教えてください、烏丸先生 #26 鶴田先生
教えてください、烏丸先生 #26
最終章・第1話 鶴田先生
I love you を夏目漱石が「月が綺麗ですね」と訳すのであれば
Fall in love を俺は「頭から爪先まで舐め回したいです」と訳すのだろう。
前の事務職員が定年退職して、新しい事務職員が来るらしい。公立の事務職員は年配で地味な人が多い。事務作業さえできればいいし、必要最低限の関わりしかないから、どうでもよかった。
「牛山です。よろしくお願いします」
教師生活10年で初めて、事務職員と関わりを持ちたいと思った。
牛山さんは仕事ができる人だった。
どうやらここに来る前は、学校ではなく役所でバリバリ仕事をしていた人らしい。なぜ学校の事務室で働くことになったのかを聞いたが、なんとなくスルーされて答えてはくれなかった。
「牛山さんは、結婚とかしてるの?」
一度、聞いたことがあるが
「セクハラですよ、それ」
と言って軽く笑われた。後から保健室の鴨志田先生から、独身だと聞いたが、男女問わず女性が聞くとセクハラとして捉えられないのは、unfairだと思った。
牛山さんは気が利く人だ。特に俺には気が利く。
書類は一番に持ってきてくれるし、英語でわからないことがあったらまず俺に聞いてくる。
年も近いし、俺に一番親近感をもってくれているはずだ。
問題は、烏丸先生だった。
いつからだろうか。
牛山さんが烏丸先生を見るときの目が、我慢できなかった。仕事の話をしているだけなのに、烏丸先生が何か言うたびに牛山さんの表情が少し変わる。それに気づいているのは、たぶん俺だけだった。
烏丸先生も気に入っているようだった。顔には出さないが、牛山さんへの視線をよく送る。
夏に、烏丸先生の車に乗り込む牛山さんを見た。
車を修理に出してたらしいが、俺のバイクには乗らなかった。
烏丸先生の家を調べるのに、時間はかからなかった。
最初は確認するだけのつもりだった。二人がどの程度の関係なのか、見極めれば気が済むと思っていた。
二人が車に乗った夜、俺は烏丸先生の家に向かった。
買い物袋を持った二人は家に入り、三時間が過ぎた頃、玄関の明かりがついた。ドアが開いて、牛山さんがでてきた。そのあと、烏丸先生が、牛山さんを抱きしめて、そして
シャッターを切った。何枚も切った。
手が震えていた。
翌週、烏丸先生を進路指導室に呼び出した。
スマホの画面を烏丸先生に向けると、烏丸先生は一度だけ画面を見て、それから俺を見た。表情が変わらなかった。それが余計に腹立たしかった。
「烏丸先生、牛山さんから離れてください」
烏丸先生はしばらく黙っていた。
「俺と牛山さんは」
「連絡も一切しないでください。でなければ、これを」
「わかりました」
それだけ言って、烏丸先生は部屋を出て行った。
烏丸先生が休職届を出したのは、その三日後だった。
俺は、烏丸先生に勝ったのだ。
これで牛山さんは、俺だけを見れるようになる。
休職後、牛山さんは烏丸先生のデスクを片付け、書類を処理し、淡々と仕事をしていた。やはり、烏丸先生にそそのかされているだけだった。俺に話しかける回数も増えた。
それから牛山さんはどこかへ出かけるようになった。休日に、一人で。
どこへ行っているのか、俺には教えてくれなかった。
ある日、牛山さんの後をつけた。電車を乗り継いで、見知らぬ街へ向かっていた。
ボクシングジムの前で立ち止まり、中に入っていった。ジムでトレーニングをする格好ではなかった。
牛山さんが出て行ったあと、入れ替わりでジムに入った。
「さっきの牛山さん、何しに来てた?」
受付のヤンキーが睨んできたが、睨み返した。
「さあ。烏丸先生がどうとか言ってたけど」
牛山さんは、烏丸先生を探している。
別の休日には、古いアパートを、また別の日には、書店の前に長い列を作って並んでいた。
烏丸先生を探しているのだと、すぐには気づけなかった。
烏丸先生がいる限り、牛山さんは俺を見ようとしない。
朝、家を出るとゴミ捨て場にカラスがいた。
人を怖がらないカラスは、俺がそばを通っても逃げようとしなかった。
烏丸先生。
その場で一羽、殺した。
カラスが家の前で死んでいたら、烏丸先生も死んだと思うだろうか。
それでも牛山さんは、烏丸先生を探そうとしていた。
もはや、洗脳だ。烏丸先生に洗脳されている。
救い出せるのは俺しかいない。
今夜、牛山さんは家を出た。
L'Aquilaというスナックに入っていった。
お酒を飲まない牛山さんが、そんなところに行くわけがない。
これは、烏丸先生の呪いだ。
烏丸先生に電話をかける。
「烏丸先生、カタをつけましょう。あんたの洗脳は終わりにするんだ」
「鶴田先生、なにを」
「今ね、L'Aquilaって店に牛山さんがいるんですよ」
「鶴田先生、まさか」
「これで終わりにしましょうか。どっちが残るか」
返事を聞く前に電話を切った。
駅前広場の街灯の下で、動かない自分の影をじっと見ていた。
