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眠りの森の植木屋さん 第七話「いじけ虫のプライド/高宮 花」

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第七話「いじけ虫のプライド」


 各種SNSで駄目元の検索をかけてみたものの、出てきたのは仕事用のアカウント一件のみだった。そのアカウントだって、高虎さんと弟さんのどちらが管理しているかは分からない。

 この三年間、色恋沙汰ざたからは遠ざかっていた。ちょっと良いなと思った相手と食事をする程度の事はあっても、そういう時に限ってタイミング悪く元恋人からの一方的なメッセージが届き、行き場のない恐怖心が目の前の異性に投影されてしまい、どうにも気が進まずに自然と疎遠になった。

 そもそも恋愛にはあまり良い思い出が無いし、気が乗らないうちは辞めてしまおうと決めた。せっかく、結婚も会社もやめたのだから。そのうち自然と人恋しくなるだろうと、その時が来るのを待った。だけど、もともと内にこもりやすい性格で一人で過ごす事が好きだし、何より、千早の存在があればそれだけで寂しくなかったのだ。

 高虎さんの事も、見ているだけで良かった。いや、見ているだけ “が” 良かったはずだ。

 なのに、誘いを拒否する選択肢なんて一瞬も頭をよぎらず、知りもしない連絡先に連絡をする気になっていた。こんなに心が動いておきながら、またもや私を困らせるのはこの私の粗忽そこつさだ。

 行き詰まってあずみちゃんに相談のメッセージを送ってみたところ、返ってきたのは何段飛ばしかの内容だった。

『今ちょうど柳川と居るから、花も来なよ』

 つまり、高虎さんの連絡先は自分も知らないけれど、その友人の柳川さんと一緒に居るから私もその場に来て聞いてみたらいい、という事だろう。説明を丸々省略するところは、とても彼女らしい。

 あの二人、昨日が初対面だったのにまた今日も会ってるのか。わざわざ邪魔しに行かなくても連絡先を聞いてもらえたらそれでいいのだけれど、柳川さんってちょっと変わってるし、この用件をあずみちゃん任せにするのも不安が残る。とりあえず行ってみて、先に帰ればいいか。

 ぼやぼやしていると、スーパーに買い出しに行っている銀ちゃんが帰ってきてしまう。あの子に知られれば無理矢理にでも付いて来て、面倒くさい事になるのは分かり切っている。さっさと出かけて、後から急用が入ったとでも連絡しておこう。よし、決まりだ、そうしよう。

 上着を手にした私の耳に、無慈悲にも「ただいま」という声が届いた。



 あずみちゃんから送られてきた店名を検索して駅裏の居酒屋にたどり着いたのは、もう少しで午後の四時という、飲酒には不向きな時間だった。

 本当に営業中なのか半信半疑のまま引き戸を開けると小さな店内はガラガラで、座敷席のあずみちゃんとすぐに目が合った。昨日のパンクルックよりは若干控えめな、黒いニットのミニワンピースと派手な柄の網タイツ。彼女が私に向かって手を振ると、生蛸なまだこをモチーフにした巨大ピアスがゆらゆらと揺れた。

 入り口に背を向けていた柳川さんは、営業スマイルを振りまきながらゆっくりと振り向いたが、私の横に立つ銀ちゃんの姿を捉えた途端、その笑顔を一瞬にして曇らせた。

 私がもう一人連れて来る事は、柳川さんにも伝わっているはずだ。きっとあずみちゃんは、いつもの調子でろくに説明もせず「花が親戚を連れてくる」とでも言ったのだろう。もしくは、銀水ぎんすいという珍しい名前を聞いて、柳川さんの方で無意識に女性だと思い込んだのかもしれない。

 彼は明らかに、私の連れが見目みめ麗しい青年である事に対し、動揺と不満の色を隠しきれていなかった。

 あずみちゃんにうながされて私が彼女の横に座ると、銀ちゃんと柳川さんが男性同士で横並びになった。少し冷や冷やしたが、さすがの柳川さんも、明らかな年下相手に張り合うなんて大人気おとなげ無いと分かっているらしい。

 私が銀ちゃんを紹介した後、柳川さんも棒読みながら自己紹介を返し、そして銀ちゃんに向かって「はい」と、渋々メニューを差し出してくれた。

 銀ちゃんの方はいつもの調子で、その雑な手つきで差し出されたメニューを両手で丁寧に受け取り、柳川さんの瞳をじっと見つめて「ありがとうございます」と微笑んだ。慌てて顔を逸らした柳川さんは、早くも薔薇の毒気にやられてしまったようだ。

