初めての保護猫 第24話(#シロクマ文芸部)
<あらすじ>
妻に先立たれ、やもめ暮らしの75歳の主人公は、買い物帰りに近所の田んぼのあぜ道で、泥だらけになっている猫を『初子』と名付け保護することにした。ところがその猫は妊娠していて、しかも猫エイズキャリアだった。
数日後、5匹の仔猫の出産に立ち会い、仔猫の里親探しをする為、『ポチたま保護の会』主催の里親譲渡会への参加をすることになった。
初子はFIVを発症し、日に日に弱っていく。
保護当初は、面倒ごとのように感じていたが、世話を通じて徐々に情がわいてきた。
ワクチン接種を終えた仔猫たちは、いよいよ譲渡会に参加し、唯一雌の長子がもらわれていくことになった。
その後、囲碁仲間のK氏の娘さんが斑の里親になった。
そして、離婚危機になっていた娘の美奈子も、夫の陽介と和解し、よりを戻すことになった。その際、白と豆男の二匹を一緒に連れて帰ることになった。
そして数日後、長男の拓望家族が尾曲を引き取りたいと申し出があり、尾曲は長男家族の家に引き取られた。そんな折、初子の具合が悪くなり、悩んだ末、動物病院で診察を受け、初子の余命はそう長くないことを知らされ、自宅で静かに看取ることを提案される。
そして数日後、遂に初子は息を引き取ってしまった。
「『海の猫展』という写真展をショッピングモールでやるんですが、それとタイアップしてうちの猫たちの譲渡会を、駐車場のスペースをお借りして開催する予定なんです。中瀬さんもスタッフとして参加しませんか?」
初子が使っていたケージやキャリーを返却に行った際、代表の小湊さんからそんなお誘いを頂いた。
「私などがお役に立ちますかね? スタッフなんてやったことないし……」
まだ初子を失った空虚感が残っていて、大勢の人に囲まれたり、誰かと積極的に話したりする気持ちにはなれなかった。やんわりと断ろうと思っていた。
「初子ちゃんを看取って、立派に見送ったじゃないですか。うちの猫たちには、初子ちゃんと同じような病気を抱えてる仔もいます。初めて猫を飼う人も来られるでしょうから、そういう方に中瀬さんの経験を伝えていただけたら、ありがたいんです」
口ごもっていると、横から理恵さんが、明るい笑顔で付け加えた。
「この春に生まれた仔猫も沢山いるんですよ。可愛らしい仔猫に思いっきり癒されちゃってください」
「それじゃあ、遊びに行くつもりで……私にできることがあれば、お手伝いさせてください」
断る理由もなく、何となく流されて承諾してしまった。
その週末、会場にやってくると、大きなテントの下には、すでにたくさんの小さなケージが並んでいた。仔猫のコーナーでは、可愛らしい鳴き声が聞こえてきていた。一方、成猫のコーナーでは、ケージの隅で体を丸め、大人しく様子をうかがっている猫たちの姿があった。
『海の猫展』というのは、有名な動物写真家の作品展らしく、猫好きの来場者がその流れで譲渡会にも立ち寄っているようだった。
小湊さんと理恵さんは、来客の対応や保護猫の預かりボランティアさんたちとの打ち合わせで忙しそうに動き回っていた。
「中瀬さん、おはようございます。良く来てくださいました」
小湊さんが、今回参加している猫たちの説明をしてくれた。
仔猫のケージを順番に見ながら、
「このケージの三匹は兄弟なんですよ。公園で鳴いていたところを保護されたんですが、この仔はカラスに突かれて左目がつぶれてしまって、ようやく譲渡会に出せるまでに回復しました」
見ると、三匹の黒猫兄弟の中の一匹が、説明通り左目が窪んで閉じたままだった。
「こっちのケージには、野良猫が空家に仔猫を産んでしまって、母猫と一緒に保護された仔たちです」
小湊さんは平静な様子で説明を続けた。
「多分、この仔たちは初子ちゃんと同じように、FIVに感染していると思います」
三毛猫とキジトラの兄弟猫が四匹、猫団子を作って固まっていた。
「それから、こっちのケージには母猫が交通事故にあって、仔猫たちだけで彷徨っているところを保護しました」
