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同接2人の配信から、世界線を救うことになりました〜AI軍師と始める敗北ログ攻略〜 #10

SAVE10 目配りの群れ

 朝、ノートを開いて最初に見えたのは、二本線で消した文字だった。

凪沙?

 消したはずなのに、読める。読めるくらいの力でしか、消せていなかった。その上には、昨日の配信中に出た文字が並んでいる。

二次観測を確認。
生成者情報を照合中。
SOURCE:N■■■■
コメント「見つけた」

 N。

 それだけなら、何でもあり得る。名前、ニックネーム、ノイズ、ナハギ、見張りの森に出てきた何か。そうやって頭の中で候補を増やしても、最後には同じ名前に戻ってくる。

 凪沙。

 俺はペンを持ったまま、しばらくその文字を見ていた。

「お兄、パン焦げるよ」

 ドアの外から声がした。

 ノートを閉じるのが、一拍遅れた。

「今行く」

 返事をしてから、ノートの表紙を見る。

忘れたら終わり

 その文字の上に、手を置いた。

 忘れないために書いたのに、書いたせいで繋がっていくものもある。

 俺はノートを机に置いたまま、部屋を出た。

   *

 リビングでは、凪沙がトースターの前に立っていた。制服の袖口を少しめくって、スマホを片手で操作している。

「焦げるって言った本人がスマホ見てるじゃん」

「見てる。パンもスマホも」

「欲張りだな」

「現代女子高生だから」

 凪沙はそう言って、スマホを伏せた。画面は見えなかった。ただ、伏せる動きが早かった。

 テーブルには、いつもの牛乳と皿。皿の横に、のど飴が二つ置いてある。

「またこれ?」

「余ってたから」

「余るほど買ったの誰だよ」

「母さん」

「母さん、のど飴そんな買わないだろ」

「じゃあ私」

 凪沙は雑に答えて、トーストを皿に乗せた。

 昨日と同じやり取り。同じはずなのに、少しだけ違う。俺の目が、凪沙のスマホに行く。伏せられた黒い画面。指紋の跡。通知が来ていないか、画面の端を見てしまう。

「お兄」

「何」

「見すぎ」

「……悪い」

「謝ると余計怖いんだけど」

 凪沙は椅子に座る。パンをかじりながら、こっちを見た。

「昨日、配信切るの早かったね」

「見てたのかよ」

「ちょっとだけ」

「どこまで」

「目がいっぱい出てくるとこ」

「最後は?」

 凪沙の手が止まった。止まったのは、ほんの一瞬だった。パンの端が、少しだけ皿に触れる。

「最後って?」

「……いや、いい」

「何それ」

「何でもない」

 俺は牛乳に手を伸ばす。パックの側面が冷たかった。

 聞けばいい。

 昨日の切り抜き、お前が作ってるのか。SOURCEのNって、お前なのか。

 でも、聞いた瞬間に繋がる。

 関連情報の強化。

 ミナミの言葉が、喉の奥で引っかかっている。

「今日も配信するの?」

 凪沙が聞いた。

「ミナミは、やれって」

「またミナミ」

「……俺も、やる」

 言ってから、自分で少し驚いた。

 凪沙も、少しだけ目を上げた。

「そ」

「何」

「いや。今日は、ミナミのせいにしなかったなと思って」

 凪沙はパンをかじる。

「でも、やるなら気をつけて」

「何に」

「コメント。あと、切り抜き」

 心臓のあたりが、一度だけ強く鳴った。

「切り抜き?」

「昨日、配信で言っちゃってたじゃん。切り抜きか、って」

「そこも見てたのか」

「おすすめに流れてくるんだって」

「便利だな、おすすめ」

「便利だよ。お兄より仕事早いし」

 凪沙はそう言って笑った。

 その笑い方が、いつも通りすぎて、何も言えなくなった。

   *

 昼。

 ミナミは、昨日の配信ログを解析していた。

 机の上のホログラムに、白い文字がいくつも並んでいる。

OBSERVATION COUNT:043 → 050
SECONDARY OBSERVATION:DETECTED
SOURCE:N■■■■
TRACE STATUS:PARTIAL

「これ、何がどこまで分かってる」

