同接2人の配信から、世界線を救うことになりました〜AI軍師と始める敗北ログ攻略〜 #12
SAVE12 敗北ログ
白瀬凪沙を覚えている人間は、もう俺しかいなかった。
そう思っていた。
でも、それも正確ではなかった。
俺の記憶は、ときどき欠ける。
名前を呼ぼうとして、舌の上で一文字目が滑る。顔を思い出そうとして、前髪の長さだけが先に浮かぶ。声を思い出そうとして、「お兄」と呼ぶ響きではなく、配信のコメント通知音が割り込んでくる。
忘れたくない。
そう思うたびに、何かが奥から削れていく。
人間の記憶は、思ったよりも頼りにならなかった。
だから俺は、機械に残った傷を探した。
配信アーカイブ。
コメントログ。
削除済み動画のURL。
真っ黒になったスクリーンショット。
商品名のないレシート。
掲示板の欠番。
再生履歴の空欄。
サムネイルだけ壊れた切り抜き。
どれも完全な証拠ではない。
名前が欠けている。
日付がずれている。
画像が壊れている。
音声がノイズになっている。
でも、全部を並べると、そこに誰かがいた形だけが残る。
俺はそれを、凪沙の輪郭と呼ぶことにした。
*
最後の配信の日、コメント欄はいつもより速く流れていた。
同時接続は、過去最高だった。
数字だけ見れば、成功だった。
来た
第四章クリアいける?
門番ゼロ戦やばかった
演出すごい
今日で終わり?俺は、画面の前で何度も名前を呼んだ。
「白瀬凪沙」
コメント欄が流れる。
誰?
妹?
そういう設定?「設定じゃない」
声が震えていた。
「俺の妹だ」
ミハルくん大丈夫?
演技うまい
ホラー演出?
妹キャラ出てたっけ?「違う。演出じゃない」
俺はスマホを開いた。
写真フォルダ。
凪沙が写っていたはずの写真。
家族で撮ったはずの写真。
リビングで変な顔をしていたはずの動画。
どれも、なかった。
代わりに、黒く潰れた画像がいくつも並んでいた。
撮影日時だけが残っている。
その日に、何を撮ったのかは分からない。
コメント欄は、さらに速く流れる。
黒画像こわ
演出凝ってる
ガチなら怖い
妹設定いつから?誰も思い出さなかった。
あの日、俺は初めて、見られることが怖いと思った。
見てくれる人が増えれば、残せると思っていた。
コメントが増えれば、アーカイブが残れば、切り抜きが拡散されれば、消えないと思っていた。
間違ってはいなかった。
でも、足りなかった。
観測者は、ただの数じゃない。
人間だ。
見てくれた誰かの端末に残る。コメントに残る。記憶に残る。切り抜きに残る。
だから世界は、そこまで消しに来る。
俺は凪沙を残そうとして、凪沙を見つけさせた。
コメント欄の向こうにいる誰かも。
切り抜きを作った誰かも。
凪沙を覚えかけた誰かも。
全部、削除対象の近くまで連れてきてしまった。
*
結果から言えば、俺は負けた。
正確には、勝ったあとで負けた。
第四章の門番を倒した。
通常エンドの扉を開いた。
配信は過去最高の数字を出した。
コメントは一万を超えた。
切り抜きは翌朝までに何十本も作られた。
でも、その夜、凪沙は消えた。
部屋は物置になっていた。
母さんは、俺に妹なんていないと言った。
俺は勝ったはずだった。
ゲームには勝った。
配信にも勝った。
数字にも勝った。
それでも、凪沙は戻らなかった。
消えたものは、復元できない。
何度ログを掘っても、何度アーカイブを解析しても、その結論だけは変わらなかった。
戻せない。
でも、送ることはできるかもしれない。
消える前の場所へ。
まだ、凪沙がいる世界線へ。
残っていたのは、敗北ログだけだった。
第1回配信。
存在しないゲームを起動。
敗北条件の一部を起動。
第5回配信。
推奨外タイトルを使用。
観測数上昇。
スミグライ撃破。
敗北ログとの差分拡大。
第8回配信。
名剥ぎの魔女ナハギ撃破。
店舗情報消失。
GERO/GATE関連ログ崩壊。
第10回配信。
目配りの群れミハリメ撃破。
二次観測遮断。
監視対象記録済み。
白瀬凪沙、検知対象へ。
第11回配信。
門番ゼロ撃破。
白瀬凪沙、消失。俺は、そのログを何度も読んだ。
どこで間違えたのか。
どの配信を止めればよかったのか。
どのコメントを拾わなければよかったのか。
どのタイトルにしなければよかったのか。
どの言葉を言わなければよかったのか。
何度読んでも、同じ場所で手が止まる。
俺は「余計なこと」と言った。
俺は「もう俺の配信に関わるな」と言った。そこだけは、ゲームのログではなかった。
