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同接2人の配信から、世界線を救うことになりました〜AI軍師と始める敗北ログ攻略〜 #14

SAVE14 宣戦布告

 翌朝、最初に確認したのは、ノートだった。

 眠れたのか、眠れなかったのかは分からない。

 それでも、夜は越えた。

 カーテンの隙間から、細い朝の光が入っている。机の上には、昨日投げたノートが置いてある。

 最後に、自分で戻した場所。

 俺は椅子に座って、そっと表紙を開いた。

冷める前に食べて

 文字は、昨日より少し薄くなっている気がした。

 気のせいかもしれない。

 でも、そう思えなかった。

 メモの裏を見る。

お兄、勝手に切り抜いてごめんね。

 まだ読める。

 俺は、そこでようやく息を吐いた。

 残っている。

 凪沙の字が、まだ残っている。

 でも、昨日より頼りなく見えた。

 紙に書かれた文字なのに、画面のノイズみたいに、少しずつ薄くなっている。

 そこで、ふと思った。

 写真は消えていた。

 連絡先も消えていた。

 牧野とのトークまで書き換わっていた。

 なのに、どうしてこのメモだけは残っているんだろう。

 昨日はそこまで考えられなかった。

 でも、一晩経った今、その疑問が急に喉の奥に引っかかった。

「ミナミ」

 呼ぶと、机の上に白いホログラムが立ち上がった。

 白い軍服。

 硬い表情。

 昨日、怒鳴った相手。

 昨日、謝った相手。

「はい」

「そういえばさ」

 俺はメモを見た。

 強く触ったら消えてしまいそうで、指先で端を押さえる。

「なんで、このメモ書きは残ってるんだ?」

「推測ですが、書かれてからの経過時間が短いためです」

「時間?」

「白瀬凪沙さんの消失処理は、存在履歴の古い順に上書きしている可能性があります」

「古い順……」

「写真、連絡先、過去のトーク、学校記録などは、すでに整合性処理が完了しています」

 昨日見たスマホの画面が浮かぶ。

 凪沙の連絡先は消えていた。

 家族グループは母さんと俺だけになっていた。

 牧野の返信も書き換わっていた。

 過去から順に、世界は凪沙を消している。

「じゃあ、このメモは」

「今朝作成された物理痕跡です。処理対象ではありますが、上書きが完了していません」

 凪沙がまだいた朝。

 トーストに貼ってくれたメモ。

 冷める前に食べて。

 その裏に、俺への謝罪を書いていたメモ。

「つまり、消し忘れか」

「はい。一時的な残存情報です」

「このままだと?」

「白紙化する可能性があります」

 手の中のノートが、急に頼りないものに思えた。

 紙なのに。

 触れるのに。

 まだ、消える。

「じゃあ、書けば残るんじゃないのか」

「保証はできません」

「また可能性かよ」

「はい。ただし、現時点では最も有効な遅延手段です」

 遅延手段。

 救いじゃない。

 復元でもない。

 ただ、消えるまでの時間を少しだけ伸ばす方法。

 それでも、今の俺には十分だった。