「二次ログ生成者の一部識別が開始されています」

「一部って」

「頭文字、端末由来の断片、投稿タイミング、視聴履歴との一致率です」

「視聴履歴?」

「あなたの配信を継続的に観測している端末が、切り抜き投稿端末と近接しています」

「近接って、場所?」

「物理距離、ネットワーク環境、投稿時間、視聴開始時刻の複合評価です」

「それ、もうほとんど分かってるんじゃないのか」

 ミナミは答えなかった。答えない時は、だいたい答えがある。

「凪沙なのか」

「現時点で断定は非推奨です」

「その言い方、やめろって」

「断定した場合、あなたが対象者へ接触する可能性が高まります」

「接触したら?」

「関連情報が強化されます」

「強化されたら?」

「削除処理が、対象者を優先的に照合する可能性があります」

 俺は椅子の背にもたれた。息を吐く。

 凪沙に聞かない方がいい。でも、聞かなければ止められない。止められなければ、切り抜きは増える。増えれば、見つかる。

「じゃあ、どうすればいい」

「本日の配信では、第三章ボスへの到達を推奨します」

「質問に答えろよ」

「第三章ボスを撃破することで、二次観測の拡散を一時的に抑制できる可能性があります」

「可能性」

「はい」

「お前の可能性、だいたい人が傷つく方に転ぶんだよ」

 ミナミの輪郭が少しだけ乱れた。

「最適解を提示しています」

「誰にとっての」

 ミナミは黙った。

 俺はノートを開く。今日のページに、配信前の禁止事項を書いた。

・切り抜き投稿者に触れない
・凪沙に聞かない
・コメントに流されない
・SLOT4を見ない
・第三章ボスまで進む

 最後の行を書いて、手が止まる。

 第三章ボス。

 名前はまだ出ていない。

 でも、昨日の森。木々に開いた目。同接と同じ数字。二次観測。

 たぶん、次の敵は見てくる。

 見ている人間を、見返してくる。

   *

 二十時前。

 凪沙が部屋のドアをノックした。

「入るよ」

「聞く前に入るな」

「聞いたら止めるでしょ」

「止めないけど」

「じゃあ入る」

 ドアが開く。凪沙は、昨日と同じようにマグカップを持っていた。今日は湯気が少し薄い。

「のど」

「ありがとう」

「母さんが」

「もういいよ、その設定」

「じゃあ私」

 凪沙はマグカップを置くと、机の横にあるノートを見た。

「今日も置いてるんだ」

「見える場所に置けって言っただろ」

「言ったけど、ちゃんとやるとは思わなかった」

「失礼だな」

「お兄、言われたことすぐ忘れるから」

 凪沙の視線が、ノートの端に落ちた。

 そこに、今日書いた禁止事項が少しだけ見えている。

・切り抜き投稿者に触れない
・凪沙に聞かない

 俺は慌ててノートを閉じた。

 遅かったかもしれない。

 凪沙は何も言わなかった。ただ、閉じたノートの表紙を見ている。

忘れたら終わり

「それさ」

「うん」

「忘れないためのノートなんでしょ」

「たぶん」

「だったら、隠すこと書くの向いてなくない?」

 俺は言葉に詰まった。

 凪沙は、こっちを見ない。机の上のマグカップの位置を少し直している。

「別に見てないけど」

「見た人の言い方だろ」

「見てない。目に入っただけ」

「同じだろ」

「違う」

 凪沙はそう言って、ドアの方へ歩いた。

 出ていく直前、足を止める。

「お兄」

「何」

「私のこと、勝手に心配して勝手に怒らないでね」

 手が止まった。

 凪沙は振り返らない。

「まだ怒ってない」

「今はね」

「何だよ、それ」

「お兄、そういう顔してる」

 凪沙はドアを閉めた。廊下の足音が遠ざかる。

 俺は閉じたノートに手を置いた。

 隠すことを書くのに向いていない。

 その通りだった。

 でも、書かなければ忘れる。書けば、見つかる。

 どっちを選んでも、何かが残る。

   *

 二十時十二分。

 配信開始。

 同時接続は、開始時点で四十二人。昨日のラストに近い数字だった。

来た
切り抜きから来ました
昨日のNって何?
目の森続き?
見つけたってコメント何?