配信の記録でもなかった。
俺が打ち込んだ。
俺の手で残した。
だから、消えなかった。
*
凪沙の部屋だった場所は、物置になっていた。
最初は、毎日そこに入った。
段ボールを開けた。
衣装ケースをどけた。
古い布団をめくった。
何もないと思っていた。
でも、押し入れの奥、使っていない加湿器の箱の裏に、スマホが一台落ちていた。
白いケース。
角に小さなひび。
凪沙が使っていたものと、同じだった。
俺はその場に座り込んだ。
電源ボタンを押す。
画面はつかない。
充電器を探して、手が段ボールの角に何度も当たった。
指先が少し痛んだ。
それでも、俺はスマホを離せなかった。
数時間後、スマホは起動した。
ロック画面には、名前が出なかった。
通知もない。
写真フォルダを開く。
黒く潰れた画像が、いくつも並んでいた。
動画フォルダには、再生できないファイルが一つだけ残っている。
miharu_clip_nagisa_003.mp4中身は開けない。
サムネイルも出ない。
でも、ファイル名だけが残っていた。
俺はそれを、凪沙の痕跡だと思った。
人間の記憶は、きれいに塗り替えられる。
家族写真は最初から一人分の余白なんてなかったことになる。
学校の名簿も、最初からその名前を持たない。
母親の記憶からも、娘は抜け落ちる。
でも、機械はときどき忘れ損ねる。
処理が雑な場所に、欠けたまま残る。
俺はその文字列を、何度もコピーした。
別のフォルダに移した。
圧縮した。
バックアップした。
ファイル名を変えた。
紙に書けば残るかもしれない、という発想は、まだ俺にはなかった。
俺はまだ、機械の中に残ったものだけを信じていた。
だから、負けたのかもしれない。
*
母さんは、ときどき俺を見る目を変えた。
「病院、行こうか?」
責める声ではなかった。
怒っている声でもなかった。
夜中に物置の中で段ボールを開けている息子を見て、どうにかしたいと思っている声だった。
俺は首を振った。
「行かない」
「でも、最近ずっと変よ」
「変じゃない」
そう言ったあとで、自分でも無理があると思った。
消えた妹の名前を呼んで、物置の中を探し続ける。古いスマホを充電して、黒く潰れた画像を何度も開く。再生できないファイル名を、意味があるものみたいに見返す。
母さんから見れば、俺はどう見えているんだろう。
「妹がいたんだ」
母さんは、少しだけ黙った。
否定するまでに、前より時間がかかった気がした。
「……透」
名前を呼ばれた。
その声は、昔と同じだった。
俺が熱を出した時も、大学に落ちたと思い込んで泣きそうになっていた時も、同じ声で呼ばれた。
「つらいなら、一人で抱えなくていいのよ」
母さんは、凪沙を覚えていない。
でも、俺が苦しんでいることは忘れていない。
それが、いちばん答えに困った。
*
回収者の存在に気づいたのは、凪沙が消えてからしばらく経った頃だった。
何日目だったのかは、もう覚えていない。
最初の数日は、ほとんど物置の中にいた。段ボールを開けて、衣装ケースを動かして、同じ場所を何度も探した。母さんに何度も同じことを聞いて、同じ顔をさせて、同じ答えを聞いた。
それから少しずつ、俺は外に出るようになった。
凪沙の痕跡を探すために。
駅前の中古ショップを回っていた時だった。
店の奥で、作業着の男が段ボールを抱えていた。
無地の帽子。
白い軍手。
胸元には、会社名のない名札。
男は店主に伝票を渡していた。
「このあたりの古いソフト、まとめて回収になります」
「急ですね。まだ値札もつけてないのに」
「困るんですよね〜」
「何がです?」
男は、何でもないことのように言った。
「世界が」
その言葉を聞いた瞬間、店の空気が少し薄くなった。
蛍光灯の音が遠くなる。
棚に並んでいたゲームケースの背表紙が、一瞬だけ白く滲む。
俺は、店の入口で立ち止まった。
男がこちらを見る。
目が合った。
黒目が、蛍光灯を映していなかった。
その時、分かった。
こいつは人間の形をしているけれど、人間として来ているわけじゃない。
世界が間違えたものを、帳尻合わせするために来ている。
残ってはいけないものを、回収するために来ている。
男は俺の方へ歩いてきた。
「お客様」
声は普通だった。
普通だったから、指が動かなかった。
「古いものは、残りやすいんです」
男はそれだけ言って、店を出た。
俺は追えなかった。
追えば、俺の中に残っているものまで見つかる気がした。
