作品と作者は別物とかいう前に、そもそも作者ってだれのことなんだ?①
動画で自己紹介をする、ということを試している。
ことの発端は「書くこと」への違和感だったわけだけど、ここにきてその違和感の正体がわりとはっきりしてきた。
(*自己紹介動画は以下の記事を参照。)
矢沢永吉の名言「俺はいいけど、YAZAWAが何て言うかな?」をご存知だろうか。
かくいうわたしもこの理屈で活動している。
絵を描くときは「FUUD」だし、音遊びをしているときは「(((deflecto)))」で、他にもいくつかの人格を飼っているし、それらの飼い主は地方都市生活者である一般の社会に本名で存在している"ぼく"だ。
ここで疑問がわく。絵を描いているのは「FUUD」だが、世間にその作品を発表しているのは誰だ?
人格を与えるようにして創作するのには理由がある。そうすることで純粋に表現することに集中できるからだ。これは生き延びるためにあみだされた知恵だった。ぼくにとっても、それぞれの人格にとっても。(こういう知恵こそがartの語源であるars的なものだろ?と思っていたりいなかったりはさておき)
このパトロン形式のいいところは「金がないから、場がないから、支持者がいないから、できない。」という言い訳を排除できるところだ。
「おれが面倒みるからおまえは創作に没頭しろ」
そう言ってやることで、ぼくの中でお絵描きや音遊びは純粋に行為をたのしめる時間になった。
発明だった。
ヒントになったのはSNSのアカウント切り替えという概念だった。自分の中で特化した性質に名前を割り振る。個別に管理する。ぼくは見違えるほど生きやすくなった。
本題に戻ろう。
絵を描いているのは「FUUD」だが、世間にそれを発表しているのはいったい誰なんだ?
この問いに答えを得るきっかけになったのが最近始めたここnoteという場、しかも他人様の記事だ。(以下参照)
noteでFUUDのアカウントを最初にフォローしてくれたのは、はじめましての「ザクロ星人」さんだった。そのときの最新記事がやたらおもしろかったので即フォロー。すぐにフォローバックがあった。ここnoteでは輪を広げるためだけのフォローのしあいなど社交的な振る舞いはよそう、と思ってた矢先に、、、。
なんだか長くなった。今回はこのへんにして、またあらためて続きを書くことにする。
※②(完結)へつづく↓