 昨日のN。

 もうコメントになっている。

 俺が黙っていても、誰かが拾う。誰かが広げる。誰かが繋げる。

「こんばんは、ミハルです。今日も『クロノ・ブレイブ戦記』を進めます」

 声は少し掠れた。

 マグカップを持つ。蜂蜜の匂いがした。

「本日は第三章ボスへの到達を推奨します」

 ミナミが言う。

「分かってる」

「切り抜き投稿者への言及は禁止です」

「分かってる」

「二次ログ生成者への接触も非推奨です」

「配信中に言うな」

 コメント欄が反応する前に、俺はゲームを起動した。

 SAVE 1。

 見張りの森。

 昨日の石碑の奥から再開する。

 森は、昨日より暗くなっていた。木々の目は閉じている。でも、主人公が一歩進むたびに、まぶたのような模様が震える。

 画面右上に、最初から表示があった。

OBSERVATION COUNT:042

「消えてない」

「前回発生した表示ノイズが継続しています」

「ノイズって言い張るんだな」

「ゲーム内正式UIではありません」

「でも、そこにある」

「はい」

 進む。

 四十三。

 四十四。

 同接が増えるたび、数字が変わる。

 森の目が、ひとつずつ開く。

 コメント欄にも目の絵文字が流れ始めた。

👁
見てる
また増えてる
同接とリンクしてる?

 拾わない。

 拾わなくても、数字は増える。

 四十八。

 五十二。

 五五。

 森の奥で、木々がざわめいた。

 葉擦れではない。

 小さな声が、いくつも重なっている。

見た
見た
見た
見た

 画面いっぱいに、小さな文字が浮かぶ。

 コメント欄の文字ではない。

 ゲーム内の文字。

 でも、配信コメントに似ていた。

切り抜きから
リアタイ初見
昨日のNって何
見つけた

 俺は唇を噛んだ。

「ミナミ」

「第三章の環境変化を確認しています」

「コメントがゲーム内に出てる」

「観測情報の混線です」

「混線って」

「外部コメントログとゲーム内ログの境界が不安定になっています」

「それ、まずいだろ」

「はい」

「はいじゃなくて」

「進行してください」

 進むしかない。

 森の道が狭くなる。木々の目が、全部こちらを向く。主人公の背中を追うみたいに、画面の端から端まで視線が動く。

 やがて、広場に出た。

 中央には、目の形をした大きな石。石の周りに、細い枝が円形に並んでいる。枝の先には、小さな目がある。

 画面が暗転した。

 BGMが止まる。

 代わりに、コメント欄の流れる音だけが大きくなったように感じた。

 次の瞬間、画面中央に文字が出る。

目配りの群れ ミハリメ

 石だと思っていたものが割れた。

 中から、無数の目が開く。

 一つの体ではない。鳥のようなもの、獣のようなもの、顔のない人形のようなもの。それらが寄り集まって、一つの影になっている。

 中央に、大きな目。

 その周りに、小さな目。

 さらにその周りに、もっと小さな目。

 全部が、同じタイミングで瞬きをした。

 コメント欄が一気に流れる。

ミハリメきた
目多すぎ
集合体ボス?
きもい

 ミナミが言う。

「第三章ボス戦を確認しました」

「攻略は」

「行動パターンを提示します」

推奨行動:
1. 初手、防御
2. 視線同期中はコメント欄を見ない
3. 二次観測発動時、見張り札を使用
4. 監視対象追加が表示された場合、即時解除
5. 六ターン目、奥義使用

「コメント欄を見るなって、どうやって」

「視線をゲーム画面に固定してください」

「無茶言うな」

「非推奨行動です」

「コメント見るのが?」

「この戦闘中は、はい」

 ボス戦が始まる。

 ミハリメの初手。

視線同期

 画面の色が少し暗くなる。

 コメント欄が、ゲーム画面の中にも映り込んだ。

見てる
見てる
見てる

 同じ文字が、背景の木にも、地面にも、主人公の足元にも流れていく。

「コメント欄を見ないでください」

「もう見えてるんだけど」

「物理的な視線移動を抑制してください」

 俺は画面中央の主人公だけを見る。

 右側のコメント欄を視界から外す。

 それでも、文字の流れが目の端で動く。

ミハルくんコメント見てない?
今日反応薄い
ガチで集中してる?

