初めての保護猫 最終話(#シロクマ文芸部)
<あらすじ>
妻に先立たれ、やもめ暮らしの75歳の主人公は、買い物帰りに近所の田んぼのあぜ道で、泥だらけになっている猫を『初子』と名付け保護することにした。ところがその猫は妊娠していて、しかも猫エイズキャリアだった。
数日後、5匹の仔猫の出産に立ち会い、仔猫の里親探しをする為、『ポチたま保護の会』主催の里親譲渡会への参加をすることになった。
初子はFIVを発症し、日に日に弱っていく。
保護当初は、面倒ごとのように感じていたが、世話を通じて徐々に情がわいてきた。
ワクチン接種を終えた仔猫たちは、いよいよ譲渡会に参加し、最初に唯一雌の長子がもらわれていくことになった。
その後、囲碁仲間のK氏の娘さんが斑の里親になった。
そして、離婚危機になっていた娘の美奈子も、夫の陽介と和解し、よりを戻すことになった。その際、白と豆男の二匹を一緒に連れて帰ることになった。
そして数日後、長男の拓望家族が尾曲を引き取りたいと申し出があり、尾曲は長男家族の家に引き取られた。そんな折、初子の具合が悪くなり、悩んだ末、動物病院で診察を受け、初子の余命はそう長くないことを知らされ、自宅で静かに看取ることを提案される。
そして数日後、遂に初子は息を引き取ってしまった。
ペットロスで落ち込んでいたところ、「気晴らしのつもりで、保護猫の譲渡会のお手伝いをしませんか?」と誘われ、参加することになった。
そこで初めて保護猫の厳しい現実を目の当たりにする。
初子や仔猫たちがいなくなった部屋で、時間を持て余していたとき、以前の生活を思い出すように囲碁サロンへ出掛ける。
そこでK氏の娘さんに引き取られた斑が、幸せそうに成長した姿を目の当たりにし、いてもたってもいられなくなった。
そして、気付けば『ポチたま保護の会』へ自転車を走らせていた。
蛇口から水があふれ出るように、心の声が自然に言葉となって流れてくれたら――。
そんなことを思いながら、夕陽が沈みかけた街中を、自転車で『ポチたま保護の会』の施設まで走ってきた。勢いに任せてここまで来たものの、ドアに手をかけたところで、空気の抜けた風船のように気力がしぼんでいくのを感じた。
もう夕方だ。スタッフの皆さんは帰り支度をしているかもしれない。仔猫たちも里親が決まったし、初子もすでに荼毘に付した。今となっては、自分はもう関係者ではないのだ。
理恵さんの「遊びに来てくださいね」という言葉も、今思えば社交辞令だったかもしれない。そんな一言を真に受けて、こうして訪れてしまった自分が、急に気恥ずかしくなった。
それに――今の自分が、何の役に立てるというのだろう。もう七十五歳。誰かの助けになるどころか、むしろ誰かに迷惑をかける側の人間なのではないか。
このままドアを開けずに、引き返した方がいいかもしれない……。
そう思い悩んでいたそのとき、不意にドアが開いた。
驚いて「わっ!」と声を上げると、ドアの向こうでも同じように「わっ!」と声が重なった。代表の小湊さんだった。ちょうど帰るところだったのだろう。
「あっ、驚かせてしまって、すみません……」
とっさに数歩下がると、小湊さんも苦笑しながら言った。
「いえいえ、こちらこそ。……中瀬さんでしたか」
怪訝そうな表情を一瞬だけ見せたあと、小湊さんはすぐに柔らかな笑顔に変わった。
「何かありましたか?」
当然の問いかけだが、何と答えてよいか分からず、言葉が喉でつかえる。「あ、あの……いえ、その……ですね、えーと……」
しどろもどろになる自分の様子に、小湊さんはクスッと笑い、小さく頷いた。
「とりあえず、どうぞ。外は暑いので……」
そう言って、ドアを大きく開けて中へと招き入れてくれた。
玄関を入ると、すぐにペット用品が並ぶ小さなショップスペースになっている。その奥、右手にあるガラス扉の向こうが猫カフェになっており、午後六時までの営業になっているようだ。扉には「closed」と書かれた札がぶら下がっている。
中を覗くと、数匹の猫たちが思い思いに寝転び、毛繕いをしながらのんびりと過ごしている様子が見えた。奥にはスタッフの姿もあった。
さらに奥まった場所には事務所があるようで、小湊さんは「ちょっとごちゃごちゃしてますが、どうぞこちらへ」と言って、その一角にあるテーブルへと案内してくれた。
「コーヒーで良いですか? 暑いからアイスが良いですね」と、奥のキッチンから声がかかる。
「あの……お構いなく……」
思わずそう口にしたが、急いで自転車を走らせてきたこともあり、汗が噴き出してきた。慌ててポケットからハンカチを取り出し、額や首筋を拭う。
小湊さんがコーヒーを用意してくれている間に息を整える。
「理恵さんから、初子ちゃんの火葬が無事に済んと報告を受けました。良かったですね」
「ありがとうございます。すごくお世話になっちゃって。理恵さんには仔猫の育て方とか、色々教えてもらいました」
喉が渇いていたので、遠慮なくアイスコーヒーをゴクゴクと飲み干した。