 昨晩飲み過ぎた私は、メニューにろくに目を通さないままウーロン茶を頼み、飲酒の習慣の無い銀ちゃんも追従した。運ばれてきた飲み物で一応の乾杯をした後、そう言えばと思い出し、私は柳川さんに提案した。

「あの、今日の支払いは私に任せて下さい。急に押しかけてしまったし、お返しもしたいと思っていたので」

 そんな私の申し出を断ったのは、昨夜のフレンチを全額負担してくれた柳川さんでは無く、なぜかあずみちゃんの方だった。

「いやぁ、それは止めといたら?」

 彼女がそう言いながらこちらに向かって突き出してきたアルコールメニューに改めて目を通すと、意外な事に大量の焼酎で埋め尽くされていた。それも、芋、麦、米、その他、それぞれの項目毎に二十から三十、芋なら『森伊蔵』、麦なら『百年の孤独』と言った具合に、堂々たる顔ぶれが並んでいる。

 焼酎居酒屋とめい打っているわけでも無いのに、失礼ながら、こんな飾り気も無いごく平凡な居酒屋ではあり得ない品揃えだ。これは店主さん、只者では無いな。

 私が言葉を失っていると、あずみちゃんが「ね?」と笑った。なるほど、こんなお店で彼女が好きに飲めば、フレンチより高くつくだろう。

「この価値を分かって下さる女性になら、奢り甲斐があるってもんですよ。花さん、本当に気にされないで下さい、二日連続でお二人とお酒の席を共にできるだなんて、それだけで僕は嬉しいですから」

 柳川さんの放った二日連続という言葉に、銀ちゃんの嗅覚が反応した。

「柳川さんって、植木屋さんとお知り合いですか? こう、ツリ目で強面こわもての人」

 覚悟はしていたものの、早くもややこしい展開になりそうだ。

「ああ、室見むろみの事? 幼馴染みだけど」

「長い付き合いなんですね。それで、昨日のそのお酒の席は、あの人も一緒に? あの人と花って、昨日が初対面ですか? 女性に手が早いタイプ?」

 矢継ぎばやの質問に柳川さんが答えるより先に、あずみちゃんが笑って言った。

「銀水ってば、やめなやめな。あんたが大好きな親戚のお姉ちゃんは、とっくに立派な中年だよ? 傷付こうが騙されようが、好きにさせなって。最悪、それであたしみたいに失敗してバツが付いたって、花の人生は花のもんなんだからさ」

「僕はそんな風に思わないな」

 バツイチの自虐交じりの説教を、銀ちゃんは静かにかわした。

 その否定の言葉は、いとこに対する自分の執着心を肯定しているのだと、そこに居た三十代後半の男女達はそう受け取った。けれど、美しい青年の口から続いて出てきた言葉は、その予想を覆すものだった。

「あずみちゃんは、自分が離婚した事を失敗だったって思っているの? それとも、結婚をした事? その時その時で、あずみちゃんが悩んで苦しんで出した結果でしょ。それを失敗だなんて、僕は思わないよ」

 浮世離れした薔薇男は、時折さらりとこういう事を言うのだ。

 さすがのあずみちゃんもむずがゆそうな顔になり、その向かいではなぜか柳川さんが少女のような瞳で銀ちゃんを見つめていた。彼のほおが赤いのは、果たしてアルコールのせいだけだろうか。柳川さんは私の視線に気付くと、はたと我に返り、むせ返るような薔薇の幻臭をパタパタと手で振り払った。

 その仕草を見た店員さんが、呼ばれたと勘違いしてこちらに向かってくるのが見えた。私は慌てて「違います、すみません」と頭を下げたが、その様子に気付いたあずみちゃんが「ちょうど良かった」と追加注文の構えを取る。