 見ない。

 見ない。

 防御。

 主人公が身を固める。

 攻撃は来ない。

 代わりに、画面下に文字が出た。

ミハリメ:見ないふりをしても、見られている。

 二ターン目。

 ミハリメの小さな目が一斉に光る。

晒し目

 画面に、過去の配信コメントが浮かんだ。

初コメントに固まってて草
声裏返ったw
AIに怒られてるの好き
店って結局何?
Nって凪沙?

 最後の一文を見た瞬間、指が止まった。

「ミハルさん」

「今の」

「コメント欄を見ないでください」

「今、凪沙って」

「見ないでください」

「誰が書いた」

「見ないでください」

 コメント欄にも反応が流れる。

凪沙?
誰?
妹?
今名前出た?

 しまった。

 俺が反応したせいで、拾われた。

 拾われたせいで、増えた。

 画面右上の数字が跳ねた。

OBSERVATION COUNT:061

 森の目が一気に増える。

 ミハリメの体も膨らんだ。

「関連情報の強化を確認」

 ミナミが言った。

「分かってる!」

 声が大きく出た。

 コメント欄がまた揺れる。

ガチ?
ミハルくん焦ってる
凪沙って誰?

 名前が増える。

 俺が守りたい名前が、コメント欄で増えていく。

 ミナミが低く言った。

「見張り札を使用してください」

 俺はアイテム欄を開く。

見張り札:
向けられた視線を、一度だけ紙へ逃がす。

 紙。

 また紙だ。

 俺は見張り札を選んだ。

 画面が白く光る。森の目が、いくつか閉じる。コメント欄に流れていた「凪沙」の文字が、一瞬だけ薄くなった。

 でも、消えない。

 完全には消えない。

「一時抑制を確認」

「一時かよ」

「はい」

 三ターン目。

 ミハリメが震える。

 小さな目が、一つずつ画面の外へ向く。まるで、配信画面の外側を探しているみたいだった。

二次観測

 昨日と同じ文字。

 俺は歯を噛んだ。

 画面中央に白い表示。

生成者情報を照合中……

「ミナミ!」

「防御を選択してください」

「また照合してる」

「防御を選択してください」

「止められないのか」

「現時点では、戦闘内行動による抑制のみ可能です」

「つまり倒せってことだろ」

「はい」

 防御。

 画面が暗くなる。

 白い点が三つ、ゆっくり点滅する。

 一つ。二つ。三つ。

 表示が乱れる。

SOURCE:NAG■■■

 NAG。

 目の奥が、熱くなる。

 凪沙。

 もう、ごまかしようがなかった。

 コメント欄がざわつく。

NAG?
ナギ?
人名?
切り抜き主?

「配信を終了してください」

 ミナミが言った。

「倒すんだろ」

「現時点での続行は危険です」

「倒せば抑制できるんだろ」

「可能性があります」

「じゃあやる」

「推奨しません」

「どっちだよ!」

 声が割れた。

 マイクが少し音を拾いすぎて、画面の音量バーが赤く振れる。

 コメント欄が速くなる。

 見るな。

 見るな。

 でも、流れているのが分かる。

今ガチギレした?
ミナミ止めてる?
何が起きてるの?

