同接2人の配信から、世界線を救うことになりました〜AI軍師と始める敗北ログ攻略〜 #13

SAVE13 存在履歴の喪失 

 廊下の奥で、物置のドアが少しだけ開いたままになっている。

 その隙間から、段ボールの角だけが見えていた。

 俺は何も言えなかった。

「妹ってあんた……一人っ子でしょ?」

 母さんの声は、普通だった。

 普通に、困っていた。

 冗談を言っている顔ではない。怒っている顔でもない。息子が急に知らない名前を出したから、どう返せばいいのか分からない顔だった。

「……違う」

 声が出た。

 自分の声じゃないみたいだった。

「違うって、何が?」

「凪沙がいるだろ」

「だから、凪沙って誰なの…?」

「俺の妹だよ」

「透…」

 母さんが、少しだけ声を落とした。

 その声が嫌だった。

 子どもをなだめる時の声だった。

「落ち着いて。妹なんて、いないでしょ」

「いる」

「いないわよ」

「いるって!」

 廊下に声が響いた。

 母さんの肩が小さく揺れる。

 その動きを見て、喉の奥が詰まった。

 怒鳴りたいわけじゃない。

 違うと言ってほしいだけだった。

 凪沙はいる。

 先に学校へ行った。

 メモを置いた。

 夕方、帰ってきた。

 俺の横を通った。

 制服の袖が、俺の腕に触れた。

 自分の部屋に入った。

 ドアが閉まった。

 そこまで、ちゃんとあった。

「母さん、今日の朝」

 言葉が急いで出てくる。

「凪沙、先に学校行ったって言ってたよな」

「誰が?」

「母さんが」

「私が?」

「そうだよ…!!」

 母さんは首を傾げた。

「今日は、朝ごはん置いておいたけど。透、寝坊してたから」

「違う!!凪沙が…!!」

「透」

「メモもあった。トーストに」

「メモ?」

「冷める前に食べてって」

 母さんは、また困った顔をした。

「それ、私が書いたんじゃない?」

「違う…」

 違う。

 母さんの字じゃない。

 凪沙の字だった。

 少し丸くて、最後の払いが雑で、急いで書くと「て」が潰れる、凪沙の字だった。

 俺は自分の部屋へ走った。

   *

 机の上のノートを開く。

 ページをめくる。

 昨日の記録。

 今日の記録。

 門番ゼロ。

 SLOT4 UNLOCKED。

 ミナミの指示通りにした。

 そのページの前に、貼ったメモがあった。

冷める前に食べて

 あった。

 まだ、あった。

 俺はそれを見て、息を吸った。

 吸ったはずなのに、胸に入ってこない。

 文字は少し薄くなっていた。

 でも読める。

 冷める前に食べて。

 凪沙の字。

 凪沙の字だ。

 俺はノートを持って廊下へ戻った。

「母さん!これ」

 メモを見せる。

「これ、凪沙の字だろ」

 母さんはノートを覗き込んだ。

 眉を寄せる。

「……誰の字?」

「凪沙の」

「だから、凪沙って誰なの」

「見れば分かるだろ!」

 母さんは黙った。

 ノートの文字を見ている。

 見ているのに、何も思い出さない。

 メモは残っている。

 でも、それを書いた人間が、母さんの中にいない。

「透…」

 母さんが、俺の名前を呼んだ。

 その声は、さっきより少しだけ震えていた。

「あんた……どうしちゃったのよ」

 俺は答えられなかった。

 どうしちゃったのか、聞きたいのはこっちだった。

 物置のドア。

 その向こうに、さっきまで凪沙の部屋だった場所。

 さっきまで。

 いや、違う。

 世界はもう、最初から物置だったことにしている。

   *

 スマホを開く。

 凪沙の連絡先を探す。

 ない。

 家族グループを開く。

 母さんと俺だけ。

 昨日まで、凪沙のアイコンがあった場所には、何もない。

 トーク履歴を検索する。

凪沙

 検索結果はありません。

 指先が汗ばむ。

 別のアプリを開く。

 写真。

 リビング。

 誕生日。

 夕飯。

 駅前。

 どれも、俺と母さんだけだった。

 不自然な余白はない。

 そこに誰かが立っていたはずの空間もない。

 最初から、二人で撮った写真として成立している。

 凪沙が変な顔をしていたはずの動画もない。

 牛乳をこぼして母さんに怒られていた動画もない。

 俺の配信を見ながら「お兄、早口」と言っていた音声もない。

 何もない。

 検索アプリを開く。

白瀬凪沙

 結果は、関係ない名前ばかりだった。

 高校のサイト。

 名簿。

 大会結果。

 部活のページ。

 どこにもない。

 俺は牧野とのトークを開いた。

 昼に送ったやり取り。

俺に妹いるの知ってる?

 その下にあったはずの返信。

 凪沙ちゃん?

 それが、変わっていた。

妹?
お前一人っ子じゃなかったっけ?

