初めての保護猫 第18話(#シロクマ文芸部)
<あらすじ>
妻に先立たれ、やもめ暮らしの75歳の主人公は、買い物帰りに近所の田んぼのあぜ道で、泥だらけになっている猫を『初子』と名付け保護することにした。ところがその猫は妊娠していて、しかも猫エイズキャリアだった。
数日後、5匹の仔猫の出産に立ち会い、仔猫の里親探しをする為、『ポチたま保護の会』主催の里親譲渡会への参加をすることになった。
初子はFIVを発症し、日に日に弱っていく。
ワクチン接種を終えた仔猫たちは、いよいよ譲渡会に参加し、唯一雌の長子がもらわれていくことになった。
その後、、囲碁仲間のK氏が娘さんと一緒に仔猫を迎えに訪れてきて、斑の里親になることになった。
そして、離婚危機になっていた娘の美奈子も、夫の陽介と和解し、よりを戻すことになった。その際、白と豆男の二匹を一緒に連れて帰ることになった。
休みの日のスーパーは買い物客が多くて、人混みに疲れてしまう。
ゴールデンウィーク初日とあっては、なおのことだ。
今日の午後には拓望たちが帰省してくるから、色々と買い物をした。
初子の療養食も丁度無くなるころだった。
両手に抱えきれないほどの荷物にため息をついていたら、レジの男性が「宅配、できますよ」と教えてくれた。そんな便利なサービスがあるのかと、驚き半分、安堵半分で、ついでに猫のトイレ砂や飲料水など、重くてかさばるものをあれこれ買い足してしまった。
そして、手ぶらで自宅に戻る道すがら、どこか物足りない気がした。両手が空いていることが、むしろ落ち着かない。何か大事なものを置き忘れてきたような、そんな気分になる。
気を取り直して、部屋の掃除をいつもより入念に始めた。キッチンも、秀美さんが使うと思うと、男所帯のだらしなさをそのまま晒すわけにはいかない。洗い物を片付け、シンクの水垢も丁寧に磨いた。幸いだったのは、つい最近まで、綺麗好きな美奈子がいたことだ。猫たちの世話に追われながらも、細かなところまできちんと掃除してくれていた。随分と小言も言われたが、そのおかげで今もひどくは散らかっていない。
やれやれ、とお茶を淹れてひと息ついたところで、チャイムの音が鳴った。
「お義父さん、お久しぶりです」
ドアを開けると、そこには懐かしい顔があった。
秀美さんが手土産を持って挨拶してくれた。薬剤師の仕事をしている秀美さんは、仕事柄か清潔感があり、装いもシンプルで好感が持てる。
秀美さんの後に続いて、結菜が玄関に入ってきた。
「おじいちゃん、こんにちは」
髪をポニーテールに結んでいて幼さは残るが、背は伸びて秀美さんに似てきた。
「久しぶりだね、大きくなったな」
そう言うと、恥ずかしそうにニコッと笑った。
最後に、大きな荷物を抱えて拓望がやってきた。
「挨拶はいいから中に入って、ゆっくりしなさい。疲れただろう?」
そう声をかけてリビングへ招き入れ、コーヒーを淹れる。拓望の好きなブレンドコーヒーは、さっきスーパーで買ったばかりだが、うっかり宅配の荷物に入れてしまったのは失敗だった。
リビングには尾曲が昼寝をしていたが、来客に驚いたのか、ソファの下に隠れてしまった。
「おじいちゃん、さっきの仔猫だよね?」と、結菜がソファの下を覗き込む。
「怖がるから、あんまり追い回しちゃダメよ」
仏壇に向かって手を合わせながら、秀美さんが結菜を優しくたしなだめた。
「結菜は仔猫に会いたかったんだよな」
拓望が意味ありげに口角を上げた。
結菜は次に、ケージの中で寝ている初子に視線を移した。
「お母さん猫でしょ? 疲れているみたい」
結菜は初子を撫でようとしたが、躊躇ってその手を留めた。
「病気なんだ。一時期より良くはなってきたんだが波があってな。今日は朝から餌を食べないでいるんだよ」
ゴールデンウィークの最中、動物病院もお休みだ。少し体調も落ち着いてきたと思っていたから、受診は見送っていた。
調子が悪くなるのは、いつも『こんな時に限って』――というタイミングだ。
「そうだ、結菜ちゃん。中学受験に合格したんだよね。おめでとう」
床の間に置いていた合格祝いの金封を持ってきた。
「本当は、記念になるようなものでもと思ったんだが、何が良いかわからなくてね。結局こうなったよ」
そう言い訳しながら、お祝い金を結菜に手渡した。
「おじいちゃん、ありがとう」
「お義父さん、ありがとうございます。お気遣いいただいて……」
秀美さんが結菜から金封を預かると、丁寧にお辞儀をした。
妻だったら、どんなものを送っただろうかと、ふと思った。結菜が生まれた時は、初孫ということもあって大喜びだった。あれもこれもとベビー用品を買っては贈り、秀美さんの好みもあるからと遠慮しつつも、一つひとつ選ぶその顔は、本当に楽しそうだった。
「そういえば、電話で転勤することになったと言っていたが、どうなったんだ?」
拓望からの電話で気になっていたことだ。
「そうなんだ。暫くは単身赴任になりそうなんだけど、二年くらいで帰れると思うから、心配ないよ」
拓望がさらりと言ったが、秀美さんの表情が少し曇ったのを見逃さなかった。
「どこへ行くことになったんだ?」
