われることになるだろう。

日本のアカデミズムの正体についての考察

読解していて不思議になるのは、8「ド・ドミエ・スミスの青の時代」なんか、日本人と接している中で太陽が迫って来るのですから、どう読んでもあきらかに原爆投下の描写なのですが、なんでそう読めなかったのか。あるいは読めても発表しなかったのか。70年以上前の作品ですよ。いったい英米文学研究者は70年間何をやっていたのか。日本のアカデミズムについて、そろそろ本気で考察を加えるべき時期なのではないかと思います。












頭の中で考察しました。書く気が失せました。次の話題に行きましょう。

構成読み、解釈作業ステップ

本稿の目的は構成読みの解説です。
恐らく「ナイン・ストーリーズ」が対称(鏡像)構成であることは、読者様皆さまご納得されたかと思います。これだけでも、

こう見ても

対称に組み立てられています。
もっともこういう構成が目に入ってしまうと、

わけがわからなくなります。この構成である可能性も、実は棄却できません。できませんがあんまり美的ではない。冒頭2章が独立で、6「エズメ」を中心にした鏡像と見えなくもないですが、これでは作品がわかりやすくならない。この構成を仮定して読解しようとすると、おそろしく複雑な作業になるはずです。
目的は作品の読解ですから、出来るだけ整然としたわかりやすい構成を見つけなければいけません。ただでさえ難しい作品を、難しい構成を仮定して読解作業すると、より一層難しくなって永遠に意味がつかめません。水は低きに流れ、人は安易に流れ、解釈は簡潔に流れるべきです。
ただし、今現在は対称構成と反復構成だけだとみなしていますが、私の発見できていない構成もわんさかあると思います。現在分類できているのはここまでです。

だから未発見の構成によって組み立てられている可能性も、有るといえば有るのです。なんせ物語における構成の研究は始まったばかりですから、今後の展開は読めません。

話戻しまして、この場合、

冒頭と末尾の章が対をなしている、とは誰もが気づきます。気づけば対になるものとして読解することに、どなたでも抵抗はないと思います。
しかし、この対ですと、

対として認識するにハードルが高い。「エズメ」が単品として「階級差によって結ばれなかった二人の話」とは少し認識しにくいですから、笑っている男(は明らかに階級問題です)と対とは認識出来ない人が増える気がします。
そしてこの対が認識できないと、なにしろ全体の中心ですから、全体の読解も出来ません。全体としての意味が取れなくなる。「対をきっちり認識する」ことには、難易度の高低がかなりあるのです。この対は「笑っている男」が難易度低く、「エズメ」が難易度高く、こういう高低差の大きいペアは経験則的にやっかいです。

こちらの対は、

登場人物が対になっていますので、

「対である」と認識するのは比較的楽なのですが、対の内容把握は難しい。
3「エスキモー」は爽やかさを感じさせ、7「美しき口もと」はわけのわからない終り方です。3「エスキモー」が爽やかに見えて実は不信の物語であることは少々理解しにくく、7「美しき口もと」が寝室に居る女性が電話先の男性の妻である可能性があることも少々理解しにくい。

7の「美しき口もと、ひとみはみどり」というタイトルは、元来電話先の男性が昔、妻のために詠んだ詩です。原題は「Pretty Mouth and Green my Eyes」。
冒頭の女の容姿の描写では「her open eye very,however,disingenuously,large,and so blue as to appear almost violet」です。
瞳がGreenなのかBlueなのか、似ているけど微妙な違いを書くことによって、当の女性が電話先の男性の妻なのかそうじゃないのかもよくわからない状況を作り出しています。disingenuouslyとは陰険という意味だそうで、つまり悪女です。誰も彼も信頼できない。重層性の観点から三層で見るべきです

第一層・電話先の男が妻が帰宅せず錯乱している
第二層・その妻は電話口の男の隣に寝ているように見える、つまり浮気かもしれない
第三層・しかしラストで、それは電話口の男の錯誤で、電話先の男の妻ではない可能性が出て来る。同時にやはり電話先の男の妻であるのは事実で、電話先の男が完全に発狂した可能性も出て来る

となかなか複雑な作品になっています。ただし、「エスキモー」「美しき口もと」も両方それなりに難しい、つまり難しさのレベルが揃っているので、先ほどのペアよりも対を読み取るという意味では少し楽です。

追記・nagiさんから新情報いただきました。
「「ナイン・ストーリーズ」の冒頭で、禅の公案が引用されています。
「両手の鳴る音は知る。片手の鳴る音はいかに?」
言い換えると、片方だけだと分からないものは、両手だと分かる。 すなわち、単独で分からない話は、他の話と見比べてみると分かる。
~中略~
「笑っている男」と「エズメ」、「コネティカット」と「ド・ドミエ・スミス」を見比べていけば、階級問題、対日戦争ということが分かります。 つまり、この短編集が対称構成であることを暗に示すために、禅の公案を引用したのだと思います」
冒頭の公案については、この解釈で決定でよいかと思います)


