『インディペンデントな日々』 - 第七話 「ぼく(ら)の成人式」
前回の文を綴って記事にしたことで、この『インディペンデントな日々』 は"回想録"だったことを思い出した。
回想といえば、初めての作品展を催す前後に考えていたことを思い出したので、ここに綴ろうと思う。(※第三話の補足的な内容かもしれません)
ぼくはそれまで作品発表の場をinstagramに限定していた。"限定していた"というのは正確ではない、とりあえずそこにしか発表の場を思いつけなかったというのが正直なところだ。
FUUDのinstagramのアカウントをデザインするとき、はじめは「影響を受けた作家群だけをフォローして自作を淡々とあげていく」。そういうアカウントにしたかった。しかしその魂胆は早々に頓挫する。ぼくが影響を受けた作家の多くはもう活動を終えていたり、アカウントが存在しなかったり、と、ことのはじめから意図した設計ができないところから始めることになった。
影響?
そうですね、列挙してみますか?
・鳥山明・車田正美・世界のスーパーカー(昭和)・タミヤのプラモデル/ミニ四駆/RC・ゾイド・ファミコンソフト(エキサイトバイク/アイスクライマー/ツインビー/グラディウス/忍者じゃじゃ丸くん/スターソルジャー)・大河原邦男・いわさきちひろ・魚喃キリコ・寺田克也・大友克洋・松本大洋・蛭子能収・林静一・中原淳一・高橋真琴・山本タカト・酒井駒子・宇野亜喜良・ルル ピカソ及びバズーカの面々・田辺ヒロシ・小岐須雅之・トリスタン ガルドス カルピオ・ジュリー ヴァーホーヴェン・キム ヨーソイ・花森安治・山名文夫・ベン シャーン・レイモンド ペティボン・オーブリー ビアズリー・エゴン シーレ・ハンス ベルメール・横尾忠則・荒木経惟・森山大道・中平卓馬・川内倫子・デニス モリス・小村雪岱・伊東深水・伊藤若冲・芹沢銈介・池田満寿夫・・・など、いま思いつきで記してみました。
一時期、iTunesのプレイリストを公開してその個人のパーソナリティを表出する、という文化があった。記しながらなんだかそれを思い出した。そこでの欲動は何だったのか?それもたぶん"自己顕示欲"だとか"承認欲求"だとかいうものだろうと思う。'00年代はいま振り返ると牧歌的な、平和な時代だった。
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FUUDはinstagramの中で何を試みていたのだろう?
・onefingersnap・little.bird.colors・nyonnm73
・asobiartworks・lingne_artwork ・mh__5727
・masamihabuchi ・cano5py ・thorstenz2
・apimi_san・siiieee___・q.link・carmenhillers
・yaburetapan2 ・jun_kaneko_ などなど
これらのinstagramアカウント運営者とは、FUUDのアカウント立ち上げ早々からコメントなどのやり取りも通して、ぼく個人が公の場に作品を発表することを考えるうえで本当にお世話になった。(当然、他にもたくさんいらっしゃいます。)今考えると、どのような動機でアカウントを動かしているのか、活動に軸のある人に出会いたかったのかもしれない。とにかくぼくは上記のアカウント(書ききれなかった方も含め)に出会うことで、一年間ほどたのしく投稿を続けることができていた。
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「インディペンデント」という言葉をつかうとき、念頭にあるのが"個と個の対話"の姿だ。だれに促されるでもなく自らの表出に責任をもっている、そういう"個"としての表現や活動にぼくは惹かれてきたのだし、やるからにはそうありたいとinstagramのアカウントを続けていくほどに思いをつよくしていた。
しかしそれは同時に、同じように"表現"している者同士のコミュニティでもあった。そこにだんだんと狭さを感じてきていたことを思い出す。居心地はいい。だけど、そのプラットフォームにアカウントを持っていない、表現者じゃない人たちにも作品や活動を観てもらいたい。
それはたんに欲望といえばそうで、ぼくの欲張りな部分なのだろうけれど、instagramの中だけで活動するより他に、より不特定の人たちに作品や活動を触れさせる機会は、もっと別の場でもつくれるんじゃないかと考えたのだ。(これは第三話でも綴っている。)
どこまで掘っても自分自分なのは、ぼくがいちばんよく知っている。こんな性質だから、とてもじゃないけど本名では活動できない。本名であるぼくはもう少し社会のなかで社会性を気にして振る舞っている。だからこそこれらドローイングその他の発表や作品公開の活動にFUUD、H apartment studiosという名札をつけているのだと思う。今のところそれら名札が作品や活動を守ってくれているのだからこの活動形態は間違っていなかったと思っている。
instagramから飛び出すことで、FUUDと H apartment studiosはプラットフォーム外での視線も浴びることになる。インディペンデントであろうとしている先に見ていたのは、アメリカのインディレーベルの運営スタイルだった。例えばDISCHORD records。DISCHORD houseと呼ばれる場所があり、inner ear というスタジオがある。
そういうことと自分(たち)の活動を想像で混ぜ合わせる。憧れなのか、なんなのか。理想はどれだけでも語れるけれど、とにかくそこにはもうプラットフォームの中で支えてくれていたような保護者はいない。instagramという一企業のサービス/特定のプラットフォームから飛び出すということは、そういうことだ。ぼく(ら)は、社会の中に飛び込む決心をした。いま考えるとそれは「成人」になるためのぼく(ら)なりの儀式みたいなものだった。