 俺は新しいページを開く。

 ペンを持つ。

 手が少し震える。

 でも、書いた。

白瀬凪沙。
俺の妹。
今朝のメモは、まだ残っている。
ただし、薄くなっている。
新しい物理痕跡は、上書きが遅い可能性。
書けば、少しだけ遅らせられる。

 文字を書いている間だけ、呼吸ができた。

 何かをしている。

 消えていくものに対して、ただ見ているだけじゃない。

 そう思えた。

 凪沙が残したのは、謝罪だけじゃなかった。

 消える前に追いつくための、最初の手がかりだった。

   *

 母さんは、朝食の時も俺を何度か見た。

 何かを聞こうとして、やめる。

 トーストを皿に乗せて、テーブルの上に置く。

 メモはない。

 当たり前だ。

 凪沙はいない。

 この家では、最初からいなかったことになっている。

「透」

「何」

「あんた、昨日……」

 母さんはそこで言葉を切った。

 俺はトーストを見ていた。

 ーー冷める前に食べて。

 その文字が、まだ頭から離れない。

「大丈夫?」

 母さんは、結局そう聞いた。

 大丈夫ではない。

 でも、大丈夫じゃないと言ったところで、何を説明すればいいのか分からない。

「大丈夫」

 嘘をついた。

 母さんは納得していない顔をした。

 でも、それ以上は聞かなかった。

 代わりに、自分の前に置いたマグカップを見つめる。

「……変なのよね」

「…何が?」

「何か…忘れてる気がするの…」

 指先が止まった。

 母さんは、困ったように笑った。

「買い物とか、用事とか、そういうのじゃなくて…」

 母さんの視線が、階段の方へ向く。

 そこには誰もいない。

 凪沙の部屋だった場所は、物置になっている。

「誰かに、声をかけなきゃいけなかったような気がして…」

 息が詰まった。

「でも、誰にかけるのか分からないのよ…」

 母さんは首を傾げる。

 自分でも変なことを言っていると思っている顔だった。

「ごめん。寝ぼけてるのかも」

 俺は何も言えなかった。

 母さんは凪沙を覚えていない。

 名前も、顔も、娘だったことも。

 でも、朝に誰かを呼ぼうとした感覚だけが、まだ残っている。

 世界は凪沙を消した。

 でも、母さんの中にあった何かまでは、消しきれていない。

 俺はトーストを口に入れた。

 冷めていた。

 それでも、最後まで食べた。

   *

 昼過ぎ、牧野からメッセージが来た。

昨日の配信見たけど、大丈夫か?

 昨日の配信。

 門番ゼロ。

 SLOT4解放。

 そのあと、凪沙が消えた。

 牧野は、どこまで覚えているのか。

 昼には「凪沙ちゃん?」と返していた。

 夜には、そのトークが「妹? お前一人っ子じゃなかったっけ?」に変わっていた。

 でも、全部消えたわけじゃないかもしれない。

 俺は返信する。

変なこと聞くけど

 すぐ既読がついた。

また?
昨日の配信で、俺、何か変なこと言ってた?

 少し間が空く。

ずっと様子は変だった
SLOT4見ないで終わったのは偉いと思ったけど
他には?
なんか誰かの名前言いかけてなかった?

