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初めての保護猫 第15話(#シロクマ文芸部)

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<あらすじ>
 妻に先立たれ、やもめ暮らしの75歳の主人公は、買い物帰りに近所の田んぼのあぜ道で、泥だらけになっている猫を『初子』と名付け保護することにした。ところがその猫は妊娠していて、しかも猫エイズキャリアだった。
 数日後、5匹の仔猫の出産に立ち会い、仔猫の里親探しをする為、『ポチたま保護の会』主催の里親譲渡会への参加をすることになった。
 初子はFIVを発症し、日に日に弱っていく。
 ワクチン接種を終えた仔猫たちは、いよいよ譲渡会に参加し、唯一雌の長子がもらわれていくことになった。寂しさを感じていたところへ、長女の美奈子が訪ねてきて、夫、陽介への気持ちを打ち明ける。しばらく実家で過ごすことにした矢先、陽介が訪ねてきて、お互いの感情を打ち明けることになり、すれ違っていたことにお互い気づいた・・・。

 バス停で待ち合わせることにした。
 K氏とは長い付き合いだ。もう二十年以上になる。
 趣味の囲碁がきっかけで、通い始めた囲碁サロンで、当時から常連だったY氏とK氏とつるむようになった。年齢も近いせいもあるが、性に合っていて程よい距離感で付き合えるのが心地良いと思っている。
 そんな昔馴染みの間柄だけど、お互いの家を行き来することもなければ、メールアドレスやLINEを交換することもなく、行きつけの囲碁サロンのオーナーを通じて、集まるようになっていた。
 今回も、娘さんと一緒に仔猫との面会に来るにあたり、囲碁サロンのオーナーに伝言をお願いし、最寄りのバス停で待ち合わせることになった。

 K氏とその娘さんが乗っているはずのバスが到着した。
 囲碁サロン以外で会うのは初めてで、何気に緊張してしまう。
「よう、わざわざありがとう」
 とりあえず挨拶をする。
「ああ、娘の朱音です」
「……です」って、敬語なんか使ってK氏も他人行儀だ。
「今日はありがとうございます。お邪魔してすみません」
 軽くカールしたロングヘアが可愛らしく、パステルカラーのワンピースが清楚な印象を受ける。
 K氏から時々娘さんの話は聞いていて、四十代だと思い込んでいたが、もう少し若いかも知れない。
 
 三人で連れだって我が家に到着すると、美奈子が玄関まで出迎えていた。
「初めまして、娘の美奈子です。どうぞ、仔猫たちも起きて待ってますので…」
 一昨日は、陽介君とお互いの気持ちを打ち明け合って、気分的にすっきりしたところがあったのか、少しずつ明るさを取り戻している。元々、美奈子は妻に似て底抜けに明るいのだ。大きく口を開けてアハハと笑った顔は、やっぱり母娘だなと思う。
 