「そして、この仔たちは漁港のゴミ箱に紙袋に入れて捨てられていたところを漁師さんが保護してくれました」
「それから、この仔は……」
小湊さんは淡々とした口調で、一通り猫達の説明をしてくれるのだが、仔猫たちの生い立ちや、置かれている状況を考えると、いっぺんに飲み込めなくなり、立ち尽くしてしまった。
「保護猫」とひとことで括ってしまうにはあまりにも多様で、複雑な事情を抱えた猫たちが、この譲渡会には集まっていた。
唖然として、ただ猫たちのケージを見つめていると、事前に譲渡会の予約をしていた来客がやってきた。若いご夫婦だった。どうやら、生後間もない仔猫を探しているようだった。
小湊さんが近づいて、にこやかに説明を始める。
「このご夫婦は、すでに一匹、先住猫を飼っていらっしゃるんですよ。今回、二匹目を迎えたいとのことで……」
そう耳打ちすると、小湊さんはご夫婦に向き直って言った。
「この春に生まれた、生後三ヶ月前後の仔猫がいますので、もし気になる仔がいたら教えてくださいね」
そして、手早く次の来客の対応へと向かって行った。
自然とそのご夫婦の案内役を引き受けるかたちになっていた。
「どんな仔猫をご希望ですか?」
物を売るような言葉が、思わず口をついて出てしまって、我ながらがっかりした。
「先住猫との相性もあると思うから、大人しい仔が良いかなって……」と、奥さんが並んでいるケージを見渡しながら呟いた。
「先住猫ちゃんがいるのでしたら、FIVとか感染症にかかっていない仔猫がいいですよね」
「そうですね、うちには茶とらの猫がいるので、違う毛色の猫が良いな」と、ご主人が希望を伝えてきた。
「この黒の仔猫はどうですか? 元気だし、まだ生後三ヶ月で懐きやすいと思いますよ」
アピールポイントが書いてあるボードを見ると、病気感染は陰性となっている。ご夫婦は「もう少し他の仔も見てから決めたいです」と言い、ケージの列を離れていった。
仔猫を迎えたい気持ちはあっても、条件に合う仔を見つけるのは簡単ではないのだろう。
そして最終的に、そのご夫婦は「今回は見送ります」と言い残し、会場を後にした。
「なかなか難しいですね。毛色とかに拘らないで、飼ってみるとどの仔も可愛いと思うんですけどね」
譲渡希望者の連絡先などを記入している理恵さんに、つい愚痴をこぼしてしまった。
初子が産んだ五匹の仔猫は、それぞれ違う特徴を持っていた。白猫や斑模様の子もいた。シッポが曲がった仔もいたけど、どの子も性格は個性的で、可愛がればちゃんと懐いて、それぞれに愛らしかった。
「こんなもんですよ。それでも仔猫は譲渡が決まりやすいんです。でも成猫になると、なかなか……。預かりボランティアさんの人数も限られているし、厳しいんですよ」
理恵さんがため息まじりに言った。
成猫がいるコーナーを見ると、やはり立ち止まる人は少ない。
そんな中で、五十代くらいの女性が熱心にケージの中を覗いていた。その傍らには、預かりボランティアらしき男性が付き添って対応していた。会話に耳を傾けていると、どうやらその女性は高齢猫を迎えようとしているようだった。
「この猫は元野良猫で、推定年齢は八歳くらいだと思います。うちで三年間保護生活をしていて人慣れは完璧です。健康状態も良好で元気なんですよ」
ボランティアの男性が、にこやかに説明していた。
「私はもうすぐ還暦なので、仔猫は生涯お世話できるか不安なんです。でも高齢猫だったら何とか最期までお世話も可能かなと思って。このナナちゃんとても可愛いし……お迎えしようかしら?」
保護猫のナナちゃんにちゅーるを食べさせながら、里親になる気持ちが固まっているようだ。
「是非お願いします。本当にこの仔は可愛いんですよ。二週間のトライアルもできるので、今決めなくても、まずはお試しでいかがですか?」
女性はうなずき、「じゃあ……お願いしようかしら」と答えていた。
思いがけずそうした場面に遭遇して、高齢者でも猫を飼いたい人がいるということが分かった。
「高齢猫でも里親候補がいるんですね」
預かりボランティアの男性に声をかけてみた。
