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『インディペンデントな日々』 - 第六話 「自意識過剰のさきには」

前回の『インディペンデントな日々』では初の作品展を催すまでのことを綴った。

出来事として次にくるのは、2回目の作品展から"ディストロ"なるものを取り入れたことなのかもしれないけれど、その話は次の機会にゆずるとして。

今回は、その作品の制作や展示を通して考えていたことを一旦綴っておこうと思う。


"やりたいことをやる"と言えば聞こえはいいが、では、あなたのやりたいことは何ですか?と問われると少し戸惑ってしまう。言い換えるなら"やりたくないことはやらない"だけれど、それにしたって同じこと、いかにも不親切だし、だいいち答えになっていない。

「倫理」という言葉がある。

倫理(りんり)とは、人間が社会生活を送る上で守るべき「人としての正しい道筋や規範」を指し、「倫(仲間)」と「理(道理)」が合わさった言葉で、集団内での秩序や決まりごとを意味します。法が強制力を持つ社会的なルールであるのに対し、倫理は個人の内面から生まれる自律的な規範であり、何が善で何が悪いかを判断する基準となります。この概念は、哲学や教育(高校の科目「倫理」など)、医療(生命倫理)、環境(地球倫理)など、様々な分野で「より良く生きるための指針」として探求・実践されています。

Google AI より引用

よりよく生きるための技術が"芸術(アート)"で、
よりよく生きるための指針が"倫理"だ。

その指針がどこから出てくるかと言えば"内面"からだという。その"内面"っていったいどこ?それは何??

ドローイングを描き残し整理して並べる、そのような行為を芸術として捉えたとき、その指針となるものはないよりもあった方がいい。なぜかと言えば、生活の中で手を動かす時間は限られているし、限られた時間では、なるべく制作に没頭したいからだ。

指針は内面から生まれるべきもので、ここがうまくいかないと「どのようにして」という問いを解くのに時間を費やしてしまう。

「なんのために」芸術をやるのか。それははじめからわかっている。"よりよく生きる"ことのためだ。

では、「なにを・どのように」やることが"よりよく生きる"ことに繋がるのだろう?

己を知る、とはよく言うが、それはなんとなくの概要を伝える言葉でしかない。今回知りたいのは、"よりよく生きている"とはどういう状態なのか、だ。それを知らないかぎり、"指針"を打ち立てることはできない。いま示したいのは"内面から生まれる自立的な規範"なのだから。

と、思いながら鉛筆を握っている。
当然、いい線とよくない線がある。
いい線が描けているときは身体がたのしんでいるし、よくない線を描いているときは身体がいやがっているように感じる。

今のところぼくはこれを"倫理"と呼んでいる。
"描きたい"という欲動に、うまく身体が応えているか?それがぼくにとっての制作上の倫理だ。この倫理に則った行為の結果を芸術=作品として残したいのだと思う。

ゴツゴツと分かりにくいままに文章を綴っているが、これは一度書き残しておこうと思った。内容で言えば少しも深いことではない、むしろ制作の初歩の初歩のことだと思いつつ。


ぼくは"インディペンデント"だとか"野良"だとかいう言葉をたびたび使う。この自意識過剰のさきには、きっと今よりもさらにさらに力の抜けたいいドローイングがぼくを待っていると信じている。活動を始めてまだ三年目。ぼくはまず何よりもさきに自身が"よりよく生きる"ことを実践しようとしている。作品としてそれらをまとめて世に問うのがこれからの大きな仕事といえばそうなのかもしれない。それはH apartment studiosという場やレーベルにも関わる話だ。

どのように大きな仕事に取り掛かるのか?
それはこれからの課題だろう。
それよりも何よりも。

欲動に対して
"うまく身体が応えているか?"
それがぼくの制作上の倫理で、
その答えはいつも行為の中にある。

今回はそういうお話。

「インディペンデントな日々」不定期連載中

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