 俺は攻撃を選ぶ。

 ミハリメのHPが少し削れる。

 四ターン目。

監視対象追加

 画面左下に、小さな枠が現れた。

 配信画面のような枠。

 そこに、文字が表示される。

TARGET:SECONDARY LOGGER

 続けて、もう一行。

RELATION:SISTER

 指が止まった。

 英単語の意味を理解するまで、一拍かかった。

 SECONDARY LOGGER。

 二次ログ生成者。

 SISTER。

 妹。

「……ミナミ」

「即時終了を推奨します」

「知ってたのか」

「現時点での断定は」

「妹って出てるだろ!」

 コメント欄が爆発した。

妹?
ミハルくん妹いるの?
切り抜き主妹説?
演出?

 俺は口を閉じた。

 遅かった。

 もう言った。

 妹。

 自分で言った。

 自分の声で、配信に乗せた。

 画面右上。

OBSERVATION COUNT:079

 数字が跳ねる。

 森の目が、画面いっぱいに開く。

 ミハリメの体が膨らみ、無数の目がこちらを向いた。

「関連情報の急速強化を確認」

 ミナミの声が遠い。

「監視対象追加が成立しました」

「解除は」

「見張り札は使用済みです」

「他に」

「六ターン目まで耐えてください」

「耐えたら」

「奥義が使用可能になります」

 五ターン目。

 ミハリメの攻撃。

晒し目

 画面に、凪沙の言葉が流れた。

お兄、早口。
コメント、全部拾わなくていいから。
数字、見すぎないで。
のど、やばそうだったから。

 俺の手が止まった。

 ゲーム内に、凪沙の言葉が出ている。

 配信で言っていない言葉まで。

 部屋で言った言葉。

 朝に言った言葉。

 マグカップを置いた時の言葉。

「なんで」

 声が小さく出た。

「なんで知ってる」

「対象情報の照合が進行しています」

「やめさせろ」

「六ターン目まで耐えてください」

「やめさせろよ!」

 コメント欄の文字が読めなくなる。見ているはずなのに、読めない。

 画面の中で、凪沙の言葉だけが白く浮いている。

 お兄、早口。

 コメント、全部拾わなくていいから。

 数字、見すぎないで。

 のど、やばそうだったから。

 その一つ一つが、俺の配信を支えていたものだった。

 それが、今は敵の攻撃になっている。

 HPが大きく削れる。

 主人公の名前欄が揺れる。

ミハル
HP 38/142

「回復してください」

 ミナミが言った。

 俺は回復アイテムを選ぶ。

 手が滑って、別のアイテムにカーソルが乗った。

古い護符

「違う」

 戻す。

 薬草。

 決定。

 HPが戻る。

 六ターン目。

 画面下に、奥義コマンドが光った。

記録剣

「奥義を選択してください」

 ミナミの声が重なる。

「今なら撃破可能です」

 俺はコマンドを選ぶ。

 主人公が剣を構える。

 画面の中の目が、全部こちらを向く。

 ミハリメが笑った。

 声ではない。

 コメント欄の文字が、全部同じ形に変わった。

見ている
見ている
見ている
見ている

 俺は決定ボタンを押した。

 白い線が、画面を横に走る。

 ミハリメの中央の目が裂ける。

 小さな目が、一つずつ閉じていく。

 森の中の視線が消えていく。

 最後に、画面中央に白い文字が出た。

二次観測 遮断

 息が抜けた。

 でも、その下に、もう一行が表示された。


監視対象 記録済み


 俺はコントローラーを握ったまま、動けなかった。

 戦闘終了。

第三章クリア

 コメント欄が流れる。

クリア?
今の妹って何?
ミハルくん大丈夫?
演出凝りすぎ

 演出。

 またその言葉だ。

 俺は終了ボタンを押した。

 何も言わなかった。

 赤いランプが消えた。

   *

 部屋の中が静かになった。

 配信結果は表示された。

最大同時接続:82
コメント数:496
新規登録者:64
アーカイブ初期再生数:1,208

 数字だけが、やけに整っていた。