「病気の猫も大変ですけど、生まれたばかりの仔猫の世話は神経使うので大変じゃなかったですか?」
「初子が離乳まで頑張って、仔猫の面倒をみてくれていたので、まだ楽だったと思います」
初子は生まれた5匹の仔猫たちの授乳と排せつの世話をしっかりしてくれていた。もしかしたら、それが寿命を縮める要因になったんじゃないかと思うとやり切れなくなる。
「ミルクボランティアの方もいらっしゃるんですけど、春から秋は特に睡眠不足になりやすくて、体調を崩す方も多いんですよ。なので、体調管理には気をつけてくださいねって、いつもお願いしてるんです」
「ミルクボランティアですか?」
聞いたことがない言葉だった。
「ええ、母猫のいない仔猫や、捨てられた赤ちゃん猫の世話をする方たちのことです。母猫の代わりにミルクを飲ませたり、排せつを手助けしたり、体重管理も含めて、ほとんど看護師さんのような役割ですね。3時間おきの授乳は、なかなかの肉体労働なんですよ」
考えてみれば、『ポチたま保護の会』はNPO法人だ。営利目的ではないこの施設で、カフェやペットショップを併設しているのも、すべて保護活動の資金源にするためだろう。助成金もあるのかもしれないが、それだけで運営が成り立つとは思えない。おそらく、ここで働いているスタッフの多くもボランティアなのだ。
「ここは猫専用の施設なんですよ。隣町に同じような犬の施設があります。犬は鳴き声が大きくて街中では迷惑になるし、走り回れるドッグランのような広場も必要なので、山の中腹に土地を借りて運営しています。私は猫担当なんです」
なるほど、だから『ポチたま保護の会』という名前なのか――犬も猫も、それぞれの事情に合わせた保護活動が行われていることに、ようやく納得がいった。
「猫カフェもボランティアさんなんですか?」
猫カフェやペットショップは平日も営業しているはずで、ボランティアだけでは、なかなか回らないのではなかと、少し失礼かとも思いながら尋ねてみた。
「そうですよ。みなさん猫好きさんたちで、様々な理由で家では猫を飼えない方たちがボランティアとしてシフトを組んで協力してくれています。理恵さんもお休みの日に入ってくれることもあるんですよ」
へぇ~と、感心していたら、ふいに小湊さんが「興味はありますか?」と尋ねてきた。
「ええ~っと、興味はあります……でも、えっと、僕にもできそうなことがあればと思って……」
急に尋ねられて、ドギマギしてしまった。
「もちろんです! 猫の手も借りたいほどなんですよ」
小湊さんの表情がぱっと明るくなった。
「僕に何ができますかね……?」
猫カフェはちょっとハードルが高いなと、内心思っていた。
「それじゃ、とりあえず建物の中をご案内しますね」
そう言って小湊さんが立ち上がり、私もそれに続いた。
まず、案内されたのは、2階にある保護部屋だった。8畳ほどの広さがあるだろうか。
2階建てのケージがいくつか並んでいて、その中に成猫が一匹ずつ入れられていた。
「ここにいる猫たちは野良だったり、多頭飼育崩壊の家からレスキューされた子達です。まだ人慣れしていないのでケージの中ですけど、慣れてきて触れるようになったら順次譲渡会に出す予定です」
ケージの中の猫たちは、どの子も人の気配に身をすくめて、隅の方でじっと固まっている。怯えた目が、痛々しいほどだった。
「他にも預かりボランティアさんにお願いしている猫たちもいます」
以前、譲渡会で出会った青年もその中の一人というわけか。
「では、次の部屋へ行きましょう」
小湊さんが静かに部屋のドアを閉め、隣の部屋を案内してくれた。
「この部屋は初子ちゃんのように病気に感染している猫たちがいます。FIVだったり、猫白血病だったり、感染する病気の子たちをケージで隔離しています」
同じように2階建てのケージがずらりと並び満室状態だった。
「こんなに……いっぱいいるんですね……」
思わず呟いてしまった。
「野良猫は感染率が高いんですよ、どうしても縄張り争いで喧嘩して、その怪我から感染してしまいます。早瀬さんも通っておられた川上先生がいる動物病院は、こうした猫たちの治療費の半額を免除してくださってるんです」
だから保護施設の内情にも詳しいのだなと、初子を初診で診てもらった時のことを思い出していた。
「じゃあ、もうひとつ、仔猫の部屋を案内しますね」
仔猫の部屋? 小湊さんに導かれて、廊下を渡った反対側の部屋へ向かう。
「ここは母猫がいない仔猫ばかりで、離乳が終わって生後2ヶ月~4ヶ月くらいの仔猫たちの部屋です。基本私が寝泊まりしてケアしています。今ちょうど餌を買いに出るところでした」
「そうでしたか。それはお忙しいところお邪魔してしまいました」
「いえいえ、大丈夫です。餌の買い置きはありますから」
そう言って微笑む小湊さんに案内され、部屋の中へ。ここにも大きめのケージが並び、それぞれに数匹ずつの仔猫が入っていた。活発にじゃれ合う仔、警戒して隅に隠れようとする仔、好奇心いっぱいにこちらを見つめる仔――みんな、それぞれの表情をしていた。