 画面の文字が、じわっと滲んだ。

 昼には覚えていた。

 牧野は覚えていた。

 少なくとも、あの時は。

 でも、今は違う。

 過去のトークまで、書き換わっている。

 俺はスマホを握ったまま、膝から崩れた。

 床に座る。

 ノートが開いたまま落ちる。

 冷める前に食べて。

 そのメモだけが、ページに貼りついている。

   *

「ミナミ」

 机の上のホログラムが起動する。

 白い軍服の輪郭が揺れる。

「はい」

「凪沙が……」

 喉が詰まった。

 言葉にしたら、戻れなくなる気がした。

 でも、もう戻れない。

「凪沙が……凪沙が消えた……」

 ミナミはすぐには答えなかった。

 いつもなら一秒もかからない。

 その沈黙だけで、答えは分かった。

「白瀬凪沙さんに関する現実情報の大規模欠損を確認しました」

「欠損じゃない!!」

 声が跳ねた。

 自分でも驚くくらい大きな声だった。

「消失進行は、第四段階に移行しています」

「消えたって言えよ!!」

 机を叩いた。

 ホログラムの輪郭が、びりっと乱れる。

「白瀬凪沙さんは、現在の世界線において存在履歴を喪失しています」

「知ってたのか……?」

 声が低くなった。

 低くなったぶん、喉の奥が熱かった。

「可能性は把握していました」

「なんで言わなかった!!」

「言えば、あなたが配信を停止する可能性が高かったためです」

「言う通りにしただろ!!!」

 椅子を蹴った。

 背もたれが床に当たって、大きな音を立てる。

「タイトルも変えなかった!!」

 息が荒くなる。

「時間も守った!!」

 指先が震える。

「コメントにも乗らなかった!!」

 ミナミは何も言わない。

 白い軍服の輪郭だけが、小さく揺れている。

「SLOT4も選ばなかった!!」

 言葉が止まらない。

「全部、お前の言う通りにした…!!」

 喉が痛い。

 それでも、止まらない。

「なのに、なんで凪沙が消えてるんだよ!!」

 ミナミは答えなかった。

 答えないのが、答えだった。

「門番ゼロを倒せば、勝利条件に近づくって言ったよな?」

 俺は笑った。

 笑った声にならなかった。

「近づいただけかよ…」

 唇が震える。

「ふざけるな…」

「私は、救済を保証していません」

 その言葉で、頭の奥が冷えた。

「保証してない…?」

 声がかすれる。

「じゃあ、俺は何を信じて配信したんだよ!!」

「敗北ログに基づく、最適解です」

「最適解で妹が消えたんだよ!!」

 ミナミの輪郭が、はっきり乱れた。

 でも、消えない。

 消えずに、そこに立っている。

 凪沙は消えたのに。

 ミナミは残っている。

 そのことが、どうしようもなく腹立たしかった。

 腹立たしかったのに、次の瞬間、胸の奥が崩れた。

「……えた」

 声が漏れた。

「消えちまった……!!」

 机に両手をつく。

 膝に力が入らない。

 さっき蹴り飛ばした椅子は、床に倒れたままだった。

 俺は机に突っ伏した。

 額が天板に当たる。

「俺…..ひどいこと言っちまった……」

 声が机に吸われる。

「心にもないこと……」

 凪沙の顔が浮かぶ。

 スマホを胸元に抱えて、顔を伏せた凪沙。

 何か言いかけて、何も言わなかった凪沙。

「凪沙は……嫌味言いながらも、陰で俺のこと応援してくれてたんだ」

 喉が詰まる。

「支えてくれてたんだ……」

 ーーコメントが来た時、嬉しそうだったから。

 ーーもっと見てもらえたらいいと思っただけ。

