初めての保護猫 第25話(#シロクマ文芸部)
<あらすじ>
妻に先立たれ、やもめ暮らしの75歳の主人公は、買い物帰りに近所の田んぼのあぜ道で、泥だらけになっている猫を『初子』と名付け保護することにした。ところがその猫は妊娠していて、しかも猫エイズキャリアだった。
数日後、5匹の仔猫の出産に立ち会い、仔猫の里親探しをする為、『ポチたま保護の会』主催の里親譲渡会への参加をすることになった。
初子はFIVを発症し、日に日に弱っていく。
保護当初は、面倒ごとのように感じていたが、世話を通じて徐々に情がわいてきた。
ワクチン接種を終えた仔猫たちは、いよいよ譲渡会に参加し、最初に唯一雌の長子がもらわれていくことになった。
その後、囲碁仲間のK氏の娘さんが斑の里親になった。
そして、離婚危機になっていた娘の美奈子も、夫の陽介と和解し、よりを戻すことになった。その際、白と豆男の二匹を一緒に連れて帰ることになった。
そして数日後、長男の拓望家族が尾曲を引き取りたいと申し出があり、尾曲は長男家族の家に引き取られた。そんな折、初子の具合が悪くなり、悩んだ末、動物病院で診察を受け、初子の余命はそう長くないことを知らされ、自宅で静かに看取ることを提案される。
そして数日後、遂に初子は息を引き取ってしまった。
ペットロスで落ち込んでいたところ、「気晴らしのつもりで、保護猫の譲渡会のお手伝いをしませんか?」と誘われ、参加することになった。
そこで初めて保護猫の厳しい現実を目の当たりにする。
水曜日は危険物のゴミの日だ。
仔猫たちのために買ったおもちゃやエサ入れ、腰丈ほどのキャットタワーも、今の自分にはもう必要ない。
プラスチックのおもちゃをゴミ袋に入れていく。こんなに買っていたのかと自分でも呆れるほどに、猫のおもちゃが袋いっぱいになった。コントローラーで動くネズミのおもちゃや、柄の長いねこじゃらしなど、どれもこれもすぐに飽きられてしまうからと、真新しいおもちゃを見かけると買っていた。
「ひとり遊びに夢中!」とか「獣医師推奨」などの宣伝文句に踊らされて買っていたのだろう。結局、そんな市販のおもちゃではなく、仔猫たちはクシャクシャに丸めて放り投げた紙屑やビニール袋で延々と遊んでいた。
「とんだ無駄遣いだったな」
独り言ちてコーヒーを啜る。
初子のためにレンタルしていたケージやキャリーは、保護施設の「ポチたま保護の会」に返却した。
そんなに大きなケージじゃなかったが、無くなってみると部屋が随分と広くなったように感じる。
そのぽっかり空いたスペースが、心にできた喪失感と重なるようで、しばし途方に暮れた。何でもいい。とにかく何かで、その空白を埋めたくて、本棚を置くことを思い立ち、近所のホームセンターへ向かった。
すると理恵さんがペットコーナーで品出し作業をしているところだった。
「こんにちは。先日は手伝ってもらっちゃって、ありがとうございました」
作業の手を止めて理恵さんが軽く頭を下げてくれた。
「いえいえ、片付けもしないで失礼しました」
「今日は何か、買い物ですか?」
首を傾げる理恵さんに、
「いや、まあ……本棚でも買おうかと思って」と答えた。
もう猫はいないのだから、ペットコーナーに立ち寄る必要はないのに、不審に思ったのかもしれない。
初子を世話していた期間なんてほんの数ヶ月だったのに、習慣とは恐ろしいもので、無意識にペットコーナーに足が向いていた。
「高齢猫たちの譲渡は、結局どうなりましたか?」
譲渡会の後、気になっていたことを尋ねてみた。
「ああ、あのナナちゃんは正式譲渡が決まりましたよ。それと隣の県の老人ホームに、三毛猫のミーナちゃんが猫ボランティアとして引き取られることになりました」
「老人ホーム……ですか?」
猫ボランティアとは、耳慣れない言葉だ。
「そうです。最近では犬や猫などのペットと触れ合うことで、癒しや心の安定に繋がるって、科学的にも実証されていて。積極的に取り入れる施設も増えてきているんですよ」
「刑務所なんかでも、猫や犬が受刑者の心のケアに一役買っている事例があるんです。もちろん、感染症がなくて、穏やかな性格の仔に限られますけどね」
理恵さんは付け加えて説明してくれた。
譲渡会の成猫コーナーで、必死に希望者の対応をしていた預かりボランティアの男性の顔が、ふいに思い出された。
彼は「出来る範囲で、なるべく助けてあげたい」と、ボランティアを続ける理由を話てくれた。決して無理をしているようには見えなかった。むしろ、猫たちのそばにいることで、彼自身もどこか癒されているように見えた。
自分だって、そうだったかもしれない。
病気だった初子の面倒を、放棄したくなったことが何度もあった。仔猫の世話も、確かに可愛かったが、金銭的に重荷だったし不安もあった。
それでも最期を看取り、仔猫の行く末を安心できる先に託すことができた。
きっとそれは、あの小さな命に寄り添うことが、自分にとっての灯火になっていたからだと思う。誰かのために何かをすることが、いつの間にか、自分を支える柱になっていた。たとえそれが野良猫であっても……だ。
独居老人である自分は、他人様の迷惑にならいように、細々と暮らしていくだけの老残の身だ。余計なことはせず、人と深く関わらないように。そう心に杭を打ち込んでいた。
無意識ではあったが、そんな生き方をしていたことに、今になって気付いた。
「また、来てくださいね。お手伝いじゃなくお友だちとして大歓迎です……ああ、もちろんお手伝いしていただけたら嬉しいですけど……」理恵さんは明るく笑って、作業に戻っていった。
今日は何も買わずに帰ることにしよう。
部屋のあの空間は、まだ使い道があるかもしれない。
帰りは近道を選んで、田んぼのあぜ道を自転車で走った。初子を拾ったあの場所だ。
あの時は、見て見ぬ振りをして通り過ぎようと思っていた。泥だらけで薄汚れて、見るからに具合が悪そうだった。そんな猫を拾って世話するなんて、考えられなかった。厄介事を背負うなんて、無理だと感じていた。
でも結局、見捨てることができなかったのは、あのときの初子の目に、自分とよく似た孤独を感じてしまったからかもしれない。
あれから数ヶ月。
たった数ヶ月の関わりだったのに、心には大きな爪痕が残った。
でもそれは痛みというより、温もりだった。
初夏の厳しい日差しが、なぜか心地良い。
空を見上げると、大きな白鷺が悠々と森の方へ飛んでいく。
この先の限られた時間を、誰かのために使ってみようか――まだできることがあるような気がしてきた。