 指が止まった。

覚えてる?
名前は分からん
でも、言っちゃダメなやつっぽかった

 胸の奥が、一度だけ強く鳴った。

 名前は残っていない。

 でも、「言っちゃダメな名前」だったことは残っている。

 牧野の中に、形ではなく、引っかかりだけが残っている。

 母さんには、呼ぶ相手のいない声が残っていた。

 牧野には、名前のない違和感が残っていた。

 形はない。

 証拠にもならない。

 でも、ゼロじゃない。

 俺以外にも、凪沙の消え残りに触れている人がいる。

 俺はノートに書いた。

母さん。
名前は覚えていない。
でも「誰かに声をかけなきゃいけなかった気がする」と言った。
階段を見た。

牧野。
名前は覚えていない。
でも「言っちゃダメなやつっぽかった」と言った。

完全には消えていない。
人間にも、忘れ損ねが残ることがある。

 書いた瞬間、ミナミが言った。

「重要記録です」

「見てたのか」

「はい」

「勝手に読むな」

「ノートは手元記録として参照対象に設定されています」

「設定した覚えないんだけど」

「推奨です」

「お前ほんとそういうとこ」

 言ってから、少しだけ息が抜けた。

 笑ったわけではない。

 でも、昨日みたいに怒鳴るほどの力もなかった。

 ミナミは少し黙ってから言う。

「お母様と牧野さんは、観測残滓を保持している可能性があります」

「観測残滓…」

「明確な記憶ではなく、感覚、違和感、言語化前の引っかかりとして残る情報です」

「じゃあ、俺は?」

 自分で聞いてから、少しだけ喉が詰まった。

「俺の中にある今の記憶も、残滓なのか」

「いいえ」

 ミナミは、すぐに答えた。

「あなたは、現時点では接続者です」

「接続者?」

「はい。SLOT4、敗北ログ、補助人格MINAMIとの接続があります」

 ミナミの白い輪郭が、少しだけ揺れた。

「加えて、GERO/GATE関連ログ、佐伯さんに関する欠損記録にも接触しています」

「佐伯さん……」

「あなたは複数の消失・欠損情報を観測しています。そのため、白瀬凪沙さんに関する情報を、比較的高い精度で保持しています」

「だから、俺は覚えてる」

「はい」

 少しだけ息が抜けた。

 でも、ミナミは続ける。

「ただし、完全保持ではありません」

「完全じゃない?」

「はい。記憶の欠落、改変、感情による補完が発生する可能性があります」

 指先が止まった。

 凪沙の顔。

 声。

 言い方。

 昨日までは当たり前に思い出せたものが、急に頼りなくなる。

「俺も…忘れるのか…」

「可能性があります」

「……だからノートか」

「はい。あなたの記憶だけに依存することは非推奨です」

 俺はノートを見る。

 凪沙の字。

 俺が書いた凪沙の名前。

 母さんの言葉。

 牧野の違和感。

「俺が覚えてるから大丈夫、じゃないんだな」

「はい」

 ミナミは少しだけ間を置いた。

「あなたは特異点ではありません」

「……」

「ただ、まだ接続が切れていないだけです」

 その言い方は、優しくなかった。

 でも、必要だった。

 俺はペンを握り直した。

 ノートに、追記する。

俺。
SLOT4、敗北ログ、ミナミ、GERO/GATE関連ログ、佐伯さんに関する欠損記録に接触している。
そのため、凪沙の記憶を比較的高い精度で保持している。
ただし、完全ではない。
俺の記憶だけに頼るのは危険。
完全には消えていない。
でも、完全に残っているわけでもない。
人間にも、忘れ損ねが残ることがある。

 書き終えても、不安は消えなかった。

 でも、形にはなった。

 俺だけが覚えているから大丈夫。

 そう思う方が、たぶん楽だった。

 でも、それは未来の俺が負けた道だ。

 俺ひとりで抱えたら、また消える。

 だから、書く。

 だから、残す。

 だから、誰かに見てもらう必要がある。

   *

 それからしばらく、俺はノートを書き続けた。

 凪沙の名前。

 凪沙の話し方。

 凪沙の字。

 凪沙が俺を「お兄」と呼ぶこと。

 コメントが来た時、俺が嬉しそうだったから、切り抜きを作っていたこと。

 のどがやばそうだったから、飲み物を置いてくれていたこと。

 数字を見すぎるなと言っていたこと。

 コメントを全部拾わなくていいと言っていたこと。

 思い出せる限り、書いた。

白瀬凪沙。
俺の妹。
高校二年生。
俺のことを「お兄」と呼ぶ。
嫌味が多い。
でも、よく見ている。
俺の配信を茶化す。
でも、見ている。
俺が嬉しそうだったから、切り抜きを作っていた。
俺は「余計なこと」と言った。
俺は「もう俺の配信に関わるな」と言った。
謝るのは、俺の方。