 こじんまりとした居酒屋は暖房が効きすぎていて、あずみちゃんは芋焼酎の『村尾』をロックで頼み、それが運ばれてきたタイミングで柳川さんが話を元に戻した。

「で、室見が何だって?」

「植木屋さん、僕の目の前で花の事をデートに誘ったんです」

「へー、あいつがねぇ……」

 柳川さんはそう言ってから、しばらく幼馴染みとしての思い出を頭の中で巡らせたらしい。沈黙の後、私に向き直って言葉を続けた。

「珍しいですね。高虎は、昔っから恋愛事に関して自分から積極的に動くタイプじゃ無くて。まぁ、それでも寄って来る女子が居て、モテてましたけど……」

 そこまで言うと柳川さんはまた言葉を止めた後、小声ではあるものの、はっきりとした口調で「……クソが」と呟いた。

 そして、すぐさまいつもの営業スマイルに戻る。

「失礼。つい、思い出しているうちに感情が爆発してしまいました」

 あっけに取られる私の隣で、あずみちゃんの馬鹿笑いが響いた。先ほど彼女が注文したばかりのグラスは、既に空の様子だ。

「あぁ、柳川は面白いなぁ。で、そんなモテ男が未だ独り身なのは、何か理由でもあるの? 独身主義とか?」

「それはとてもいい質問ですね、あずみさん」

 塾講師さながらにそう答えた柳川さんは、まるで用意していた講義を始めるかのように、すらすらと語り出した。しかしその内容は、彼の自慢話を要所要所に詰め込んだ冗長なもので、あずみちゃんはその間に三度のお代わりをし、私と銀ちゃんもアイスコーヒーを追加注文した。

 主旨が判明するまで時間を要したが、どうやら結論としては、学生時代の人気男子の立場は大人になって崩れ落ちる事がよくある、それは婚活市場での男の需要は露骨なほどに収入に比例するからだ、という事らしい。

 柳川さんの主張に対し、あずみちゃんが抗議した。

「そりゃあ、共働きが当たり前の時代とは言え、人生のパートナーを探す場で相手の収入を全く気にしない女なんて、そうそう居ないだろうね。逆に男側からすれば、出会った時点で既におばさんってのよりは、若い女の方が良いってわけでしょ」

 それらは単に、ぜい容貌ようぼうの問題だけでは無いだろう。積極的に結婚相手を探している人の多くは、妊娠・出産、そして子育て生活を視野に入れているからだ。

 お金と若さの圧倒的な優位性。それは残酷な現実ではあるものの、しかし、それもある意味で男女の一面にしか過ぎないというのも、また事実だろう。

「柳川の言ってる事も分かるけどさぁ、金の無い男や平凡なおばさんだって、恋愛やら愛憎劇やら性欲発散やらしてるわけじゃん?」

 性欲発散、と口にしたタイミングで、またいつの間に注文していたのか店員さんがお酒を運んできて、当然のようにあずみちゃんの前にグラスを置いた。

「『魔王』ロック、お待たせしました」

 先ほどから胡坐あぐらを組んでいる彼女の姿と相まって、何だか本物の魔王みたいで格好良かった。

「金の無い男がモテないって言っても、あの植木屋なら受け入れる女は沢山いるでしょうよ。だからさ、実はモラハラ野郎だとか、ギャンブル狂いだとか、そんな裏があるのかなって。銀水の過保護っぷりはアレだけど、やっぱ花の友達としては心配なわけよ」

「高虎の人間性の話ですかぁ?」

 昨夜あずみちゃんのペースに合わせて飲んだ事を後悔していた私は、心配になって柳川さんの顔を覗き込んだが、長い演説の間に自身もせっせとアルコールを摂取していた彼は、既に目がわっていた。

 一体、どんな思い出話が飛び出すのか。私は一瞬身構えたが、柳川さんが続けて放ったのは、意外や意外、手放しの誉め言葉だった。

「あいつはね、なしに良い奴ですよ。悔しいですけどね。僕だって分かってますよ、あいつが子どもの頃からモテてたのも、体格や運動神経だけが理由じゃ無いって事は。ほんと、悔しいですけど」

「何がそんなに悔しいのか、全然分かんないな」

 ずっと退屈そうに黙っていた銀ちゃんが、ぽつり呟いた。

 それはおそらく純粋な独り言だったが、柳川さんにとっては九頭身の美青年に小馬鹿にされたと感じただろう。絵に描いたような火に油だ。アルコールの回りきった真っ赤な顔面に、青筋が走った。

 それを見ていた私は一瞬肝を冷やしたが、柳川さんは小さなため息をつき、まるで自分に言い聞かせるように言った。

「……まあ、別にいいさ。君ならいくらでも異性が寄ってくるだろうし、僕みたいなやつの気持ちなんて分からないだろうね」

 それから再度ため息を吐き、滔々とうとうと語り出した。彼お得意の、長台詞だ。

「僕に言わせてみればですね、思春期に下手にモテてた奴って、自分から異性に対して行動する必要性や方法、それから、異性に拒否されるって事がどれだけ傷付く事なのか、それらをよく知らないまま齢をとっちゃうんですよね。あんなもん、誰だって怖いじゃないですか。でも、若さでなんとか乗り切りながら学んでいくものなのに。齢を取ってから、モテてたばちが当たるんですよ。ざまぁ見ろ!!」