 その言葉が、頭の中で何度もぶつかる。

「なのに……俺は……」

 その先が出なかった。

 出せなかった。

 机に押しつけた額の下で、息だけが荒くなる。

「もう……配信はしない……」

 怒鳴った後の声は、自分でも情けないくらい小さかった。

 喉の奥で、何かをこらえるみたいに震えていた。

「非推奨です」

「黙れ…」

「配信を停止した場合、残存情報の保持可能性が低下します」

「黙れって言ってるだろ……」

「SLOT4への接続が可能になっています」

「知らない!!」

「SLOT4への接続により、削除処理の停止条件へ到達できる可能性があります」

「知らない……」

 俺は机の上のノートを掴んだ。

 力の入れ方が分からなかった。

 ページがぐしゃっと歪む。

「凪沙がいないなら、もう意味ないだろ…」

「白瀬凪沙さんの完全復元は保証できません」

「じゃあ…何のためにやるんだよ…」

「残存情報を保持するためです」

「残ってないだろ!!」

 次の瞬間、俺はノートを投げていた。

 壁に当たる。

 ばさっ、と紙が開く音がした。

 床に落ちたノートのページが、何枚もめくれた。

 ーー冷める前に食べて。

 そのメモが貼られたページが、目の前で裏返っていた。

   *

 床に落ちたノートを、俺はしばらく見ていた。

 拾う気になれなかった。

 拾ったところで、何が変わるんだと思った。

 でも、開いたページの端に、何かが見えた。

 メモ。

 朝、トーストに貼られていたメモ。

冷める前に食べて

 それが、ページから少しだけ浮いていた。

 投げた衝撃で、端が剥がれたのかもしれない。

 白い裏側が、こちらを向いている。

 そこに、文字があった。

 俺の字じゃない。

 母さんの字でもない。

 小さく、右に傾いた文字。

 俺は這うようにしてノートへ近づいた。

 指でメモをめくる。

 裏に、一文だけ書いてあった。


お兄、勝手に切り抜いてごめんね。


 それだけだった。

 その一文だけ。

 凪沙の字だった。

 急いで書いたのか、少し右に傾いている。

 「ごめんね」の「ね」が、いつもより小さい。

 俺は、何度もその文字を読んだ。

 お兄。

 勝手に。

 切り抜いて。

 ごめんね。

 謝るのは、俺の方だった。

 余計なことなんて言うんじゃなかった。

 もう関わるななんて言うんじゃなかった。

 夕方、帰ってきた時に言えばよかった。

 袖が触れた時に、呼べばよかった。

 配信を始める前に、部屋の前に行けばよかった。

 いくらでもあった。

 いくらでも、あったはずなのに。

 俺は、どれも選ばなかった。

 喉の奥から、変な音が出た。

 泣くというより、息の形が壊れたみたいだった。

 ノートを抱え込む。

 床に額がつく。

 メモの紙が頬に当たる。

 ーー冷める前に食べて。

 ーーお兄、勝手に切り抜いてごめんね。

 凪沙は、最後まで謝っていた。

 俺に怒られたまま。

 俺に余計なことと言われたまま。

 俺に関わるなと言われたまま。

 それでも、謝っていた。

「ごめん…」

 声が漏れた。

「ごめん……凪沙……」

 言った瞬間、目の奥が熱くなった。

 こらえる間もなかった。

 ぽた、と紙に落ちる音がした。

 メモの端に、小さな丸い跡ができる。

 慌てて袖で拭こうとして、手が止まった。

 滲ませたくない。

 消したくない。

 俺はノートを抱え込んだまま、床に額をつけた。

 涙が次々に落ちる。

 声は出なかった。

 返事もない。