「この仔達は理恵さんがホームページなどで里親募集をしてくれています。希望者には面談してもらって、トライアルへと進みます。それでも譲渡できなかった仔達は譲渡会へ出す予定です」
そういえば、初子が産んだ5匹の仔猫たちも、理恵さんが里親募集サイトへ掲載してくれていた。だがFIV感染している可能性が高いということで、結局希望者は現れなかったが……。
「病気に感染している仔猫もいるんですか?」
「まだ仔猫は、検査をしても感染しているか確定できないんですよ。だから、兄弟や同じ場所で保護した仔たち同士で隔離して育てるんです」
小湊さんの説明に、同じ経験をしているので安易に想像ができる。
こうした苦労や細やかな配慮は、きっと多くの人には見えないのだろう。 初子を保護し、仔猫たちを育てた経験があるとはいえ、それだけで務まるような世界ではないのだ。
そんな自分が「役に立ちたい」などと申し出ても、かえって迷惑になるだけではないか……。気持ちが揺らぎかけた。
すると、小湊さんが静かに口を開いた。
「この施設で保護できるのは、本当にわずかなんです。助けを必要としている猫たちは、まだまだたくさんいます。でも、人手も費用も、保護できる場所も、どれも足りていないのが現状で……」
その言葉には、重さと、切実さがあった。
確かに、初子ひとりを保護しただけでも、エサ代や治療費に驚かされた。
仔猫が生まれてからは、時間も労力も想像以上にかかり、何度も戸惑った。
「もし早瀬さんに手伝っていただけるなら、猫カフェに出せない猫たちの世話をお願いできないかと思っているんですけど……」
「猫カフェに出せない……猫ですか?」
その言葉に少し戸惑って聞き返す。どういう意味なのだろう。
「猫カフェにいるのは、だいたい生後4ヶ月以上の元気な仔たちです。カフェのお客様がそのまま里親になってくださることも多くて……常設の譲渡会のような場所なんですよ」
そう言って、小湊さんは続けた。
「でも、猫カフェに出せない猫たちもたくさんいるんです。さっきご覧いただいたような離乳前後の小さな仔猫たち、FIVや白血病など病気を抱えている成猫たち……それから、極端に人見知りだったり、猫同士の関係がうまくいかない子もいます。そうした子たちは、カフェのような賑やかな場所には向いていませんから、ここで静かに世話を続けています」
私は静かに頷いた。
「もともとこの施設は、私の自宅だったんです。だから今も、寝泊まりしながら猫たちの世話をしています。でも、日中は他の仕事もありますし、数人で交代しながら何とか回している状況です。ただ、それぞれの負担が大きくて……。昼間の数時間でもいいので、掃除やごはんの準備のお手伝いをしていただけたら……とても助かります」
静かに、だが真っ直ぐに向けられるその言葉に、胸が少し熱くなった。
「今すぐお返事して下さらなくてもいいので、少し考えてみてくださいますか?」
小湊さんの言葉には、押しつけがましさが一切なかった。ただ、必要としてくれていることが、まっすぐ伝わってきた。それがかえって、強く心に響いた。見学のあいだずっと、頭のどこかで考え続けていた。「自分に何ができるのか」ではなく、「何かしたい」と思っている自分がいた。カイトの幸せそうな姿を見たときの、あの胸の奥に灯った温もり――あれを、もう一度味わいたいのかもしれない。
「……やらせていただけませんか」
気がつくと、そう口にしていた。
「もしこんな年寄りでもできることがあるなら、少しでも役に立てるなら……ぜひ、手伝わせてください」
言葉にしたとたん、肩の力が抜けたような気がした。小湊さんは、ふわっと微笑んだ。
「ありがとうございます。嬉しいです。では、無理のない範囲で、少しずつ始めていきましょうか」
そう言って差し出された手を、しっかりと握り返した。
数ヶ月後――――
『ポチたま保護の会』主催の譲渡会にスタッフとして参加した。
地元の大きなショッピングモールの駐車場の一角を借りて、テントやケージを並べていく。
譲渡希望者が早くから順番待ちで入り口に並び始めた。
不安で固まる猫たちに、おやつのちゅーるを片手に声をかけながら、アピールポイントを書いた札を設置していく。
「優しい家族が見つかるといいな」
空を見上げたら、初子がどこかで見ていてくれるようで、少しだけ誇らしく感じた。
了
ようやく連載を終了することができました。
ここまで読んでくれた皆様、感謝感謝でございます。
本当にありがとうございました。
小牧幸助様。お題を出し続けてくださって、ありがとうございました。
お世話になりました。
この物語を一冊の本にまとめ、ゆくゆくはどこかの文学フリマでお披露目したいと考えています。とりあえず今年の11月23日に開催される文学フリマ東京41を目標に、修正を重ねていこうと思っています。
ああ~、今日は飲むぞ~~~🍺