 何度も同じことを書いている気がした。

 それでも、書いた。

 重複してもいい。

 同じことを何度も書けば、そのぶん消えにくくなるかもしれない。

 そんな保証はない。

 でも、今の俺にできるのは、それくらいだった。

 ミナミは何も言わなかった。

 たまに、文字の横に小さなログだけが浮かぶ。

残存情報記録:追加

 それを見るたびに、少しだけ安心して、すぐにまた不安になる。

 メモの文字は、やっぱり少し薄くなっている気がした。

 気のせいならよかった。

 でも、気のせいにできるほど、俺はもう自分を信じられなかった。

   *

 昼過ぎ。

 俺は、配信管理画面を開いていた。

 いつもなら、配信開始の少し前に告知するだけだった。

 今日は違う。

 ミナミが、配信サイトでの事前予告を推奨した。

「予告?」

「はい。本日の配信は十八時開始を推奨します」

「早いな」

「長時間配信になる可能性があります」

 長時間。

 その言葉が、妙に現実味を持って聞こえた。

 SLOT4に接続する。

 その先に何があるのか、ミナミにも分からない。

 なら、確かに二十時開始では遅い。

「で、なんで予告まで?」

「観測者を増やすためです」

「見られすぎると危ないんじゃなかったのか」

「危険です」

「じゃあ、なんで」

 ミナミは一拍置いた。

「白瀬凪沙さんに関する情報は、現在、あなたの記憶と手書き記録に偏っています」

「偏ってると、まずいのか」

「はい。単独保持情報は、回収対象として特定されやすくなります」

 俺はノートを見た。

 凪沙の名前。

 凪沙の字。

 俺だけが抱えているもの。

「観測者を増やせば?」

「名前そのものを共有する必要はありません」

「じゃあ、何を見せるんだよ」

「違和感です」

 違和感。

 牧野の、言っちゃダメなやつっぽかった、という言葉。

 母さんの、誰かに声をかけなきゃいけなかった気がする、という言葉。

「明確な記憶ではなくても、感覚として残る情報があります」

「…観測残滓」

「はい」

 ミナミの白い輪郭が、ほんの少し揺れた。

「この配信を見た人間の中に、違和感が分散すれば、白瀬凪沙さんは単独異常値ではなくなります」

「俺だけの記憶じゃなくなる」

「はい」

「でも、回収者にも見つかる」

「はい」

「それでもやるのか」

「はい」

 俺はミナミを見た。

「理由は?」

 ミナミは、いつもの無表情のまま言った。


「宣戦布告です」


 息が止まった。

「……お前、今なんて?」

「宣戦布告です」

「AIが言う言葉じゃないだろ」

「不適切でしたか」

「いや」

 違った。

 不適切なんかじゃなかった。

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが音を立てた。

 昨日まで、俺はずっと追い詰められていた。

 消される。

 忘れられる。

 見つかったら終わる。

 そんな言葉ばかりを見ていた。

 凪沙の名前を書く手も、震えていた。

 メモが薄くなるたびに、間に合わないかもしれないと思っていた。

 でも、違う。

 これは、逃げる配信じゃない。

 隠れる配信でもない。

 消されたものを、消されたままにしないための配信だ。

 凪沙がいたことを、俺ひとりの中で抱えて終わらせないための配信だ。

 世界が「なかったこと」にしたなら。

 こっちは「見た人がいる」と言い返す。

 名前を出さなくてもいい。

 顔を思い出せなくてもいい。

 誰かの中に、少しでも引っかかりが残るなら。

 それは、凪沙がここにいた証拠になる。

 指先の震えが、少しだけ変わった。

 怖くて震えているだけじゃない。

 悔しくて。

 腹が立って。

 それでも、前に出たいと思っている震えだった。

 俺は配信予告の入力欄を見る。

 開始時刻。

 十八時。

 タイトル。

 ただのゲーム実況みたいな文字列。

 でも、その裏にある意味は違う。

 俺は、隠れて進むんじゃない。

 凪沙を消したものに向かって、ここから行くと知らせる。

 俺は小さく息を吸った。

 喉の奥が熱い。

 昨日、机に突っ伏して泣いた時とは違う熱だった。

「…いいじゃん」

 声が、自分でも少しだけ低く聞こえた。

「しようぜ、宣戦布告!」

「はい」

 ミナミが即答した。

 その返事は、いつもより少しだけ早かった。

 俺は予告文を打ち込む。

本日18:00より配信します。

検索しても出ないRPG『クロノ・ブレイブ戦記』の続きを進めます。

今日は、行けるところまで行きます。

怖くても逃げずに、最後まで配信します。

 凪沙の名前は書かない。

 SLOT4とも書かない。

 でも、最後の一文だけは消さなかった。

怖くても逃げずに、最後まで配信します。

 少しだけ、子どもっぽい文章だと思った。

 でも、今の俺にはそれ以上うまく書けなかった。

 怖い。

 逃げたい。

 それでも、終わらせたい。

 たった一行。