 柳川さんは力強くそう言うと、一旦、お冷を飲み干した。

「でも、僕は違いますから。否定されて当たり前だったんで、今更、痛くも痒くも無い。モテるなんて曖昧で流動的なものなんだから、結局は一人だけでいいんです。そのたった一人が心底自分を愛してくれて、自分も残りの人生全力でその人を愛する、そんな相手に巡り合って、僕を笑った奴らより何万倍も幸せになってやるって」

 あまりにロマンチストが過ぎる発言に、当の柳川さん自身も少し気恥ずかしそうだ。照れ隠しとばかりに更に言葉を続ける。

「ま、僕みたいに俯瞰ふかんで見てるしかなかった人間にとっちゃ、学生時代の恋心なんて時に滑稽こっけいですらあったし。高虎に集まってた女子どもだって、あいつが高校を辞めた途端にあっさり別の男に移って、ほんと、学校ってとこはいちいち残酷な空間ですよ」

 幼馴染みの複雑な事情をつらりと公開した柳川さんは、すぐに自分の失言に気付いたらしく、途端に押し黙った。

 どうやら、私の反応をうかがっているらしい。

 私の方はと言えば、ここに居ない高虎さんのバックグラウンドに対して「気にしない」と言うのもおかしな話だし、それも何だか上から目線のような気がして、どうリアクションするのが正解なのか分からず一緒に黙ってしまった。

 沈黙を破ってくれたのは、銀ちゃんだった。

「それもよく分からないや。僕、高校って行ってないから。中学もあんまり通ってないし」

 本格的にバレエの道を進む十代の中には、バレエ留学のために高校を休学したり通信制に転校して、結局そのまま卒業を諦めてしまうケースは少なくない。これらの問題は、業界でも度々議論される。リスクを負って世界に飛び出しても、プロのダンサーになれる保証はどこにも無いからだ。そして銀ちゃんの場合は、そもそもが不登校気味だった。

 完璧そうな美青年の口から語られた意外な過去に驚いているのか、まだ黙ったままの柳川さんを、あずみちゃんがテーブル越しにからかった。

「まぁまぁ、そんなにひがみなさんなって。柳川だってそう悪くないと思うよ? 猿みたいで可愛いし、見てて飽きないし」

 途端、柳川さんの目に光が差し、何やら言いかけたが、あずみちゃんはそれを押しのけ、どうやら唐突に思い出したらしい私の本題に入ってくれた。

「忘れるとこだった。花に植木屋の連絡先教えてやってくんない?」

 肩透かしをらった柳川さんは一瞬がっかりした様子だったが、すぐに持ち直して食い下がった。 

「分かりました、お教えしましょう。ただ、その代わりと言うわけでは無いですけど、僕達も二人でどこか遠出でもしましょうよ」

「別にいいけど、真面目に婚活してるならあたしに時間を使っても無駄になっちゃうよ? 再婚は考えてないから」

 二人のやり取りを、銀ちゃんがぽかんと眺める。その美しい瞳に、柳川さんの姿はどう映っているのだろうか。

 銀ちゃんは、無性愛者だ。この世の一切の人間に対して、恋愛感情が湧く事も、性欲を覚える事も無い。

 この子の不思議な魅力に引き付けられて言い寄って来る女性達や、時には男性の、その下心を含む好意を考え無しに受け取るものの、相手が求めるものに応える選択肢は無く、そのすべも知らない。

 過剰な好意を寄せられ、勝手に期待され、誤解と逆恨みをされて、時には排除までされる。ずっと戸惑い続けてきた銀ちゃんを見てきた私は、いい歳をしたこの子をつい甘やかしてしまうのだ。

 そう言えば、元恋人は、私の家に気軽に泊まりに来る銀ちゃんの事が大嫌いだった。千早の存在にも良い顔をしなかったから、付き合っていた間は千早にあまり連絡を取らなくなっていたんだっけ。高虎さんは、どう思うだろうか。

「再婚を考えられない理由を聞いてもいいですか?」

 柳川さんが、あずみちゃんに真っ向から迫った。

「今も元旦那さんに気持ちがあるとか、そういう事でしょうか」

「旦那だった男には未練なんか無いけど、でも、そこに置いて来た男の事は一生大事」

 このややこしい言葉の意味を、柳川さんは酔っぱらいの頭でゆっくりと考えている様子だったが、答えが出る前にあずみちゃんが続けて言った。

「親権、取れなかったんだよ」

 大人の恋は、色々と複雑だ。

 




第八話『雨(前編)』に、続く

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