教えてください、烏丸先生 #25 帰り道
教えてください、烏丸先生 #25
第5章・第5話 帰り道
L'Aquilaを出ると、来たときより風が止んでいた。
扉の前で一度だけ立ち止まり、背中に残っていた店内の温度が外気にほどけていくのを待ってから、視線を上げる。雲の切れ間に星がひとつだけ見えて、すぐに隠れた。
来たときと同じ道のはずなのに、足の運びだけが揃わない。歩幅を合わせ直して、もう一度だけ踏み出す。
遠くの車の音が一度だけ通り過ぎて、また静かになる。
街灯の下に入るたびに影の形が変わり、次の明かりで戻っていく。その繰り返しを見ながら来た道を戻った。
スーパーで買い物をした。
マッシュルームを手にしたら「それなら食べれる」と烏丸先生は言った。
テーブルに向かい合って、スープパスタを食べた。
「このスープって全部飲むのかな」と烏丸先生は言った。
烏丸先生が換気扇の下で煙草を吸っていた。
煙草の匂いが、ソファまで届いていた。
ソファで並んで映画を見た。
烏丸先生のほうを見ると、一度だけこちらを見て、すぐ画面に戻った。
「距離って、測れると思ってたんだけどね」
角をひとつ曲がる。来たときに見た自販機が同じ位置にある。
駅に近づくと、明かりが増える。人の気配が戻る。さっきよりも風は弱い。
駅前の広場に出ると、街灯の下に人影がひとつだけ立っていた。
離れた位置で立ち止まり、ぶつからないように歩く。
人影が動き、こちらを向いた。距離が詰まるにつれて輪郭がはっきりする。
「牛山さん」
呼ばれて、顔を上げる。街灯の下に立っているのは英語の鶴田先生だった。視線がまっすぐこちらに向いている。
「どこに行ってきたの」
その距離のまま聞かれる。喉が動く。言葉が出ない。
「さっき、見かけたよ」
間を置かずに続く。視線が外れない。
「入るところ」
足の裏の接地を一度だけ確かめる。重心が不安定になる。
遠くで車が一台通り過ぎる。誰かの足音が横を抜ける。
「どこ」
もう一度聞かれる。手をポケットに入れたが何もなかった。
視線を外して地面を見る。アスファルトの細かいひびが、街灯の光で白く浮く。
顔を上げる。鶴田先生がまだ同じ位置にいた。
また一台、遠くで車が通り過ぎた。
―第5章・完―
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