 でも、俺にはそれが、初めて自分で立てた旗みたいに見えた。

「これでいいか」

「はい」

「宣戦布告にしては、だいぶ普通だな」

「観測を集めるには、十分です」

「やっぱAIだな」

「はい」

 俺は予告を投稿した。

   *

 十七時半。

 配信準備を始める。

 いつもの時間より早い。

 まだ外は完全には暗くなっていない。カーテンの隙間から、夕方の光が机の端に落ちている。

 机の上には、コントローラー、マイク、ノート、ペン。

 凪沙が置いてくれていたマグカップはない。

 のど飴もない。

 代わりに、俺は自分で水を用意した。

 マグカップではなく、ペットボトル。

 味気ない。

 それでも、喉は乾く。

「開始時刻まで三十秒です」

 ノートを開く。

 凪沙の字があるページではなく、今日のページ。

 ペンを置く。

 赤いランプのスイッチに指をかける。

 手が震えている。

「ミハルさん」

「何」

「呼吸が浅くなっています」

「そういうのも分かるのか」

「マイク入力から推定しています」

「便利だな」

「休息を推奨します」

「今から?」

「はい」

「無理だろ」

「はい」

 そこで「はい」なのかよ。

 言いかけて、やめた。

 少しだけ息を吸う。

 吐く。

 もう一度、吸う。

 ノートを見る。

謝るのは、俺の方。

 その下に、自分で書いた言葉がある。

凪沙を残す。

 俺はペンを取って、そこに一行足した。

消えるより先に書く。

 ミナミの白い輪郭が、かすかに揺れた。

「有効な行動です」

「そうか」

「はい」

 俺は赤いランプを点けた。

   *

 十八時。

 配信開始。

きた
今日早いな
予告見た
怖くても逃げずにって何?
いよいよラストか!?
今日で終わらせに行くやつ?
SLOT4くる?
ついにあの枠触るのか
触るなってやつでは?
ミハルくん大丈夫?

 同時接続は、開始時点で七十一人。

 早い時間なのに、多い。

 予告を見て来た人がいる。

 昨日の続きが気になって来た人がいる。

 誰も、凪沙を覚えていない。

 それでも、その消失の周りに集まっている。

「こんばんは、ミハルです。今日も『クロノ・ブレイブ戦記』を進めます」

 声は、思ったより出た。

 出たけど、自分の声が遠い。

「本日は、SLOT4へ接続します」

 ミナミが言った。

 コメント欄が跳ねる。

きた
SLOT4!
ついに
触るなってやつでは?

 俺はコメントを拾わない。

 ゲームを起動する。

 セーブ画面。

SAVE 1 MIHARU CHAPTER 4 CLEAR
SAVE 2 NO DATA
SAVE 3 NO DATA
SAVE 4 MIHARU PLAY TIME 999:59

 カーソルはSAVE 1にある。

 下に動かす。

 SAVE 2。

 SAVE 3。

 SAVE 4。

 カーソルが止まる。

 画面が一瞬だけノイズを吐いた。

 右下に、小さな文字が浮かぶ。

SYNC RATE:00.7%

「ミナミ」

「敗北ログとの同期を開始しています」

「同期って、何だ」

「SLOT4内に保存された敗北ログと、現在の配信状態を照合する処理です」

「照合?」

「はい。現在のあなたの行動、発言、観測数、コメント欄、手元記録が、敗北ログとどの程度接続しているかを示しています」

 俺は右下の数字を見る。

 〇・七パーセント。

 低い。

 低いはずなのに、喉の奥が詰まった。

「これ、上がるとどうなる」

「接続が深くなります」

「深くなると?」

「敗北ログから取得できる情報が増加します」

「それだけか」

「いいえ。回収者およびCUSTODIAN PROCESSに検知される可能性も上昇します」

「つまり、攻略情報も増えるけど、向こうにも見つかりやすくなる」

「はい」

「百になったら?」

「不明です」

「そこは分からないのかよ」

「敗北ログに、SYNC RATE 100%到達時の記録は存在しません」

 まだ選んでもいない。

 カーソルを合わせただけだ。

 それだけで、もう何かがこちらを見始めている。

「触っただけで始まるのか」

「はい。カーソル接触により、接続前同期が開始されました」

 コメント欄が少し遅れる。

今なんか出た?
SYNC?
同期?

 俺はノートに書く。

SLOT4カーソル接触。
SYNC RATE:00.7%
選択前に同期開始。
敗北ログとの接続深度。
情報取得量と検知リスクが上がる。

「ノート記録を確認」

「実況中に確認するな」

「有効です」

 画面のSAVE4が、ゆっくり点滅する。

 白。

 黒。

 白。

 黒。

 選べ。

 そう言われているみたいだった。

「選択してください」

 ミナミが言う。

 俺は決定ボタンを押した。

 画面が暗転する。

 音が消える。

 配信画面のコメント欄も、一瞬止まった。

 完全な無音。

 その中で、文字だけが浮かぶ。

SLOT4 LOADING...