となんだか偉そうに書いていますが、考えている過程では私も苦労しました。極めて難解な作品です。短編を集めて一貫した流れを作る、という意味では夏目漱石の「夢十夜」に似ていますが、サリンジャーは漱石と違って、叙景がない。漱石の叙景の切れの良さは、世界的に見ても超一流だと思います。サリンジャーは全部密室劇です。私も日本人ですから、叙景がなくて密室でこねくりまわし続ける作品はきついです。加えて読解の難易度が、感覚的には夢十夜の10倍以上です。
こういう面倒な作品解読するには、どうしても章立て表が必要になります。

短い作品なのですが大量になりました。難しいものほど大量に表を作った方が楽なのです。脳みその負担が減ります。肉体の負担は増えますけれど。もしも1年間に100回読めば、章立て表つくらずとも読解は可能なはずです。しかし人間短期間にそこまで回数読むことは不可能です。「ゲシュタルト崩壊の壁」というべきものが存在しておりまして、10回目くらいから集中が切れ、文章の意味が崩壊しゆきます。興味がなくなって集中できなくなる。それを補うのが章立て表でして、表と本文行ったり来たりすれば、集中力は保持できます。

3「エスキモー」7「ひとみはみどり」のような難しい対は、表の該当部分を何度も読み返して読解します。対になるのははっきりしていますから、ここは根性至上主義を発動してひたすら行ったり来たりします。より難解な作品ですとnagiさんが「バナナフィッシュ」でやっているように更に細かい章分析が必要になりますが、「ナイン・ストーリーズ」は最難関が「バナナフィッシュ」でして、他はそこまでやっかいではありません。

というわけでまとめです。
構成読みの解釈作業のステップとしては、

ステップ1:構成をあらあらに見る。対称か反復か。
ステップ2:それぞれの対を詳細に検討する
ステップ3:最後に全体の流れを把握する

となります。作家は作家で、自分の工夫を理解してほしいと思っていますから、それぞれの節が十分難しい場合には全体構成はシンプルにまとめるケースが多いです。だからステップ1はさほど難しくない。発表時系列順にならべてこの作品集の構成完成させるサリンジャーの能力は驚きですが。

問題はステップ2です。いくら優秀でも、こんな超難解作品を普通の人がいきなり解析するのは無理です。短編でさほど難しくないやつを10本以上やってからでないとまず不可能だと思います。読解における構成読みは、稲の脱穀におけるこき箸使いから千歯こきの発明レベルの、有用にして巨大な技術の進歩だとは思うのですが、残念ながら未だ自動脱穀機にはなっていません。それなりに経験、技術、筋力等々が必要な状態です。ある程度は慣れなきゃどうしようもない。

そもそも力量のある作家の傑作を普通の人間が分析するのは、例えて言えば藤井聡太の棋譜を普通の人間が分析するのと一緒で、元来無理筋なのです。彼我の能力に差があり過ぎるので、章立て表という「道具」を使って能力差を埋めようとしています。
今Youtubeなどで藤井さんの差し手を解説している動画は、奨励会(プロ棋士志望の人の選抜用リーグ)出身の人が、人間より強いコンピューターを使って分析しています。藤井聡太の差し手→コンピューターの分析→元奨励会の理解力、説明能力→一般人の理解という階層になります。

だから私もAIをもっと使いたいのですが、現状AIが使い物にならない。

Gemini2.5Flash
https://g.co/gemini/share/806f35b10584

Gemini2.5Pro
https://g.co/gemini/share/93679f2c6326

Grok3
https://x.com/i/grok/share/5IQNByDbNzXqiZm9N9BeUc5jK

Grok4
https://x.com/i/grok/share/subisXAwPzJMuzlKyLhUOIYzi

ChatGPT
https://chatgpt.com/s/t_68b76cff99c88191a90168f9d5ab833e

全部、分析以前に内容把握を間違えている。Gemini2.5Proが一番マシですが、8話以降間違っています。
実は以前からそうだったので、青空文庫の全文貼り付けてはAIに学習させていましたが、やってもやっても間違いつづける。間違いを指摘しても間違いつづける。どうにもならんです。Grokは一時期正しく内容を把握していたのですが、ちょっと目を離すとすぐ崩れる。理由は不明です。総花式に知識を集めることはしても、正誤を見極める思考能力が未発達という印象を持っています。

最後にステップ3の説明ですが、本作の場合nagiさんが既に全体の主題を読解されていましたから、考える余地がほとんどありませんでした。

他、構成読みをされる場合のアプローチの例として、
章が存在しない連続ダラダラ作品を無理やり章立て表作った「ダロウェイ夫人」

映画史上最高レベルの細分化された章立て表の「オッペンハイマー」

短い作品だからこそ章立てしないと理解が難しい「城の崎にて」

などが章立て表使いこなしのご参考になるかと思います。nagiさんの

も合わせてお読みください。
以下過去の解説もご参照ください。

私は構成読みを広げたいと思っておりますので、不明点、相談等ございましたら、お気軽にご連絡くださいませ。オープンな場所での会話が抵抗ありましたら、X上に書き込みいただければ、相互フォローでメールやり取りいたします。





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