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初めての保護猫 第19話(#シロクマ文芸部)

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<あらすじ>
 妻に先立たれ、やもめ暮らしの75歳の主人公は、買い物帰りに近所の田んぼのあぜ道で、泥だらけになっている猫を『初子』と名付け保護することにした。ところがその猫は妊娠していて、しかも猫エイズキャリアだった。
 数日後、5匹の仔猫の出産に立ち会い、仔猫の里親探しをする為、『ポチたま保護の会』主催の里親譲渡会への参加をすることになった。
 初子はFIVを発症し、日に日に弱っていく。
 ワクチン接種を終えた仔猫たちは、いよいよ譲渡会に参加し、唯一雌の長子がもらわれていくことになった。
 その後、、囲碁仲間のK氏が娘さんと一緒に仔猫を迎えに訪れてきて、斑の里親になることになった。 
 そして、離婚危機になっていた娘の美奈子も、夫の陽介と和解し、よりを戻すことになった。その際、白と豆男の二匹を一緒に連れて帰ることになった。
 そして数日後のゴールデンウィークに、長男の拓望の家族が帰省してきた。

「五月病かも知れない」と拓望から連絡があった。
 連休中に帰省していた孫の結菜が、休日明けから体調を崩していて学校を休んでいるらしい。
 ここにいた時は、尾曲を可愛がり、よく笑っていた。
 進学して新しい環境になり、部活動もテニス部に入部して頑張っている様子だった。新しい友だちもできたと話ていたが、気付かぬところでやはり緊張していたのだろう。
「疲れでも出たんだろうから、ゆっくり休ませなさい」と返信したが、五月病というのは厄介なもので、長引くこともあるから、焦ってはいけない。結菜は真面目な性格だから、周りが気をつけて見守っていないと、つい頑張りすぎてしまう。
 定年まで勤めた会社でも、この時期になると毎年数人の部下が体調を崩して休職し、そのまま退職することも珍しくなかった。
 同期の仲間は「最近の若い奴らは、人間関係や仕事への耐性がないんだよ」と嘆いていたが、育った時代も環境も違うのだから、単純には比べられない。俺たちが新入社員だった頃は、ちょうどバブル期の真っ只中で、景気も良く、今ほど仕事が辛いものではなかった。テレビCMで『24時間、戦えますか』というキャッチコピーが流行った時があったが、やればやるほど成果が上がった時代の、24時間休みなく働くモーレツぶりを表したような言葉であって、今でいう“ブラック“な働き方ではなかった。
 結菜が果たして、いま本当に辛い状況にあるのかはわからないが、希望があれば多少のことは乗り越えられるものだ。
 秀美さんも、教育熱心ではあるが、度を超したものではないし、何より心根が優しい女性だ。きっと結菜の体調を、傍にいて一番心配していることだろう。拓望も単身赴任先で様子が分からず心配しているようだ。だから俺にまでメールで知らせてきたんだろう。

 膝の上で喉をゴロゴロ鳴らして眠り始めた尾曲に向かって、「結菜が学校を休んでいるらしいぞ」と、ひとりごちた。
 孫のことも心配ではあるが、今は目の前にもっと気がかりな存在がいる。
 初子の体調だ。ここ数日で、体調は目に見えて悪くなってきた。
 これまでは少しずつでも餌を口にしていたが、昨日からはまったく食べなくなってしまった。
 無理に食べさせることもできず、犬猫用の経口補水液だけでなんとか命をつないでいる。餌を食べてくれないと薬も混ぜられず、あれこれ試しているが、打つ手が見つからない。
 すぐにでも病院へ連れて行くべきかもしれないが、この状態で初子を動かしていいものか、ずっと思案している。
 人間なら、具合が悪ければ当然のように病院へ行く。今の苦痛を和らげたい、治療をすれば回復するということを知っているから。
 だが動物は、体調が悪くてもじっとその場で耐えるのが本来の姿だ。野生の動物たちは特に、敵から身を隠して自分の治癒力を信じて回復を待つのが本能だ。
 初子は野良猫だったかもしれず、野生に近い状態で育ってきたとしたら、やっぱり病院は恐怖でしかないと思う。今は慣れてくれたが、こうして人間と一緒に暮らしていることも、いまだに不自然に感じているはずだ。身を委ねてくれてはるが、それは体調が悪いからで、元気な状態だったら、仔猫たちの世話も決してさせないだろうと思う。身の危険を感じることがない安心した場所や人間だと認識してくれているのだろうが、それはやっぱり初子にとっては非常事態なのだ。
 獣医の井上先生からは、エイズ発症してしまった今は、いつ何があってもおかしくない状態であるということは告げられている。
 初子は産後すぐで、弱っている状態だから尚更だ。
 なんとか苦痛を和らげてやりたい。できることなら病気を治してあげたい。
 だが、外に連れ出され、見知らぬ人間に体をあちこち触られ、恐怖の中に放り込まれる――そんな病院へ何度も連れて行くことが、果たして初子のためになるのか。
 考えれば考えるほど、答えは同じところに戻ってきてしまう。
 回復することが分かっていたら、もちろん今すぐにでも、迷うことなく病院へ連れて行く。
 だが、そうではないのなら――このまま静かで暖かな部屋で、尾曲と一緒に看取ってやりたい。
 