 次に、別の文字。

敗北ログを展開しています

 画面が揺れる。

 見慣れた配信部屋が映った。

 俺の部屋。

 机。

 モニター。

 マイク。

 でも、少し違う。

 ノートがない。

 机の上に、古いスマホが置かれている。

 画面は割れていて、黒いまま。

 壁には、紙ではなく、印刷されたログが何枚も貼られている。

 そのうちの一枚に、赤い文字がある。

白瀬凪沙 消失

 喉が詰まった。

「これは」

「敗北ログ内の再現空間です」

「未来の俺の部屋か」

「はい」

 コメント欄が流れる。

部屋?
メタ演出?
なんか怖い
ノートない?

 ノートない。

 そのコメントが、妙に引っかかった。

 視聴者も気づいたのか。

 いや、たまたまかもしれない。

 でも、俺はノートを手元で押さえた。

 そこにはない。

 未来の俺にはなかった。

 だから、今の俺が持っている。

 画面内の机に、白いホログラムが立っていた。

 ミナミ。

 ただし、今のミナミより輪郭が薄い。

 白い軍服も、帽子も、まだ未完成みたいにノイズが走っている。

 画面内のミナミが、こちらを向く。

敗北ログ管理AI MINAMI
起動準備中

 俺の横にいるミナミが言った。

「これは、私の生成ログです」

「お前が作られた時の?」

「はい」

 画面内の未来の俺は、椅子に座っている。

 顔は見えない。

 背中だけ。

 肩が落ちている。

 モニターには、いくつものファイル名が並んでいる。

receipt_blank_300yen.txt
bbs_missing_154_157.log
archive_noise_08.wav
miharu_clip_nagisa_003.mp4
custodian_trace.dat

 未来の俺が、キーボードを打つ。

 画面に文字が表示される。

MINAMI
敗北ログ管理AI
目的:白瀬凪沙消失前世界線への攻略情報送信

 コメント欄の流れが少し変わる。

MINAMI?
AI作ってる?
これミナミの過去?
白瀬凪沙って誰?

 白瀬凪沙。

 コメント欄に出た。

 俺が言っていないのに。

 画面の中のログが表示したからだ。

 ミナミが即座に言う。

「反応しないでください」

 俺は唇を噛んだ。

 反応しない。

 声に出さない。

 代わりに、ノートへ書く。

SLOT4内ログに白瀬凪沙の名前。
コメント欄にも表示。
声には出さない。

 画面内の未来の俺が、つぶやく。

 音声はノイズ混じりだった。

「……まだ、間に合う俺へ」

 部屋の空気が、少しだけ重くなった。

 未来の俺の声。

 俺の声。

 でも、今の俺より低い。

 乾いている。

 未来の俺は、画面の中で続ける。

「これは、復元じゃない」

 モニターのログが切り替わる。

消失済み情報の完全復元:失敗
残存情報保持:一部成功
敗北ログ送信:未実行

「消えたものは戻らない」

 その声を聞いた瞬間、手元のペンが止まった。

 未来の俺が言う。

「でも、消える前なら、まだ違う手を選べるかもしれない」

 ミナミの輪郭が乱れる。

 今のミナミではない。

 画面内の、作りかけのミナミ。

 未来の俺は、白いホログラムに向かって言った。

「お前は、次の俺に嫌われる」

 部屋の中のノイズが少し大きくなった。

「怒鳴られる。責められる。信用されない」

 未来の俺の手が、キーボードの上で止まる。

「それでも、提示してくれ」

 画面内のミナミが返す。

記録しました

 俺は、横にいるミナミを見た。

 ミナミは画面を見ている。

 いや、見ているように見えた。

 ただログを再生しているだけなのかもしれない。

 でも、その横顔は、いつもより少し静かだった。

「ミナミ」

「はい」

「これ、覚えてるのか」

「私の基礎ログです」

「つまり、覚えてるんだな」

「記録されています」

「そういう言い方」

「はい」

 コメント欄が流れる。

ミナミ作ったのミハル?
未来のミハル?
敗北ログってそういうこと?