 ただ、凪沙の字だけが、腕の中にあった。

   *

 どれくらい経ったのか分からない。

 部屋の明かりは消したままだった。

 モニターの待機光だけが、机の端を青白く照らしている。

 母さんが何度かドアの向こうに立った気配がした。

 でも、入ってこなかった。

 ミナミも、何も言わなかった。

 机の上で、白いホログラムだけが静かに揺れている。

 俺はノートを抱えたまま、顔を上げた。

「ミナミ…」

「はい」

「お前、俺に初めて会った時、次は勝つために来たって言ってたよな…?」

「はい」

「敗北ログは攻略情報だって…」

「はい」

「使い方を間違えなければ…って」

「はい」

 声がかすれている。

 それでも、言葉は出た。

「勝てば、凪沙を救えるんだよな…?」

 ミナミは、少しだけ沈黙した。

 それから言った。

「勝利条件に到達すれば、白瀬凪沙さんの消失処理を停止できる可能性があります」

「また可能性かよ」

「はい」

 俺は笑った。

 声にならない笑いだった。

 でも、さっきまでとは違う。

 怒りだけでは、もう立てなかった。

 後悔だけでも、立てなかった。

 ノートを開く。

 凪沙の字を見る。

お兄、勝手に切り抜いてごめんね。

 その下に、俺は震える手で一行を書いた。

謝るのは、俺の方。

 ペン先が紙を引っかいた。

 その下に、もう一行。

凪沙を残す。

 書いたあとで、少しだけ違うと思った。

 残すだけじゃない。

 取り戻す、とも違う。

 まだ言葉が見つからない。

 でも、今はそれでいい。

 俺は顔を上げ、ミナミを見る。

「俺…配信するよ」

 ミナミのホログラムが、かすかに揺れた。

「SLOT4への接続を推奨します」

「ああ…」

「以降の配信では、敗北ログとの一致率が重要になります」

「分かった」

「あなたの精神状態は、配信継続に適していません」

「知ってる」

「休息を推奨します」

 俺は少しだけ目を閉じた。

 今さら、そんなことを言うのか。

 ミナミは冷たい。

 でも、たぶん冷たいだけじゃない。

「休む」

「はい」

「でも、次はやる」

「はい」

 俺はノートを閉じた。

 表紙の文字に、指を置く。

忘れたら終わり

 少しだけ、息を吸う。

 さっき怒鳴った声が、まだ喉に残っていた。

「ミナミ」

「はい」

「さっきは……悪かった」

「何に対する謝罪ですか」

「怒鳴った」

「事実です」

「ノートも投げた」

「確認しています」

「そういう言い方、ほんと腹立つな」

「訂正します。把握しています」

 ほんの少しだけ、息が抜けた。

 笑えたわけじゃない。

 でも、さっきまでみたいに喉が詰まるだけではなかった。

「でも、まだ許せない」

「はい」

「お前を信じられるかも分からない」

「はい」

「それでも、凪沙を残すには、進むしかないんだろ」

「はい」

 俺はノートを握った。

 凪沙の字が、中にある。

 世界が消し忘れたのか。

 凪沙が残したのか。

 どちらでもいい。

「次は、俺が選ぶ」

 ミナミの輪郭が、少しだけ揺れた。

「記録しました」

 俺はノートを、机の上に戻した。

 凪沙の字。

 消えかけているのに、まだそこにある。

 理由なんて分からなかった。

 なら、まだ間に合うかもしれない。

 消えるより先に。

 忘れるより先に。

 俺はもう一度、配信をする。

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