 まんじりともせず過ごしていた夜、突然電話が鳴った。
 受話器を上げると、秀美さんの声がした。
「お義父さん、先日はお世話になりました」
 落ち着いた声だが、少し戸惑いのようなものを感じた。
「こちらこそ、またいつでも遊びにきてください」
 少し他人行儀な挨拶になってしまったのを悔やんでいると、思いがけない申し出が返ってきた。
「結菜が学校を休みがちで……本人は行きたい気持ちでいるんですが、体が思うようにいかないみたいで……」
「ああ、拓望から聞いているよ。心配だね」
 そう言ってみたものの、言葉が続かなかった。しばらく他愛のない会話を続けていたが、意を決したように秀美さんが口を開いた。
「あの~、お義父さん。もしよろしければ、尾曲ちゃんを家で預かりたいと思っているんですけど……」
 うちにいる間、結菜は尾曲をとても可愛がっていた。
 心のどこかで、もし引き取ってくれるなら、里親募集をやめることができるし、なによりも最良の里親先だと感じていた。
 だが一方で、尾曲がいなくなったら、初子が寂しがるのではないかと気がかりだった。気落ちしてしまわないか――それが引っかかっていた。
 もっとも猫にとって、大きく育った子どもには情というものはなく、むしろライバルとして扱うこともあると、どこかで聞いた覚えがある。
 だから、きっと初子のことを口実にして、実のところ――尾曲がいなくなるのが、一番寂しいのは自分自身なのだろうと思った。
 だから、咄嗟に承諾する言葉が出てこない。
「尾曲を飼っても、結菜の体調が良くなるとは限らないよ。返って負担になることはない?」
 秀美さんも、その辺のことは考えたらしく、否定はしなかった。
「一人っ子で育ったせいか、親である私や拓望さんにも言えないことは、自分の中に溜めてしまうところがあって、友だちもいるんですけど、上手く心を開けないみたいで……」
 秀美さんの声は、かすかに震えている。
「尾曲ちゃんと遊ぶ結菜は、本当に楽しそうで、久しぶりにあんな笑顔を見たねって、拓望さんとも驚いていたんです」
 確かに、尾曲も兄弟猫たちがいなくなって退屈そうにしていたが、久しぶりに遊び相手ができたからか、結菜にずいぶんと懐いていた。
 夜は結菜が寝ている布団に入り込んで寝るほどで、それはほのぼのとした光景だった。
「結菜は心が疲れている状態なのかなと……今は部屋で休ませいていますが、学校を休んいることに罪悪感を感じているようで、少しでも気持ちが楽になるきっかけをあげたいんです」
 秀美さんの気持ちは良くわかる。親ならだれもが同じように考えるだろう。
「実は、今……初子の具合があまり良く無くてね……」
 断るつもりはなかったが、心の整理のために、ほんの少しだけ時間がほしいと思った。
「……わかりました。無理を言ってすみませんでした」
「いやいや、結菜のことは僕も心配だからね。尾曲が結菜の助けになればいいと思うよ」
 そう言って電話を切った。
 尾曲を結菜に託せるなら、これほど理想的な里親先はない。そう思っていたはずなのに、何だかもったいぶった返事をしてしまったことが、自分の中の情けない部分をさらけ出したようで、少し凹んだ。
 自分のことが話題になったと思ったのか、尾曲がネズミのおもちゃを咥えて走ってきた。
「結菜の具合が悪いそうだよ。お前、行きたいか?」
 そう聞いたところで理解できるわけもなく、ネズミのおもちゃをちょいちょいと前足で転がして遊んでいる。
 もう寝る時間だが、今夜は初子の側に布団を敷いて寝ることにしよう。残り少ない時間しか初子に残されていないのだとしたら、一分一秒も無駄にはしたくない。孤独のまま初子を見送るつもりはない。
「ずっと傍にいるからな」
 そういって部屋の電灯を消した。
 初子の静かな寝息が、かすかに聞こえてきている。

 




 
        

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