 ミナミのホログラムは乱れたまま、机の上に立っている。

「監視対象って、凪沙のことだよな」

「現時点で」

「まだ言うのか」

 ミナミは黙った。

「切り抜き作ってるの、凪沙なんだな」

 ミナミは答えなかった。

「答えろ」

「二次ログ生成者は、白瀬凪沙さんである可能性が高いです」

 言葉が、机の上に置かれた。

 置かれたまま、動かない。

 俺は椅子から立ち上がった。

「なんで言わなかった」

「言えば、あなたが接触する可能性が高かったためです」

「接触したら危ないから?」

「はい」

「じゃあ今は?」

「関連情報はすでに強化されています」

「つまり、もう遅いってことか」

「遅延は可能です」

「人間は、それを間に合ってるとは言わない」

 ミナミは答えなかった。

 俺はドアを見る。

 廊下の向こう。

 凪沙の部屋。

 まだ明かりがついている。

 足が勝手に動いた。

   *

 凪沙の部屋の前で、俺は一度止まった。

 中から、小さな音がする。

 キーボードではない。

 スマホの画面を何度もタップする音。

 短い動画を編集する時みたいな、細かい音。

 俺はノックした。

 音が止まる。

「凪沙」

「なに」

「開けていいか」

「待って」

 中で何かを伏せる音がした。

 それで、もう十分だった。

「開けるぞ」

「待ってって」

 ドアを開けた。

 凪沙はベッドの上に座っていた。膝の上にスマホ。画面は消えている。横にはイヤホン。机の上には、充電中の小さなモバイルバッテリー。

 いつもの部屋。

 いつもの凪沙。

 でも、スマホを握る手だけが、少し固い。

「お兄、何」

 凪沙は顔を上げる。

 俺は言葉を探した。

 怒るな。

 ミナミの声が、頭の中で鳴る。

 接触は非推奨です。

 でも、もう遅い。

 監視対象は記録済み。

 俺は一歩、部屋に入った。

「切り抜き」

 凪沙の目が少しだけ動いた。

「ミハル切り抜き置き場」

 その名前を出した瞬間、凪沙の指がスマホの端を強く押した。

 画面が一瞬だけ点く。

 消える直前、編集画面が見えた。

 黒いゲーム画面。

 白い文字。


監視対象 記録済み


 俺は息を吸った。

 喉の奥が詰まる。

「お前なのか」

 凪沙はすぐには答えなかった。

 スマホを胸の前に引き寄せる。

「……何が」

「とぼけるなよ」

 声が少し強くなった。

 凪沙の肩が、小さく揺れた。

 その動きで、自分の声が強すぎたことに気づいた。でも、戻せなかった。

「俺の配信、切り抜いてるの。お前なのか」

 凪沙は唇を結んだ。

 長い沈黙。

 そのあと、小さく言った。

「……勝手に見たの」

「ゲームに出たんだよ」

「何それ」

「お前が切り抜き作ってるって。ゲームに出た」

「意味分かんない」

「俺も分かんないよ」

 凪沙はスマホを見た。

 指が画面の上で迷っている。

 消すか。隠すか。見せるか。そのどれにも動けないみたいだった。

「お兄が」

 凪沙が言った。

「お兄が、コメント来た時、嬉しそうだったから」

 言葉がそこで止まる。

「最初、二人とか三人だったじゃん。コメント来た時、固まってたけど、あとで何回も見てたでしょ」

 俺は何も言えなかった。

「だから、もっと見てもらえたらいいと思っただけ」

 凪沙の声は、少しだけ早くなった。

「怖いとこだけじゃなくて、ミナミにツッコまれてるとことか、コメント拾えなくて固まってるとことか、そういう方が見やすいかなって」

「なんで言わなかった」

「言ったら怒るでしょ」

「怒るだろ」

「ほら」

「そうじゃなくて」

 胸の奥で、何かが熱くなる。

 違う。

 怒りたいわけじゃない。

 止めたい。

 守りたい。

 でも、出てくる言葉が全部、刺さる形をしている。

「お前、自分が何やってるか分かってんのか」

 凪沙の顔が、少しだけ固まった。

「切り抜き?」

「違う」

「じゃあ何」

「それで、お前が狙われるかもしれないんだよ」

「何に」