「福岡県だよ。もうマンションも借りたんだ」
拓望は大手のゼネコン会社に勤めていて、これまでは出張が多かったが、転勤は今回が初めてだった。そのせいか、転勤と聞いたときは、正直なところ仕事で何かあったのかと勘ぐってしまった。秀美さんの顔色を見て、結菜の前では聞かない方が良さそうだと思い、話題を変えた。
「つい、この間まで美奈子が来ていたんだよ」
「話は聞いているよ」
思ったより、兄妹間では密に連絡し合っているようだ。
「仔猫を二匹も連れて帰ってしまって、すっかり寂しくなったよ」
陽介君とのことは、やはり結菜の前では触れずにおこう。
部屋の中が静かになったのを感じたのか、ソファの下から尾曲が顔を出した。
「うわぁー!可愛い」
結菜が声を上げて身を乗り出し、ソファの上に置いてあった猫じゃらしを手に取ると、さっそく尾曲を遊びに誘い始めた。
「五匹も産まれたんだって? 大変だったね」と、拓望がニヤニヤ笑っている。
「父さんがこうして猫の世話をしているなんて、やっぱり信じられなかったよ。どうしたこと?」
拓望の横で秀美さんも笑っている。
「どうしてって……成り行きだよ、成り行き。初子が道端で倒れていたから、見捨てるのは人としてどうかと思っただけだよ」
尾曲は結菜が操る猫じゃらしに翻弄されて、飛んだり走り回ったり、警戒心もすっかり解けたようで、身も心も委ねているようだった。
ひとしきり遊んで、結菜と尾曲はすっかり仲良くなったようだ。
拓海たちが妻の墓参りに行っている間、尾曲は遊び疲れたのか、初子と並んでケージの中で昼寝を始めた。二匹が並ぶと初子が痩せているのがよくわかる。
餌を変えた方が良いのだろうか? ウェットフードを与えていたが、最近は食いつきが悪い。お粥のようにお湯でとろとろにしてみたり、カロリーの高いカリカリをふやかして混ぜたりもしているが、いまひとつ改善しない
「どうだ? 腹減らないのか……」
寝顔を見ながらつぶやいてみる。
初子は喉をゴロゴロ鳴らしているが、それは尾曲が傍にいるからだとわかる。
考えてみれば、自分が産んだ子どもが、次々に貰われていくことをどう思っているのだろうか?
命がけで出産して、乳を飲ませて育てた子どもたちだ。一匹ずつ姿を消して悲しくない訳がない。それとも野良だから、親離れ子離れは当たり前のことで、いちいち気にしたりはしないのだろうか。
今までは自分の都合ばかりで里親探しをしてきた。一応、その人選には気を遣ったつもりだが、初子にあらかじめ相談したことはなかった。
猫に相談するというもの変かもしれないが、一緒に暮らしていると、猫だって人間と同じように感情があることがわかる。
こうして二匹で並んで昼寝をしている姿は、本当に幸せそうで、尾曲まで初子から取り上げるのは酷なことのように思えてくる。
つかの間の静かな時間が流れる中、チャイムが鳴った。
拓望たちが帰って来るには早すぎる。
玄関に出てみると、今朝スーパーで買った荷物が宅配で届いた。
宅配料金はかかるが、多少の出費も仕方ないと諦めが付く。自分でもずいぶん年を取ったと、こんな場面でもしみじみと実感する。
買い物の荷物を片付けていると、拓望たちが帰ってきた。
今日は秀美さんが夕食を作ってくれるそうだ。
秀美さんがキッチンに立ち、結菜が尾曲とリビングで遊んでいる間、タバコを吸うためにベランダに出た拓望と、二人だけで話す時間ができた。
「仕事、上手くいってないのか?」
思い切って聞いてみる。拓望は少し口ごもり、目を伏せた。
「上手くいってないというか、上司とね……ちょっと」
口ごもる拓望をみていると、昔の俺を思い出す。頑固なところは、どうやら拓望にも受け継がれているようだ。
「自分の方から転勤を希望したんだ。だから、まあ、心機一転ってところだよ」
サバサバしているところをみると、自分から希望した転勤だったというこは本当なのだろう。転んでもタダでは起きない――そんなところか。
「でも、離れて暮らすことになるんだ。秀美さんは心細いんじゃないか?」
「うん……でも、結菜ももう中学生で、手がかからなくなったし、大丈夫でしょ」
「……そうか」
ベランダに吹き込む夕風が、ふたりの間をすうっと通り抜けた。
「でもな、家族って、離れてみて初めて気づくことも多いぞ。俺も、仕事にかまけて、お前たちを母さんに任せっきりだったこと、ずいぶん後悔したもんだ」
拓望はタバコをくわえたまま、黙っている。
「……感謝も、謝罪も、全部遅すぎた」
「母さんは、僕たちに父さんのこと悪く言ったことはなかったよ。父さんの気持ちは、ちゃんとわかっていたんだと思うよ」
「だといいけどな……」
アドバイスするつもりが、反対に息子に慰められるとは。
思わず苦笑いがこぼれた。
リビングの方から、秀美さんの呼ぶ声が聞こえた。
「ご飯、できましたよー」
「ほら、行くか」
ベランダのドアを開けると、ほんのりと煮物の匂いが漂ってきた。
誰かが作ってくれた夕飯の匂い――それだけで、家の温かさというものを思い出す。
室内から、尾曲と遊ぶ結菜の笑い声が響いてきた。
その響きに、拓望と顔を見合わせて、思わず頬が緩んだ。