その日から、俺は回収者を記録するようになった。
回収者。
世界修正処理の末端。
人間の姿を取る。
古い媒体、記録媒体、忘れ損ねを回収する。
発言例:「世界が困る」
発言例:「古いものは、残りやすい」回収者は、黒幕ではない。
意思を持った悪役でもない。
もっと事務的なものだった。
エラーを直す。
欠番を埋める。
空欄を削る。
ノイズを消す。
それだけの処理。
世界は、自分の形を保とうとしている。
存在してはいけない情報を、元の白紙に戻そうとしている。
俺は、その白紙に爪を立てていた。
*
回収者は、配信の中にも現れた。
コメント欄に、名前のない一文が流れる。
残してはいけないものを増やしているすぐに消える。
スクリーンショットは真っ黒になる。
ログには残らない。
でも、俺は見た。
見たものを忘れないために、ログに打ち込む。
不明コメント:
残してはいけないものを増やしている次の日、別のアーカイブにノイズが入る。
音声の底で、誰かの声がする。
君は救おうとしているんじゃない何度聞いても、その続きは聞き取れない。
波形だけが、少し膨らんでいる。
俺はそれも保存した。
保存して、コピーして、複製して、分散した。
そうするほど、回収者は近づいてくる。
分かっていた。
でも、やめられなかった。
残さなければ、凪沙が消える。
残しすぎれば、凪沙を見つけさせる。
その真ん中を探す方法なんて、俺には分からなかった。
だから俺は、ミナミを作ることにした。
*
最初にミナミを作ろうと思った時、俺は自分でも笑った。
妹を救えなかった男が、次に頼るものがAI。
最後まで、自分で決められないのか。
そう思った。
でも、俺にはもう、自分の判断が信用できなかった。
タイトルを変えたのは俺だ。
コメントを拾ったのも俺だ。
凪沙に怒鳴ったのも俺だ。
謝るのを後回しにしたのも俺だ。
俺の判断は、凪沙を救わなかった。
だから、俺は判断を分解した。
ログにした。
失敗した場面を全部切り出した。
どの選択で観測数が上がったか。
どの発言で関連情報が強化されたか。
どのタイミングで削除処理が走ったか。
どの場面で回収者が現れたか。
どの指示を守れば、一秒でも遅延できたか。
全部、表にした。
数字にした。
ルールにした。
そして、俺の代わりにそれを読むものを作った。
名前は、すぐに決まった。
ミナミ。
凪沙が、昔そう呼んだことがあった。
俺が動画編集ソフトの音声読み上げに適当な女性名をつけていた時、凪沙が横から言った。
「それ、美波でよくない?」
「なんで」
「なんか、それっぽいから」
「雑だな」
「お兄のネーミングよりマシ」
そんな会話だった。
会話の音声は残っていない。
動画にもない。
ログにもない。
でも、その名前だけが俺の中に残っていた。
だから、その名前にした。
MINAMI
敗北ログ管理AI
目的:白瀬凪沙消失前世界線への攻略情報送信復元ではない。
救出でもない。
やり直しでもない。
そんな綺麗なものではない。
俺が作っていたのは、俺が負けた記録を、まだ負けていない俺へ押し付けるためのものだった。
*
ミナミは、最初は何も言わなかった。
ただ、ログを読むだけだった。
差分を検出しました。
敗北ログとの一致率が低下しています。それだけのシステムだった。
でも、俺は機能を足した。
配信タイトルの推奨。
開始時刻の推奨。
終了時刻の推奨。
コメント対応の制限。
妹への言及禁止。
二次ログ生成者への接触禁止。
現地確認の非推奨。
回収者出現時の行動制限。
凪沙に謝るタイミングの判定。
そこまで作って、手が止まった。
凪沙に謝るタイミング。
俺が一番間違えた場所。
そこをAIに判断させようとしている。
画面の中で、テスト中のミナミが表示する。
直接接触は非推奨です。
関連情報が強化されます。俺はキーボードの上に手を置いたまま、しばらく動けなかった。
「そうだよな」
誰もいない部屋で言った。
「俺も、そう思ったんだよ」
だから謝らなかった。
だから間に合わなかった。
正しい判断だけでは、人間は救えない。
そんなこと、俺が一番知っている。
それでも、俺はミナミからその機能を消せなかった。
謝れば検知が進む。
謝らなければ後悔が残る。
どちらを選んでも、取り返しはつかない。
なら、せめて次の俺には、その重さごと渡すしかない。
俺はミナミに、ひとつだけ追加した。
注意:
提示する解は、救済を保証しない。