 拾わない。

 でも、もう視聴者も分かり始めている。

 AI軍師は、どこかから来た謎の存在じゃない。

 未来の俺が作った。

 俺が負けたから。

 俺が間違えたから。

 俺が、凪沙を救えなかったから。

   *

 画面が切り替わる。

 今度は駅前の中古ショップ。

 棚には、古いゲームソフトが並んでいる。

 画面の奥に、作業着の男がいる。

 回収者。

 胸元には会社名のない名札。

 手にはタブレット。

 男は棚からソフトを抜き取る。

 抜き取られた場所だけ、画面が白く抜ける。

CUSTODIAN PROCESS:ACTIVE
TARGET:RESIDUAL LOGS

 未来の俺の声が重なる。

「回収者は、世界の修正処理だ」

「人間のふりをして、残ってはいけないものを集める」

「悪意じゃない」

「ただ、直している」

 作業着の男が、画面のこちらを見る。

 一瞬、配信画面越しに目が合った気がした。

 コメント欄が遅れる。

今こっち見た?
業者?
こわ

 画面に文字が出る。

君は救おうとしているんじゃない
残してはいけないものを増やしている

 俺はノートの端を握った。

 残してはいけないもの。

 凪沙の名前。

 凪沙の字。

 凪沙がいたこと。

 世界にとっては、残してはいけないもの。

 俺にとっては、残さなければいけないもの。

 ミナミが言う。

「SLOT4内で回収者情報が展開されています」

「どうすればいい」

「観測してください」

「見るだけ?」

「はい」

「戦わないのか」

「現時点では、直接戦闘条件を満たしていません」

 見るだけ。

 残すために見る。

 でも、見すぎれば狙われる。

 その真ん中を探す方法なんて、未来の俺には分からなかった。

 だから、ミナミを作った。

 今の俺にも、まだ分からない。

   *

 SLOT4の画面がさらに暗くなる。

 未来の俺の部屋に戻る。

 モニターに、送信ログが表示されている。

敗北ログ送信準備完了
接続先:未確定
補助人格:MINAMI
初期メッセージ生成中……

 未来の俺は、椅子に座ったまま動かない。

 やがて、ゆっくりと口を開く。

「失敗した未来は呪いではありません」

 画面の文字が打ち込まれる。

失敗した未来は呪いではありません。

「敗北ログは攻略情報です」

敗北ログは攻略情報です。

「使い方を間違えなければ」

使い方を間違えなければ。

 初めてミナミに会った時、聞いた言葉。

 俺が、最初に受け取った言葉。

 あれは、未来の俺が書いたものだった。

 喉の奥が熱くなる。

 怒りではない。

 ただ、胸のどこかが強く押された。

 未来の俺は、画面の端に揺れる未完成のミナミを見る。

「ミナミ」

 画面内のミナミが返す。

「はい」

「最後に、お前に伝えなければいけないことがある」

「なんでしょう」

 そこで、画面のノイズが強くなった。

 未来の俺の声が、途切れかける。


「俺は――」


 画面が止まった。

 俺は息を止めた。

 続きはない。

 ログが欠けている。

 未来の俺が何を言おうとしたのか、分からない。

 コメント欄が流れる。

ここで切れるの?
何を伝えようとした?
ミナミに?
続きは?

 俺も同じことを思っていた。

 何を伝えようとした。

 ミナミを作った理由か。

 未来へ送り込むことか。

 俺に押し付けることか。

 それとも、もっと別のことか。

 ミナミは、横で静かに言った。

「ログ欠損を確認しました」

「お前は知ってるのか」

「該当発話は記録されていません」

「本当に?」

「はい」

 ミナミの返事は、いつも通りだった。

 でも、少しだけ遅かった。

 俺はそれを見て、何も言わなかった。

   *

 画面に、選択肢が出た。

敗北ログを受け取りますか?
▶ 受け取る
 拒否する

 コメント欄がざわつく。

受け取るしかない
拒否したらどうなる?
怖い

 ミナミが言う。

「受け取ってください」

「拒否したら?」

「SLOT4接続が切断されます」

「それだけ?」

「以降、勝利条件への到達が困難になります」

「つまり詰むってことか」

「はい」

 俺はノートを見る。

凪沙を残す。
消えるより先に書く。

 その下に、まだ空白がある。

 ペンを持つ。

敗北ログを受け取る。
未来の俺は、ミナミに何かを伝えようとしていた。
理由は不明。

 書いてから、決定ボタンを押す。

 受け取る。

 画面が白く光る。

 大量の文字が流れ込んでくる。

推奨外タイトル使用時の差分
観測数上昇閾値
GERO/GATE分岐
名剥ぎ処理
二次観測検知
監視対象追加
門番ゼロ撃破条件
回収者接近パターン
CUSTODIAN PROCESS

