「物語 メキシコの歴史 太陽の国の英傑たち」 大垣貴志郎
中公新書 中央公論新社
第1章「文明の出合い」
メソアメリカには鉄器はなかったし、車輪もなかった。土地を耕す牛馬も新大陸にはいなかった。独特の技術体系を生かしていたが、石器時代の技術水準であったと言っても差し支えない。
しかし、機械に対応する技術は低いが、人間の対応性における一つの高い到達点があった。「単純ハードと高度のソフト」を密着させていたと言える。ソフトは自然への深い理解と、その運用にもとづいていた。その代表的なものが「チナンパ農法」だと言う。
(p17-18)
チナンパ農法とは、ソチミルコ周辺のように水路や湖と畑を密着させ、水路の底に溜まった土壌や腐敗した水草を培養土とするもの。
マヤの焚書(16世紀中頃のディエゴ・デ・ランダ神父らによる)を免れた三冊の絵文書「ドレスデン絵文書」「マドリード絵文書」「パリ絵文書」。ランダ神父がまとめた「ユカタン事物記」も資料となる。「ポポル・ヴフ」は18世紀ドミニコ会修道士フランシスコ・ヒメーネス神父が、キチェー・マヤ人の知識人が書き残していたものを筆写したもの。アステカではベルナルディノ・デ・サアグンの「ヌエバ・エスパーニャ事物全史」(16世紀)など。
宿命論者とも言えるマヤ人は行動規範を暦に縛られていた。その束縛から解放する術もきちんと同じ暦に組み込んでいたのは注目に値する。
(p26)
このp26に絵文字が載っている「自殺の神イシュ・タブ」と言うのが、まさに首くくりのポーズで一瞬疑ってしまう。ただ、先述のランダ神父も「マヤ人は首をくくって死ぬ者が多い」と書き残しているという。自殺すれば天国で安息が与えられる?カトリックとは真逆だし、それだけがもし世間に流布していたとするなら、社会が成立しなくなると思うから、何か別なものに対する当時のカウンターカルチャー的なものではないか…とも思うのだが。
(2024 05/31)
第2章「搾取と布教の時代」
スペイン植民地時代(16-18世紀)
ラス・カサス「インディアスの破壊についての簡潔な報告」は1552年に出版されたが、その約30年後にはイギリスでこの本を引用した反スペインプロパガンダの書が出ている。同じ頃、托鉢修道士が布教を始める。フランシスコ会はメキシコ中央部、ドミニコ会はオアハカ、アウグスティヌス会はプエブラやミチョアカン地方など。17世紀支倉常長らが訪れたのはこのうちフランシスコ会の教会。
植民地時代には、ペルー副王領やスペイン本国以外の貿易を原則禁止していた。メキシコからスペインへの航路では、海賊船や略奪船が横行していた。
農業では、クリオージョが経営していた農場の農業生産物(麦、サトウキビ、タバコ、コーヒー豆)は改良が加えられたが、先住民族の農産物(トウモロコシ、プルケ酒、テキーラ)には改良はほとんどされなかった。
そんなこんなで、メキシコ独立(1810年の人口だいたい600万人)
第3章「独立記念日」
まず、冒頭のルーカス(ルカス)・アラマンは、今読んでいるデル・パソの「帝国の動向」でちょっとだけ言及されている。
(2024 06/01)
というわけで、今日、一気に読み終わり。第5章までは朝、それ以降は夕方。
なので?細かいところはおいて、気になったとこ引用。
まずは第3章続き。イダルゴらのメキシコ独立戦争(1810)から。
スペイン人を追放したあと、社会のしくみをどのように変革させるかを見通すことまで、イダルゴの考えは及ばなかった。イダルゴの「革命」は、スペイン海外植民地でクリオージョが抱いていたスペイン人に対する屈辱感を爆発させただけである。
(p70)
その後も同じような図式が至るところであるような…
イダルゴにまつわる伝説、つまり、『ドローレスの叫び』は今でも、国の尊厳を支えた精神としてメキシコ人に浸透しているが、これは残虐さを正当化するものにほかならない。不寛容を容認するもので、メキシコ史における不条理だ。つまり、暴力が、唯一、難問を解決する手段だとする恐るべき信条が、その後も幾度もなく、この国にくり返されることになる
