僕と娘と覚醒剤 #005|SNSの責任
『男カタログ』
娘はソーシャルメディアをそう呼称する。
うん、まぁ、分からんでもない。僕はSNSを使ってエッチな目的で他人と会ったことはないけれども、セックス相手や彼氏彼女、その他もろもろの限定した目的で他人を探すのには格好のツールだろうってことは想像できる。
お互いに細かい性格を知る必要がなく、周囲の利害関係者という面倒なシガラミだってない。まったくの他人から好みの相手を自由にチョイス!相手の嫌な面が見えたらサヨウナラ。おお!神よ!感謝します!なんて便利な仕組みなんでしょう!
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年頃の子供を持つ親の最大の宿敵。それがソーシャルメディアだ。
いや、もちろん悪い面ばっかりじゃない。僕だってソーシャルメディアは使うし、それがポートフィリオになって仕事に繋がることだって結構ある。
よく切れる包丁は美味しい料理も作れるけれど、人を刺す事だってできる。つまりはそういうことだ。
保釈されたばっかりの娘のスマホに対する渇望は驚くべきもので、人間の依存性というものを再認識させられた。
興味深いことに、あれほど依存性が高くて危ないとされる、覚せい剤への執着はゼロであったのに対し、スマホへの執着は異常であった。
「今は別に、ツラくないからクスリ欲しいとか思わないな」
え?そういうもんなの?
依存というものは薬物や食べ物だけではなく、生活行動の全てなのだ。朝起きて、顔を洗い、歯を磨く。僕らはそれらの様式化されたパターンの中で生活し、そのパターンに依存し、それを正常だと思って暮らしている。
そのパターンから外れ、別のパターンを持ってしまった者が、社会から疎外されたり、投獄されたり、あるいは殺されたりする。娘のスマホ依存は、少々異常ともいえるが、まぁ犯罪ではないし、問題が無いとは言わないが、覚せい剤よりははるかにマシだ。
社会の常識と、程度、そしてそれに伴う行動パターンの問題なのである。ソーシャルメディアを穏当に使えば、健全な情報交換をしたり、親しい友人との交流がより楽しくなったりするだろう。
しかし、その『健全な情報』や『親しい友人』という変数が、『薬物』や『セックスの相手』に置き換わってしまった場合にはトラブルが発生する。
スマホを使う、という行動パターンそのものに罪はないのだ。
そこまで考えて、僕が達した結論は、ソーシャルメディアに責任はほとんどない、ということだった。
僕は保釈された娘を田舎の家で生活させ、スマホを持たせなかったが、それは『僕の目の前で娘は問題行動を起こせない』というだけの話なのだ。悪い事をしたら刑務所に閉じ込めて何もさせない、というシステマチックな国の行動と何も変わらない。
そして本当にクスリが欲しくなれば、スマホがなくたって、なにをどうやったって手に入れるだろう。
『薬物』や『セックス』という変数の優先順位を下げなければ、なんの解決にもならない。しかし、それは本人の問題だ。僕は僕の働きかけで、一朝一夕に娘を変えられると思うほど自惚れてはいない。それには5年、10年という時間が必要だろう。
裁判までに更生?いやいやいや、とんでもない。無理です。
本当の意味で反省させられるかだって怪しいのに、更生なんかマジ無理。
つまり僕は、身元引受人になって、娘の身柄を引き受けたものの、かなり早い段階から、娘に対して出来ることは、ほとんど何もない。と、気づいてしまっていた。
とりあえず裁判まではスマホを取り上げておき、問題行動は起こさせない。
僕にできるのは、せいぜい、それくらいのもんだ。