「分かんない」

「分かんないのに怒ってるの」

「分かんないから怒ってんだよ!」

 声が部屋に響いた。

 凪沙が口を閉じた。

 スマホを握る手が、少しだけ震えている。

 俺はそれを見て、言葉を止めようとした。

 でも、止まらなかった。

「なんで余計なことしたんだよ」

 言った瞬間、部屋の音が消えた気がした。

 凪沙の目が、ゆっくり俺を見る。

 その顔を見て、言葉を戻したくなった。

 戻らない。

 言った文字は、もう部屋の中に残っている。

「……もう俺の配信に関わるな」

 凪沙の指が、スマホの端を掴んだまま止まった。

 ほんの少しだけ、肩が上がる。

 息を吸ったのかもしれない。

 何か言おうとしたのかもしれない。

 でも、凪沙は何も言わなかった。

 唇を結んで、スマホを胸元に抱える。

 目元が少しだけ歪んだ。

 次の瞬間、凪沙は顔を伏せた。

「……分かった」

 それだけだった。

 俺の横を通って、ドアの方へ歩く。

 すれ違う時、肩が少しだけ触れた。

 いつもなら「邪魔」くらい言う。

 何も言わなかった。

 ドアの前で一度だけ足が止まる。

 俺は、名前を呼ぼうとした。

 呼べなかった。

 凪沙は振り返らないまま、袖で目元を押さえた。

 その動きが見えた瞬間、喉の奥が詰まった。

 ドアが閉まる。

 廊下の足音が遠ざかる。

 俺は凪沙の部屋に残された。

 ベッドの上には、伏せられたスマホ。

 画面は黒い。

 でも、さっき見えた文字が、まだ目の奥に残っている。


監視対象 記録済み


   *

 自分の部屋に戻ると、ミナミが待っていた。

「接触は非推奨でした」

「黙れ」

「関連情報の強化を確認しています」

「黙れって言ってるだろ」

 ミナミは黙った。

 俺はノートを開く。

 今日のページ。

 手が震えて、ペン先が紙にうまく乗らない。

 それでも書いた。

第三章ボス 目配りの群れ ミハリメ。
OBSERVATION COUNT 同接と一致。
晒し目。
二次観測。
SOURCE:NAG■■■
TARGET:SECONDARY LOGGER
RELATION:SISTER
監視対象 記録済み。

 そこでペンが止まる。

 次の行。

 書きたくない。

 でも、書かなければ、なかったことになる。

 俺は唇を噛みながら、書いた。

切り抜きを作っていたのは凪沙。
俺は「余計なこと」と言った。
俺は「もう俺の配信に関わるな」と言った。

 文字が少し歪んだ。

 その下に、もう一行書こうとして、手が止まる。

 謝る。

 今すぐ。

 そう思って立ち上がりかけた時、スマホが震えた。

 通知。

ミハル切り抜き置き場
新しいショートが投稿されました

 俺は固まった。

 画面を開く。

 最新動画。

【第三章】目配りの群れ戦、ゲームが切り抜き主を特定し始める
再生数:12

 投稿者は、ミハル切り抜き置き場。

 凪沙は、もうやらないと言った。

 さっき、そう言ったばかりだった。

 なのに、投稿されている。

 予約投稿。

 自動投稿。

 それとも。

 俺は動画を開けなかった。

 コメント欄だけが表示された。

切り抜き主、大丈夫?
この投稿早すぎない?
妹ってマジ?

 その下に、名前のないコメントが一つあった。


ようやく見つけた


 画面の文字が、薄く揺れた。

 俺はスクリーンショットを撮ろうとした。

 今度は、撮れた。

 撮れたはずだった。

 写真フォルダを開く。

 最新の画像。

 真っ黒だった。

 何も写っていない。

 俺はスマホを握ったまま、ノートを見た。

 忘れたら終わり。

 表紙の文字が、机の光を受けて黒く見える。

 廊下の向こうで、凪沙の部屋のドアが閉まった。

 いつもの、遠慮がちな音じゃなかった。

 壁の向こうで、何かをこらえるみたいに短く鳴って、それきり何も聞こえなくなった。

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