「今日はラッキーでした。でもこんなに大人しいナナちゃんでも、トライアルが二回もダメになっているんですよ」
「えっ? どうしてですか?」
高齢猫とはいえ、見た目は茶トラで愛らしいし、毛艶も綺麗だ。
ナナちゃんは、見知らぬ女性に体を撫でられても平気な顔で、気持ち良さそうに喉を鳴らしている。性格に問題があるようには見えなかった。
「共通している理由は、『思っていたのと違った』なんですよ。トイレの世話とか、留守ができないとか、エサ代が思ったよりかかるとか……色々あるんでしょうが、理想と現実とのギャップがあったんでしょうね」
その言葉に、胸の奥が少しざらついた。
年金受給者にとっては、たしかに生活費に直結する。初子の治療費や、仔猫たちのワクチン接種の費用は、想像以上だった。エサ代もじわじわと重くのしかかってきている。
それは、どれも自分が実際に経験してわかったことだった。
けれど、これから猫を飼おうと思うのなら、本来は事前に想像しておくべきことばかりのはずだ。
『思っていたのと違った』――そんな言葉で、命を戻されてしまう猫がいるのか……。
そう思うと、やるせない気持ちが込み上げてきた。
「ギャップって……なんだか、無責任な言葉ですね」
何だか腹立たしくなって、つい声に力がこもってしまった。
「でもさっきの女性は、今まで猫を何匹も飼った経験があると言っていたので、今度こそは大丈夫だと思っているんです。どうしても幸せになってもらいたくて……。実は、まだ三匹も預かってるんですよ」
「まだ預かりの猫がいるんですか?」
「まぁ……出来る範囲で、なるべく助けてやりたいので」
そう言って、彼はナナちゃんのトライアルの説明をしに、受け付けへと足早に向かっていった。
仔猫のコーナーに戻ってみると、黒い仔猫たちは左目がつぶれた子だけ残っていて、あとの二匹は譲渡が決まったようだった。他の少し長毛の仔猫も複数の譲渡希望者がいて、小湊さんがそれぞれの家庭環境を詳しく聞いてから、譲渡先を決めるという。
「仔猫はやっぱり早いですね」
そう声をかけると、小湊さんが頷いた。
「そうですね、可愛いですからね。でもこの可愛い時期なんて、あっという間に過ぎちゃって、飽きられて放置されることもあるんですよ………そうならないために、里親は慎重に選びます」
以前、初子が産んだ仔猫を連れて譲渡会に参加したことがあった。今回は譲渡会をする側の事情や、現実的な問題を少し知ることができた。
様々な事情を抱えた猫たちを目にし、譲渡を希望する多くの人たちの話に耳を傾けているうちに、気づけば心身にずしりと疲れがのしかかっていた。
「ちょっと疲れてしまって……片付けも手伝うつもりでいたけど、すまないけど……」
「……ああ、今日はありがとうございました。あとは私たちだけで大丈夫ですから、今夜はゆっくり休んでください」
小湊さんが言葉を遮るように、優しくそう言ってくれた。
家に帰りつくと、夕飯も食べずにベッドの上に倒れ込んだ。
体力的にはとっくに無理が効かない年齢になっている。でも精神的には、ちょっとやそっとの事では折れない自信があった。
ところがどうだ。初子を看取ってからというもの、情けないほど沈んでしまっている。今日だってそうだ。人間の世界では生きづらい猫たちばかりで、だからこそ誰かの庇護が必要なのだと、頭では理解していたはずなのに。その現実の厳しさに、あっさりと怯んでしまった。
今日は手伝いに行かない方が良かったのかもしれない。見ることで傷つくなら、悲惨な現実からは目を背けた方が、きっと心は穏やかでいられる。
それなのに、どうしてあの人たちは、逃げ出したくなるような現実に平然と立ち向かえるのだろう?
小湊さんや預かりボランティアの方たちの姿や言葉が、頭の中で繰り返し再生されていた。
今回で最終話とするつもりでいました。
・・・が、『海の猫』というお題で、主人公は譲渡会のお手伝いに行くことになり、終われなくなりました(笑)
このシロクマ文芸部さんのお遊び企画、とっても楽しいです🎵ルン