 読めない速度でログが流れる。

 それでも、いくつかの単語だけが目に刺さる。

NAGISA
SISTER
SECONDARY LOGGER
DELETED

 俺は奥歯を噛み締めた。

 声には出さない。

 ノートにだけ書く。

NAGISA
SISTER
SECONDARY LOGGER
DELETED

 ミナミが言う。

「同期率上昇」

SYNC RATE:18.4%

 画面右上に数字が出る。

「十八パーセント…」

「はい」

「百になったらどうなる」

「不明です」

「知らないまま進めって?」

「はい」

 未来の俺も、知らないまま送った。

 ミナミも、全部を知っているわけじゃない。

 敗北ログは攻略情報。

 でも、攻略本じゃない。

 負けた人間の記録だ。

 俺はそれを受け取っている。

 失敗した俺から。

   *

 白い光が収まると、ゲーム画面は暗い部屋に戻っていた。

 未来の俺の部屋。

 でも、さっきより物が減っている。

 壁に貼られていたログが、何枚か白紙になっている。

 机の上の古いスマホも、画面が薄くなっていた。

 回収されている。

 SLOT4の中でさえ、削られている。

 画面中央に文字が出る。

CUSTODIAN APPROACHING

 ミナミが言う。

「第一接続を終了してください」

「もう?」

「同期率十八パーセントを超えたため、回収者の接近が確認されました」

「…ここまで追ってくるってことか」

「はい。SLOT4内の敗北ログにも、回収者の干渉が到達しています」

「次は?」

「次回配信で、SLOT4第二層へ進行します」

 俺は画面を見た。

 次回。

 そんな言葉が、なぜか遠く聞こえた。

 今、この配信を切っていいのか。

 メモの文字は薄くなっている。

 凪沙の痕跡は、今も消え続けている。

 明日まで待って、残っている保証はない。

「ミナミ」

「はい」

「ここから先の攻略情報はあるのか」

 ミナミは、すぐには答えなかった。

 その沈黙が、答えの前に落ちた。

「SLOT4第二層以降の敗北ログは、不完全です」

「不完全…?」

「はい。未来の白瀬透さんは、第二層以降の攻略情報を十分に構造化できていません」

「つまり、お前にも分からないってことか」

「一部のみ推測可能です」

「勝てる手順は?」

「提示できません」

 指先が冷えた。

 ここまでは、ミナミの言う通りに進めばよかった。

 タイトル。

 時間。

 コメント。

 キャラ操作。

 でも、ここから先は違う。

「判断が必要です」

 ミナミが言った。

「敗北ログではなく、あなたの判断が必要です」

「ここで切るか、進むか」

「はい」

「推奨は?」

「接続終了を推奨します」

「理由は」

「あなたの精神状態、同期率上昇、回収者の接近、残存情報の逆照合リスクを考慮した結果です」

「でも、待てばメモは消えるかもしれない」

「はい」

「なら、推奨だけじゃ決められないだろ」

「はい」

 コメント欄は流れている。

え、ここで終わる?
続き気になる
回収者来てるけど大丈夫?

 俺はノートを見る。

消えるより先に書く。

 配信前に書いた文字。

 凪沙の字の隣にある、俺の字。

 俺は息を吸った。

「続ける」

 ミナミがすぐに返す。

「非推奨です」

「知ってる」

「同期率上昇により、回収者の干渉リスクが増加します」

「知ってる」

「白瀬凪沙さんの残存情報が逆照合される可能性があります」

「それも知ってる」

「それでも継続しますか」

 俺はメモの裏を見る。

お兄、勝手に切り抜いてごめんね。

 消えかけている。

 でも、まだそこにある。

「継続する」

 ミナミは少しだけ沈黙した。

「確認しました」

 画面の中央に、新しい選択肢が出る。

第二層へ進行しますか?
▶ 進行する
 接続を終了する

 俺は、進行するを選んだ。

 画面が暗くなる。

 コメント欄の速度が落ちる。

 音が、一段低く沈む。

 右上の同期率が、ゆっくり上がる。


SYNC RATE:21.0%

 ここから先は、たぶん敗北ログの奥だ。

 未来の俺が作った、最後の入口。

 俺はノートを開いたまま、ペンを握る。

 消えるより先に書く。

 忘れるより先に進む。

 SLOT4の奥へ。

 俺は、配信を止めなかった。

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