「まずは仔猫たちに会ってもらいましょうね」と、美奈子が仔猫たちのいる部屋に案内した。
 八畳ほどの洋間で、大きな窓の先には庭へ通じるテラスがある。
 仔猫たちは窓に並んで、庭にいる小鳥を眺めていたようだが、見知らぬ来客に驚いて、一斉にソファの下やカーテンの陰に隠れてしまった。
 カーテンの裾に頭だけ隠して、シッポが出ていた斑を美奈子が抱きかかえて連れて来た。
「可愛いー!」朱音さんが歓声をあげる。
 美奈子が斑を朱音さんの膝の上に乗せると、不安そうにニャーニャー鳴いていた斑を、朱音さんは優しく撫でてくれた。すると、次第に斑も喉をゴロゴロ鳴らし始め、落ち着いていった。
「この子は兄弟の中でも一番マイペースです。雄ですけど、割と大人しい方だと思います」
 簡単に斑の紹介をして、朱音さんの反応を伺う。
「可愛いですね。今、何ヶ月ですか?」
「そろそろ生後三ヶ月になります。生まれた時はこんなだったんですよ」
 そう言いながら、掌を上に向けて差し出し、生まれたばかりの頃の大きさを示すように両手をすぼめてみせた。
「父から聞きましたけど、出産に立ち会ったんですよね?」
「そうなんですよ、大変でした。へその緒を切らなきゃいけないのに、次々生まれてきちゃって、追いつかなくて焦りました」
「その辺がお前らしくないよな、そんな世話焼きじゃないだろう?」
 K氏がガハハッと笑って、からかい始めた。
「だいたい野良猫拾って、甲斐甲斐しく世話する姿が思い浮かばないんだよな」
「俺の何を知ってるんだよ、本当は優しい男なんだぞ」
 そう言うと、今度は美奈子が笑い出した。
「私も、うそでしょ!?って思った」
 妻と同じような笑い声が家の中に響く。
 場が和んできたのが仔猫たちにも伝わったのか、隠れていた豆男と尾曲と白が、そろりと姿を現した。
「やだー! 可愛い。仔猫たちみんな……可愛い!」と、朱音さんのテンションが上がった。 
 ソファの下にあった猫じゃらしを揺らして、仔猫たちを遊ばせ始めた。
「猫飼いたいんだよな?」とK氏。
「そうなの。でも選べない、どの子も可愛い」
 朱音さんが、仔猫をおもちゃで遊ばせながら、部屋の隅にあるケージに視線を向けた。
「初子ちゃんですよね」と、話題が初子に移った。
 初子は猫エイズを発症して体調を崩している。回復するまでは仔猫たちと接触しないように隔離している状態だ。
 ここで初子のことをどうやって説明したらいいのか迷った。
 でも、ちゃんと病気のことは話しておかないと……っていうか、それが一番肝心なことだ。
「あの……聞いているかもしれませんが、初子は猫エイズを発症していて、仔猫たちとはこのように隔離しています。でも、おそらく仔猫たちも猫エイズには感染していると思います。初子はおそらく野良で、そのせいもあって発症してしまったけど、お世話になっている保護施設の方の話だと、完全室内飼いで環境が良ければ、生涯病気を発症することなく天命を全うする子も多いそうなんです。……ああ、でも、絶対に発症しないという確約はできないんですけど……」
「わかってます」
 私の話を遮るように、朱音さんが言った。
「友だちの家の猫ちゃんが、みんな何かしらの病気を持っていて、中には初子ちゃんと同じFIVの子がいたり、アレルギーの子もいるんです。でも、みんな幸せそうで……何より、友だちが毎日楽しそうに猫の話をしてくれるんですよ」
 朱音さんは白を抱き上げて、頬擦りした。
「それに、元気だったとしても、ある日突然大病に冒されることって、人間にだって普通にあることだし、病気がいけない事だとは全然思えなくて……たとえ病気になったとしても、嫌いになんてならないと思うし…」
 朱音さんの話を聞いて、瞼が熱くなるのを感じて、慌てて手でぬぐった。
 それは、癌に冒されやつれていく妻の姿が、不意に頭に浮かんだから。
 あの時は何もしてあげられなかった。抗がん剤で髪が抜け、食も細くなり、日ごとに頬がこけていく妻より、自分はずっと非力だった。
 妻の苦痛を取り除けない現実に戸惑い、悔しさを持て余して苦しむだけで時間が過ぎていった。右往左往してしている自分に、命のかたちが少しずつ崩れていく妻に慰められている自分が、無性に情けなかった。

___たとえ病気になったとしても、嫌いになんてならない___

 朱音さんの言葉が、胸の奥に澱のように沈んでいた悲しみや悔しさを、そっと浄化してくれた気がした。
 今でも妻が愛おしい。 
 嫌いになんてなれるわけがない。
 
「初子ちゃんは必死に生きようとしていると思うの」
 美奈子は初子がいるケージの前に座り、隙間からそっと手を伸ばして撫でてやった。
 初子は気持ち良さそうに目を細め、ゴロゴロとわずかに喉を鳴らした。
「仔猫を隣の部屋に移して、ケージの扉を開けてあげるとね、よろよろと出てきて……仔猫が寝ていたクッションの匂いを嗅いだりするの。やっぱり、自分のことより、子どものことを気にしてるんだなって……切なくなっちゃう」
 美奈子と陽介君との間に、子どもは授からなかった。
いつだったか、美奈子が「子どもが欲しいな……」とぽつりとつぶやいたことがあった。
けれど、仕事に追われる日々の中で、いつの間にかその機会を逃してしまったようだ。

「どの子にするか決めたのか?」K氏が朱音さんに尋ねた。
「どの子も可愛い。悩んじゃうけど、一番最初に抱いたこの子にする」
 そう言って斑の頭を撫でた。
「この模様が可愛い」
 斑の名前の由来でもある、背中の斑模様が気に入ってくれたようだ。
「実は、夫と子どもたちとも、送っていただいた仔猫たちの写真を見て、『この子にしよう』と決めていたんです」
 朱音さんなら斑を大切に育ててくれそうだ。
「斑も朱音さんに貰われて、幸せだな。良かったな」
 すると斑は、まるで注目されていることが分かるかのように、「ニャー」と一声鳴いた。
 朱音さんは、斑をそっと抱き上げると、ゆっくりと初子のいるケージの前へ歩み寄った。
「初子ちゃん、斑ちゃんを大切にします。ありがとう」
 優しく語りかけながら、腕の中の斑を初子に見せた。
 初子は、ケージの中でうずくまりながらも、その声に反応するように、わずかに頭を持ち上げた。
 斑も、じっと母猫を見つめていたが、やがて朱音さんの腕の中で「ニャー」と小さく鳴いた。
 まるで、母と子が最後の挨拶を交わしているかのような瞬間だった。 「幸せにするね」
その言葉は初子にも、斑にも、そして見守る私たちの心にも、深く染み渡っていった。


※第16話はこちら


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