(p80-81)
これは、「メキシコの百年 一八一〇-一九一〇」エンリケ・クラウセ著 大垣貴志郎訳(この本の著者)から。
メキシコ独立はイダルゴ-モレーロス-イトゥルビデと続いて1821年独立する。モレーロスは平等を強く求め、この頃はスペイン側だったイトゥルビデと戦って敗れる。その後イトゥルビデは独立側に移る。が、イトゥルビデは君主制にこだわり、ヨーロッパから招こうとしたが来ないので、自身が皇帝になってすぐ失脚してしまう。
第4章「憎き星条旗」
米墨戦争で今の国土より大きな領土を失ってしまったサンタ・アナの時代。
サンタ・アナは政治を司ることは得意でないのに、共和国大統領を一一期勤めた。疑いもなくその後、国に動揺を与え混乱を引き起こし、メキシコに不安と混迷をもたらした張本人となったが、不思議なことに失脚するたびに、権力者に戻る機会を巧みに利用した。
(p100)
独立したあと、メキシコは広大な領土の半分を喪失し、巨額の債務を残して国庫は破綻に直面した。この状況はあたかも独立戦争にあとの荒廃した国土のようであった。勇敢だった軍は国を守る術をなに一つ残さず解体され、なによりもこの国を特徴づける国民の意欲が失われてしまった。国は青年期のみずみずしさを失い、幼年期から一気に老年期へ進んでしまったのである。
(p115-116)
第5章「先住民の勇ましさ」
べニート・フアレスとメルチョール・オカンポの自由主義派と保守派の争い(レフォルマ戦争)。1857年憲法やレフォルマ法などの自由主義派の政策に対し保守派が反発。最終的に勝った自由主義派-フアレスはフランス革命のジャコバン党のように教会を破壊し、調停役だったデゴジャードやオカンポは保守派に暗殺される。
フアレスは、レフォルマ戦争を通じて、サポテカ人の不屈の精神を正当な大統領の座に吹き込むことができたのであろう。また、一八五七年憲法を通して、インディオのために、メキシコの保守的な圧制に立ち向かったのかもしれない
(p142)
これはフスト・シエラの言葉。
第6章「白昼夢をみた皇帝」
…は、まさに「帝国の動向」の時代なので…結構、史実にあってるね。シャルロットの祖母が、「マクシミリアンらは殺される」と言ったのも史実だったよう。
マクシミリアン失脚後、フアレスはますます自身の権力にしがみつく。著者は「憲法を蹂躙したわけではないが、憲法を冒瀆したのである」としている…どこが違うのかな。そこで反旗を翻したのがポルフィリオ・ディアス。意外にもフアレスと生地が近い(オアハカ近郊)で、フアレスもディアスも同じ科学芸術院で学んだ。
第7章「族長の交代」とその後
フアレスが死去し(1872年)、1876年ディアスが大統領就任。
メキシコ独立からサンタ・アナの時代が江戸後期文化・文政期、マクシミリアン皇帝時代が幕末、とすればディアスの時代はほぼ明治期。日本との交流も本格化。ベルエポック期と言われるように開発は進み、債務を返還し、開発独裁を貫いた。
自由主義国家の形をとりながら、実は偽装した極端な保守主義と独裁制とが一つになって呼吸しているかのように、国内には奇妙な統合がつくり出されていた。この状況は決して政治の円熟さを意味するものではなく、単なる混乱そのものにすぎなかった
(p189-190)
こちらはガブリエル・サイードの言葉。それを裏付けるかのように、1910年からメキシコ革命が起こって、ディアスはパリに亡命しそこで亡くなる(先のクラウセの本では、今のメキシコではディアスに不当評価を与え過ぎである、としていた)。
第8章、第9章。この後、メキシコ革命を経て、制度的革命党(PRI)が71年の間、大統領職を独占する。それが2000年、国民行動党(PAN)のビセンテ・フォックスが当選して破られる。
この本は先に挙げた「メキシコの百年」によるところが大きいためかカウディージョ(英傑)を取り上げる歴史の書き方を踏襲している。それに徹した歴史書も面白いけれど、他の書き方もあると思うので、今度はそちらも…
(2024 06/02)