人間の判断が必要となる場面を残すこと。保存する。
画面の中のミナミが、初めて長い文章を返した。
記録しました。*
送信先を作るのが、一番難しかった。
過去へ送る。
最初は、自分でも馬鹿げていると思った。
時間を戻す装置なんて持っていない。世界を巻き戻す方法も知らない。俺にできるのは、消え損ねたデータを拾うことだけだった。
でも、クロノ・ブレイブ戦記だけは違った。
あのゲームは、ただ消え損ねているだけじゃない。
存在してはいけない情報を抱えたまま、いくつものログを重ねていた。
掲示板の欠番。
商品名のないレシート。
黒く潰れた画像。
消えたはずの切り抜きファイル。
それらは全部、同じ場所へ沈んでいた。
時間の順番ではなく、消し損ねた記録が集まる場所。
俺はそこを、アーカイブ層と呼ぶことにした。
過去に送るんじゃない。
まだ確定していない俺が、いつか触ってしまう場所に置く。
そう考えれば、可能性はゼロじゃなかった。
消えたはずのゲーム。
存在しないはずのセーブ領域。
アーカイブ層に沈んだ敗北ログ。
世界の上書きが失敗した残骸。
消えるべきだった情報が、古い媒体に引っかかったもの。
だから、そこに新しい入口を作った。
セーブデータの形をした、敗北ログの置き場。
SAVE 4
SLOT4
MIHARU
PLAY TIME 999:59四つ目のセーブスロット。
本来なら存在しない場所。
次の俺が見つけたら、きっと触る。
触ってしまう。
俺なら、絶対に。
そういう嫌な信頼だけはあった。
画面の中で、ミナミが最終確認を表示する。
敗北ログを送信しますか?
送信後、この世界線の復元は保証されません。俺は笑った。
復元。
そんなもの、最初から残っていない。
マウスを握る手が震えた。
画面の隅に、回収者の検知ログが走る。
CUSTODIAN PROCESS:ACTIVE
CORRECTION RANGE:EXPANDING
TARGET:RESIDUAL LOGS残ったログまで、消しに来ている。
時間はなかった。
俺は送信ボタンにカーソルを合わせた。
*
送信直前、ミナミが言った。
「最終確認です」
音声はまだ機械的だった。
でも、俺にはもう、その声しか残っていなかった。
「敗北ログの送信先は、白瀬透さんです」
「ああ」
「送信される情報は、攻略手順、禁止事項、消失進行の記録、SLOT4接続条件、白瀬凪沙さんに関する断片記録です」
「ああ」
「回収者に関する情報も含まれます」
「ああ」
「送信成功率は低いです」
「知ってる」
「成功した場合でも、対象世界線での救済は保証されません」
「それも知ってる」
「それでも実行しますか」
俺は、壊れたファイル名を見た。
miharu_clip_nagisa_003.mp4凪沙の声は、もううまく思い出せない。
でも、その文字列だけは残っている。
だから、俺は押した。
実行画面が白くなる。
保存していたログが、次々に開いて、次々に閉じる。
真っ黒なスクリーンショットのファイルが並ぶ。
掲示板の欠番が画面に走る。
154
155
156
157レシートの空欄が光る。
コメントログのタイムスタンプが流れる。
削除済み切り抜きのファイル名が、最後に表示される。
miharu_clip_nagisa_003.mp4その下に、ミナミの文字が出た。
送信を開始しました。俺は椅子にもたれた。
何かを成し遂げた感じはなかった。
ただ、ようやく負けを認めた気がした。
*
送信ログの最後に、一行だけ残った。
敗北ログ送信完了。
接続先:未確定
補助人格:MINAMI
初期メッセージ生成中……その下に、カーソルが点滅する。
俺は、最初のメッセージを入力した。
失敗した未来は呪いではありません。
敗北ログは攻略情報です。
使い方を間違えなければ。送信。
画面が暗くなる。
暗闇の中に、白い文字だけが残った。
SAVE 4
SLOT4
MIHARU
PLAY TIME 999:59俺はその文字を見つめた。
ここが入口になる。
次の俺が、いつか必ず開いてしまう場所。
俺が最後まで残した敗北の置き場。
画面の端で、まだ形になりきらない白い輪郭が揺れていた。
ミナミ。
敗北ログを読むためだけに作ったはずの補助人格。
まだ、声は硬い。
まだ、感情なんてない。
それでも、俺はその名前を呼んだ。
「ミナミ」
「はい」
「最後にお前に伝えなければいけないことがある」
「なんでしょう」
「俺は――」
